2059話
ファングボアを倒した後は、特に何らかの異変はなかった。
探していた緑人達も、結局見つけることが出来なかったのだ。
それでも木々の伐採が進んだのは、増築工事としてはいいことだったのだろう、
結局その日はガガの一件以外は特に何か起こることもなく、無事に仕事が終わった。
……ガガの一件だけで、十分に大きな出来事だったのだが。
ともあれ、そうして仕事を終えたレイ達はギルムに戻り、解散となる。
とはいえ、レイの場合は解散した直後にダスカーの部下がやってきて、領主の館に向かうことになってしまう。
レイも何故連れて行かれるのかというのは知っていたので、特に驚いたり抵抗したりといったことはしないまま、領主の館に向かう。
また、当然のようにそんなレイの側にはセトとゾゾの姿もあった。
そうして領主の館に到着すると、セトは真っ直ぐ庭に向かい、レイとゾゾが通されたのはパーティを行う大広間……ではなく、騎士達が訓練をする場所。
何故そんな場所に? と思ったレイだったが、そこに行ってみればガガとダスカーの部下の騎士や兵士達との模擬戦が行われていた。
「あー……うん。まぁ、ガガの性格を考えれば、この展開は予想しておくべきだったか」
三m程の、リザードマンの巨人とも呼ぶべきガガが模擬戦用の武器を振るうと、その一撃を受けて騎士や兵士が吹き飛んでいく。
騎士や兵士にとって幸いだったのは、ガガの持つ武器が本来の武器たる大剣ではなく、模擬戦用の武器だったことだろう。
もっとも、模擬戦用の武器であっても金属で出来ているのは違いない。
打撃武器としては十分に効果的な代物だ。
それでもガガの手加減のおかげか、レイがざっと見た限りでは死んでいる者は勿論、大きな怪我を負っている者の姿もない。
「意外に、手加減が上手いんだな」
『はい。ガガ兄上は部下の訓練も頻繁に行ってますので。ガガ兄上が部下から慕われているのは、その辺もあるかと』
「……普通、厳しい訓練をする奴ってのは嫌われるんだけどな」
ゾゾの持つ石版に書かれた文字を見て、レイはしみじみと呟く。
鬼教官といった言葉があるように、厳しく訓練をする相手というのは好かれるといったことはない。
寧ろ、憎悪すらされてもおかしくはないのだ。
(もしかして、リザードマンはその辺の意識が俺達とは違うのか?)
こう考えるレイだったが、俺達と口にしても、実際にはレイそのものが一般人と同じとは到底言えない。
『それでも、ガガ兄上が部下のことを思っての訓練であると、皆が分かっているからでしょう。……単純に、ガガ兄上が戦いを好むというのもあるでしょうが』
そんな会話をしていると、騎士や兵士との訓練が一段落したガガが、レイとゾゾの存在に気が付く。
「レイ、ゾゾ」
え? と。
ガガの口から出た言葉に、レイは驚く。
明らかに、ガガの口から出たのは自分達の名前だ。
いや、ゾゾだけであれば、元々ガガはゾゾの兄ということでその名前を知っていたのだから、こうして呼んでもおかしくはないのだが……
『ガガ兄上はその性格から誤解されることも多いですが、頭は決して悪くありません。それどころか、かなり良いと言ってもいいです』
ゾゾの言葉が石版に翻訳され、レイは改めてガガを見る。
筋骨隆々という相手は、この世界に来てから何人も見てきた。
だが、身長三mに及ぶ者は……少なくても人間ではいない。
サイクロプスやスプリガン、オーガといったモンスターくらいか。
(あ、いや。でもリザードマンもモンスターなんだよな。話が通じるから、すっかり忘れてたけど)
異世界のモンスターという認識がレイにあるのも、この場合は大きいのだろう。
それだけに、レイとそれ以外……リザードマンや緑人達がやって来ているのが別の世界だとは知らず、恐らくは他の大陸だろうと思っている者とでは、大きく認識が違っていた。
ともあれ、自分の名前を呼んで手を振っているガガを見れば、レイとしても何らかの行動を返す必要があり、応じるように手を振る。
「ゾゾ、行くぞ」
レイの言葉にゾゾは頷く。
……実は石版を見ずにレイの言葉に頷いたのだが、ガガを見ていたレイは気が付かない。
この辺りは、ゾゾもガガ程ではないにしろ、高い知能をもっているということなのだろう。
