2153話
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アナスタシアが、ウィスプに手を伸ばす。
ウィスプというのは、言ってみれば空中に浮かぶ炎だ。
それだけに、下手に触れば火傷をしてもおかしくはない。
魔石を中心にして生み出されている炎だけに、とてもではないが普通の炎とは呼べないのだが。
ともあれ、アナスタシアはそっと炎に触れる。
当然のように、アナスタシアの手はそのままという訳ではなく、精霊魔法によって防護されていた。
(風の精霊魔法か?)
風と思われる何かがアナスタシアの手を覆っているのを見て、レイはそんな風に考える。
とはいえ、それが本当に風なのかどうかは、レイには分からないし、今の状況ではそこまで気にする必要もない。
今の状況で気にするべきは、アナスタシアの腕が本当に何の問題もなくウィスプの身体を構成している炎に触れられるかどうか、ということなのだから。
「……どうだ?」
ウィスプの炎に触れたアナスタシアに、レイが尋ねる。
その表情は非常に真剣で、もし何かあったらすぐにでもポーションを使って怪我を治そうと、既にその手にはミスティリングから取り出したポーションが握られていた。
それもその辺の店で売ってるようなポーションではなく、かなり高級な……高い効果を期待出来るポーションが。
好奇心からというのが一番強いのだろうが、アナスタシアは自分の身体を使ってでもウィスプについての調査をしようとしている。
そんなアナスタシアの行動に、レイも何かあったらすぐ対応出来るようにという気持ちになったのだ。
「そうね。取りあえず……このウィスプは……」
少し考えたアナスタシアは、手の周囲に存在していた風の精霊を解除する。
いきなりの行動に、当然レイは驚く。
咄嗟にアナスタシアの身体を引っ張ってウィスプから離そうとしたのだが、アナスタシアはウィスプに突っ込んでいない方の手をレイの前に出して動きを止めた。
「大丈夫よ。見て、ほら」
そう言い、アナスタシアはウィスプの身体に突っ込んでいる自分の手を引き抜き、レイに見せる。
そこにあるのは、火傷の一つもしていない、綺麗なままのアナスタシアの手だった。
「これは……」
アナスタシアの、火傷や傷一つない綺麗な手を見て、レイは驚きの声を上げる。
ウィスプである以上、当然のようにその身体は燃えており、触れれば火傷をするのだと、そう思っていたからだ。
「ちょっといいか? 俺も試してみたいんだが……」
「それは止めた方がいいわね」
レイの言葉に、何故かアナスタシアはそう告げる。
何故? といった疑問の視線をアナスタシアに向けるレイ。
アナスタシアが触れても大丈夫だったのなら、自分もそのくらいはやっても構わないのではないか。
そう思うのは、レイにとって当然だった。
だが、アナスタシアはレイのそんな言葉に、言い聞かせるように口を開く。
「ダスカーから聞いてるわ。レイの持つ魔力は大きい……という言葉では、とてもではないが言い表せない程のものなんでしょう? そんな魔力を持つレイがウィスプに触れるような真似をした場合、どうなるか分からないわ」
「それは……」
自分の持つ魔力が極めて大きい……それこそ、恐らくこのエルジィンという世界においても、自分よりも魔力の高い相手はまずいないだろうと、そう思えるだけの自覚はレイにはあった。
……実際、魔力を隠蔽する新月の指輪というマジックアイテムを入手する前、何らかの手段で魔力を感じ取ることが出来る者の多くに、姿を見せただけで……いや、場合によっては近づいただけで、畏怖し、恐怖し、腰を抜かし、漏らし、吐き……と、様々な反応をされたことがあるのだ。
そのような経験をすれば、自分の魔力がどれだけのものなのかを理解するなという方が難しい。
「分かった」
数秒悩み、最終的にはアナスタシアの言葉に従い、ウィスプに触れようとしていた手を離す。
そんなレイの様子を満足そうに眺めたアナスタシアは、再びウィスプに向かって手を伸ばした。
