2149話
マリーナの精霊魔法の技量が非常に高いというのは知っていたレイだったが、アナスタシアの目も誤魔化せたということに若干驚き……それがアナスタシアにとっては若干面白くなさそうではあったが、ともあれまずはウィスプのいる地下空間に向かうということで、地下通路を進んでいた。
「ちょっと、レイ。そろそろ何があるのか教えてくれる?」
精霊魔法で光球を生み出し、明かりを確保しながら進むアナスタシアは、レイに対して不満そうな視線を向ける。
アナスタシアにしてみれば、興味深い研究対象があると言われてレイと一緒に進んでいるが、そろそろ何があるのかというのを教えて欲しいと思うのは当然だった。
「ちょっと待ってくれ。もう少し……ほら、見えた」
レイのが示すのは、地下通路の終わり。
ウィスプのいる地下空間に到着したことを喜びつつ、レイはアナスタシアにその先を促す。
「明かり? ……何かあるのは間違いないとは思っていたけど」
まさか、このまま延々と地下通路を進むだけではないだろうと思っていたが、それでも終わりが見えたということに安堵する。
「ああ。……ようこそ、ウィスプの地下空間にってところか」
そう言いながら、レイは地下空間から、まだ地下通路にいるアナスタシアにそう告げる。
「ウィスプ……?」
レイの言葉に、アナスタシアは不審そうな表情を浮かべていた。
アナスタシアも、当然のようにウィスプについては知っている。
だからこそ、その言葉に微妙な思いを抱く。
ウィスプは、決して高ランクのモンスターという訳ではない。
だが、このようなことをしているのを思えば、何らかの意味があるのは間違いない。
そう判断し、地下通路から地下空間に入り……そこに広がっていた光景に驚き、目を見開く。
地下空間そのものは、それなりに巨大だという程度でしかない。
だが、問題なのはやはりその地下空間に存在するウィスプだろう。
アナスタシアが知っているウィスプとは、その外見からして全く違う。
「ウィスプ……?」
その口から出た言葉は、数秒前と全く同じもの。
ただし、その言葉に込められている感情は正反対だと言ってもいい。
巨大な……通常のウィスプとは比べものにならないくらいの大きさを持つウィスプを、アナスタシアはただ無言で眺める。
……いや、実際に目を、そして意識を完全にウィスプに奪われていると言ってもいいだろう。
(もしあのウィスプが普通のウィスプなら、アナスタシアは真っ先に攻撃されていてもおかしくないんだけどな)
アナスタシアを見ながら考えつつ、これ幸いと今のうちに周囲を……特に地面を見回す。
(あれ?)
だが意外なことに、そこには何も存在しない。
てっきり、グリムが何かを……風の精霊が封じられたエメラルドのような何かが置かれているのかとばかり思っていたのだ。
もしそうであれば、それがアナスタシアに見つかるよりも前に隠す必要がある。
そう思っていたのだが、その心配は全くいらなかった。
いや、もしかしたらレイに見つからないような場所に隠しているのかもしれないが、レイとしてはそれならそれで問題なかった。
アナスタシアに見つからなければ、それで十分なのだから。
それなりに広く、更には周囲には様々な石や岩が多数存在する空間だけに、拳大くらいの物であれば隠すのはそう難しい話ではない。
エレーナ達と一緒に来た時に起きたことをグリムが覚えていて、それでいらない騒ぎにならないようにということで、そのような真似をしたのか。
それとも、偶然そのような形になったのか。
その辺りはレイにも分からなかったが、それでもとにかくウィスプの周囲にその手の物が落ちていないというのはレイにとって助かったと言ってもいい。
「ねぇ、レイ」
レイが周辺を見ていて何も落ちていないことに安堵していると、ウィスプを見ていたアナスタシアが不意に口を開く。
とはいえ、レイに話し掛けてはいるが、アナスタシアの視線はウィスプに向けられたままだが。
「何だ?」
「レイが言っていた面白い研究対象というのは、このウィスプのこと?」
「そうだ」