もしくは、今日トレントの森でファングボアと遭遇した時、レイとの意思疎通に失敗したことが大きかったのか。
ともあれ、ゾゾは自分が仕えるレイを危機に晒したことを残念に思い、今まで以上にこちらの言葉や文字を覚えようとしていた。
そんな決意をしているとも知らないレイは、嬉しそうに手を振り……何を思ったのか、模擬戦用の大剣を振り回しているガガの姿に呆れを抱く。
(本当に頭がいいのか? いや、俺の名前をしっかりと呼んだし)
それは分かっているのだが、それでもガガの態度を見ていれば、本当に頭が良いのかと言われても首を傾げざるを得ない。
せめてもの救いは、ガガの持っている大剣が小さいということか。
大剣なのに小さいというのは矛盾しているようにも思えるが、これはガガの身体の大きさからくる錯覚だ。
ガガがこのトレントの森に転移した時に持っていた大剣は、それこそレイの目から見れば大剣ではなく金属の塊のようにも見える代物だった。
勿論、しっかりと刃はあり、大剣の形をしていたのだが。
とにかく大きさのインパクトが強く、だからこそ金属の塊のように見えたのだろう。
そんなガガだけに、普通の大剣を持ってもどうしても小さく見えてしまう。
「レイ」
ガガの口から、再度レイの名前が出た。
とはいえ、この短時間で他にも色々と言葉を覚えるというのは難しく、それ以外の言葉は理解出来なかったが。
『レイ様、ガガ兄上が模擬戦をやらないかと』
「あー……なるほど。こういう性格だから、頭が良くても誤解してしまうんだろうな」
まさか、レイも再会していきなり模擬戦を挑まれるとは思わなかった。
ガガにとって、それだけレイとの模擬戦が面白かったということの証なのだろうが。
とはいえ、仕事が終わったばかりのレイにそんな元気はない。
いや、やろうと思えばやれるのだろうが、これからガガをマリーナの家に連れて行く必要がある以上、出来るだけ早く移動したかった。
何しろ、ガガの外見を考えれば普通に歩いて移動させる訳にはいかない。
トレントの森から移動してきた時のように、馬車に乗って移動する必要があった。
(というか、ガガを見せればガガも俺の従魔扱いになりそうなんだよな)
ただでさえ、セトの他にゾゾを連れて歩くことになって目立っているのに、そこにガガまで加われば、悪目立ちしすぎる。
……もっとも、ガガについては当然のように今日中には情報が広がるだろうというのは、レイも予想している。
トレントの森でレイと模擬戦をした時、あれだけ大勢の前に姿を現したのだから。
既に解散した以上、今頃は酒場で冒険者や樵達が、ガガの一件を広めているのは間違いない。
あるいは、娼婦に寝物語で話しているか。
ともあれ、ガガについての情報……もしくは噂が広がるのは、間違いのない事実だ。
だからこそ、レイはガガを連れ歩きたくないのだが。
「ともあれ、模擬戦は後回しだ。マリーナの家……俺が住んでいる家に向かうぞ。許可はもう取ってあるから。……あ、料理はどうすればいいんだ? マリーナがダスカー様から食費を貰っていくって言ってたけど……」
「レイ」
レイの呟きが聞こえたのか、近くにいた騎士がどこか達観した様子でレイの名前を呼ぶ。
そんな騎士の様子を見たレイは、何となく事情を理解してしまった。
恐らく……いや、ほぼ間違いなく、マリーナの襲撃によってダスカーは金を奪われたのだろうと。
「被害は?」
「ダスカー様の精神的な被害以外は、特にない。……幸いなことにな」
「あー、うん。何となく予想出来た」
マリーナは、ダスカーが小さい頃から知っている。
それだけに、いわゆる黒歴史と呼ぶべきものを多く知っているのだ。
レイが知ってるだけでも、子供のダスカーがマリーナにプロポーズした、というのがある。
ダスカーにとっては、それ以外にも様々な黒歴史を握られている以上、基本的にマリーナには逆らえない。
それがギルムの運営に関わることであれば、話は別なのだが。
ともあれ、騎士の様子からマリーナがしっかりとガガの食費を奪って……否、徴収していったことは理解出来たので、マリーナの性格から考えて今頃は歓迎会という訳ではないが、何らかの料理を用意しているのはほぼ確実だった。
