2117話
『ほう、ここが……か』
トレントの森の中央。そこに到着すると、グリムはしみじみと呟く。
レイから見れば、グリムというのは自分の知らないことを色々と知っている人物だ。
それだけに、トレントの森の中央にやってきただけでそのような言葉を口にするとは思わなかったのだろう。
「何か感じるのか?」
『うむ。やはり儂が思った通り、ここにある何かが関係しておるのは間違いないじゃろうな。……どうする? 儂も一緒に行くか?』
グリムの言葉に、レイは迷う。
グリムがいれば、それこそこの転移の元凶がどのようなものであっても、どうにでも対処は出来ると思える。
だが同時に、今回の転移を自分だけで勝手に解決するのは不味いのではないかという思いがあるのも事実だった。
「取りあえず、見るだけ見てみたい。それをどうするのかは、それから決めさせて貰う。……本当にどうしようもないような存在だったら、グリムに頼んでもいいか?」
『構わんが、その場合は儂がその何かを報酬として貰うぞ?』
グリムはレイを半ば孫のように思っているのは間違いないが、だからといって無条件に甘やかしている訳ではない。
それこそ、今回の一件においては自分が解決するのなら、口にしたように報酬として今回の一件の原因の何かを貰っていくだろう。
転移魔法を得意としているグリムにしてみれば、異世界の転移を行うことが出来る何かというのは、興味を抱くのに十分だった。
現在研究をしている目玉の素材に関しても、次元の狭間に存在するというのをどうやればいいのかと、研究をしている。
次元の狭間と異世界の転移。
この二つは、似ているようで違う。
だが、似ている以上は同じような特性を持っていてもおかしくはなく、その二つに興味を持つのは当然だろう。
「あー……それはちょっと困るな。今回の一件は俺だけで勝手にどうこうは出来ないし。そうなると、明日にでも領主のダスカー様に知らせることにして、今日は様子を見るだけにしておくよ。それでいいか?」
『レイがそれでいいと言うのであれば、儂としてはそれで構わんよ』
グリムの言葉に、レイは安堵する。
グリムの性格を考えれば、もしかしたら……本当にもしかしたらの可能性だが、自分だけで今回の一連の出来事を解決して、その後は報酬として今回の原因となった者、もしくは物を貰おうと、そう考えてもおかしくはなかったのだから。
「悪いな、それで頼む。……じゃあ、行くか。具体的にどこにどう進めばいいか分かるか?」
『ふむ……』
レイの言葉にグリムは一言呟き、先程この場所を見つけた時のように、杖の石突きを地面に刺す。
だが、今度は先程と違って、レイにも魔力を感じることは出来なかった。
前の一件を考えると、それこそ魔力を感じてもおかしくはなかったのだが。
そんなふうに考えつつ、レイは視線をグリムに向ける。
だが、グリムはそんなレイの視線を向けられても、特に気にした様子もなく何かに集中し……
『こちらじゃな』
何かを感じたのか、不意にそれだけを言うとそのまま歩き出す。
いや、正確には地面を歩いているのではなく、地面から少しだけ浮かんでおり、そのまま空中を滑るように移動しているといった表現の方が、この場合は正しいだろう。
セトに乗って移動してきた時は、グリムも普通に空を飛んでいたので特に気にした様子はなかったが、地面のすぐ上を滑るというのは空を飛ぶのとはまた違う。
レイから見れば、随分と変わった移動方法だなという思いが強い。
ともあれ、今はグリムの後を追う方が先だろうと判断し、セトと共に歩き出す。
グリムもレイが後ろからついてきているのは知っている為か、空中を移動する速度はそこまで速い訳ではない。
少し早めに歩けば遅れない程度の速度だ。
そうして以前このトレントの森のボスとも言える相手と戦った場所から移動すること、数分。
不意に、グリムが止まる。
何をするのか? といったように興味津々で様子を見るレイだったが、そんなレイの視線がグリムの自尊心をくすぐったのか、若干大きな動きで杖――石突きではない方――を地面に向けた。
そんなグリムの行動に、一体何を? と思わないでもなかったのだが……
どくん、と。
