2185話
警備兵から向けられる嫉妬の視線は取りあえずスルーしたレイは、黒装束達を警備兵に引き渡す。
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラといった面々と行動を共にすることの多いレイだけに、周囲からの嫉妬の視線は受け流すことが自然と上手くなっていったのだ。
「じゃあ、この連中は頼むな。……ちなみに、今まで捕らえた奴からは何か聞き出せたのか?」
「いや、無理だな。レイを後ろから刺した男は、そもそもまだ気絶したままだし、果実水に毒を入れた男は黙秘を貫いてる」
「……気絶した男の方はともかく、毒の男の方は何か話してもいいと思うんだけどな」
レイが見たところ、毒の男の方は決して我慢強いようには思えなかった。
少し強引に言い寄れば、間違いなく話してくれるだろう相手のように思えたのだ。
とはいえ、相手も暗殺者だ。
それも、無味無臭の毒を使うという、厄介な相手。
それなりに度胸があっても、おかしくはないのだろう。
……レイにしてみれば、非常に厄介な相手としか言いようがないのも事実だったが。
「何だかんだと、暗殺者だけあるんだろうな。一応こっちでもう少し頑張ってみるが、どうしても駄目なようなら専門家に任せることになる」
「専門家、ね」
それが、具体的には一体どのような意味での専門家なのかというのは、レイにも多少気になる。気になるが……ここでそれを聞いたりした場合、あまり聞かなくてもいいことを聞いてしまいそうで、それ以上は深く突っ込まない方がいいだろうと判断した。
「その辺はそっちに任せる」
「そうしてくれると、こっちも助かるよ。……それで、レイはこれからどうするんだ? やっぱりマリーナさんの所に行くのか?」
「迷ってる」
「……迷ってる? 珍しいこともあるな」
警備兵が知ってる限りでは、レイは常に即断即決という印象だった。
そのおかげでピンチになったことも少なくないのだが、そのような場合でもレイは実力でどうにかしてきた。
実際には、常に即断即決をしてきたという訳ではないのだが、警備兵にしてみればそのような強い印象を持っていたのだろう。
そんな驚きの視線を向けてくる警備兵に、レイは失礼なと思いながらも口を開く。
「ああ。こいつらみたいな暗殺者が襲ってきた以上、スラム街の組織に話を聞きに行った方がいいかもしれないと思ってな」
「いや、それは……マリーナさんのところにしておけ」
先程マリーナに会いに行くというレイに嫉妬の視線を向けたのも忘れ、警備兵は即座にそう告げる。
今この状況……ただでさえ、今日は暗殺者の騒動で忙しいのに、スラム街で大きな騒動を起こされるのは堪らないというのが、警備兵の正直な気持ちだった。
基本的にスラム街でのやり取りには警備兵は手を出さないのだが、裏の組織が壊滅といったような大きな事態になってしまえば、話は違ってくるのだ。
だからこそ、警備兵の男はレイにスラム街に行って欲しくないので、マリーナの所に行くように言ったのだろう。
……勿論、堂々とマリーナに会えるということに、嫉妬を感じない訳でもないのだが。
「そうか? なら、そうするか。……実際、マリーナに会いに行くのは俺としても嬉しいから、それは全く何の問題もないんだけど」
ぬけぬけとそう言うレイに、警備兵の数人が再度嫉妬に満ちた視線を向ける。
とはいえ、レイとしてはマリーナに会うのが嬉しいというのもあるが、それよりも精霊魔法で現在ギルムにある違和感を何とかして貰えないかと、そんなことを考えていたのだが。
もし今の状況を精霊魔法でどうにか出来るのなら、レイにとってはかなり助かる。
……もっとも、それが出来るかどうかと言われれば、レイが考えてもかなり難しいだろうという思いがあったが。
精霊魔法によってこの違和感が生まれているのであれば、マリーナの精霊魔法によってどうにか対処することも出来るだろう。
だが、精霊魔法によって違和感が生まれている訳ではない場合は、幾らマリーナが非常に高い精霊魔法の実力を持っていても違和感をどうにか出来る筈もない。
「じゃあ、取りあえず……俺はそろそろ行くよ。この連中については頼んだ。死体の方は……どうする?」
