2177話
干した果実を子供達に渡して泣き止ませ、大人しくさせたレイは、セトと共にギルムの中を歩く。
ギルムに来た時に抱いた違和感は、まだある。
ましてや、先程子供達に干した果実を渡した時に一瞬だけ感じた殺気を思えば、この違和感は間違いなく自分に危害を加える者の影響によって生み出されたものなのは間違いない。
そうである以上、今の状況で錬金術師達のいる場所にトレントの森の木を運ぶような真似をした場合、騒動になる可能性が大きかった。
ギルムにとって錬金術師がどれだけ貴重な存在なのかは、レイも当然のように知っている。
そうである以上、ここで危険な相手を引き連れて錬金術士達のいる場所に行くのは論外だ。
(出来れば、俺を狙ってる奴……具体的には、殺気を飛ばしてきた奴をどうにか処理してしまいたいんだが……尻尾を出さないな)
出来れば早いうちに何とかしたい。
それがレイの正直な気持ちだったが、それでも敵が尻尾を出す様子はなかった。
現在もこうして街中を歩き回っているのだが、それでも敵が攻撃してくる様子はない。
「グルゥ?」
レイの悩んでいる様子を見て、どうするの? と喉を鳴らすセト。
そこに少し申し訳なさそうな色があるのは、自分達を狙っていると思われる相手を見つけることが出来ないからだろう。
レイとセトが一緒に行動している中で、敵の探索の類はセトの仕事だった。
そうである以上、敵を見つけることが出来ないのは自分の責任だと、そう思ってしまってもおかしくはない。
だが、レイはそんなセトを慰めるように頭を撫でる。
「気にするな。今回の一件では敵の方が上だったんだ。……ギルムの外でなら、セトに見つけられないってことはないだろ」
「グルルルゥ」
レイの言葉に喉を鳴らすセト。
その言葉に感謝しているように思えるが、それでもやはり少し落ち込んだ様子を見せていた。
レイは街中を歩きながら、そんなセトを慰める何かがないかと探し……ふと、人混みが多く集まっているのを見つける。
殺気を放つ者がいる中で、人混みに入っていくのは自殺行為に等しい。
それはレイにも分かっていたが、セトを励ますという目的と……何よりも、敵を誘き出すことが出来るかもしれないという思いから、その人混みに入っていく。
セトは最初少し驚いた様子を見せていたが、それでもレイの考えを悟ったのか……それとも単純に人が多く集まっている光景に興味を惹かれたのか、そのままレイと一緒にその人混みに向かう。
人混みから漂ってくるのは、嬉しさや楽しさ、面白さといった感情だ。
(どうやら喧嘩の類じゃないようだな)
最初は、それこそ喧嘩を皆で見ているのかと思ったが、人混みの方から聞こえてくるのは笑い声だ。
……あるいは、喧嘩をしている中でも何らかの――相手を挑発するといった――理由で笑ったりすることはあるが、こうしている限りではそれは違うように思えた。
「なぁ、この人混みって何なんだ?」
「え? ……セトちゃん……」
レイが声を掛けた若い男は、セトの姿を見ると驚いたように小さく呟く。
男でセトちゃんと呼ぶのは、別に珍しい話ではない。
少なくてもレイは他にも何人か知ってるので、特に気にした様子もなく、再び口を開く。
「ああ、セトだ。それで、この人混みは? 何だか陽気な音楽の類も聞こえてくるけど」
背の小さいレイだけに、こうも多くの人が集まっていると、その人混みの先に何があるのかというのを見ることは出来ない。
スレイプニルの靴を使ったり、セトの背に乗って飛んで貰えば分かるのだろうが、今の状況でそこまでやる必要はないと判断した。
「え? あ、うん。えっと……大道芸人がやって来てるんだよ。それが結構凄くて、皆でこうして見ているんだ」
「へぇ、大道芸人か」
大道芸人は、そこまで珍しいものではない。
ギルムでも、時々見ることがある。
何だかんだとギルムは住人の数が多いので、大道芸人も稼ぐという意味では非常にやりやすい場所だ。……とはいえ、それはあくまでも実力のある大道芸人に限られるが。
ギルムには腕利きの冒険者が多く集まっており、体力や運動神経を使うような大道芸の場合は、それこそ大道芸人よりも観客の冒険者の方が凄いということが普通にある。
