0212話
ミレアーナ王国の派閥の1つ、貴族派。その中でも中心人物でもあるケレベル公爵の本拠地とも言えるアネシス。
そのアネシスにあるケレベル公爵の屋敷の中で、1人の女が1人の騎士と向かい合って座っていた。
女はまるで太陽の光がそのまま物質化したかのような黄金の髪をしており、初めてその姿を見る者はまず間違い無く意識を奪われる程の美貌を持っている。ただし女神と言うよりは戦女神と表した方が正しいだろう凛々しさや鋭さの印象も強い。その美貌と高いカリスマ性、そして兵の指揮や自身の戦闘能力もあって周辺諸国から姫将軍として知られているエレーナ・ケレベルだ。
そしてそのエレーナは、レイと共に探索したダンジョンの最下層にある継承の祭壇で行われた継承の儀式を行い、人の身でありながらエンシェントドラゴンの力を得て、これまで以上の存在感を発揮していた。
そしてそれ程の力を手に入れた今のエレーナは、向かいに座っているアーラからの報告を聞きながら、どこか得体の知れないプレッシャーを放っている。
……否。正確にはその報告をしているアーラにとってはプレッシャーを放っているように見えた、というのが正しいだろう。
バールの街で起きた魔熱病、ダンジョンの核の発見、そしてその核から吐き出された紫の霧を放つ無数のスライム達。それ等の報告は、当然既にエレーナの父親であるリベルテ・ケレベルには報告済みである。そしてその報告を父親と一緒に聞いていたエレーナが、その後自分の私室へとアーラを呼び、改めて聞いていたのだ。
「ふむ、そうか。話は分かった」
改めて聞いたアーラからの報告に、エレーナは頷きながらそう口を開く。
その声もまた鈴の音のような美しい声だったが、長年エレーナに仕え、ある意味でその存在に慣れてしまっているアーラには、自らの主君であるエレーナが若干ではあるが不機嫌なのを感じ取っていた。当然その理由について想像するのも難しくは無い。
「その、エレーナ様。レイ殿の件については……もう少し早く手紙の事に気が付いていれば良かったのですが」
アーラのその言葉に、エレーナは小さく首を振って胸の下で腕を組む。
さすがに自分の屋敷、それも私室にいる為に今のエレーナは鎧を身につけてはおらず、公爵令嬢として相応しいドレスを身に纏っている。そんなドレスを着たまま胸の下で手を組む事により、元から巨大な膨らみがさらに強調され、それを目にしたアーラは思わず頬を染める。
もちろんアーラにとってエレーナは、尊敬して敬愛している相手であり心酔もしている。だが、だからといってアーラは別に同性愛者という訳ではない。そんなアーラにとっても、今のエレーナが浮かべている艶っぽい表情は色々な意味で訴えるものがあった。
(レイ殿……恨みますよ)
その原因である1人の少年の顔を脳裏へと思い浮かべ、内心で呟くアーラ。
目の前にいる、武と美の象徴ともいえるエレーナ。そんなエレーナが頬を染めて想う相手のことが誰かというのは、エレーナと長い付き合いであるアーラにとっては想像するのは難しくなかったのだから。
「……まぁ、いい。レイも手紙を書くとは言っていたのだろう?」
小さく溜息を吐くエレーナの恋する女特有の艶然とした表情に意識を奪われていたアーラは慌てて我に返ると頷く。
「はい。冬なので届くのには少し時間が掛かるかもしれませんが、間違い無く手紙を書くと言っていました」
「そうか。ならレイの手紙が届くまで楽しみに待つとしよう。……いや、この場合は私から手紙を送った方がいいのか?」
これまで貴族の子女同士の付き合いを殆どせず、ひたすら己を高めることに専念してきたエレーナだけに、恋のイロハの類も殆ど知らない。
それだけに視線でどうすればいいかアーラへと尋ねるが、アーラにしても男を好きになった経験は無いし、常にエレーナと行動を共にしているのだから、同様に他の貴族の子女との付き合いは殆ど無い。
だがそれでも、敬愛するエレーナに問われて分かりませんと言う訳にもいかず……
「その、恋は戦と同じで先手必勝と言います。やはりここはエレーナ様が積極的に動かれてはどうでしょうか?」
何となく、思いついた言葉を並べるのだった。
そしてエレーナにしても、小さい頃から自分と共に育って来たアーラの言葉を疑う筈も無く。
「分かった。ならペンと紙を用意してくれ。すぐに手紙を書く」
そう告げるのだった。
「あははははは。セトちゃん、セトちゃん、セトちゃーん!」
「グルゥ……」
ギルムの街にある食堂の満腹亭。そこでミレイヌは、飲んだ酒で頬を赤く染めながらも、店主であるディショットの好意で店の中に入れて貰ったセトの首筋へと抱き付きながら、料理を食べ、あるいはセトへと与えていた。
