2060話
「あら、レイ。お帰り」
ちょうど料理を持ってきたマリーナが、笑みを浮かべてそう告げてくる。
満面の笑みを浮かべているのは、ダスカーからそれだけ多くの食費を貰って――奪って――来たからか。
手に持っている皿には、山鳥を丸々一羽、焼き上げた料理があった。
香草や香辛料の類を使っているのか、食欲を刺激する香りが周囲に漂う。
「ああ。……その料理は、随分と美味そうだな」
「そうね。ガガと、ちょっと遅れたけどゾゾの歓迎会をやろうと思って、少し豪華な料理にしたのよ」
「あー……うん。程々にな。ダスカー様も、精神的に消耗しているらしいし」
「前向きに善処するわ。それより、そっちは放っておいていいの?」
マリーナの視線を追うように視線を向けたレイが見たのは、嬉しそうに……本当に嬉しそうな視線をガガに向けているヴィヘラの姿。
「そうだな。出来れば何か言った方がいいと思うんだけど……ヴィヘラが止まると思うか?」
「止めた方がいいんじゃない? それに、これから歓迎会なんだから、埃が立つのは止めて欲しいし」
その言葉に、レイは改めて視線をヴィヘラに向ける。
マリーナから話を聞いていた為だろう。
ヴィヘラにしてみれば、強敵がいるということそのものが嬉しい。
何しろ、曲がりなりにもレイと渡り合えるだけの実力を持っているのだ。
そういう意味で、現在マリーナの家にいる中でガガの存在を最も歓迎しているのは、ヴィヘラなのだろう。
「ヴィヘラ、その辺にしておいてくれ。今は、まず歓迎会をやろう」
「……そうね。戦いは食事の後で、ということかしら」
レイの言葉に、ヴィヘラは若干渋々ではあったが、納得したように頷いた。
ヴィヘラも今日一日働いた以上、当然のように空腹だというのが大きい。
また、こうして料理が多く揃っている場所で暴れ……もしテーブルを引っ繰り返すような真似をしてしまった場合、ビューネが悲しむというのもあった。
だからこそ、レイの言葉に大人しく従ったのだ。
『レイ様、ガガ兄上に事情を説明したところ、食事が終わった後でなら模擬戦をしても構わないと』
「だ、そうだぞ」
石版をヴィヘラに見せながら告げるレイの言葉に、ヴィヘラは嬉しそうに……それこそ、心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
その笑みは、種族が違う……いや、そもそも文字通りの意味で住んでいる世界が違うガガですら、目が奪われるくらいに美しい笑みだった。
ヴィヘラの笑みを見たガガは、ゾゾに何かを言う。
するとゾゾが驚き、それに何かを言い返し……やがて、ガガは酷く残念そうな表情を浮かべる。
一体何があった? と疑問を抱くレイだったが、ともあれ今はそんなことよりも、マリーナが作ってくれた歓迎会の料理が待っている。
(俺が言うのも何だけど、これだけいて料理が出来るのがマリーナだけってのは……俺も含めてどうなんだ?)
冒険者としての仕事で野営をする時に、簡単な料理を作ることはある。
それこそ、干し肉を茹でて塩や、その辺りに生えている食べられる野草を入れて簡単なスープを作ったり、といった具合に。
……レイの場合は、そんなことをしなくてもミスティリングの中に大量の料理が入っているのだが。
ともあれ、レイも含めてマリーナ以外の面々は、料理という点で大きく劣る。
その証が、歓迎会ということでテーブルの上に並べられている料理の数々だった。
もっとも、今日ここまで豪華な料理になったのは、マリーナがダスカーからガガの食費として貰ってきた軍資金があったからこそだが。
「さて、じゃあ全員揃ったことだし、始めるか」
そう言ったのは、エレーナ。
アーラの方はガガを若干警戒の視線で見ていたが、エレーナは興味深げに眺めるだけだ。
「始めるにしても、ガガの椅子はどうする? ……俺達が使っている椅子は絶対に壊れるぞ? いや、それ以前に座れないか」
当然の話だが、レイ達が使っている椅子はマリーナの家にある椅子だ。
ゾゾくらいの大きさであれば。まだ座ることも出来るが、身長三m程で、筋骨隆々という言葉が相応しいガガにとっては、そのような椅子は玩具にすぎない。
もしガガが椅子に座れば、確実に壊れるだろう。
「ああ、それなら……」
