2056話
「……はぁ」
錬金術師達がいる建物から出て来たレイは、面倒臭そうに溜息を吐く。
どこでどうやって情報を手に入れたのかはレイにも分からなかったが、リザードマンの中に巨大な個体がいると……つまり、ガガの件がいつの間にか錬金術師達に知られていたのだ。
情報という点では、ダスカーにガガの件が知られてから、そこまで時間が経っている訳ではない。
だというのに、何故錬金術師がガガのことを知っていたのかと、疑問に思っての溜息だった。
『どうしました?』
レイの様子を見て、ゾゾがそう尋ねる。
もしここでレイが錬金術師達に対する不満を口にすれば、ゾゾなら場合によっては錬金術師達がいる建物に突っ込んでいくといった真似もしかねない。
「いや、何でもない。ただ、ちょっとこれから色々と大変になると思ってな」
『そうですか? では、次はどこに行きますか?』
「マリーナに会いに行く。ガガを庭に泊めるにしても、マリーナからの許可を貰う必要があるしな。ただ、問題なのはマリーナが今どこにいるかだけど」
精霊魔法によって怪我の治療が出来るマリーナは、その技量もあって非常に頼りにされている。
回復魔法や治療技術を持っている者達が待機している場所にいればいいのだが、何か事情があっていないという可能性も十分にあった。
それでも、結局はどこにいるのかを調べる必要がある以上、その建物に向かう必要がある。
「グルゥ!」
レイとゾゾの会話中――石版を使って翻訳しながらだが――に、不意にセトが喉を鳴らす。
お腹減った! と、そう主張するセトだったが、セトの鳴き声を聞いた瞬間、周囲の様子を警戒してしまったのは、やはりガガの一件があったからだろう。
「……そうだな。セトには今日も助けて貰ったし、何か買って食べていくか。サンドイッチと串焼きが歩きながら食べられて美味い料理だけど、どっちがいい?」
「グルルルルゥ」
レイの言葉に、尻尾を振りながら迷うセト。
セトにしてみれば、出来れば両方共に食べてみたいという思いがあったのだろう。
だからこそ、今回のレイの言葉には迷ったのだ。
「グルルゥ……」
どっちもは駄目? とそう円らな瞳で喉を鳴らすセト。
だが、レイはそんなセトの様子に頷きたくなりながらも、何とか意志を振り絞って首を横に振る。
「どっちかだけだ」
「グルゥ……」
「ちょっと、セトちゃんを苛めるのは許さないわよ!」
と、不意に聞こえてくる声。
それが誰の声なのかは、それこそ考えるまでもなく明らかだった。
「ミレイヌか。……前にもこの辺で会ったよな? 実はこの辺、お前の散歩道だったりするのか?」
「そんな訳ないじゃない。あくまでもセトちゃんと会えるからよ」
「いや、会えるって……まぁ、その可能性は高いけど」
レイが錬金術師達がいる建物に、トレントの森で伐採された木を持ってくるということは、当然のようにそこにはレイの従魔のセトの姿もある。
ミレイヌは、それが分かっているからこそ、時間があればこの辺を歩き回っているのだ。
以前や今日のように、セトと会えることを願いながら。
実際にこうしてセトと会えているのを思えば、ミレイヌの予想はそう外れたものでもない。
「でしょ? ふふん」
自慢げな様子なのは、この場所でセトに会えるということを、ライバルたるヨハンナにまだ知られていないからだろう。
つまり、ヨハンナを出し抜くことに成功したということだ。
「あー……悦に浸ってるところを悪いけど、今はちょっと忙しいからな。セトもお前と遊んでいる暇はない」
「ちょっとくらい、いいでしょ?」
「悪いが、今日は本当に余裕がないんだよ」
いつもなら、十分かそこらはセトと遊ばせるような余裕もあるのだが、今日は違う。
もし夜までにマリーナを見つけることが出来ない場合、マリーナに何の断りもなくガガをマリーナの家に連れていくことになるのだ。
それでもマリーナが怒るということはないかもしれないが、自分が泊まっている家の家主に無断で誰かを連れていくのは、色々と不味い。
「そこを何とか!」
「……そうだな。なら、怒り狂ったマリーナの相手をしてくれるのなら、少しくらいは遅れてもいいけど?」