「やっぱり、何の反応もないわね。生きている以上、触られたら何らかの反応を示してもおかしくはないと思うんだけど」
ウィスプに触れた手を戻し、自分の指をじっと……何かの異変でもないかと、そう思いながら見つめるアナスタシア。
だが、残念ながら……もしくは幸運なことに、ウィスプに触れた指を見ても何ともなっていない。
「これは一体どういうことなのかしらね。……もっと色々と調べたいところなんだけど、今の状況では難しいし」
「だろうな。こんなウィスプが他にもいたりしたら、ある意味で驚きだけど」
「あははは、そうね。……本当にそうね」
最初の笑い声だけは、本当に面白そうな様子で笑みを浮かべたアナスタシアだったが、次の瞬間に口にしたのは、真剣な……真剣すぎる言葉だった。
そこにあるのは、悔しさともどかしさの色が強い。
目の前のウィスプを、それこそ思う存分調べたい。
だが、ここで下手にウィスプに手を出そうものなら、場合によってはそのまま死んでしまう可能性も否定は出来ない。
目の前にいるウィスプを、何故調べられないのか。そんな思いがアナスタシアの中に強く存在している。
今の状況を考えれば、仕方のないことだとは分かっているのだ。
分かっているのだが、それでもやはり研究者として目の前に魅力的な……非常に魅力的な、人間よりも遙かに長い時を生きるエルフであっても、一生に一度出会えるかどうかといった魅力的な研究対象があるのに……と。
「アナスタシア?」
「っ!? ……ごめんなさい。ちょっとウィスプに気を取られていたわ」
レイの声で我に返ったアナスタシアは、感謝の言葉を口にして大きく深呼吸をする。
アナスタシアにとって、今のレイの言葉は本当にありがたいものだった。
もしここに誰もおらず、自分とウィスプだけだったとした場合、自分がウィスプに何をしていたのか、全く分からない。
強い好奇心を抱くアナスタシア故に、そう自覚するのは当然だった。
そして自覚してしまった以上、このままという訳にはいかない。
今は、レイがいた。
だが、レイはいつまでも自分と一緒にいる訳ではない。
ダスカーからも、レイという冒険者がどれだけ有能な者なのかというのは聞いているし、昨夜の夕食の時に他の冒険者達からもその辺の話は聞いている。
つまり、今の状況がこれからも続くとは限らないのだ。
それを理解したアナスタシアは、少し考え……やがて、口を開く。
「ねえ、レイ。誰か私の助手を用意したいのだけど」
「は? 助手? ……難しいんじゃないか? ダスカー様もこのウィスプの研究をする為に必要な人材には、相当悩んでいたからな。このウィスプの能力を考えると、この場合必要なのは研究者としての能力もそうだけど、一番大事なのは信頼出来るかどうかだ」
そこで一度言葉を切ったレイは、目の前のアナスタシアを真剣な様子でじっと見つめ……数秒が経過したところで、再び口を開く。
「そしてダスカー様がようやく見つけた……いや、見つけたんじゃなくて、ダスカー様の前に姿を現したのが、アナスタシアだった。そんな人物と同じだけの信頼出来る相手を、すぐに用意出来ると思うか? 少なくても、俺は無理だと思う」
アナスタシアも、レイの意見には賛成だったのだろう。
反論を口に出来ずに黙り込む。
「……それにしても、何で急に助手が欲しいなんて言い出したんだ? 今やってる調査では、別に助手が必要だったりはしないだろ?」
「そうね。でも、私だけでウィスプを調査するとなると、問題があることに気が付いたのよ」
「……問題?」
レイが見たところ、アナスタシアの言うような問題があるとは思えなかった。
というか、まだ調査を始めたばかりで、助手が必要なようには到底思えないというのが、正直なところだ。
(もしかして、食事の用意をするとか、そういう意味で助手が欲しいのか? それならまぁ……分からないでもないような……)
そう思うものの、アナスタシアの様子を見る限りはそんなこととは関係なく、切羽詰まっているようにしか見えないというのも、また事実。
だというのに、何故?
