2050話
ゾゾとガガの会話……正確には、レイにはガガの言葉は理解出来ないので、ゾゾの言葉だけが石版に文字として表示されるのを読んでいたり、ゾゾから通訳をしてもらったりしていたのだが、レイはその中で不味い情報を知ってしまった。
ゾゾの兄弟、もしくは姉妹が、ガガとザザ以外にもトレントの森に転移させられているのかもしれないということを。
「どうするべきだと思う?」
「……いや、それを俺に聞かないでくれよ」
レイの言葉に、近くにいた冒険者は非常に……それこそ、心の底から困ったように告げる。
一介の冒険者でしかない男にとっては、そのようなことを相談されても困るというのが、正直なところだった。
「けど、じゃあ誰に相談しろと?」
「別に俺じゃなくても、ギルドとか、ダスカー様とか、色々といるだろ。俺はただの冒険者でしかないんだから、そんなことを言われても荷が重すぎる」
その冒険者の言葉に、周囲にいた冒険者……いや、それどころか元冒険者の樵ですら頷いてみせる。
実際にこのような大きな一件を冒険者が判断するのは難しい。
冒険者達はゾゾの詳細な情報については知らないが、それを知らなくても今回の一件は色々と特殊だということは理解出来る。
「あー……まぁ、取りあえず他に迷っている奴がいるのはいいとして、問題なのはガガだったか。そっちをどうするかだけど……どうする?」
『ロロルノーラや、他のリザードマンたちのいる場所に連れて行っては?』
領主の館のことを言ってるのはレイにも分かったが、その言葉に素直に頷くことは出来ない。
何しろ、ガガの大きさは普通に人間サイズが暮らすように設計されている領主の館で暮らすのは少し……いや、かなり難しいだろうし、何よりガガが引き連れてきたリザードマンの数はかなりの数になる。
領主の館に全員を連れて行くのは……不可能ではないだろうが、色々と難しいことになるのは確実だった。
(いや、マジでこれをどうしろと? けど、詳しい事情を知ってるのは俺だけだしな)
出来れば誰かに判断を放り投げたいレイだったが、現在ここにいる中で一番事情に詳しいのはレイで、それ以外の面々は殆ど事情を知らない。
「取りあえず……ギルムに連絡して、ダスカー様の判断を仰ぐ方が先か」
結局ここで自分が判断しない方がいいと考えると、レイは樵の護衛をしている冒険者達に声を掛ける。
「お前達の中で、乗馬が得意な奴はギルムに向かってくれ」
そう告げ、新たなリザードマンが大量に転移してきたこと。そのリザードマンはゾゾの兄で第三皇子だということ。そしてリザードマンとしてはかなり巨大であること、といったことを知らせるように言う。
グラン・ドラゴニア帝国の名前をこの場で出してもいいのかどうか迷ったのだが、取りあえずゾゾの兄だと言っておけばその辺は納得するだろうと判断した。
……第三皇子という言葉を出した時点で、皇族であるというのは知られていてもおかしくはないのだが。
ともあれ、グラン・ドラゴニア帝国の名前はこの先、絶対に知られるようになるのは間違いないので、レイの考えが有効なのかどうかは微妙なところなのだが。
「分かった。すぐに行ってくる」
冒険者の中で最も乗馬を得意としている者が、レイの言葉に頷いてすぐにその場を走り去る。
それを見ていたガガは、不意にゾゾに何かを告げる。
『レイ様。ガガ兄上が、今の者はどこにいったのかと聞いていますが』
「ん? ああ。ギルム……名前を言っても分からないか。俺達が住んでいる場所の領主に知らせに行ったと言ってくれ。ガガ達が住む場所をどうするのか決めないといけないし、先に転移してきた連中も今はギルムに住んでいると。……ああ、それからこの世界ではロロルノーラ達と争わないようにってのも頼む」
レイの言葉に頷き、ゾゾがガガにレイからの言葉を伝える。
最初はゾゾの言葉を大人しく聞いていたがガガだったが、不意に剣呑な表情を浮かべ、レイに視線を向けてきた。
レイもまた、ここで目を逸らすということは自分の負けになると判断し、ガガから目を逸らすようなことはしない。
先程までは、友好的……とまではいかなくても、決して緊迫した雰囲気ではなかったにも関わらず、一瞬にして周囲の雰囲気が変わってしまった。
