2135話
「ま、こんなもんだろ」
冒険者の一人が、地面に倒れたコボルトの群れを見て、そう呟く。
得意げになっている訳でもなんでもなく、ただ純粋に事実だけを口にした形だ。
だからこそ、見ている者にしてみれば、それだけ腕の立つ人物なのだということを理解出来る。
「そうだな。それで……お前達は何なんだ? 現在、トレントの森は侵入禁止だぞ? というか、コボルト程度を相手に逃げるしかないのなら、ギルムで冒険者をやるのはちょっと厳しいんじゃないか?」
もう一人の冒険者が、コボルトの群れに追われてきた者たちに向かって声を掛ける。
聞きようによっては相手を小馬鹿にしているような言葉ではあったが、実際には冒険者としてやっていくのは危険だと、そう忠告している言葉だ。
「けど、その武器や防具は結構使い込まれてないか? なら、コボルトくらいは何とか出来てもおかしくはないんだがな」
「あ、それはその……この防具は俺達が自分で買ったんじゃなくて、譲って貰った奴で……」
コボルトから逃げて荒い息を吐いていた男達の中の一人が、少し恥ずかしそうにしながらそう告げる。
その様子からは、自分の実力で装備を買った訳ではないことを恥ずかしがっているように思えた。
とはいえ、家族や友人が使っていた装備品を譲って貰うのは、そう珍しい話ではない。
その辺の事情を考えれば、そこまで恥ずかしがる必要はない。
もっとも、それはあくまでも個人でどう思っているのかというのが関係している。
それを恥ずかしいと思う者もいれば、寧ろ嬉しく思う者もいる。
コボルトから逃げてきた者達は、揃って前者だったのだろう。
「それはともかくとして……レイ、この連中はどうする?」
冒険者の一人が、レイに向かって尋ねる。
生誕の塔、湖、それとこちらはおまけではあるが、未だに燃え続けているスライム。
それらは可能な限り秘密にするようにということになっていた。
だとすれば、コボルトに追われたとはいえ、ここまでやって来た冒険者たちをどうするのかというのは、レイにとっても迷うところだ。
「というか、そもそも俺が決めるようなことじゃないだろ? この場合はどうするんだ?」
レイはこの場の責任者という扱いになっている騎士に尋ねる。
冒険者達にしてみれば、レイがこの場を仕切っているといったように感じられたが、実際にここを仕切っているのは騎士だ。
そう考えれば、レイが騎士に尋ねるのは当然だった。
その騎士は、難しい表情を浮かべる。
意図的にこの湖までやってきたのであれば、最悪の場合は牢に入れられることになるだろう。
それがいつまでになるかは分からないが、少なくてもこの湖や生誕の塔の件をどうにかすると決まった後でなければ、解放することは出来ない。
だが、今回は違う。
コボルトに襲われ、それで逃げた結果ここまでやって来たのだ。
もしここまで逃げることが出来ていなかった場合、冒険者達は死んでいた可能性が高い。
……もっとも、トレントの森そのものが現在は樵やその護衛といったように特別な許可のある者でなければ立ち入りは禁止されているのだが。
そういう意味では、この冒険者達もギルドからの指示を破ってここまでやって来たということになる。
「難しいところだな。色々と難しい判断が必要になるので、俺だけではどうにも判断出来ん。上司に任せることになる。そこでどのような処置になるのか、決まるだろう」
処置という言葉に、冒険者達の表情が引き攣る。
(もしかして、厳重注意で何とかなると思ってたのか?)
