2073話
「じゃあ、ゾゾ。こっちは頼んだ」
『はい。……ですが、私は生誕の塔に残って、ガガ兄上はレイ様の下に戻るのは羨ましいですね』
レイの言葉に、ゾゾは若干拗ねた様子を見せながらもそう告げてくる。
ゾゾにしてみれば、レイと一緒に暮らすことが出来るのなら、自分がという思いがあるのだろう。
だが、石版を使えるのがゾゾだけである以上、ここにゾゾを残すのは絶対に必要なことだった。
「今は、それで我慢してくれ。リザードマンの中でも、言葉や文字を少しずつ覚えてきてる奴がいるんだ。そんな連中がいずれゾゾの代わりにここで意思疎通をすることになるだろうし」
『分かってはいるんですがね』
不承不承といった様子のゾゾ。
ゾゾにしてみれば、レイに忠誠を誓っている状況で、出来れば離れたくはなかった。
だが、忠誠というのはレイの側にただいればいいだけではないと説得され、結果としてこうして自分は生誕の塔に残ることになった。
グラン・ドラゴニア帝国の皇子として……いや、リザードマンの男として、生誕の塔を守る必要があるというのは理解していたのだが、それでも自分がここで寝泊まりするのに、ガガはレイと一緒に寝泊まりをするということに不満を抱いてもおかしくはないだろう。
「夕方くらいにはガガを迎えに馬車が来ると思うから、それまでガガのお守りは頼んだぞ」
『ガガ兄上のお守り、ですか。……それは大変そうですね』
「俺以外の冒険者達もいるし、新しく騎士も来る筈だから、その辺は問題ないと思うけどな」
そう告げ、レイはセトの背に乗る。
ゾゾを一緒に連れている時はセトが空を飛べなかったが、今は違う。
レイだけを乗せたセトは、数歩の助走だけで翼を羽ばたかせながら空に向かって駆け上がっていく。
見る間に地上に残っている者達の姿が小さくなっていくその様子は、違和感どころか爽快感すらあった。
生誕の塔はその名前の通り塔になってはいるが、そこまで高い塔という訳でもない。
セトの上昇速度であれば、こちらもまた見る間に小さくなっていく。
(うん、やっぱりこうして空を飛ぶのは気持ちいいな)
夜ではなく、日中に上空から見る生誕の塔もまた違った雰囲気がある。
そんな風に思いつつ、レイはセトと共にギルムに向かう。
とはいえ、地面を走るのではなく空を飛んでの移動だ。
当然のように、数分と掛からずにレイとセトはギルムに到着した。
……それこそ、馬車で傭兵達を運んでいる騎士よりも遅く出発したのに、ギルムに到着したのは圧倒的にセトの方が早かったというくらいに。
ギルムに入る手続きを簡単にすませると、そのまま街中を進む。
向かう先は、領主の館……ではなく、ギルドだ。
ダスカーに対する報告はもう終わっているし、生誕の塔を襲撃していた傭兵達の件についても、騎士が報告する筈だからという理由があった。
それよりも、現在はギルドの方で生誕の塔をどう認識しているのかということの情報を集めるのが先決だと判断した為だ。
生誕の塔の護衛に冒険者が来ている以上、ギルドが生誕の塔に関して何も情報を持っていないということはない。
その辺りについてギルドで話を聞いておきたいというのもあったし、同時にギルドが生誕の塔にどのような対処をするのかといったことも聞いておきたかった。
生誕の塔は、ダスカーにとっては重要な代物なのは間違いないが、ギルドにとってもそれが同じかどうか、と。
(まぁ、ダスカー様のことだから、その辺は既に手回し済みだとは思うけど)
そんな風に考えながら、レイは入り口でセトと別れてギルドに入る。
ギルドの中は、相変わらず賑やかだ。
日中のこの時間は、増築工事前であれば人が少なかった。
だが、増築工事を行うようになってからは、例え日中であろうとも人の姿は多くなる。
……それでも、朝や夕方に比べると人の姿が少ないのは間違いないのだが。
多くの冒険者達がいる中を、レイはその隙間を縫うように進む。
中にはレイをレイだと気が付いて自分から道を空ける者もいたが。
「あ、レイ君。こっちこっち!」
ギルドのカウンターに近づいてくるレイの姿を発見したケニーが、嬉しそうに手を振る。