そんな疑問がレイの顔に出ているのに気が付いたのだろう。
アナスタシアは、少し困った様子で口籠もり……やがて、口を開く。
「私は研究者として有能だというのは、事実よ。ダスカーがそう考えていてくれたのは、嬉しく思うわ。……けどね、私には研究者としては大きな欠点があるのよ。いえ、人によっては利点と言う人もいるけど、少なくても私は欠点だと思ってるわ」
「……欠点?」
「ええ。私はエルフにしてはちょっと異常なくらいに好奇心が強いの」
「それは、研究者としては必要な素質じゃないのか?」
この世界の研究者は殆ど知らないレイだったが、日本にいた時に優秀な研究者は好奇心が強いといったことを聞いた覚えがある。
正確なところまでは覚えていないが、それでも似たような言葉だったのは間違いない。
であれば、アナスタシアが言う好奇心の強さというのは、研究者にとってマイナス要素ではないように思えた。
……とはいえ、それはあくまでもレイが思っているだけで、この世界の研究者にとっては違う可能性も十分にあるが。
「そうね。こういう表現が相応しいのかどうかは分からないけど、そこそこの好奇心の強さなら問題ないのよ。けど、私の好奇心の強さは普通よりもかなり高いの。それこそ、興味のあるものに夢中になった場合、そのことに意識を集中しすぎて他のことには何も気が付かなくなるくらいに」
「それは……」
アナスタシアの言葉に、レイは何と言えばいいのか迷う。
確かにそこまで好奇心の対象に熱中するとなると、必ずしも研究者にとっての利点とは言えない。
「でしょう? だから、もし万が一私がウィスプに集中しすぎた時、それを止めてくれる人が助手として欲しいのよ。今日はレイがいたからいいけど、レイも毎日私と一緒という訳にはいかないでしょ?」
「あー……まぁ、そうだな。やるべき仕事は何気に大量にあるし」
特に毎日必須なのは、トレントの森で伐採された木をギルムまで運ぶことだ。
この作業をレイが行わない場合、冒険者達が何台も連結した馬車を使い、伐採した木々を運ぶ必要がある。
当然そうなればミスティリングに収納してセトで移動出来るレイとは比較にならない程の移動時間が掛かってしまう。
現在はトレントの森にケルベロスのような高ランクモンスターが出ることもあり、護衛対象の樵達の護衛を疎かにする訳にもいかない。
そう考えれば、やはりレイが木を運ぶのが一番手っ取り早いのだ。
……もっとも、レイとしては錬金術師達のいる場所に向かうのは、出来れば遠慮したいというのは正直なところなのだが。
「でしょう?」
アナスタシアも、レイの詳細な事情までは聞いていないが、それでもダスカーからある程度は聞いているということもあり、そう返す。
「だからこそ、いざという時に私を止めてくれる助手が必要なのよ」
「それは分かった。分かったけど……かなり難しいと思うぞ? その助手というのも、当然のようにダスカー様が信頼出来る相手じゃないといけないし」
アナスタシアが現れるまで、ウィスプの調査を任せることが出来る研究者はいなかった。
そんな状況だというのに、アナスタシアが助手を欲するとなれば、ダスカーとしても頭を悩ませるだろう。
「その辺は、私がダスカーに直接話すわ。ダスカーから見ても理解出来なくても、研究者として私が見た場合は理解出来る……信じることが出来る研究者もいるでしょうし」
ダスカーの目は、あくまでも領主として……もしくは、騎士として相手を見抜く。
それに対し、アナスタシアの目はあくまでも研究者として相手を見抜くのだ。
そう考えれば、やはり研究者としての目だからこそ、相手を信頼出来る研究者といったように捉えることが出来てもおかしくはなかった。
「取りあえず、アナスタシアが言いたいことは分かった。実際にダスカー様がどう考えるかだけど……妙な奴を助手にしたりしないでくれよ?」
これが、例えば……緑人の香辛料に関わるようなことであれば、レイもここまで気にはしないだろう。
勿論ギルムで香辛料が安く買えるようになれば嬉しい。
だが、ウィスプの件は上手く行けば、一時的にとはいえ日本に帰ることが出来るかもしれないのだ。
だからこそ、万が一の事態も起きて欲しくないというのが、レイの正直な気持ちだった。
そんなレイの考えを理解しているのか、それとも何か別の意味で受け取ったのかは分からなかったが、アナスタシアはレイの言葉に真剣な表情で頷くのだった。