「今の状況で持ってこられても困るな。取りあえず情報を引き出すのなら生かして捕らえた奴がいるから、そっちに聞かせて貰うよ。死体の方は……そうだな。また今度持ってきてくれ」
「……死体の臭いとかはないとはいえ、あまり持っていたくはないんだけどな」
そう言いながらも、レイの口調にはそこまで忌避感はない。
人の死体ではなく、モンスターの死体であれば結構な数がミスティリングの中に収納されている為だろう。
勿論、だからといってそれを好むかと言われれば、それは当然否なのだが。
「そう言われてもな。それこそ今の状況で死体を持ってこられても、しっかり調べたりといったことは出来ないんだ。……忙しくてな」
元々、増築工事が行われている関係上、大小様々なトラブルが起こっている。
そちらに手を回す必要がある以上、警備兵はかなり忙しい。
そのような状況で起きたのが、立て続けにレイを襲う暗殺者だ。
捕らえた者は脱走されたり、証拠隠滅として侵入してきた暗殺者に殺されたり、捕らえた暗殺者本人が自殺したりしないようにと、する必要がある。
それらの対処に回す人手を考えれば、とてもではないが死体の様子を調べたり、その死体を処理したりといったことに回す余裕はない。
そう説明されれば、襲われて何人もの暗殺者を捕らえる原因を作っているレイだけに、向こうの要望も引き受けざるを得ない。
……これで、レイが人の死体に強い忌避感を抱くような性格をしていれば、また話は別だったのだろうが。
「分かった。取りあえず暫くの間は預かっておくよ。ただ、出来るだけ早く引き取ってくれよ」
そう言い、警備兵に軽く手を振ってレイはセトと共にその場を立ち去る。
「さて、じゃあ……取りあえず、診療所に向かうか。マリーナから、今回の一件についてアドバイスとか、そういうのが欲しいし」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは賛成! と喉を鳴らす。
セトにとっても、現在ギルムに存在する違和感は、非常に厄介な代物だ。
何か特別な被害がある訳ではないのだが、それでも違和感があるというのは非常に厄介だ。
例えるのなら、夏の夜に眠っている時に、耳元で蚊が飛ぶ音が延々と聞こえているかのような……そんな違和感。
明確な被害は殆どないのだが、その違和感はふとした時に非常に気になり、それから暫くの間はずっと気にし続けてしまう。
そんな違和感を出来るだけ早く何とかしたいと、そう思うのはセトとしても当然だった。
(難点としては、診療所にいる時に暗殺者が来ないかだよな。……普通に考えれば、診療所にいる時に襲ってきたりした場合、俺とセトだけじゃなくてマリーナも敵に回すことになるんだから、そんな真似をするとは思えないけど。ただ、普通ってのがこの場合通じるかどうかだよな)
普通に考えれば、レイを暗殺しようなどと考えるのはともかく、実際にそれを実行しようなどと考える者がいるかどうか。
いや、世界は広いのだからいるのかもしれないが、それでも今回のようにあっさりと攻撃を仕掛けてくるといった真似をするとは思えない。
(いやまぁ、この違和感に殺気を紛れさせる効果があるのは間違いないし、この違和感に賭けているとか、そういう感じか? ……自殺行為以外には思えないけど)
レイも、相応に自分の実力には自信がある。
ダーブが大道芸人をやっていた時の、最初に襲われた時であれば、この違和感について手を出しにくかったのは、事実だ。
だが、そのようなことがあると知れば、それこそ対処のしようは幾らでもある。
実際に、黒装束達やダーブが襲ってきた一件では相応に対処を行っていたのだから。
「グルルゥ」
「ん? どうした? ……あー、今日はちょっと止めておいた方がいいな」
道を歩いていると、不意にセトが鳴き声を上げた。
何故そのような鳴き声を上げたのかとセトの視線を追うと、その先に見えたのは数人の冒険者達。
今までセトと何度も遊んでくれた相手で、色々な料理を食べさせてもくれたのだ。
そのような相手だけに、セトとしても少し挨拶を……と、そんな風に思っても、おかしくはない。
だが、暗殺者に狙われているという今の状況を考えると、そのような相手を巻き込む可能性は少ない方がいい。
