2163話
こちらの手違いで、2161話と2162話が同じ話になっていました。
現在は修正済みです。
ご迷惑をおかけしました。
レイに面と向かって敵対するかと言われた貴族は、一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべるが、すぐに首を横に振る。
貴族であっても、躊躇なく力を振るうレイと敵対するというのは、絶対に避けたいことだったからだ。
「いや、こちらもそのつもりはない。ただ、私は……そう、とある人物から頼まれて、ここにやって来ただけなのだ。ここにはリザードマンがいるから、倒してくれとな」
「……へぇ。とある人物から、ね」
意味ありげなその言葉は、レイから見れば無理な言い訳にしか思えない。
少なくても、本当にそのとある人物とやらから話を聞いてやって来たようには、レイには到底思えなかった。
あるいは、ここで何らかの理由で目の前の貴族と敵対してる相手と自分と争わせるつもりなのではないか、と。
そんな疑問もレイの中にはあったが、今はまず目の前の人物の釈明……もしくは言い訳を聞こうと、視線で話を促す。
貴族としては、そんなレイの言葉に色々と思うところはあったのだが、今のこの状況ではどうしようもない。
とはいえ、自分にこの場所のことを教えてくれた人物について、そう簡単に話せる筈もない。
もしここでその相手について話した場合、今はどうにかなるかもしれないが、教えてくれた相手が何らかの報復をしてくる可能性もある。
(逃げるか?)
一瞬、貴族はそう考える。
だが、そんな貴族の考えを読んだかのように、レイから離れたセトが貴族達の後ろに回り込んだ。
もし貴族が馬車に乗って逃げようとした場合、セトの横を通る必要がある。
当然のように、もしそのようなことになった場合、セトは黙って通すつもりはない。
いつもは厩舎に入っていても、他の馬が怯えないようにを気をつけてはいるが、その気になれば王の威圧を使わなくても、馬を動けなくするくらいは楽に出来るのだ。
……もっとも、最近はマリーナの家に泊まったり生誕の塔の護衛としてここで野営をしていたりと、厩舎に入ることそのものが少なくなっているのだが。
「で?」
レイは貴族が一瞬後ろを向いて退路を確保しようとしたのを理解した上で、話の先を促す。
セトが後ろに回った以上、もう逃げるのは不可能になったという確信を込めて。
……一応前と後ろを固められても、横に逃げるという手段はある。あるのだが……そうなると、トレントの森に馬車で突っ込むか、湖の側を弧を描くようにして移動する必要があった。
前者は問題外だが、後者の湖の近くで曲がるというのも、そんなことをしている間にレイとセトなら幾らでも相手を止める手段を思いつくことが出来る。
つまり、レイとセトが出て来た時点で貴族にとってはもうどうしようもない状況になってしまっていたのだ。
貴族は頭の中で何とか現状から脱出する手段を考えるが、そんな都合のいい方法は何も思い浮かばない。
「さて……一体誰にここのことを聞いた? もしくは、誰の命令でここにやって来た? ここのことを知ってる奴は、そう多くはない筈なんだけどな」
そう言いながらもレイはこの場所のことを知っている者は何気に多いことを知っている。
ギルドの方でも、冒険者を護衛としてここに派遣している以上、当然この辺りについての事情は色々と知っているだろう。
レイもギルドから情報が漏れたとは考えたくないのだが、それでもギルドの全員を完全に信じるといった真似は出来ない。
レイが知ってる限りでは、ギルド職員達は全員が自分の仕事に誇りを持っており、金で情報を流すような者はいない。
だが、それはあくまでもレイが知っている限りの者達だけだ。
ミレアーナ王国唯一の辺境たるギルムにあるギルド。
当然のようにそこで働いている者は相応の数になるし、その中には当然のように金で情報を流すような者がいてもおかしくはない。
「そ、それは……」
レイの言葉に口籠もる男。
今の状況では自分が何をするべきなのか。
それは分かっているのだが、その相手を教えるようなことは出来ない。
そして逃げることも出来ない。
最善なのは、それこそ自分で自分の口を封じることだろうが、派手な……いや、悪趣味と表現してもいいような服を着ていても、本人はその悪趣味な服を着ているのに相応しいような、度胸というものはない。
