2063話
時は戻り、セトが飛び立ったマリーナの家の中庭。
セトが簡易的な結界を突破したのを確認したマリーナは、口を開く。
「私は早速ダスカーに事情を話してくるわ。貴方達は寝ててもいいけど……どうする?」
「私も一緒に行こう。ダスカー殿と今回の件について話をするのなら、口添えを出来るだろう」
マリーナの言葉に即座にそう答えたのは、エレーナだ。
そしてエレーナが領主の館に向かうということは、当然のようにアーラも一緒に行動する。
そんな二人に対して、ヴィヘラはビューネの手を引きながら家の中に戻っていく。
「私は取りあえず寝るわ。ビューネもきちんと寝かせないと駄目だし。ただ、もし何かあったらすぐに起こしてちょうだい。こっちも相応に対処させて貰うわ」
「……ん……」
半ば寝ぼけ眼のビューネは、ヴィヘラに手を引かれるままに短く呟きながら、連れて行かれる。
まだ子供と言ってもいいビューネにしてみれば、真夜中というこの時間は起きているのが辛いのだろう。
もっとも、ダンジョンの探索中だったり、冒険者としての仕事の最中であれば、ある程度切り替えることが出来るのだろうが。
「そう、分かったわ。それで、ゾゾはどうするの?」
『私も行きます。レイ様は、そちらに戻ってくるのでしょう?』
「ええ、恐らくそうなるわ」
『では』
そう言ったゾゾは、ガガに事情を説明し……やがて疲れた表情で何かを言い、それが通訳される。
『その、ガガ兄上も一緒に行きたいと言ってるのですが』
「え? ガガも? ……そう言っても、ガガが乗れるような馬車は……」
マリーナは、自分だけで行くのであれば馬車を使うのではなく、走って行こうと思っていた。
だが、エレーナが行くということで馬車で移動することになるのだが、ガガが一緒に行くとなると、馬車に全員が入るかどうかは難しい。
とはいえ、レイが向かったのはトレントの森。
つまりは、グラン・ドラゴニア帝国が関係している可能性も十分以上にある為、その第三皇子たるガガを連れていくのはそう悪い選択ではないと思えたのだ。
……もっとも、唯一にして最大の問題はガガが馬車に乗れるのかということだったが。
「ともあれ、馬車を用意してみよう。もし駄目なら、ガガには歩いて移動して貰うか、専用の馬車が来るまで待って貰う必要があるか?」
『それで構わないと。いざとなれば歩いて移動すると、そう言っています』
ゾゾの通訳でガガの答えを聞いたエレーナは頷き、アーラに視線を向ける。
何も言わずとも、視線だけで全てを理解したアーラはすぐに馬車の準備をし……
「意外と何とかなるものなのだな」
馬車にガガが乗ったのを見て、そう告げる。
もっとも、エレーナの乗っている馬車はケレベル公爵が専用に作らせた代物で、空間魔法によって内部空間が拡張されている。
そのおかげで、ガガも無事に乗ることが出来たのだ。
馬車に乗り込む時は、ガガもかなり苦戦したのだが。
『これは……一体……?』
明らかに外から見回した馬車よりも広い内部空間を見て、ゾゾは驚く。
いや、それはガガも同様で、物珍しげに馬車の中を見回していた。
(グラン・ドラゴニア帝国には、空間魔法の類が存在しないのか? もしあるのなら、第十三皇子のゾゾはともかく、第三皇子のガガは見たことがあってもおかしくはないのだが)
そんなゾゾとガガを見ながら、エレーナは疑問を抱く。
御者を務めるアーラによって、現在馬車は領主の館に向かっていた。
幸いなことに、窓から見た限りではギルムの住人は殆ど外にいない。
いても、酔っ払ってふらついているような者達だけだ。
どうやらセトの鳴き声もここまでは聞こえてこなかったらしいと知り、エレーナは安堵する。
「ダスカー殿は、今頃大慌てだろうな」
「そうね。いきなり結界が破られたんだもの。……もっとも、その辺は事情を説明すればダスカーならすぐに納得するわよ」
小さい頃からダスカーを知っているからこそ、ダスカーの能力については、マリーナも十分に理解していた。
そうして話す二人だったが、その中にはどうしても不安がある。
レイの実力と、更にはセトも一緒にいるのだから、戦力的には全く問題ない。……イエロも、一応その頑丈な身体で盾代わりになるかもしれないので、戦力に入れても構わないだろう。