料理をテーブルの上に置いたマリーナは、土の精霊に頼んでテーブルの近くの土を盛り上げる。
その土の上に、予備のテーブルクロスを敷けば、簡易的ではあるが椅子が出来上がった。
それを見て、再び驚くガガ。
「ゾゾ、一応聞くけど、リザードマンの中に魔法使いとかはいないのか?」
『います。ですが、種族的なものなのか、数はかなり少ないです』
レイが知ってる限りでも、リザードマンの魔法使いというのはあまりいない。
それは、この世界でも異世界でも、リザードマンには魔法使いが生まれにくいということなのだろう。
もっとも、人間も魔法使いとして一人前になるだけの実力の持ち主はかなり少ない。
それでも総合的に見て人間の魔法使いが多いように見えるのは、純粋に母数が多いからこそだ。
この辺りは、何気にゴブリンやコボルト、オークといった数が多いモンスターも当て嵌まっている。
「そうか。……まぁ、リザードマンは純粋な身体能力が人間よりも高いしな。どうしても、魔法よりも実際に身体を動かすように力が向くんだろ」
『レイ様に言われると、素直に頷けないのですが』
土とテーブルクロスで作った臨時の椅子に座るガガを見ながら、ゾゾが告げる。
ゾゾにしてみれば、ガガと一対一で互角に戦い……いや、それぞれが本当の――奥の手を使うという――意味ではないにしろ、純粋に身体能力でレイがガガに勝ったというのは、到底信じられないことだった。
何しろ、ガガの身体能力は、ゾゾが知っている限りではグラン・ドラゴニア帝国の中でも最高峰だ。
ガガの半分くらいの身長しかないレイが、そんなガガを相手に身体能力で勝ったのだ。
勿論、ゾゾはレイの強さに惹かれて従っている以上、レイがガガに勝ったというのは非常に嬉しい。
嬉しいのだが、それでも今のレイの言葉に素直に頷くことは出来なかった。
だが、レイはそんなゾゾの様子に気が付いた様子はない。
マリーナの作った料理に目を奪われている為に。
「グルゥ!」
「キュ!」
セトとイエロの二匹も、そんなレイと同様にお腹空いた! と鳴き声を上げる。
「ん」
ビューネも、早く料理を食べたいといった雰囲気を醸し出す。……相変わらず表情は変わらないが。
そんな様子を見て、そしてガガが若干恐る恐るといった様子で椅子に座ったのを確認すると、マリーナはそれぞれの前に冷たい果実水の入ったコップを置く。
この冷たさもまた、マリーナの精霊魔法の効果だった。
「じゃ、レイ。乾杯の音頭をお願いね」
「俺か?」
「当然でしょう? 紅蓮の翼のリーダーはレイなんだから」
そう言われたレイだったが、この場にはエレーナ、アーラ、ゾゾ、ガガといった具合に、紅蓮の翼のメンバー以外の者も多い。
いや、半分近くが違うと言ってもいいだろう。
そんな状況で自分が乾杯の音頭を? と思わないでもなかったが、よくよく考えてみれば新顔のガガを含めて、この場にいる全員と関わりがあるのはレイだけだ。
であれば、やはり自分が乾杯の音頭をするしかないと判断し、果実水の入ったコップを掲げる。
「ゾゾとガガがやって来たことと、出来ればこれ以上は何も問題が起きないことを願って……乾杯!」
『乾杯』
レイの言葉に、ゾゾとガガ以外の者達がコップを掲げる。
それを見て、ゾゾとガガも真似をし、コップを掲げた。
……もっとも、ガガの手にあるコップは小さすぎて、玩具のコップのように思えたが。
冷たい果実水を皆が飲み、コップをテーブルの上に置く。
「ガガのコップを買わないといけないわね。特注になるから高いでしょうけど」
そう言いながらも、マリーナの表情に浮かぶのは笑みだ。
何故なら、食費だけではなく、ガガの生活に使われる資金はダスカー持ちなのだから。
どうせなら、飛びきりの高級品でも買おうかと、マリーナは考える。
実際、ガガはグラン・ドラゴニア帝国の第三皇子である以上、ギルムにいる間も相応の生活をさせる必要があった。
そういう意味では、高級なコップを購入しても、それは必要経費だろう。
「あまりダスカー様の胃を痛めつけるなよ」
若干の呆れと共にそう告げ、レイはテーブルの上の料理に手を伸ばす。
真っ先に選んだのは、山鳥の丸焼き。
レイがここに来た時から、食欲を刺激する香りを出し続けていた料理だ。
ナイフを使って山鳥を切り分けると、その内部に入っていた山菜や木の実が零れ出す。