「どうした? 何も言わないのなら、それこそ身体に直接聞くことになると思うけど、それが希望か?」
デスサイズを軽く振るうレイ。
本人としては殆ど重さを感じないデスサイズだが、実際の重量は百kg程だ。
そんな物が振るわれる音は、それこそ空気そのものを砕くかのような、不吉な音を貴族の男の……そして貴族の私兵達の耳に届かせる。
私兵達も、本来なら自分達の雇い主の貴族を守らなければならないのだが、今の状況でそのような真似は出来ない。
もしここで自分が前にでれば、それこそ間違いなくレイと、もしくはセトと戦うことになる。
そうなれば間違いなく勝てないし、手足を切断……とまではいかないが、骨の一本や二本は覚悟する必要がある。
あるいは、貴族が部下に慕われるような性格なら、自分の身を挺してでも助けようと考えた者がいても、おかしくはない。
だが残念ながら、貴族の性格はとてもではないが、私兵達に慕われるようなものではなかった。
そうして追い詰められた貴族は……やがて、決断をする。
「ドーラット伯爵家のヴィーン様から聞いた話だ」
「……ドーラット伯爵家? 聞いたことがないな」
ドーラット伯爵家のヴィーン、ヴィーン・ドーラットから聞いたのだと告げた貴族の男だったが、生憎とレイはヴィーンという人物も、ドーラット伯爵家という貴族についても知らない。
もっとも、伯爵家となればどうしても数は多くなるし、何よりレイはミレアーナ王国の貴族でもないのだから、その相手を知っている筈もない。
以前に何らかの理由で揉めた相手であれば、多少は名前を覚えていたかもしれないが。
「……分かった。ドーラット伯爵家のヴィーンだな。どこでここの情報を知ったのかといったことは気になるから、その件はダスカー様に知らせておくとして……こいつらはどうする?」
レイの視線が向けられたのは騎士。
何だかんだと、いつの間にかレイがこの場を仕切っていたが、本来ならこの場所の責任者はあくまでも騎士であり、レイ達冒険者はそれに従っている形だ。
そうである以上、今の状況で指示を聞くのは、やはり騎士となる。
レイがここで勝手に……例えば、目の前の貴族を攻撃したりするのは不味い。
勿論、相手が攻撃をしてくるような時であれば、正当防衛といった形で存分に攻撃をするのだが。
「そうだな。やはりここはダスカー様に指示を貰った方がいいだろう。こちらで勝手に判断するのは問題だ。……悪いが、行ってくれるか? セトに乗って移動出来るレイが一番速い」
そう告げる騎士の言葉には、レイも頷く。
……貴族の男は、取りあえず自分がレイに攻撃されるようなことはないと知り、安堵する。
だが、貴族が安堵した瞬間を待っていたかのように、レイはデスサイズの切っ先を貴族に突きつける。
「ひぃっ!」
いきなりのことに、貴族の口からは悲鳴が漏れ出る。
安心したと思った瞬間の出来事だったので、余計に驚いてしまったのだろう。
「俺はこれからダスカー様に事情を説明しに行くから、ここからいなくなる。だが……俺がいなくなったからといって、妙な真似は考えないことだ。ここにいるのは、全員がお前の私兵よりも腕の立つ者達だからな」
これは決して嘘ではなく、間違いのない真実だ。
ここにいる冒険者は、ギルドがいざという時にでも対応出来るだけの実力を持っていると判断して選ばれた者達だ。
戦闘力だけが判定の基準ではないが、同時に戦闘力が必須であることも事実。
そうである以上、この貴族の連れて来た私兵でどうこう出来るレベルではない。
そもそも、私兵の実力はレイが見たところ決して高い訳ではないのだから。
だからこそ、ここは他の者達に任せても大丈夫だと、そう判断したのだが。
「わ、分かった。妙な真似はしないと誓う!」
突きつけられたデスサイズが、よほど恐ろしいのだろう。
貴族の男は、必死に叫ぶ。
デスサイズ……大鎌というのは、戦闘で実際に使いこなすのは非常に難しい武器だが、見た目の迫力という意味では非常に強い。
貴族の男は、現在それを心底から実感していた。
「分かった。その言葉を信じる。ただし……自分で言ったことも守れないようなら、しっかりと落とし前はつけて貰うから、そのつもりで……な!」