無断でガガを連れていってもマリーナが怒るとは思えないが、それでも今回の件を考えると不義理に当たる。
「え!? ギルドマスター……いえ、マリーナ様が何か関わっているの?」
ミレイヌは、マリーナに対して苦手意識の類がある訳ではない。
それでも自分が冒険者になる前からギルドマスターをしていた人物ではあるし、色々と恩もある。
そんな人物だけに、怒り狂ったマリーナをどうにかしろと言われても、絶対にごめんだった。
かといって、セトを愛でる時間がなくなるのも、可能な限り避けたい。
まさに懊悩といった様子を見せるミレイヌ。
だが、最終的にはマリーナに迷惑を掛けるのは不味いと判断したのか、泣く泣く持っていた串焼きをセトに渡すと、そのまま去っていった。
『何だったのですか、あれは……』
「セトと遊ぶのが好きな女だよ。俺がギルムに来てから、かなり早めにセトを可愛がってくれるようになった奴だ。愛でるというか、愛らしさを理解したという意味では一番初めか?」
セトに興味を持ったということでは、他にも何人かいた。
だが、純粋に……今のギルムで扱われているような、半ば愛玩動物的な存在として扱ったのは、恐らくミレイヌが最初だったように思えた。
数年前のことだし、その数年の間に色々と……そう、これ以上ない程に濃密な時間を送っていることもあり、その辺の記憶は既にうろ覚えだが。
『なるほど』
ゾゾは少しだけ愕いた様子でセトを見る。
ゾゾから見ても、セトは圧倒的な強者だ。
自分が戦っても、まず勝ち目はないだろうと断言出来る程に。
また、レイの従魔としては自分よりも先輩である以上、敬う気持ちもある。
そんなゾゾから見れば、セトを愛でるというミレイヌの気持ちは全く分からなかった。
「さて、セトも串焼きを食べ終えたことだし、マリーナを探しに行くか」
そう思いつつ、先程のミレイヌがゾゾに対して全く興味を抱かなかったことに、今更ながら気が付く。
ゾゾの話を誰かから聞いて知っていたのか、それとも単純にセトしか目に入ってなかったのか。
何となく……いや、半ば確信を持って、レイは後者だろうと判断する。
それだけ、ミレイヌのセトに対する愛情は強烈なものなのだ。
辺境にあるギルムだけに、腕利きの冒険者の稼ぎは凄いことになる。
そんな中で、レイが現れる前は若手の中でも出世頭と呼ばれていたミレイヌだけに、その稼ぎがどれだけのものなのかは、想像するまでもないだろう。
そんな稼ぎのほぼ全てを、セトを愛でる為にサンドイッチや串焼き、スープ……それ以外にも様々な料理を買うことに使ったのだ。
それが一体どれだけの金額になるのか、正直なところレイも予想は出来ない。
(まぁ、ゾゾの紹介は今度すればいいか)
正直なところ、レイはこれからゾゾがどうするのかは分からない。
今はレイにテイムされたということになっており、従魔という扱いになっている。
だが、この先もずっと自分の従魔として一緒に行動するのか、それともガガを始めとした他のリザードマンと一緒に行動するのか。
であれば、次にミレイヌと会った時、ゾゾがいないという可能性だってあるのだ。
(というか、ゾゾが本格的に俺と一緒に行動するようになったら、俺も拠点をマリーナの家にする必要があるんだよな)
夕暮れの小麦亭はテイムされたモンスターを預かってはくれるが、リザードマンだと色々と問題がある。
何より、ゾゾがレイの側にいなければならないと考えているのが大きい。
その辺りの事情を考えると、宿ではなくきちんとした家に住む必要がある。
だが、増築工事で人が溢れている今の状況で、一軒家の余裕などないし、家を建てるにしても増築工事で大工に余裕がある訳ではない。
何より、マリーナの家は広いし、精霊によって快適にすごせるし、料理も出して貰えると、非常にありがたい場所だった。
「まぁ、ゾゾの件は後で考えればいいか」
『何がでしょう?』
「いや、何でもない。それより、ほら。マリーナを探しに行くぞ」
そう告げ、レイはセトとゾゾを引き連れてマリーナのいるだろう場所……診療所に向かう。
途中ではまだゾゾが珍しい者達の視線を集めることになるが、それは今更だといった様子で、レイはそのまま歩き続け……途中でもセトと遊びたいといった子供達がいたが、理由を話して勘弁して貰う。