ガガとレイ。
明らかにこの場にいる者の中では最強クラスの二人が、黙って睨み合う。
そんなレイの姿に、ガガの後ろで待機していたリザードマン達は驚きの表情を浮かべる。
リザードマン達にしてみれば、自分達を率いるガガは強さの象徴に等しい。
グラン・ドラゴニア帝国の中では五本の指に入るというのは、それだけの強さを持つのだ。
実際、樵の護衛の冒険者の中には、ガガから発せられる強者としての圧力により、息をするのも大変そうな者がいる。
だというのに、ガガの目の前といってもいい位置にいるレイは、そんなガガと間近で接していても全く堪えた様子もなく、それこそ平気な顔をしてすらいた。
それは、とてもではないがリザードマン達にとっては信じられないことだ。
唯一、レイの強さを知っているゾゾのみは、そんなレイの様子に誇らしげにしていたが。
「何のつもりだ?」
そう告げるレイの言葉が表示された石版を見て、ゾゾがガガに通訳し、短く会話を交わす。
ガガがレイから視線を逸らしたことで、レイもまた睨み合いの状況から解除される。
レイとガガの間にあった殺伐とした雰囲気が消え、それによって冒険者達も何とか一息吐くことが出来た。
『レイ様。ガガ兄上は、皇帝陛下からの命令を無視させるのか、と。そして、自分の意見を押し通すのであれば、相応の力を見せてみろと』
「なるほどな」
その巨体が身に纏っている雰囲気から、強さを重要視しているというのは、レイも理解していた。
だが、それでも見ず知らずの場所に強制的に転移させられたというのに、そこにいる自分を相手に戦えと言ってくるとは思わなかったが。
「つまり、勝った方の意志を通すと。そういうことか?」
『はい。ですが、レイ様。ガガ兄上は先程も言った通り……』
「分かっている。グラン・ドラゴニア帝国の中でも五本の指に入るだけの実力者だと、そう言うんだろう?」
身長三mの巨体で持っていても大剣と表現するしかないような、そんな巨大な武器を手にしているガガだ。
何より、その大剣の切っ先をレイに向けても、武器が揺れるようなことはない。
これは、ガガが無理に大剣を持っているのではなく、しっかりと使いこなしているという証でもあった。
勿論、武器を持っているだけで本当に使いこなしていると言える訳ではないのだが。
それでも、武器に使われないということだけは間違いなかった。
『はい。幾らレイ様でも……』
「心配するな。俺は勝つ、それに、ガガの性格から考えて、自分よりも強い奴の命令は必ず聞く……とは言わないが、それでも弱い奴からの頼みは聞かないんじゃないか?」
『そうでもありません。……ですが、そうですね。レイ様を前にしたガガ兄上の様子を見れば、レイ様と戦ってみたいという思いもあるのかと』
「……なるほど。なら、話は早い。取りあえず、ここで戦うのは色々と面倒だから、広い場所に移動して戦うと言ってくれ」
この周辺には、まだ伐採されていない木が多く残っている。
であれば、建築資材とする為にも、出来ればこの辺りの木々を荒らしたくはなかった。
ここから離れた場所には切り株が残っていない場所があるのだから、共に長柄――大剣を長柄と呼ぶのが相応しいのかどうか、レイには分からなかったが――の武器を使うのだから、周囲に木が生えてない場所の方が戦いやすいのは明らかだ。
ゾゾの説明に、ガガは獰猛な笑みを浮かべる。
レイが自分と戦っても決して負けない……いや、それどころか自分でも勝てる相手なのかどうかということをしっかりと認識したのだろう。
レイの提案に賛成するように、構えていた大剣を下ろす。
そんなガガの様子に、配下のリザードマン達は何故か驚きの表情を浮かべていた。
ガガがレイを認めたことが、それだけ驚きだったのだろう。
「ついてこい」
レイはそう言い、ガガに背を向けて歩き出す。
普通ならモンスターに背を向けるというのは自殺行為以外のなにものでもないのだが、ゾゾを知っているレイは、そんなことを気にした様子はない。
そして、ゾゾが慕っているように見えるガガだけに、まさかこの状況で攻撃をしてくるとは思えなかった。