そういう意味で、ギルムの住人をここまで興奮させることが出来る大道芸人というのは、間違いなく凄い……腕利きの大道芸人の筈だった。
「どうする? 見るか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは元気よく喉を鳴らす。
そんなセトの様子は、自分達を狙っているだろう相手を誘き寄せるということを、すっかりと忘れているように思えた。
……とはいえ、人混みに紛れている今の状況であれば、寧ろ直接相手が動いてくれた方が対処しやすいのは事実だ。
セトと共に、レイは人混みの中を進む。
体長三m近いセトだけに、そのような大きさの者が人混みの中を進めば、当然のように多くの者が押しやられることになる。
だが、幸いにと言うべきか、大道芸人を見ていた者達も相手がセトだと考えると、それを責めるような真似はしない。
それどころか、セトがもっと見やすいようにと場所を空けてすらやる。
セトがギルムでどれだけ愛されているのかということの、証だろう。
……そんなセトと一緒に、何気にレイも人混みの間を縫うように移動して前に進んでいたのだが。
そうして一番前までやって来たレイとセトは、ようやく大道芸人をその目で見ることに成功する。
「うわぁ……」
レイの口から、思わずといった驚きの声が漏れた。
何しろ、大道芸人の体型がもの凄い。
それこそ風船といった表現が相応しいような、そんな体型。
それでいて、皆の前で動き回りながら短剣をジャグリングしているその様子は、大道芸人としてこれだけの人気が出るのを納得するには十分な腕前。
大道芸人らしく、顔には化粧が施されており……レイは、日本にいた時にTVで見たサーカスのピエロを思い出す。
勿論、風船のような男の化粧は、ピエロそのものという訳ではない。
あくまでも、そのような印象を受けるというだけだ。
「ふぁっふぁっふぁ。見てごらん、見てごらん。自由に空を泳ぐ短剣の姿を」
そう言いながら、まるでトランポリンでも踏んでいるのではないかと思える程に、高い跳躍をしながら、あっちに行ったりこっちに行ったりといった真似をする男。
身体だけを見れば――服を着てるから正確には分からないが――かなり太っているように見える。
それこそ、百kgは優に超えているだろうと思えるような身体。
だというのに、本人はこれだけ動き回っていても顔に汗一つ掻いていないのだ。
それだけで、外見に見合わぬ身体能力を持っているのは明らかだ。
……と、不意に大道芸人の男がレイの方を一瞬だけ見る。
とはいえ、セトを連れてこうして見学している以上、大道芸人であってもセトに目を奪われるのは当然かと、レイは妙に納得してしまう。
これだけの技量を持っている大道芸人であっても、やはりセトを見れば驚いてしまうのだろうと。
とはいえ、大道芸人がレイとセトの方を見たのは本当に一瞬で、すぐに自分の芸に戻っていく。
(あれだけ派手に動き回っていながら、短剣が……十本? いや、もっとあるな。十五本くらいか? それをジャグリングし続けるってのは凄いな。動かないであの数の短剣をジャグリングするってだけでも、相当に難しい筈なのに)
短剣は当然のように刃がついている。
もしかしたら刃の部分は斬れないようになっている可能性もあるかもしれないが。それでも切っ先の部分を間違って受け止めようものなら、怪我をしてもおかしくはない。
手袋をしているのを見れば、あるいは防刃の手袋という可能性もある。
だがそれでも、こうして短剣でジャグリングを続けているのは凄いと、レイは感心したように男を眺めていた。
だが……男が何らかのミスでもしたのか、不意にジャグリングをしていた短剣同士がぶつかり、周囲に甲高い音を立てながら、ぶつかった短剣がレイのいる方に飛んでくる。
とはいえ、その短剣の軌跡を把握していたレイは、特に驚いてその場から大きく跳び退くといったことをする様子もない。
そして、実際に短剣は回転しながらレイのすぐ側の地面に突き刺さり……
「っ!?」
その短剣を見た、まさにその瞬間、背後から鋭い殺気を感じたレイは、半ば反射的に動こうとし……だが、多くの観客がいる場所の為か動きにくく、一瞬身体を動かすのが遅れる。
相手も、まさにその一瞬を狙っていたのだろう。
