2058話
診療所を出たレイは、ガガの滞在についての許可は貰えたとゾゾに告げ、そのままトレントの森に向かう。
既に何度もやっている為に、ゾゾと一緒にセトの背に乗るといったことにも慣れていた。
……もっとも、途中で街道を歩いている者達に、一体何だ? といった視線を向けられることは避けられなかったが。
空を飛ぶよりは時間が掛かったが、それでも馬や馬車で移動するよりは短時間で、トレントの森に到着する。
「お、戻ってきたな。話は聞いてる。取りあえず問題はなかったみたいだな」
レイの姿を確認した冒険者が、そう声を掛けてきたのに、レイは頷きを返す。
「そうだな。正確にはちょっと問題がなかった訳じゃないけど、大筋は問題なかった」
「あー……うん。その話も聞いてる。頑張れ」
同情するように冒険者がレイに告げると、近くにいた他の冒険者達もレイを励ます。
三m程の巨体で、戦闘を好み、その身分はグラン・ドラゴニア帝国の第三皇子。
色々な意味で、特殊な存在なのは間違いない。
そんな相手を自分の住んでいる場所に居候――という表現が正しいのかどうか、レイは分からなかったが――させなければならないというのは、他の者達にしてみれば同情するのに十分だった。
もっとも、レイ本人はそこまで気にしてはいない。
家主のマリーナから許可、というか半ば諦めといった様子を見せていたのだから。
レイはガガとそれなりに気が合っているので、マリーナの家にガガがいても特に気にしない。
ヴィヘラは強敵ということで、寧ろ歓迎するだろう。
マリーナもレイから聞かされているので、反対しないのは間違いない。
そうなると、残るのはエレーナ、アーラ、ビューネの三人。
(うーん……エレーナはともかく、アーラは反対しそうだな)
ゾゾの件でも、アーラは決して完全に納得している訳でもなかった。
だが、ゾゾがレイに完全に従っているというのは見て分かった為か、色々と思うところはあれども沈黙を守ったのだ。
そこにガガが来れば……尊敬し、敬愛しているエレーナがいる場所に、ガガやゾゾといった、言ってみれば得体の知れない相手がいるというのは、とても許容出来ることではないだろう。
また、ガガの体格を思えばかなり食べるのもすぐに分かるので、食べることが好きなビューネもガガの件は反対する可能性があった。
一応ガガの食費に関しては、マリーナがダスカーから貰って――奪って――くると言っていたので、実際にレイ達の食事が減る訳ではない。
「どうしたんだ?」
「いや。……ガガが、俺と一緒の場所で寝泊まりをしたいと言い出してな」
「は? 夕暮れの小麦亭に、あんな巨大な奴は入れないだろ?」
冒険者が、レイの言葉にそう返す。
何年もそうだった為に、基本的にレイが寝泊まりしているのは夕暮れの小麦亭だと、多くの者に認識されている。
……実際、マリーナの家で寝泊まりしている現在でも、夕暮れの小麦亭に部屋は取っており、その分の料金も支払っているのだから、その考えは決して間違いではないのだが。
この場合、冒険者にどう言えばいいのか迷ったレイは、結局話を誤魔化す。
「そうだな。そういう風に思えるのもしょうがないと思う。実際、その辺がどうなるのかはまだ決まってないし」
ガガは既にマリーナの家で寝泊まりすることに決まっているのだが、その辺に関しては明言しない。
そして、この話を続けると色々と不味いと判断し、レイは話を逸らす。
「緑人はどうなった? 俺がいない間に接触しなかったか?」
「ん? ああ、少なくても俺達は緑人には接触していないな。何人かは纏まって探してるんだが、見つかったって報告はない。ガガだっけ? あのリザードマンが来たんだし、その辺を考えると緑人もトレントの森に転移してきてもおかしくはない筈なんだけど」
その冒険者も、これまでの傾向からレイと同じ予想をしたのだろう。
何とも言えない視線をトレントの森に向ける。
もし転移してきているとなると、トレントの森のどこかにいる筈だった。