それでも、やはり愛する男のことである以上、心配なのだ。
いつもであれば、そこまで心配することはない。
だが、今夜の一件は真夜中にセトが周囲に響き渡る程の鳴き声を上げるといったことがあったのだ。
とてもではないが、普通の出来事ではない。
つまり、それだけの危険がある可能性が高いのだ。
「……そう言えば、このまま起きているとなると、明日は大変そうね」
自分達の間に漂っている重い空気を切り替えようと、半ば無理矢理マリーナが話題を変える。
エレーナも、そんなマリーナの気遣いに頷いて口を開く。
「私は、一応明日……いや、今日か? ともあれ、午前中に貴族との面談が一件あるだけだが、マリーナの方は私よりも大変なのではないか?」
「そうね。増築工事をやっていると、どうしても怪我人が出るし。……中には、喧嘩をして怪我をするような人もいるけど」
「それは騎士団でも同様だな。そうやって親睦を深めていくことも多い」
『ガガ兄上の部隊は、そのようなことはないのですが……皆、ガガ兄上に心酔してますので』
エレーナとマリーナの会話に、ゾゾが入ってくる。
そんなゾゾの言葉に、ガガを見る二人。
いきなり見られたガガは、言葉が分からないだけに、不思議そうに視線を返すだけだ。
そしてゾゾから何故自分が見られているのかを聞くと、自慢げに笑みを浮かべる。
そんなやりとりをしながらも馬車は進み……やがて、領主の館に到着した。
当然のようにこんな真夜中に馬車で来た相手となれば、門番達も警戒する。
だが、御者をやっているのがアーラで、更にはエレーナ、マリーナ、ゾゾ、ガガという面子が揃っているとなれば、まさか追い返す訳にもいかない。
ましてや、マリーナから結界の件について話があると言われれば、ダスカーに知らせないという選択肢は存在せず……一行は訓練場で面会することになる。
当然のように、それはガガが屋敷の中に入るのが難しかったからだ。
無理をすれば入れるのだろうが、それだとガガは窮屈な思いをすることになる。
それよりは、やはりゆっくりと出来る場所で話をした方がいいという判断だ。
……本来なら、春であっても真夜中ともなれば寒いのだが、マリーナの精霊魔法を使えばその辺はどうとでもなる。
実際に、訓練場は夜とは思えない程に快適な気温となっていたのだから。
「さて、それでこんな時間に……それも、こんな状況で来た理由は何だ? 結界に関係あるという話だったが?」
若干不愉快そうな様子で尋ねるダスカー。
ダスカーにしてみれば、夜中にいきなり結界を破られたということで叩き起こされ、情報を集めて対処しようとしていたところに、いきなりマリーナ達がやって来たのだ。
その上で結界に関係のある話となれば、今回の一件にマリーナが関わっていない筈もなく、不機嫌になるなという方が無理だった。
「ええ。単刀直入に言うわ。結界を破ったのはセトよ」
「……つまり、レイか?」
ダスカーも、セトが勝手に結界を破るとは思っていない。
つまり、誰かがそれをするように指示したのであり、セトにそのような指示が出来る者となれば、一人しかいない。
「ええ」
マリーナも、ダスカーのその言葉にはあっさりと頷く。
だが、ダスカーの立場としては、それを放っておく訳にもいかない。
「マリーナには言うまでもないだろうが、結界ってのは空からモンスターがギルムの中に入らないように張っている代物だ。特に今は、増築工事をしている最中で結界も弱まっている。……それを知った上で、今回の件なのか?」
「そうよ。実は今日……という表現が相応しいのかどうかは分からないけど、真夜中にいきなりセトが大きな鳴き声を上げたのよ。それも、ちょっと今まで聞いたことがないくらいの」
「……何があった?」
ダスカーも、セトのことはそれなりに知っている。
普段はあまり接することはないが、以前ベスティア帝国との戦争や武道会に参加する時には一緒に行動もした。
また、ギルドからの報告も上がってきていて、それを読むことも多い。
それだけに、セトが何の意味もなくそんなことをするとは、到底思えなかった。
「詳しくは分からないわ。ただ……セトが一ヶ所をじっと見ていたのは間違いないわね。そして見ていた方角にあるのは……」