実際にガガはレイに攻撃をするような真似はせず、大剣を手にしたまま、レイの後を追う。
そんなガガの前……丁度レイとガガの中間辺りをゾゾは進む。
これは、万が一……本当に万が一だが、もしガガがレイに攻撃をしようとした場合、少しであっても自分の身体を使って防ぐと、そういうつもりの行動だった。
それを知ってか知らずか、ガガは大人しくその後を追う。
そしてガガの後ろを、他のリザードマン達も黙って歩く。
今の状況でレイに攻撃をすればいいといったようなことを言うようなリザードマンはいない。
ガガの部下であるだけに、これ以上ない程にガガの強さを理解していた為だ。
絶対に自分達を率いているガガは負けないと……少なくても、グラン・ドラゴニア帝国にいるガガと同等の力を持つ四人ならともかく、ガガの半分くらいの大きさしかない相手に負ける筈がないと、そう確信しているからだろう。
そうして誰も何も言わない状況で、レイはガガを引き連れて歩き続け、やがて切り株の存在しない、広場と言ってもいい場所に出る。
そこでは、騎士や冒険者達が待っている。
馬車を置いてある場所で、レイ達も先程通った場所なのだから、当然なのだろう。
先程と違うのは、騎士や冒険者達が静かにしていることと、レイの頼みで冒険者がギルムに向かった為に馬が一頭少なくなっていることか。
そんな中、沈黙を破って騎士が口を開く。
「レイ」
「これからガガ……そこのでかいリザードマンと戦う。俺が勝てば、ガガやその部下は緑人達には手を出させない。少なくても、ここにいる間はな」
「お前が負けたら? ……いや、そんな心配はする必要がないか」
ガガの部下がガガの強さを信じているように、騎士はレイの強さを信じている。
レイがギルムにやってきてから、どれだけの強敵を倒したのかを知っているからこそだ。
初めにオークキングを倒し、最近では巨大な目玉。
それ以外にも、様々な強敵を倒していた。
だからこそ、レイが戦うというのであれば、それは勝利と同じ意味であると判断してもおかしくはなかった。
ガガも言葉は分からないが、それでも騎士とレイが何を喋っているのかは大体分かったのか、その口元に獰猛な笑みを浮かべる。
レイが強いというのは、既に見た瞬間から理解していた。
それこそ、今の自分でも勝てるかどうか分からないだろう強力な相手だと。
そんなレイを前に、自分の中にある闘争心と恐怖心という相反する感情が湧き上がるのを感じる。
不思議な感覚を覚えながらも、ガガはレイと向き合って大剣を構える。
部下のリザードマン達は、ガガの邪魔にならないようにとガガから大きく離れる。
レイの側にいた騎士や冒険者達も、そんなリザードマン達と同じようにレイから離れ……自然と、人で作られた円形の闘技場の如き様子になる。
大剣を構えるガガと対峙するのは、デスサイズと黄昏の槍を構えたレイ。
両者が持つ武器の長さだけはほぼ互角に近いが、それを持つ者の大きさとしては圧倒的にガガが上だった。
それでも、ガガはレイを侮るような真似はしなかったし、レイもまたガガを侮りはしない。
お互いに相手を敵と認め……そして向かい合う。
周囲で戦いを見ている者達は、ただ二人が向き合っているだけにも関わらず、不思議な程に緊迫した雰囲気を感じていた。
そんな緊迫した対峙が、一体どれだけ続いたのか。
集中しているだけに、数十秒にも、数分にも……そして十分近くにも感じられる。
その緊迫した空気を破壊したのは、レイの戦いをじっと見つめていたセト。
「グルゥッ!」
セトの鋭い鳴き声。
それは、レイとガガの双方を叱咤しているようにも思えるような鳴き声。
そして、実際にレイとガガはそんな鳴き声に押し出されるようにして、双方共に一気に前に出る。
動き出しそのものから、両者は違った。
レイは一瞬にしてトップスピードに乗ったのに対し、ガガは一歩の助走と尻尾で地面を叩くことによってトップスピードに入る。
一歩の助走。それは普通であればそこまで気にすることがないだろうものではあったが、それでもレイを相手にするには大きな一歩となり……そして、周囲には金属と金属がぶつかりあって生み出される、甲高い音が響き渡るのだった。