カウンターの前には冒険者の姿はない。
それが偶然なのか、もしくは他の者に冒険者を任せたのかは分からなかったが、レイの担当というべきレノラの姿がないので、レイはケニーの場所に向かう。
「レノラは?」
「レノラはちょっと用事があって出てるのよ。もう少ししたら戻ってくると思うけど……」
どうする? と尋ねてくるケニーの言葉に、レイは首を横に振る。
生誕の塔にたいする情報を聞こうと思ってやって来ただけなので、レノラがいればレノラから話を聞けただろうが、情報を聞くだけならレノラがいなくてもケニーに聞けばいいのかと判断したのだ。
「トレントの森の隣に塔が転移したって話は聞いてるのか?」
「ちょっ、どうしてそれをレイ君が……いえ、レイ君だものね。それを考えれば、不思議じゃないか」
ケニーの驚きを見て、生誕の塔についての情報についてはまだそこまで広まっていない……いや、ギルドの方で出来るだけ広げないようにしているのだと、理解出来た。
「そうなるな。というか、昨日の真夜中にセトが生誕の塔が転移してきたのを察したから、この世……いや、ギルムで最初に生誕の塔を見たのは俺だと思うぞ」
危うくこの世界と言いそうになったが、それを何とか誤魔化すレイ。
ケニーはそんなレイに気が付いた様子を見せず、素直に納得した様子を見せる。
「セトちゃんなら、そういう理不尽なことを理解出来ても納得出来てしまうわね」
しみじみと呟くケニー。
それだけ、セトの存在が理不尽だと理解出来ているのだろう。
……もっとも、それは別にセトを貶しているのではなく、褒めている言葉なのだろうが。
生誕の塔という名前を口にしてもケニーが驚いた様子を見せないことから、名前については既に知らされていると理解し、そのまま話を続ける。
「そうなるな。……で? 生誕の塔についてギルドではどう扱うつもりなのか、聞いてもいいか?」
「正直なところ、それを聞くなら私じゃなくてギルドマスターに聞いた方がいいと思うんだけど……」
困った様子を見せつつ、それでもケニーはレイと話せるのが嬉しいのが、しょうがないわねといった様子で口を開く。
ただし、周囲にいる冒険者達の耳に入らないように、レイの耳元に口を寄せて小声でだが。
そのような行為をしているだけに、当然ギルドでは目立つ。
ギルドにいる冒険者の多くが、レイに嫉妬の視線を向けていた。
肉感的な美人のケニーは、冒険者達からは相変わらずの人気を持っているのだろう。
「基本的には、ダスカー様の意に沿ったような行動になると思うわ。ただ、冒険者の中には事情を知れば見てみたいと思う人もいるかもしれないから、出来れば隠したいらしいわ。……もっとも、私は直接見た訳じゃないけど、かなり大きいんでしょう? 全員に隠し通すのは難しいと思ってるらしいけど」
だろうなと、レイはケニーの言葉に頷く。
冒険者にとって、生誕の塔というのは非常に興味深く思える存在なのは間違いない。
何者かに雇われた傭兵が生誕の塔を襲ったように、金になると判断する者もいるだろう。
そして実際、リザードマンの子供や、まだ孵化していない卵といった代物は金になる存在なのは間違いなかった。
それが分かっているだけに、ギルドも出来るだけ生誕の塔に関する情報は隠したいのだろう。
「そうなると、冒険者達の誘導というか情報操作はギルドの方でもやってくれるのか?」
「そうなりそうね。ただし、そこまで大掛かりなものにはならないと思うけど」
そう告げるケニーは、少しだけレイに申し訳なさそうな顔をする。
情報操作はするが、ギルドの立場として、そこまで大々的にすることは出来ないというのが、申し訳ないのだろう。
だが、レイはそんなケニーに首を横に振る。
「気にするな。多少なりとも人数を減らして貰えばそれでいい。それに……好奇心から見学しに行く程度ならまだしも、馬鹿なことを考えた奴は相応の報いを受けることになるだろうしな」
現在生誕の塔を守っているリザードマンの中には、全力ではないとはいえ、それでもレイと互角に戦うだけの実力を持つガガがいる。
それこそ、その辺の冒険者であれば、容易に倒すことが出来るだろう。