背後からレイの背中に向かって短剣の一撃が放たれる。
「ぐうっ……そがぁっ!」
背中に鋭い痛みを感じつつも、レイは前を向いた状態で半ば強引に後ろに蹴りを放つ。
踵で相手の足なり膝なり……場合によっては股間なりを破壊するかのような一撃。
「ぎゃべっ!」
ぐしゃり、という気色の悪い感触を足で感じると同時に、背後から聞こえてきたの男の悲鳴。
そこでようやく周囲の者達も何かおかしいと判断したのか、レイとセトから距離を取った。
ようやく自由に動けるようになったレイは、背後で倒れている男に視線を向ける。
観客達が場所を空けたからだろう。
血の出てている股間を押さえた男は、口から泡を吹きながら気絶していた。
「……ちょっ、レイ。大丈夫なのか? そいつ、お前の背中に短剣を刺したぞ!?」
レイのことを知っている人物が、心配そうにレイに尋ねる。
セト程ではないにしろ、一般人の間でもレイはそれなりに有名だ。
レイの心配をしている男も、そのような形でレイのことを知っていたのだろう。
そんな男に、レイは一応といった様子でドラゴンローブの中で背中を確認し……短剣の一撃がドラゴンローブを貫いていないことに安心する。
「大丈夫だ。このローブも一応マジックアイテムだからな。短剣の一撃程度、どうということもないさ」
正確には、数百年を生きた竜の鱗や皮を使って作った……それもゼパイル一門の錬金術師にして、歴史上最高の錬金術師と言われるエスタ・ノールが作ったマジックアイテムだ。
とてもではないが、一応などという言葉で表現出来る代物ではない。
ないのだが……それを正直に言えば面倒なことになるし、ドラゴンローブそのものも隠蔽の能力でそこまで強力なマジックアイテムだとは見破られないということもあり、そう誤魔化す。
竜の皮の間に鱗を挟んで作られたドラゴンローブは、それこそ生半可な攻撃ではその防御を貫くことは出来ない。
……それでいながら、簡易エアコンのような機能もあったりと、非常に高性能なマジックアイテムなのは間違いなかった。
ドラゴンローブのありがたみを感じながら、レイは改めて口から泡を吹いて気絶している男に視線を向ける。
股間にあれだけの一撃を与えてしまった以上、間違いなく気絶から覚めるのは相当に先だろう。
(あれ以外に方法はなかったしな)
レイも男として、股間を蹴られるというのがどれだけの痛みをもたらすのか……それも軽く蹴るのではなく、レイの力で蹴られるのがどれだけの破壊力をもたらすのかは、想像出来る。
場合によっては、股間が潰れる云々以前に股関節が砕かれている可能性もあった。
それは分かっているのだが、咄嗟の反応だったので手加減出来なかったのだ。
(人がもう少し少なければ、肘で攻撃とかも出来たかもしれないけど……いや、相手が短剣を持っていたのを考えると、他にどんな武器を持っていたのかも分からない以上、それは無謀か)
気絶した男を眺めていたレイに、セトがごめんなさいと喉を鳴らしながら、顔を擦りつける。
本来なら、敵の接近をセトが真っ先に気が付かなければならなかった。
だが、大道芸の方に集中していた為に、それが遅れたと、そう判断しての謝罪。
とはいえ、レイにとってはセトが気が付かなかったのはそこまでおかしな話ではないのだが。
技術か、スキルか、マジックアイテムか……その手段は分からないが、相手は完全に殺気を消していたのだ。
そしてレイのすぐ後ろまでやってきて、実際に短剣を突き刺す瞬間に、初めて殺気を露わにした。
その状況をセトにどうにかしろというのは、レイが考えても無理がある。
「ともあれ……あー、悪いけど誰か警備兵を呼んできてくれないか? まさかこのままって訳にはいかないだろうし」
「いやいやいやいや。殺されそうになったってのに、何でそんなに冷静なんだよ!」
先程、レイに大丈夫かと聞いてきた男が、殺されそうになった直後なのに全く気にした様子を見せていないレイに、驚きの声を上げる。
だが、レイはそんな男を安心させるように口を開く。
「冒険者をやってれば、正直このくらいのことは珍しくないからな。そこまで気にする必要はないんだよ。……ただ、心配してくれたのは嬉しかったけど」
そう、告げるのだった。