「このウィスプ、多分希少種よね? 大抵希少種というのは、ベースとなった種族にはない特殊な能力があるんだけど。……例えば、セトが色々なスキルを使いこなすみたいな」
「あー……うん、そうだな」
一瞬戸惑ったのは、セトが実は生粋のグリフォンではなく、レイが魔獣術で生み出したグリフォンだからだろう。
だからこそ、セトは様々なスキルを自由に使いこなすことが出来るのだ。
とはいえ、それをアナスタシアに言える筈もなかったが。
しかし、幸いにもウィスプに視線を奪われているアナスタシアは、そんなレイの様子に全く気が付いた様子もなく言葉を続ける。
「それで? このウィスプが希少種なら、一体どんな特殊能力を持ってるの? ダスカーがわざわざ私に調べて欲しいと言うんだから、ただ普通よりも大きなウィスプってだけじゃないのよね?」
「正解だ。……ただ、ここまで連れて来た俺が今更言うのもなんだが、この話を聞けば、絶対に今回の件は引き受けて貰う必要がある。それでも聞きたいのか?」
「当然でしょ」
念の為にと放たれたレイの問いに、アナスタシアは一切の躊躇なくそう答える。
まだアナスタシアとは初めて会ってから短い時間しか経っていないが、そんなレイであっても、今のアナスタシアの言葉は本気で言ってるのだと理解出来た。
「分かった。……簡単に言えば、このウィスプは異世界からこの世界に色々な物や者を転移させることが出来る」
「……え?」
アナスタシアは、そこで初めてウィスプから視線を外し、レイに向ける。
それだけレイの言ってることが分からなかったのだろう。
「今、何て言ったの? ちょっと聞き間違えたみたいだから、もう一回言って貰える?」
次は聞き間違えないようにと、髪を掻き上げてエルフ特有の尖った耳をレイの方に向ける。
だが、レイの口から出たのは、やはりアナスタシアにとっては信じられない言葉。
「だから、このウィスプは異世界から色々な存在をこの世界に転移させることが出来る能力を持っている。ギルムで色々と情報を聞かなかったか? 例えば、リザードマンをテイムしている奴がいるって話とか」
「聞いてないわね。というか、ギルムに来たら真っ直ぐダスカーに会いに行ったから」
酒場や食堂にも寄らなかったと言われれば、レイとしてもその辺の話の流れには納得せざるを得ない。
「今の話から聞くと、リザードマンを転移させてきたの?」
少しだけ興味を削がれたといった様子のアナスタシア。
異世界から転移させるというのだから、もっと未知の存在なのかと、そう思ったのだろう。
だが、転移させられたのはリザードマン。
それで何故異世界からの転移なのかと、そう疑問にすら思ってしまう。
「言っておくが、異世界のリザードマンだから、この世界のリザードマンとは色々と違うぞ。まず。独自の文化を持っている。それに聞いた話によると、ミレアーナ王国と同程度の国を建国して、それなりに長い時間が経っているらしい」
その言葉に、再度アナスタシアの表情が驚きに変わる。
「嘘でしょう!?」
リザードマンが国を……それもミレアーナ王国と同程度の国を作ったというのは、アナスタシアにとっても信じられない出来事だったのだろう。
「本当だ。何人ものリザードマンから聞いてるし、その証拠の一端もある」
証拠の一端というのは、当然のようにトレントの森のすぐ隣に転移してきた生誕の塔のことだ。
……無理矢理に話を作るのなら、他の誰かが作った塔を、リザードマン達が利用してるだけと言われるかもしれないが。
「人? 匹じゃないの?」
「ああ、その件な。普通ならモンスターは統一して匹で数えてるんだけど、国を作るような存在だからってことで、匹は後々不味いことになるかもしれないから、今はゾゾ……異世界からやって来たリザードマンは一人、二人といったように数えてる」
「なるほど。……レイの言ってることが正しいのなら、確かにそのリザードマンは普通のリザードマンとは言えないわね」
「ああ。ちなみに、異世界から転移させるってことだけど、一つの異世界からじゃなくて、複数の異世界から転移させることも出来るらしい」
「何でそう思うの?」
「このウィスプが転移させたとある存在は、リザードマン達も見たことがない存在だったからな」