「ともあれ、それなら真っ直ぐに家に帰るか。……ゾゾ、ガガ、行くぞ!」
レイの呼び掛けに、何かを話していたゾゾとガガは頷くのだった。
「ここがこれからガガが住む家だ。……住むんだよな? 今日だけじゃなくて」
マリーナの家の前で馬車から降りると、レイは同じく馬車から降りてきたガガにそう告げる。
そんなレイの言葉をゾゾは石版で翻訳し、ガガに告げると……質問されたガガは、当然だといったように頷く。
レイとしては、出来ればここに住まないで他のリザードマン達と同様に領主の館に住んで欲しいという思いがあった。
だが、ガガにしてみればレイというのは最低でも自分と同等……ほぼ確実に自分以上の力を持っている相手であり、そういう意味ではここで見逃すという選択は存在しない。
また、ゾゾが持つ石版の力も非常に有用だということがある。
石版がない状態では意思疎通をするのは難しいが、ゾゾがいれば石版越しであるとはいえ、楽に意思疎通が可能だ。
……石版がなくても、ガガならそのうち言葉を理解出来るようになるだろうと、ガガの頭の良さを知った今では、レイにはそう思えるのだが。
ともあれ、マリーナの家に到着すると、馬車の御者に軽く挨拶をして別れた後で、屋敷の敷地内に入る。
一瞬、マリーナの家を守っている精霊がガガをどう判断するのかと心配したレイだったが、レイやゾゾと一緒にいるからか、それともマリーナの方で手を打っていたのかは分からなかったが、特に問題なく家の敷地内に入ることが出来た。
(いやまぁ、見知らぬ相手は全て排除するようになっているとなると、マリーナの家に来る相手は全員顔見知りじゃないといけなくなるから、門から玄関までは誰でも通れるのかもしれないけど)
マリーナの家は、他の貴族の屋敷に比べると決して大きくはない。
門から玄関の扉までだって、すぐに到着する。
そんな場所であれば、誰が入ってきても特に問題ないようにしてあってもおかしくはなかった。
家の敷地内に入ると、玄関には向かわずに中庭に向かう。
ガガもそんなレイの様子に、特に疑問は持っていないらしい。
玄関の扉の大きさを考えれば、ガガは自分が家の中に入るのは無理だと判断した為か。
ともあれ、レイ達は中庭に向かったが、そこでもやはり精霊に攻撃されるといったことはなかった。
レイやゾゾだけではく、ガガも含めて。
そして中庭に入ると、不意に周囲の雰囲気が変わる。
それは、精霊によって中庭が快適にすごせるように調整されているからなのだが、慣れているレイや、これが初めてではないゾゾはともかく、ガガは中庭に一歩入った瞬間に驚愕の表情を浮かべて周囲を見回す。
精霊を感じる力がガガにあったのかどうかは分からないが、それでも周囲の様子が一変したというのは感じることが出来たのだろう。
そして、レイは精霊ではなく漂ってくる匂い……食欲を刺激する匂いと、何より庭にテーブルが用意され、料理の皿が次々と運ばれてくることに驚く。
レイ達が到着するタイミングで、こうやって出来たての料理が用意されているというのは、あまりにタイミングがよすぎたからだ。
もっとも、レイはそれを恐らくマリーナの精霊魔法によるものなのだろうと判断したし、事実そうでもあったのだが。
中庭の光景を見て、ガガは嬉しそうに何かを言う。
その言葉の意味は分からなかったが、ガガが真っ直ぐにテーブルを見ており、その視線がテーブルの上の料理に釘付けになっていれば、何を言いたいのかはすぐに分かった。
(ガガもやっぱり魚が好きなのか?)
レイが知ってる限りでは、ゾゾは魚を好んでいた。
いや、それは既に好んでというよりも、執着していると言ってもいいくらいに。
だからこそ、同じリザードマンとしてガガも魚を好むのかと思ったのだが、テーブルの上にはそれなりに大きな魚の塩焼きと思われる料理もあるが、ガガの視線はテーブルの上にある様々な料理に向けられていた。
(うん、取りあえず魚が大好きって訳じゃないみたいだな。……まぁ、ゾゾとガガを見比べる限り、リザードマンはリザードマンでも、とても同じ種族には見えないけど)
そのように思いながら、セトとゾゾ、ガガを従えて庭を進むのだった。