そして……目的の場所に到着した。
とはいえ、ギルムで行われている増築工事には多くの……それこそ、数え切れない程の者達が働いている。
そうなれば、当然のように仕事の中で怪我をする者も多く、診療所にやって来たレイが見たのは建物の外まで並んでいる者がいるという光景だった。
(ポーションとか……いや、金が掛かりすぎるのか)
冒険者が使っているポーションであれば、軽い怪我を治すことは可能だ。
だが、そもそも軽い怪我……ちょっと指を切ったくらいで診療所に来る訳でもない以上、ここにいるのはある程度の大きな怪我を負った者が殆どだろう。
そのような怪我をポーションで治療するとなると、当然のように捨て値で売っているような安いポーションでは無理だし、効果の高いポーションともなれば、相応に値段も高い。
だからこそ、こうして診療所にやって来ているのだろう。
「さて、どうしたものやら」
レイは治療にやってきた訳ではない以上、並んでいる列を無視して診療所に向かってもいい。
だが、そのようなことをした場合、間違いなく並んでいる者達が勘違いをして、不満を口にするだろう。
怪我をしている自分達が並んでいるのだから、レイも並べと。
……怪我をしたにも関わらず、こうして皆が大人しく並んでいるのは驚くべきことだったが、それが逆にレイの行動を躊躇させる。
「あれ、レイさん?」
そうして迷っていたレイだったが、診療所から出て来た女の一人が不意にレイに声を掛ける。
薬草を使って薬を作る薬師の一人で、レイが以前何度か見た顔だった。
薬草の類は、ポーションのように瞬く間に傷を治す効果はないが、それでも一定の治療効果はあった。
その薬草を使って怪我人達に少しでも治療をしようと思って、建物から出て来たのだろう。
その薬師の女にしてみれば、レイがここにいるというのは驚き以外のなにものでなかった。
少なくてもレイが怪我をして診療所にやってくるというのは、天変地異の前触れ……というのは若干大袈裟ではあっても、それと似たようなことを感じたからだ。
レイの場合は、自前でミスティリングの中にポーションを大量に持っているから、というのも大きいのだが。
「ああ、ちょうどいいところに。マリーナに会いに来たんだけど……まさか、ここまで患者が多いとは思わなかったよ」
「あ、あははは。いつもはもうちょっと少ないんですけどね。それより、マリーナさんですか? 今はちょっと忙しいんですが……どうします? レイさんがどうしても用があるって言えば、少し無理をしてでも会えると思いますけど」
そう言われたレイだったが、診療所に並んでいる者の姿を見る限りでは、マリーナに無理に時間を取らせるのは不味いように思える。
(とはいえ、ガガが来るってのを人伝に話すのも……不味いよな?)
これがもっと他のことであれば、目の前の薬師に頼んで伝えて貰うという方法もあるだろう。
だが、ガガという一国の皇子が泊まりにくるというのであれば、そのような真似が出来る筈もない。
レイとしては、ガガは皇子というよりも戦士というイメージの方が強いし、ガガ自身もどちらかと言えば自分を皇子ではなく戦士と認識しているように思えたのだが。
ガガの件を知らせるかどうか。
そうして少し迷ったレイだったが、話をするだけならすぐだと判断してから口を開く。
若干、怪我人達には悪いと思いながらも。
「取りあえずマリーナに会わせてくれ。話そのものは重要なことだけど、伝えるだけだからすぐに終わると思う」
「うーん……分かりました。マリーナさんなら、治療をしながら会話をすることは出来ると思いますし」
少し悩んだ末に、薬師の女はレイを診療所の中に招き入れる。
さすがにセトとゾゾは外で待っていることになったが。
並んでいる者達からは嫉妬の視線を向けられもしたが、ともあれレイは診療所の中に入る。
すると診療所の中では、マリーナが水の精霊魔法を使って何人もを複数同時に治療していた。
「あら、レイ。どうしたの?」
それでいながら、マリーナはレイに向かって特に大変そうな様子も見せずに尋ねるのだった。