「単純に、そのリザードマンが知らない存在だったんじゃないの?」
「違う。リザードマン達の住んでいる世界のモンスターも魔石を持ってるんだが、その湖に生息しているモンスターは魔石を持っていないんだ」
ピクリ、と。
レイのその言葉を聞いたアナスタシアは一瞬動きを止める。
「湖? もしかして、転移してきたのは湖なの?」
「あ……」
アナスタシアの言葉に、レイは思わず口に手をやる。
湖と言っても多分信じられないだろうと思い、まずはリザードマンのことだけを教えようと思っていたのだが、口が滑ってしまったらしい。
とはいえ、ここまで言ってしまった以上、もう誤魔化すことは出来ないので、素直に頷く。
「そうだ。巨大な湖、それこそギルムと同じくらいの広さを持つ湖がトレントの森の側に転移してきた。アナスタシアはトレントの森とセトに乗っていることで興奮して分からなかったと思うけど、トレントの森の隣には生誕の塔というリザードマンの国の首都にある塔が転移してきていて、その生誕の塔の隣にはその湖が転移してきた」
そう言い、レイはリザードマンや緑人、湖について知っていることを説明する。
既に大体のことは聞いていたアナスタシアだったが、食事が植物を生長させるという緑人についてはかなり強い興味を抱いた。……もっとも、結局は異世界の存在を転移させる能力を持つウィスプに抱いた好奇心には及ばなかったのだが。
「なるほどね。……それでダスカーはこのウィスプを研究する人を探していた訳ね」
「そうなる。このウィスプの特性を考えれば、信頼出来る相手じゃないと頼めないしな」
「でしょうね。このウィスプを研究すれば、もしかしたらこことは違う世界と自由に行き来出来るようになるかもしれないもの。それを考えれば、迂闊な相手に調査を頼むことが出来ないというのは分かるわ」
レイの懸念を即座に見抜いて告げるアナスタシアに、レイは頷く。
「それだ。ダスカー様に敵対的な奴がこの件を知ったら、間違いなく大きな問題になる」
もしかしたら、日本に行くことが出来るかもしれないという思いがあることは隠しながら、アナスタシアの言葉に同意する。
アナスタシアはレイがどこから来たのか分からない以上、そんなことをレイが考えているとは思いも寄らないのだろうが。
「分かったわ。やる」
既に答えは決まっていたかのように、アナスタシアはレイに向かってそう告げる。
アナスタシアにしてみれば、異世界という興味深い存在を調査して欲しいと言われているのだから、それを引き受けない訳にはいかなかった。
「助かる」
「いいのよ。私の為にもなって、ダスカーの為にもなるんでしょ? なら、あの子の面倒を見た身として、それを引き受けないという選択肢はないわ」
その言葉に、つくづくアナスタシアとマリーナの立場は似てるなと思いつつ、同時に立場は似ているのに、ダスカーが抱いている気持ちは正反対なのだと、思い知る。
(この辺は、ダスカー様が子供の頃に世話になったのと、騎士になる為に王都に行けるくらいには育っていた頃に世話になったという違いか?)
ダスカーの態度を思い出してそんな疑問を抱くレイだったが、取りあえず今はアナスタシアにウィスプの調査を引き受けて貰ったので、それ以上は何も言わないことにする。
ここで妙なことを口にして、その結果地雷を踏むようなことになってしまっては、最悪の結果をもたらしかねないのだから。
「助かるよ。ダスカー様も、このウィスプの件では本当に信頼出来る相手に頼む必要があるからってことで、調査をする研究者を選ぶのに、かなり迷っていたみたいだし」
「そんな時に、偶然私がギルムに来たのね。……少し暇になったから、面白い何かでもないかと思ってギルムに来てみたんだけど……正解だったわ。けど、問題なのはどうやってこれを調べるかよね。今はダスカーの紹介で夕暮れの小麦亭に泊まってるけど……」
「あー、なるほど」
セトに乗って移動出来るレイならともかく、普通に歩いて移動する場合、ギルムからトレントの森の中央までとなるとかなり移動時間が掛かる。
そう言って悩むアナスタシアに、レイもまたどうしたらいいものかと一緒になって悩むのだった。