冒険者達を見ながら、レイは予想する。
もし本当に厳重注意でどうにかなるのだと思っていたのなら、それは甘いとしか言いようがない。
いや、もし湖や生誕の塔ではなく、トレントの森で他の冒険者達に見つかった場合は、もしかしたらそのようなことになった可能性はある。
しかし、この冒険者達はここまでやってきてしまった。
それを考えれば、何もなしで済むということはない。
「その……俺達、どうなるんでしょうか?」
恐る恐るといった様子で、追われてきた男の一人が尋ねる。
そうして、改めてレイは男達の姿を確認した。
年齢としては、全員が十代後半、もしくは二十代前半といったところか。
武器や防具を譲って貰ったということを考えれば、冒険者になったばかりなのは間違いないだろう。
であれば、ここで騎士にどうにかされるというのは出来るだけ避けたいといった思うのは当然だった。
「今の話を聞いていたなら分かると思うが、お前達には後で……もう数時間もすれば馬車が来ると思うから、その馬車に乗ってギルムに戻って貰う。その後は俺からは何とも言えん。お前さん達の話を聞いた人物が判断する」
「そんなぁ……」
何故、と。
自分達のとった行動を後悔しているように呟くが、今回の一件においては自業自得だろうと、レイは逃げてきた冒険者達から視線を逸らす。
(せめて、自分達でコボルトを倒すだけの実力があれば、もしかしたらトレントの森に入ってたことを隠し通せたかもしれないし、見つかっても注意される程度だったかもしれないのにな。……ここまで逃げてきたのは、運がよかったのか、悪かったのか)
もしここまで逃げていなければ、コボルトに殺されていた可能性がある。
それを考えれば、運が悪いとは決して言えないだろう。
そんな風に思いつつ、レイは周囲の様子を……特に、トレントの森の方を見る。
昨夜ケルベロスが襲ってきたことと、コボルトの件は関係があるのかと。
ケルベロスもコボルトも犬系のモンスターだ。
コボルトは、二足歩行の犬といった感じのモンスターではあるが。
(いや、ないか。コボルトとケルベロスだと、ランクに差がありすぎるし。とはいえ、この件は一応ギルドの方に知らせておいた方がいいか。判断するのは、向こうなんだから)
もしギルドが、コボルトとケルベロスの一件に何らかの因果関係があると判断すれば、後々何か指示を出してくるという可能性は十分にある。
その辺はレイが考えることではない。
「さて、ともあれ……ここにいれば安心だから、事情を聞かせてくれ。その事情の書いた紙を持っていけば、取り調べは短くて済む筈だ」
騎士がそう言い、冒険者達を連れていく。
その冒険者達はがっかりしながら歩いていたのだが……
「うおっ! 何だ!? 湖!?」
冒険者の一人が、不意に叫ぶ。
あんなに大きな湖に今まで気が付かなかったのか? と若干疑問を感じたレイだったが、命からがらコボルトから逃げてきた冒険者達にしてみれば、命が助かったことに安堵しており、今まで湖に気が付かなくてもおかしくはない。
そして、今ようやく湖の存在に気が付いたといったところか。
何故ここに湖があるのかといったことや、リザードマンが何故か大量にここにいるといったこと、そして生誕の塔の存在や燃えているスライムにも男達は驚きの声を上げる。
「ここにこういうのがあるのを知られない為に、お前さん達には不自由な思いをして貰う必要がある訳だ」
「あー……うん、そうですね。ここにこんな色々なものがあるのを見れば、そういう風に言われる理由も分かります」
冒険者の一人が、騎士の言葉に納得したようにそう返す。
他の者達も、その言葉に同意するように頷いていた。
「でも、これって前まではなかったんですよね? 何がどうなってこんなことに?」
それは冒険者にしてみればもっともな質問ではあったが、騎士はその問い対して首を横に振る。
「分からん」
「いや、分からないってことはないでしょう? 俺達はこの後に色々と聞かれて、すぐに自由の身になれる……って訳じゃないんですから、少しくらい教えてくれてもいいんじゃないですか?」
冒険者は、騎士が自分達に多くの情報を与えたくない為に誤魔化しているのだろうと、そう思っていた。
だが、そう言われても騎士も何が理由でこのような状況になっているのか分からない以上、何も言えない。
トレントの森の地下空間にいるウィスプがこの一件を起こしているのだが、それを知ってるのはレイを含めて少数だけだ。