空間そのものが振動したとでも呼ぶべき、そんな脈動が周囲に広がる。
先程二度目に杖で何かを探した時のように、今はレイに魔力を感じさせるような真似はしていない。
していないが、それでも魔力を感じる能力を持たないにも関わらず、レイはグリムの身体から立ち上る魔力を感じることが出来た。
これは何も特別なものであるという訳ではなく、単純にグリムから放たれた魔力がレイのような魔力を感じる能力が極端に低い者であってもその魔力を感じることが出来る程に、濃密な魔力だったのだ。
魔力の密度を高めるという意味では、レイの奥義とも言える炎帝の紅鎧も似たようなものではあったが、グリムが行っているのは炎帝の紅鎧を使う時に魔力の密度を高めるのとは、微妙に違う。
似て非なるもの、というのがこの場合は相応しい表現だった。
(これは……)
グリムを見ながら、レイは内心で驚愕する。
そうしながら、驚愕を直接表情や言葉に出さないことが、レイにとって現状では精一杯ですらあった。
セトもグリムの様子を見ながら、何かあった時はすぐにでもレイを連れてこの場から脱出する準備を整えている。
だが、グリムはそんな一人と一匹の様子には全く気が付いた様子もなく、魔力を凝縮していき……不意に、ずずずず……と、何か重いものが動く音が聞こえてくる。
その音に周囲を警戒するレイだったが、何がその音を立てているのかというのはすぐに分かった。
何故なら、グリムが杖を向けている先の地面がめくれ上がっているのだから。
……そう。それはめくれ上がるという表現が相応しい光景だった。
地面が勝手にめくれ上がっていく光景は、地形操作のスキルを何度となく使ったレイの目から見ても、一種異様なものがある。
レイとセトは、そんな光景をじっと見つめる。
そのまま地面は完全にめくれ上がり、気が付けばそのめくれ上がった場所には地下に続く穴が……道が存在していた。
「これは……」
レイの口から出た言葉は、数秒前に口に出来なかったものと全く同じ。
だが、レイから見ればそれだけグリムの行った行為は予想以上の代物だったのだ。
しっかりと確認した訳ではないが、グリムがやったのは恐らく魔力で強引に地面に穴を空けたようにレイには思えた。
それも、詠唱もなしに。
正確には魔法を使ったのではなく、魔力を動かしただけでこの結果をもたらしたといったところか。
『ふぉふぉふぉ。驚いて貰えたかな? これは、あの目玉のモンスターを調べて得られたことの一つじゃ』
「……あの目玉を調べて、何がどうやってこんな結果に?」
レイが知ってる限り、あの目玉の能力というのは次元の狭間とこの世界を自由に行き来可能というものと、無限に思えるような触手、それと生贄を用意してその魂を使ってモンスターを生み出すこと。
攻撃能力の点でも色々と大きかったのは間違いないが、特殊な能力という点ではこの三つだ。
その三つの中に、魔力の密度を上げてその魔力そのもので対象に物理的な影響を及ぼすといったものは存在しない。
(敢えてあげるとすれば、生贄を用意してモンスターを生み出す奴をどうにかして、モンスターを生み出す代わりに魔力の密度を変えた、とか? いや、ちょっと無理があるか)
もしくは、無限に生えてくる触手から無限に魔力を生み出すマジックアイテムでも作ったのか? とも思ったが、それはそれで無理があるような気がした。
『残念ながら、これはレイにも教えることは出来んな。そもそも、これは本来の目的の副産物じゃし』
「副産物って……こんなとんでもないのがか?」
元々ある通路を隠してあった場所を掘り返したというのであれば、まだどうにか……かなり無理矢理ではあるが、納得することが出来た。
だが、レイが見たところではグリムが行ったのは何もない地面の土を掘り起こし、強制的に目的の場所……最近起こっている転移の原因のいる場所まで通路を作ったのだ。
そのようなとんでもない威力を発揮する力が副産物だと言われても、レイとしては素直に納得出来るようなものではない。
ないのだが……グリムがそうだと言えば、不思議と信じられてしまうのも事実。
『うむ』
当然といった感じで、短く告げるグリム。