そうなると、なるべく早く見つける必要がある。
トレントの森は出来た当初は動物やモンスターがいなかったが、今となってはそれなりの数の動物やモンスターの姿がある。
樵は護衛の冒険者が守るから問題ないが、戦いを嫌う緑人が凶悪なモンスターと遭遇したらどうなるのかは、それこそ考えるまでもない。
実際、リザードマン達によって緑人達は弾圧されても、実力で反抗した者はいなかったらしいのだから。
少なくても、ゾゾから聞いた話ではそうなっていた。
(食料の類は心配しなくてもいいけど)
緑人は食事という意味で食料は必要ない。
植物さえあれば、それを成長させることによって自分のエネルギーとすることが出来る。
植物からエネルギーを奪うというのであれば、レイも納得出来るのだが、何故か緑人は植物を成長させてエネルギーを得るのだ。
ここはエルジィンという異世界、いわゆるファンタジー世界である以上、質量保存の法則がどうとか、科学的にどうとか言うつもりはないのだが、それでも理不尽なものを感じてしまうのは仕方がない。
「そうなると、やっぱりトレントの森を探さないといけないか」
「いや、だから他の冒険者達が探してるって。出来ればレイとセトには、目の届くところにいて欲しいんだけど」
そう告げる冒険者が何を考えているのかは、レイにも分かる。
いつまたリザードマンや緑人が転移してくるか分からない以上、それを察知出来るセトには、自分達のすぐ側にいて欲しいということだろう。
「セトは置いていくから、それで頼む」
「グルゥ?」
連れていってくれないの? と、喉を鳴らすセト。
レイはそんな寂しそうなセトの頭を撫でながら、言葉を続ける。
「お前はリザードマン達が転移してくるのを察知出来るだろう? だから、その能力でここにいる連中の力になってやってくれ」
セトはその言葉に、残念そうにしながらも頷く。
レイと一緒にいられないのは残念だったが、ここにいる冒険者達もセトに構ってくれたり、食べ物をくれたりしてくれるからというのが大きい。
自分がいることで、皆が安心出来るのなら、と。
レイと同様に敵対した相手には容赦しないセトだったが、一度味方と判断した相手に好意的なのは、レイ以上だ。
……それでいて。自分を利用しようとする相手に関しては本能や勘、第六感といったもので察することが出来る。
そんなセトの感覚では、ここに自分を利用しようとする者はいないと、そういうことなのだろう。
もしくは、いても少数だと判断したのか。
ともあれ、セトがここにいてくれるとなればレイも安心出来るので、ゾゾを引き連れてトレントの森の探索を始める。
途中で樵の伐採した木を回収することを忘れず、トレントの森を歩くのだが……生憎と、緑人を見つけることは出来ない。
「うーん、ゾゾはリザードマン特有の能力か何かで、緑人を探すことは出来ないのか?」
『申し訳ありません、無理です』
ゾゾの持つ石版に、あっさりとそう書かれる。
とはいえ、それを見たレイも特にがっかりしたりはしない。
元々、駄目だろうと思いながら尋ねたのだから。
そもそもの話、リザードマンにそのような能力があるというのは、レイも聞いたことがない。
だが、異世界のリザードマンであれば、あるいは? という思いがあったのだ。
また、ガガもそうだが、ゾゾも普通のリザードマンよりも上位種族のように思えたので、そちらから可能性があるかもしれない……という思いもあった。
「そうか。なら、地道に探すか。……そう言えば結局何で転移してきたのかは、まだ分かってないんだよな」
『はい』
レイがゾゾから聞いた話によれば、何らかのマジックアイテムがあった訳でもなく、緑人達が住んでいた場所に遺跡の類がある訳でもなかった。
本当に何故この世界に転移してきたのか、分からないのだ。
(異世界に転移するとなれば。相当の力が必要なのは間違いない筈だ。そう簡単に出来るとは思えないけど。……やっぱり、あの目玉が何か関係してるのか?)