「全く……すいませんね、レイさん。ミレイヌがあの様子で」
「気にするな。セトにしてもミレイヌには懐いているからな」
ミレイヌのストッパーでもあるスルニンに、レイはうどんを食べながらそう返す。
そんな視線の先では、茹でた野菜と共にソースを掛けた料理をセトへと与えているミレイヌの姿があった。
それを食べているセトも満足そうに喉を鳴らしているのを見ながら、レイは笑みを浮かべる。
一足先にギルムの街に帰ってきてから、警備隊の本部へと顔を出し、セトの無事をランガに知らせて依頼完了のサインを貰い、ギルドへと出向いた時に丁度ギルムの街に戻ってきた灼熱の風と出くわしたのだった。
その後は灼熱の風……というよりもミレイヌの強い要望により、依頼達成の打ち上げにレイとセトも参加することになったのだ。もっとも、ミレイヌにしてみればセトがメインでレイはおまけ的な扱いだったのだが。
「それにしてもお前達が満腹亭を知っているのには驚いたな」
「あははは。私達だってランクの低い時はあったんですよ。その時にはよくここで食事をしてました。何しろ安い、美味い、多いと3拍子揃ってますから。今はランクCパーティとして知られてしまったので、色々と面倒を掛けてしまうのを考えるとちょっと足が遠のいていたんですけど……いや、改装したおかげか大分広くなりましたね。これなら迷惑を掛ける心配も無さそうですので、これからはまた足を運ばせて貰おうと思います」
スルニンが懐かしそうに笑みを浮かべつつ、うどんをフォークで巻いて口へと運ぶ。
未だにうどんをフォークで食べるというのにはどこか慣れないレイだったが、まさかこのギルムの街に……そしてエルジィンに箸がある筈もないとばかりに、麺をフォークに引っかけてズルズルと音を立てながら口へと運ぶ。
『……』
そして何故かスルニンとエクリルからジト目を向けられているのに気が付き。
「どうしたんだ?」
「どうしたも何も……レイさん、ちょっと行儀が悪いです」
エクリルに指摘されるが、意味が分からないとばかりに首を傾げる。
「何がだ?」
「だから! 音を立てながら食べるのがです!」
「……あぁ」
そこまで言われ、ようやく麺を啜るのが日本独自の習慣だったというのを思い出すレイ。
幸か不幸か、レイが住んでいたのは田舎の極致と言ってもいいような場所だったので外国人はTVでしか見たことがなかったが、とあるTVの番組で麺を啜る日本人を外国人が驚きの目で見ていたのを思い出す。
(さて、どう説明したものか)
一瞬だけそんな風に迷ったが……
「このうどんというのは、俺がディショットに教えた料理なんだが、その料理が紹介されていた歴史書によると音を立てながら麺を啜って食べるのが一般的な食べ方だとされていたんだよ」
そう開き直るのだった。
「え!? このうどんって料理、レイさんが!?」
スルニンとエクリルの2人が驚愕の視線をレイに向ける。
そもそも灼熱の風が久しぶりに満腹亭へと足を運ぶ原因になったのが、このうどんだった。見たことも聞いたことも無い料理が開発されたと聞き、ギルムの街で密かにブームになっているうどん。その元祖がこの満腹亭だと知り、丁度いいとばかりに依頼の打ち上げを満腹亭で行うことにしたのだ。
「ああ。ちょっとここの食堂の息子と臨時でパーティを組んでな。その時に何かいい料理を知らないかって話になって、俺が以前本で読んだ料理を思い出して教えたんだよ。……まぁ、俺が教えられたのはあくまでも概要だけであって、それをここまでの味に仕上げたのは純粋にディショットの腕だろうがな」
「はっはっは。うどんを考えたお前さんにそう言って貰えれば俺としても嬉しいな」
レイの言葉に割り込んできた声。その声の主は、この満腹亭の主人でもあるディショットだった。
「レイ、無事に戻って来たようだな。バールの街で何か美味い料理でも食べられたか?」
そんな風に、貪欲に新しい料理を求めるディショットに小さく首を振る。
「まさか。魔熱病のせいで、食料は配給制だったんだ。一応俺は宿に泊まったが、そこの宿の料理人も感染して寝込んでいたからな。冒険者で魔熱病に感染してなかった息子が何とかやってたけど、それだけに料理の腕は推して知るべしって奴だったよ。……一応、俺が逗留している最後の方には料理人も復帰したが、何しろ、食料が配給制である以上はどうにもならないしな」
「……そうか、残念だ。あぁ、そう言えば持って行ったうどんの評判はどうだった?」
数秒程がっかりとした表情を浮かべたディショットだったが、次の瞬間には再び真面目な表情へと変えてレイへと尋ねてくる。