この場所を任されている騎士には知らせてもいいのでは? と、そう思わないでもないレイだったが、ダスカーが教えていない以上は何らかの理由があってそうしているのだろうと思う。
「違う。残念だが、本当に何も分かっていないんだよ。悪いが、これ以上の情報は与えられない」
「……え? 本当に?」
騎士の言葉が本当に予想外だったのか、騎士と話していた男の口からそんな疑問の声が出た。
冒険者にしてみれば、この場にいるのだから当然のように事情を知っていると思っていたのだが、その予想が完璧に外れた形だ。
騎士も、自分がここで何が起きているのかが分からないのは事実なので、それ以上は何も言わない。
いや、正確には何が起きているのかというのは分かる。生誕の塔や湖が転移してきているのだから。
だが……何が原因でこのようなことが起きているのかというのは、分からないのだ。
「ああ、本当だ。だからこそ、こうして何が起きてもいいように、レイのように腕利きの冒険者にここで待機して貰っているし、他の冒険者にしてもレイ程ではないにしろ、腕利き揃いだ」
「うわぁ。正直、何がどうなってこうなったのか、気になるところですけど。……安全なんですか? ここって、ギルムからそう離れてませんけど」
冒険者の言葉に、騎士も頷く。
生誕の塔はリザードマンの住居として使っているので問題はないのだが、湖は別だ。
アメンボやトカゲといったモンスターが出て来たのを考えると、とてもではないが安心出来る場所ではない。
空飛ぶクラゲのように、人畜無害どころか懐いてくるような存在もいるのだが。
ともあれ、危険なモンスターが存在する以上、とてもではないが安全な場所とは言えない。
冒険者が言うように、ギルムから比較的近くにあるこの場所は危険なのだ。
危険であるのと同時に、巨大な湖がギルムに大きな利益を与えるというのも、間違いのない事実ではあったが。
「レイ達がいるのを考えれば、安全だと思ってもいいだろう。もっとも、レイは色々と忙しいから、いつもここにいる訳じゃないが」
「それは……」
ギルムで冒険者をしている以上、当然のように男もレイの名前は知っていた。
何よりグリフォンをこうして間近で見れば、自分達では到底勝てないような高ランクのモンスターだというのは明らかだった。
コボルトなどとは、比べものにならない程の迫力……それでいながら、愛らしさを持っているのが、不思議なところだが。
そうして移動する騎士と冒険者を一瞥すると、レイは周囲にいる他の冒険者達に声を掛ける。
「コボルトは基本的に群れで行動するモンスターだ。それを考えると、これ以外にもいる可能性はある。……まぁ、冬の件を考えれば、コボルトの対処法は言うまでもないだろうけど」
冬にギルムにいた冒険者は、結構な人数が目玉の呼びだしたコボルトと戦っている。
元々低ランクモンスターだということもあって楽に倒せる敵ではあったが、それでも延々と毎日のように出て来るコボルトは、ギルムの冒険者にとっては面倒なだけだった。
……冬にギルムから出て行った冒険者であれば、そのコボルトの騒動に巻き込まれることもなかったのだが。
「ともあれ、トレントの森にコボルトが棲み着いたとなると、色々と面倒なことになりそうだな。……可能なら、コボルトは全部倒してしまいたいところだけど」
「レイが言いたいことも分かるけど、人手が足りないだろ? ケルベロスの件もあるから、樵の護衛も腕利きを揃える必要があるし」
もしケルベロスが出る前にコボルトの一件が判明していれば、気軽にコボルトを殲滅するようなことも出来ただろう。
もっとも、そのような真似をした場合はコボルトと戦っている時にケルベロスに襲われる心配もあったのだが。
「最近はトレントの森にもモンスターが結構入ってきてたけど、これからもっと警戒する必要があるな」
「ケルベロスとか来るんだもんな。ちょっとそれは洒落になってないって。……コボルト程度なら、ある程度どうとでもなるんだけど」
冒険者のその言葉に、レイも、そして他の冒険者達もそれぞれ頷く。
「とにかく、レイは早くギルドに行ってケルベロスが出たって件を知らせた方がいいんじゃないか? コボルトと、あの冒険者達の件も……一応、知らせた方がいいのかもしれないけど」
「そうだな。……じゃあ、俺がいない間はここを頼む。まぁ、日中からケルベロスが出て来るとは思えないけど」
そう告げたレイは、少し離れた場所にあった解体されたケルベロスの素材をミスティリングに収納してから、セトと共にギルムに向かうのだった。