そこで一旦言葉を切ったマリーナは、ゾゾとガガに視線を向けてから、再度口を開く。
「トレントの森」
マリーナの様子を見れば、何を考えたのは容易に理解出来る。
そして、ゾゾとガガがいるのも、この場合は明確な証拠となるだろう。
「トレントの森で何かあったのか?」
「確実にとは言えないけどね。……ただ、セトの様子を見ればそう思ってもおかしくないわ。ダスカーもセトが色々な意味で規格外な存在だというのは、知っているでしょう?」
そう言われれば、ダスカーとしてもその言葉を否定は出来ない。
実際にセトがどれだけの能力を持っているのかというのは、それこそ幾つもの報告を読んだり、何よりも自分の目で見て知っているのだから。
「そうだな。それは否定出来ない。特に今は、トレントの森で何が起きてもおかしくはないからな」
ダスカーはゾゾとガガを一瞥してから、そう告げる。
実際に、リザードマンや緑人が毎日のように転移してきている以上、今の状況で何が起きても不思議ではない。
……とはいえ、そうなると今度は一体どのようなことが起きているのかということを、疑問に思ってしまうが。
「取りあえず、俺の方からもトレントの森に人をやった方がいいか?」
「そう、ね。そうしてくれると助かるわ。ただ、トレントの森では何が起きるか……いえ、起きているのか分からないのよ? だとすれば、冒険者を一緒に連れていった方がよくない?」
「それは否定しないが……」
これは、ダスカーの部下の騎士の技量が信用出来ないから……ではなく、単純に適性の問題だ。
騎士は戦闘には強いし、もしトレントの森に転移してきたリザードマンが襲い掛かってくるような真似をするのであれば、対処するのは難しくはない。
だが、戦闘以外で何かが起こっていた場合は、冒険者の方が対処しやすいというのも、また事実だった。
この辺は、冒険者が普段から多種多様な依頼を受けているというのが大きい。
とはいえ、ダスカーがマリーナの提案にすぐ頷けないというのも、理由があってのことだ。
これが夜になったばかりの頃であれば、冒険者を用意するのもそこまで難しくはないだろう。
しかし、今は真夜中だ。
それこそほぼ全ての者が寝ていてもおかしくないような程の。
それだけに、今の状況で冒険者を用意するというのは難しかった。
それも、今の状況を考えると能力的にも性格的にも信用出来る相手である必要がある。
「難しいな。取り合えず、今は騎士と兵士を数人トレントの森に向かわせる。それと、ギルドの方にも連絡を入れた方がいいな。明日……いや、もう今日か。今日のトレントの森の伐採は、出来なくなる可能性もある」
ダスカーの言葉には、苦々しい色があった。
増築工事中のギルムにおいて、トレントの森の木を使った建築資材は幾らあっても足りない。
毎日のように樵が伐採しているが、それでも需要に供給が追いつくかどうかといったところなのだ。
一日伐採の仕事を休めば、それは間違いなく増築工事の進行状況にも影響してくる。
数年がかりで行われる仕事である以上、ここで一日や二日遅れたところで、そこまで大きな影響がないのは間違いない。
それでも、ダスカーの立場としては出来るだけ工事を遅らせるような真似はしたくなかった。
とはいえセトが何かを感じた以上、苦渋の決断ではあるが、やはり木の伐採は暫くの間は中止をする必要があるかもしれないと、そう判断する。
「ダスカーの気持ちも分からない訳じゃないけど、トレントの森で現在何が起きているのかを調べる方が先よ」
『レイ様の下に行くのであれば、私も行きたいのですが』
マリーナとダスカーの言葉を聞いていたゾゾが、石版に書かれた文字でそう主張する。
ゾゾにしてみれば、レイに置いていかれたのはあくまでもゾゾが空を飛ぶセトについていけないからだ。
だとすれば、空を飛ぶ以外の方法でトレントの森に……レイのいる場所に向かうというのなら、それに同行したいと思うのは当然だった。
「いや、しかし……」
「行かせたら? もしトレントの森で何かがあって、その理由がグラン・ドラゴニア帝国だっけ? そうなら、ゾゾは役に立つでしょうし」
マリーナにそう言われ、エレーナからもそうした方がいいのでは? と言われてしまえば、ダスカーとしても最終的には頷くことしか出来なかった。