冬に戦った触手付きの目玉は、空間の裂け目から姿を現した。
グリムから聞いた話によれば、この世界の外側の存在らしい。
この世界の外側ということは、別の世界にもいけるのではないかというのが、レイの予想だった。
とはいえ、既に目玉は死んでいる。
(グリムが目玉の素材を使って実験をやった結果じゃないかって思ったけど、はっきりと否定されたしな)
グリムが嘘を吐いている、ということは考えていなかった。
ゼパイルの件もあってか、グリムはレイに対して誠実に接しているように思えたからだ。
……傍から見れば完全に孫に対する祖父といった感じなのだが、そこまではレイにも、そしてグリムにも自覚はない。
ともあれ、グリムが原因ではないとはいえ、目玉の件があった場所のすぐ近く――ギルムとトレントの森はそれなりに離れているが、街や村の感覚で見ればすぐ側と言ってもいいだろう――にリザードマンが転移してくるとなると、そこに何らかの因果関係を感じるのは当然だろう。
これを偶然と思えという方がおかしい。
『レイ様、向こうに……』
ゾゾが軽くレイのドラゴンローブを掴み、石版を見せてくる。
その言葉に、レイは今回の転移と目玉の関係を考えるのを止めて視線をゾゾの見ている方に向け……すこしだけがっかりする。
てっきり緑人が現れたのかと思ったのだが、木々の間から姿を現したのは、猪だったから。
正確には、ファングボアという動物だ。
その突進力と牙から、素人が戦うとなれば危険な相手だったが、ギルムの……特に、今トレントの森にやって来ている冒険者達にとっては、雑魚という扱いでしかない。
凶暴な性格をしている以上は、油断すれば怪我をすることがあってもおかしくはないのだが。
「とはいえ、緑人がどこかにいるかもしれないとなれば、こいつを放っておく訳にもいかないか」
呟き、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
本来なら、このような森の中でデスサイズは使いにくい。
だが、それなりの大きさのファングボアを仕留める……いや、綺麗に仕留めるとなると、この場合は突きが主体の槍よりも斬撃を繰り出せるデスサイズの方が効果的だった。
あるいは、黄昏の槍なら穂先ではなく、柄の部分を使って撲殺するのでもいいのだが。
血抜きを考えると、やはり首を切断するのがいいのだろう。
「ブモオオオオオオッ!」
セトがいれば、このファングボアも戦わずに逃げたかもしれない。
しかし、ここにセトはいない。
……代わりにレイとゾゾという、明らかにファングボアよりも強い相手がいるのだが、ファングボアは逃げるという選択肢を選ばずに戦いを選んだ。
「ゾゾ、下がっていろ」
そう言い、前に出ようとしたレイだったが、ゾゾは自分の名前が呼ばれたことで、自分がファングボアを倒せと言われたと思ったのか、レイと共に前に出る。
石版をよく見れば、レイの意図もしっかり伝わったのだろう。
だが、今回はファングボアが向かって来ているということで時間がなく、石版を見ている時間がなかったというのが理由だろう。
結果として、一歩前に出たレイとゾゾはぶつかるということになり、お互いに驚く。
レイもゾゾも、ファングボアを倒すのは自分だと、そう思っていたからだろう。
「おわっ!」
「●●!?」
レイとゾゾ、お互いの驚きの声が周囲に響き、双方共に驚く。
だが、そうして驚いたところで、レイとゾゾはともかく、ファングボアが攻撃の手を緩めるようなことはしない。
……これが模擬戦や試合の類で、相手が言葉を理解出来る相手なら、あるいは意表を突かれて動きを止めたかもしれないが。
既にその牙でレイとゾゾを突き殺そうと突進しているファングボアが、その程度で動きを止める筈もなかった。
「悪い!」
短く叫び、レイはデスサイズの柄を使ってゾゾを吹き飛ばす。
とはいえ、無意味に横薙ぎにデスサイズを振るったのではなく、柄の部分で押すようにして突き飛ばした……といった表現が相応しいだろう。
吹き飛ばしたゾゾの様子が気になったレイではあったが、今はとにかく自分に向かって突っ込んでくるファングボアの対処の方が先だ。
ファングボアも、レイが何をしたのかといったことは全く気にした様子はなく、ただひたすらにその牙を使ってレイとゾゾを……いや、ゾゾが吹き飛んだ以上はレイに突き立てんとして、走る。
だが、ゾゾがいなくなった以上、レイにとってファングボアというのはただの格下の獲物でしかない。
真っ直ぐ突っ込んできたファングボアの一撃を回避し、同時にデスサイズを下から上に振るい……その頭部はどこかに向かって飛んでいく。
最終的にファングボアは、頭部がないままで近くにあった木にぶつかって、周囲に血を撒き散らすのだった。