レイの言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らしながらも諦めた。
そんなセトを見て可哀想だと思わないでもなかったが、それでも暗殺者からの襲撃に巻き込むよりはそっちの方がいいだろうと判断してのことだ。
冒険者達も、レイとセトの存在には気が付いたが、セトの様子から今は忙しいのだろうと判断して、結局セトに声を掛けるようなことはなかった。
そうして歩いているうちにに、次第に診療所が近付いてくる。
だが、それとは別に問題もあった。
……何故なら、周囲にいる人の数が明らかに多くなってきたのだ。
普段であれば、そこまで気にするようなことはない。
だが、今は違う。
レイは暗殺者に狙われている以上、どこから襲ってくるのか分からないのだ。
最初に人混みの中で襲われた経験から、レイとしては周囲を警戒せざるをえない。
もっとも、ダーブのフォローもない状況で、レイとセトの感覚を掻い潜って攻撃出来る者が一体どれだけいるのかも不明だったが。
「何で今日はこんなに人が多いんだ? ……いつもはもっと少ないよな?」
「グルゥ?」
そう? と、セトはレイの言葉に軽く首を傾げる。
レイにしてみれば、いつもより人が多いような気がしていたのだが、セトにしてみれば特に変わりないと思えたのだろう。
レイとセトのどちらが正しいのかは不明だったが、人混みの場所では周囲を警戒する必要があるのは、間違いなかった……のだが……
「結局何もないまま、到着してしまったな」
目の前にある診療所を見て、レイが呟く。
人混みの中で誰かが襲ってくる可能性が高いと、そう思っていたのだが……実際には全く誰に襲われることもないまま、診療所に到着したのだ。
正直なところ、レイはそのことに完全に意表を突かれた。
今日ギルムに来てから襲われ続けたことを考えると、この人混みを利用しない筈がないと、そう思っていた為だ。
「グルルルルゥ」
襲われなかったんだから、いいんじゃない? そうセトが言いたいのが分かったレイは、そっとセトの頭を撫でる。
「そうだな。悪いけど、俺は少しマリーナに会って来るから、セトはここで待っててくれ。……いいか? 暗殺者が襲ってくるかもしれないから、その辺には十分に気をつけろよ」
「グルゥ!」
任せて、と。そう喉を鳴らすセトの頭を撫で、レイは診療所に向かう。
そんなレイを見送り、セトは邪魔にならない場所で横になる。
……もっとも、体長三mのセトだけに、邪魔にならないような場所というのは非常に限られているのだが。
それでも暗殺者に狙われている現状を考えると、いつものように気楽なままでいられるという訳にはいかない。
「グルルゥ……グルゥ」
レイを狙う相手が現れたら、自分が倒す。
そんな決意を込めながら……いつもと変わらないように見せる為に、地面に寝転がるのだった。
診療所の扉を開けると、そこには以前来た時と比べると若干少ない怪我人がいた。
もっとも、診療所は別にここにある一つだけという訳ではないので、他の診療所では怪我人も多いのかもしれないが。
「あら、レイ。どうしたの? 怪我……じゃ、ないわよね」
レイの姿を見つけたマリーナが、そう言い切る。
マリーナにしてみれば、レイが怪我をするという光景が想像出来ないのだろう。
「ああ。実はちょっと面倒なことになっていてな」
「面倒、ね。レイが言うからにはよっぽどのことみたいだけど……ちょっと待っててくれる? 今、治療の途中なのよ。そこまで大きな怪我じゃないから、すぐに終わるわ」
「分かった。じゃあ、俺はここで待ってる」
「ええ、お願い」
短く言葉を交わし、レイは診療所の中の少し離れた場所で待機する。
診療所にいる怪我人の何人かはレイのことを知らないのか、誰だあれ? といった視線を向けていた。
それでもマリーナと親しいというのは、誰の目にも分かったので、レイのことを知らなくてもちょっかいを出す者はいない。
マリーナが不機嫌になれば、精霊魔法での回復であっても妙な痛みを感じたりすることがあるのだ。
出来れば、そんな目に遭いたくないというのは、怪我をしている全員にとっての共通した思いだった。