内部だからこそ、それらの具材にもしっかりと肉の旨みが乗り移っており、それがまた一段と食欲を刺激する。
『おお』
レイが切り分けた山鳥を見ていた他の者達の口から、感嘆の声が出た。
大皿で切り分けられ、レイの持つ皿に取り分けられた料理は、それだけ美味そうだったのだ。
「これは、また……凄いわね、マリーナ。これも作ったの?」
レイが心の底から美味そうに食べているのを見たヴィヘラが、マリーナに尋ねる。
そんなヴィヘラの様子に、マリーナは笑みを浮かべて頷く。
「そうよ。少し時間が掛かる料理だから、精霊魔法を使って時間を短縮したんだけど……美味しいでしょ?」
「ああ、美味い外側はカリッと焼かれているのに、肉は火が通りすぎていなくて柔らかくて、なのに中に詰められている具にはしっかりと火が通っている」
レイの常識では、中の具にまでしっかりと火を通すとなると、長時間肉を焼き続ける必要がある。
つまり、肉の方に火が通りすぎてパサパサになるのではないか、と予想が出来た。
だが、この山鳥は肉は非常に柔らかく、中身の山菜や木の実はしっかりと肉汁が染みこんでいるのだ。
レイの料理の知識では、とてもではないがこのように調理出来るとは思えない。
(精霊魔法を使って調理したって話だったし、そのおかげか? ……一体、どんな調理をしたのかは分からないけど)
元々、レイは日本でも料理をしたことはない……とは言わないが、普通の高校生と同じ程度の調理技術しかない。
いや、田舎に住んでいただけに、自然の恵みを食べることは多かったので、若干平均よりも上の可能性はあるが。
とはいえ、それはあくまでも若干でしかない以上、どうやればこのような料理が出来るのかというのは、全く想像出来なかった。
(蜂蜜を塗って焼けば、外側はパリッとした食感になるんだっけ? TVで北京ダックの特集をしている時、そんなのを見たことがあるような、ないような。……とはいえ、それはあくまでも外側で、内側もこんな風に調理できるのかどうかは、分からないけど)
少しの間はそんな風にマリーナがどうやってこの料理を作ったのかを考えていたが、その料理を味わっていると、次第にそんなことはどうでもよくなってくる。
今は、ただひたすらにこの料理を味わっていたい。
そんなレイの様子を見て、他の者達も山鳥の丸焼きに手を伸ばし、それぞれが美味いと口にする。
魚が好きなゾゾもまた、そんな山鳥の料理に舌鼓を打ち、ガガも興奮した様子で何かを言っていた。
具体的に何を言っていたのかは、レイにも分からない。
分からないが、それでも美味いと口にしているのは上機嫌で理解出来る。
「ふふっ、喜んで貰えて何よりよ。……でも、他の料理も美味しいと思うから、食べてみてね」
山菜とオーク肉を炒めた料理を食べながら、マリーナは満足そうに言う。
マリーナにしてみれば、自分の作った料理をここまで喜んで食べて貰えたというのは、非常に嬉しいのだろう。
また、高価な食材を惜しげもなく――ダスカーの金で――使うことが出来たというのも、この場合は大きい。
「こっちのシチューに使われているのは……これも山菜か? ちょっと食べたことがないのだが」
山鳥の丸焼きの骨休めにと、シチューを食べたエレーナが、少し驚いたように言う。
基本的に山菜というのは、その風味を楽しむという一面が強い。
だからこそ、シンプルな料理が多いのだ。
だというのに、シチューという濃厚な味付けの料理に山菜を使えば、その味を活かせないのではないかと、そう思うのが普通だ。
だが、マリーナのシチューは山菜の風味を十分に活かした代物となっていた。
一体どのように料理すればこのように山菜の風味を活かしたシチューになるのか、エレーナには理解出来なかった。
そんなエレーナの様子を見て、レイもまたシチューを食べてみる。
「これは……美味いな……」
レイが日本にいた時に住んでいたのは、東北の田舎で、近くに山のある場所だ。
それだけに、春になれば様々な山菜を採ったりもしたが、それらの山菜を使っても、一体どうすればこのようなシチューが出来るのか、全く想像出来なかった。
そんなエレーナやレイ、他の面々の様子をマリーナは笑みを浮かべて眺める。
こうして、歓迎会は楽しいままに終わり……その後、ヴィヘラは早速ガガとの模擬戦を楽しむのだった。