また、ガガには劣るが普通のリザードマンよりも強いゾゾもいるし、他のリザードマンも兵士としてきちんと鍛えられている者達だ。
ギルムの冒険者でも、そう簡単に生誕の塔に忍び込むことは出来ないというのが、レイの予想だ。
ましてや、増築工事の為にギルムにやって来た冒険者程度では、それこそガガやゾゾ達の防御を乗り越えるのはほぼ不可能であるのは間違いなかった。
勿論、冒険者の中には名前が売れていないが、実は腕利きという者もいるので、絶対確実とは言えないが。
「あら、そう? レイ君がそう言うのなら、これ以上は何も言わないけど……とにかくそんな訳で、情報操作の方はあまり期待しないでちょうだい。正直なところ、ギルドマスターが立ち入り禁止区域とかに指定した方が問題は少なくなると思うんだけどね」
ケニーの提案は、レイにとっても納得出来るものだった。
少なくても、立ち入り禁止区域に指定された場合は、特別な許可があるものでなければそこに近づくことは出来なくなる。
「何で駄目なんだ? それが一番いいのなら、ワーカーもギルドマスターとして、そうすればいいんじゃないか?」
「私もそう思うけど、何か色々とあるみたいよ?」
そう言われても微妙に納得は出来ないが、それでも不満を口にしなかったのは、ワーカーがギルドの為に身を粉にして働いているのを知っているからだろう。
……冒険者の中にはワーカーが何か妙なことを企んでいるのでは? と考えている者がいるのも知ってはいたが、レイはその辺りに関して疑ったことはない。
何だかんだとワーカーともそれなりに付き合いは長いし、何よりもワーカーが本当に妙なことを考えていた場合、間違いなく前ギルドマスターのマリーナが何らかの行動に出ると分かっているからだ。
ワーカーも、当然それが分かっているだろうから、万が一にも何か妙なことを考えたとしても、それを実行に移すとは思えなかった。
「なら、取りあえず生誕の塔についての話はこれで終わるけど……トレントの森の木材の方、どうなってるか分かるか? 取りあえず今日の伐採は休みになったから、建築資材の方が足りなくなるんじゃないか?」
「そうでしょうね。樵の人達も仕事が出来ないのは困るでしょうし」
「そっちの問題もあったな」
レイがダスカーからの要望で、セト籠を使って集めてきた樵達。
それ以外にも、自分でギルムにやって来た樵達もいる。
そのような樵達は、あくまでも出稼ぎの為にギルムにやって来ているのであって、仕事が出来なければ食費や宿代のような滞在費を無駄に消費するだけだ。
ましてや、少し前までは増築工事で幾らでもトレントの森の木が必要だったので、ダスカーは少しでも多くの樵を集めようとしていた。
こうしている今も、ギルムに仕事を求めて少なくない数の樵が向かっている。
幾らかギルムで働いて資金に余裕のある樵はともかく、来たばかりで仕事がない樵というのは資金的に非常に辛い。
勿論、樵だからといって樵の仕事だけをしなければならない訳ではなく、増築工事の仕事であれば幾らでもあるのだが。
だが、樵もそうだが、何らかの専門職に就いている者はその仕事にプライドを持っている者も多い。
それだけに、樵としてやって来たのに別の仕事をやれと言われても、それを許容出来ない者もいる。
「とはいえ、その辺は自分で判断するべきなんだろうな。無理に別の仕事をやらずに、伐採の再開を待つという方法もあるんだし」
「その辺はギルドにもどうしようもないわね。自分達で決めたことなんだから。……でも、建築資材不足の件を考えると、伐採の再開はそれなりに早くなりそうよ? トレントの森の木は、建築資材としては凄く優秀だから、今回の増築工事でも重要視されてるらしいし」
「詳しいな」
「あら、この程度はギルドで働いていれば、自然と耳に入ってくるわよ?」
特に自慢をするでもなく、本当に何でもないように言うケニー。
受付嬢という仕事である以上、得られる情報は結果として多くなるのだろう。
そんなことを理解しつつも、レイはケニーとこれからのギルムやトレントの森、リザードマンや緑人についての話をするのだった。