ギルムの街ではうどんの人気に火が付いているが、それだけに他の街での評判も気になったのだろう。
「問題無かったな。皆喜んで食べていたぞ。少なくても俺が聞いた限りじゃ不味いという話は聞かなかった。……まぁ、差し入れをした俺にそんな風に言える奴がいなかったのかもしれないけどな」
「ほう、そうか。正確なところはともかく、残したりはしなかったのか?」
「それは問題無い。……あぁ、そう言えば返すのを忘れてたな」
ふと思い出し、ミスティリングからバールの街へと持って行ったうどんの入っていた巨大な鍋を取り出す。
きちんと洗われており、年季の入っている鍋の為に新品同様……とまではいかないまでも、ディショットが見慣れていた鍋だとは思えない程綺麗になっており、外側も油汚れの類が殆ど無くなっていた。
「へぇ、随分綺麗な鍋ね」
セトと戯れていたミレイヌが、感心したように鍋へと視線を向ける。
ディショットはその鍋を見ながら嬉しそうに笑っていた。
その上機嫌さに、エクリルが首を傾げて尋ねる。
「親父さん、どうしたんですか? 確かに鍋がピカピカになって戻って来てるのはうれしいでしょうけど」
「へっ、ここまでピカピカに磨いてるってことは、うどんがそれだけ美味かったってことだろうよ。この鍋はその礼なんだろうな。……自分の作った料理で、ここまで喜んで貰えるってのは嬉しい限りだ」
「へぇー、そんなもんなんだ。……って、ちょっと待って!」
不意に何かに気が付いたかのように、ミレイヌが驚愕の表情で鍋へと視線を向ける。
「確かレイのアイテムボックスって、中の時間が止まってるんだよね?」
「ん? ああ。じゃないと温かい料理とかを保管出来ないしな」
「じゃあさ……もしかして、その鍋って魔熱病の原因になるのがくっついてたりするんじゃないの……?」
どこか震えている指で鍋を指差すミレイヌ。そしてそれを聞いた瞬間、跳びはねるようにして距離を取るエクリル。
だが、そんな2人にスルニンは問題無いとばかりに首を振って鍋へと触れる。
「魔熱病はこの周辺ではこれまで存在していなかったので不安になるのも分かりますが、基本的に人を介してしか感染しませんから大丈夫ですよ。これについては、南のほうでは普通に知られていることなので問題はありません」
「……本当に?」
どこか疑わしそうに尋ねるエクリルに、スルニンは笑みを浮かべて頷く。
それを聞き、ようやく安心出来たのだろう。エクリルが自分の席に戻って再びうどんを食べ始める。
「あー……それで、だ」
騒動が一段落したのを見計らい、ディショットがレイへと視線を向ける。
「うどんの食べ方について、何か思いつかないか? スープに入れるってのは確かに美味いが、出来ればうどんの食べ方の種類を増やしたいんだよ」
「いや、そう言われてもな……」
先程の騒ぎは無かったとばかりにうどんを食べ続けていたレイが、ディショットに聞かれてうどんを食べきったフォークをテーブルの上に置いて考え込む。
(うどんの食べ方……ざるうどんとか? つけ麺みたいに冷たく締めたうどんを熱々のスープに付けて食べるとか。……いや、それだとスープを使ってることに代わりはないか。……待て。スープ? スープを使ってないか。なるほど)
数秒程悩んで出た結論は、至極簡単な物だった。これまでのうどんと比べて手間も掛からず、うどんの他に数種類の材料さえあれば出来る食べ方。ただし、問題は。
「この辺って玉子を生で食べる習慣はあるか?」
「……玉子を生で、か?」
そんなレイの問いに、思わず眉を顰めるディショット。
「ないない、玉子を生で食べるとか有り得ないって」
レイの話を聞いていたミレイヌが、セトの毛触りを楽しみながら大袈裟な程に首を振る。
「うーん、やっぱりか。となると無理……いや、目玉焼きとかオムレツでも半熟にはするよな?」
「まぁ、それは確かに」
頷くディショットの顔を見て、いけるか? と内心で期待するレイ。
「ならありかもしれないな。釜玉うどんって奴がある。作り方は、玉子1~2個を食器の中で溶き玉子にして、そこに茹でたてのうどんを水で締めないでそのまま入れる。うどんの余熱で玉子を半熟にする訳だな。で、味付けは……醤油とかいう調味料を使うらしいが、その辺は無いだろうから何かのタレで味見をしながら考えてみてくれ。それと、風味付けや食感のアクセントにハーブを入れるとか本には書いてあった気がする」
(さすがに鰹節とかは無いだろうが、長ネギに似てる食材は何度か見たし)
こうして、満腹亭にまた1つうどんの新メニューが登場するのだった。