轟っ、と。
貴族の男の耳にそんな音と、身体を拭き飛ばしかねないような突風が吹いたと思えば、貴族の男のすぐ近くの地面に綺麗な切断の痕跡が残されていた。
それを誰がやったのかは、デスサイズを手にしているレイと、直前まで話していた内容を考えれば明らかだ。
「分かった、分かった、分かったぁっ! 大人しくしている! 大人しくしているから、勘弁してくれぇっ!」
恐怖が限界を超えたのか、貴族の男の口から懇願の声が漏れる。
レイはそれを見て、取りあえずこれで貴族という地位を笠に着て、この状況で妙な真似をしないだろうと、納得した。
「じゃあ、大人しく待ってろよ。俺が戻ってきた時にいなかったら……分かってるな」
最後に念の為に聞いたレイの言葉に、貴族の男は何度も頷く。
その様子から考えて、これ以上妙な真似はしないだろうと判断したレイは、貴族や私兵達を騎士に任せ、セトに近づいていく。
「セト、悪いけどギルムまで行くことになったんだ。頼めるか?」
「グルゥ!」
任せて! と、レイの頼みに対し、鳴き声を上げるセト。
セトがレイの頼みを断ることは……絶対にない訳ではないが、それでも基本的には無条件で聞いてくれる。
大好きなレイの頼みだから、と。
そんなセトにレイは感謝を込めて頭を撫でると、早速背中に跨がる。
セトはレイが自分の背中に乗ったのを確認すると、数歩の助走の後、翼を羽ばたかせながら上空に駆け上がっていく。
冒険者や騎士、リザードマンといった者達は、もう見慣れている光景だったが、貴族や私兵達はただ呆然とそんなレイとセトの姿を見送るしかなかった。
「レイ? どうしたんだ? また、随分と早く戻ってきたな」
「ちょっとトレントの森で問題が起きてな。その報告にダスカー様に会う必要があって」
警備兵はレイの説明を聞くと、うげぇといったような様子で嫌そうな表情を浮かべながら、手続きを終える。
そんな警備兵の気持ちも分かるレイとしては、頑張れと軽く警備兵の肩を叩くと、セトと共にギルムの中に入り、真っ直ぐ領主の館に向かう。
樵達が伐採した木も錬金術師達に渡す必要があるのだが、ダスカーへの報告とどちらが大事なのかと言われれば、当然のようにそれはダスカーへの報告だ。
(ダスカー様に報告し終わって、時間的に問題がないのなら、向こうに行けばいいのか。……持ってきた木も、決して多い訳じゃないし)
いつもよりかなり早い時間だった為に、伐採された木は当然のようにいつもより少ない。
であれば、無理に行かなくてもいいだろうと判断し……何人かの顔見知りと軽く挨拶を交わしながら進み、やがてレイは領主の館に到着するのだった。
「……何? ドーラット伯爵家のヴィーンだと? それは本当か?」
領主の館の執務室で、ダスカーはレイの言葉に読んでいた書類を一度執務机の上に置く。
最近は何度も領主の館に来ている為に、レイはあっさりと執務室まで通された。
そうして、レイから事情を説明されたダスカーは、面倒そうな……それこそ、正門にいた警備兵と同じか、それよりも酷い顔を浮かべる。
そんなダスカーの表情を見れば、ダスカーがヴィーンという存在にどのような感情を抱いているのか予想するのは、難しい話ではない。
「はい。生誕の塔にやって来た貴族……あ」
そこで初めてレイは、あの貴族の名前を聞くのを忘れていたことを思い出す。
「あー……すいません。ちょっと名前を聞くのを忘れましたが、ともあれその貴族がドーラット伯爵家のヴィーンという人物から情報を貰ったのは間違いないようです」
「その貴族の名前については、気にするな。確保してあるのなら、名前を調べるのはそう難しくはない」
「ありがとうございます。それで、その……ヴィーンという人物はどんな貴族なんですか? もし問題がなければ、教えて下さい」
「ああ。今回の一件はお前にも……いや、お前達にも関係してくるのは間違いない。であれば、教えておいた方がいいだろう。まず、奴は国王派の貴族だ」
その言葉だけで、レイはうわぁ……といった表情を浮かべる。
国王派の貴族の中にも、好感を抱ける相手がいるのは知っているのだが、それでも最近知った国王派の貴族は、その多くが問題のある者達なのだから、それも当然だろう。
そんなレイの様子に、ダスカーも気持ちは分かるとしみじみと頷くのだった。