そんなグリムの様子を見れば、とてもではないが嘘だったり、大袈裟に言っているとは思えない。
「あー……まぁ、取りあえず話は分かった。俺がここで何を聞いても理解は出来ないだろうってのはな。それで、問題なのはこの通路だが……」
無理矢理自分を納得させたレイは、視線をセトに向ける。
グリムが作った通路は、レイやグリムが移動するのであれば問題なかったが、セトが通るのは非常に難しい。
「サイズ変更を使えば入れるだろうが……どこまで続いてるのか分からないしな」
「グルゥ」
サイズ変更はセトの身体のサイズを縮めることが出来るというスキルだが、問題なのはその継続時間だ。
永遠にそのサイズになっていられる訳ではない以上、通路を進んでいる途中でサイズ変更が切れた場合、かなり面倒なことになってしまう。
「そうなると、やっぱりセトはここに残って貰う必要があるな」
「グルゥ……」
レイの言葉に、セトは残念そうに喉を鳴らす。
それでも無理に自分も一緒に行こうとしないのは、自分が我が儘を言うことでレイを困らせてしまうかもしれないと思っているからだろう。
実際、道の途中でセトが元の大きさに戻って道を塞ぐといったことになった場合、またグリムが魔力を使って新しく通路を作る必要がある。
もしくは、セトが通れる大きさに通路を拡張するか。
それなら最初からセトが通れる大きさの通路にすればよかったのでは? と思わないでもなかったが。
「悪いな、セト。戻ってきたらもしかしたらすぐにギルムに飛んで貰うかもしれない。……いや、明日の朝にした方がいいのか?」
もし本当に――グリムが言い出したことなので、レイは疑っていないが――この先に異世界からの転移についての重要な何かがあるのなら、なるべく早くダスカーに知らせた方がいいのは間違いない。
だが、今は既に夜だ。
当然のようにこの時間ではギルムの中に入ることは出来ない。
……セトであれば、空から強引に入ることも出来るが、そのような真似をした場合は色々と後が面倒だ。
とはいえ、転移の一件はギルムだけで済む話ではなく、国すらも出て来ている。
それを考えれば、出来るだけ早く知らせた方がいいのも間違いなかった。
「ともあれ、今夜か明日の朝かは分からないけど、ギルムに行って貰うからそのつもりでいてくれ」
「グルルルゥ」
分かったと喉を鳴らしたセトは、地下に続く通路の側で横になる。
誰かがレイ達の後を追ったりしないように。
レイとグリムがいる以上、並大抵の相手が襲ってきてもどうしようもないのは間違いない。
それは分かっていたが、今のセトに出来るのはその程度のことしかなかった。
「ありがとな」
レイはそんなセトの思いを理解しているので、短く感謝の言葉を口にする。
そんなレイに、セトは尻尾を軽く振って答えた。
(多分、早く戻ってきて欲しいとか、そういう意味が込められてるんだろうな)
セトの行動の意味を理解しながら、レイはグリムに視線を向ける。
「じゃあ、行くか。……グリムには聞くまでもないと思うけど、こういう場所の探索とかは大丈夫だよな?」
『当然じゃ。そもそも、儂がレイと初めて会ったのがどこだったのか、忘れたのか?』
そう言われれば、レイも素直に頷くしか出来ない。
何しろレイが初めてグリムと会ったのは、継承の祭壇のあったダンジョンなのだから。
「あー、そう言えばそうだったな。うん。しかもそれ以後もグリムは色々とダンジョンを拠点にしてたんだったか。なら、それこそ心配する必要とかはなかったな」
『うむ。じゃから、その辺の心配はいらんよ。……さて、ではいつまでもここで話していても仕方がないし、行くか?』
「分かった。じゃあ、セト。ここは任せたぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉に鳴き声を上げるセトは、それこそここは自分に任せて先に行け! とでも言ってるようにレイには思えた。
(いや、まさかな)
自分の中にある考えを切り捨て、首を横に振る。
今の状況であれば、わざわざそんなことを口にする必要がないのだ。
別に何らかのモンスターが襲ってきている訳でもないのだから。
そうして、レイはグリムと共に地下に続く通路に足を踏み入れるのだった。