2048話
ゾゾ達の驚きの生態が明らかにはなったが、だからといってそれでどうこう変わる訳ではない。
……もっとも、レイやエレーナ達以外の者にしてみれば、ゾゾやロロルノーラ達はこことは別の大陸からやって来たと思われているので、かなり驚いた様子だったが。
だが、異世界から来たと確信しているレイにとっては、寧ろそのようなことが出来る神という存在の方に興味を抱いた。
最初から一定の知識を持って生まれてくる。
それが、一体どれだけのことなのかというのは、想像するのも難しくはないのだから。
(あ、でもそうなると、ロロルノーラ達が文字や言葉を覚えるのに苦戦してるのって、実はそっちが関係あったりもするんじゃないか?)
生まれた時から文字や言葉が理解出来るのであれば、あるいは現在領主の館で勉強をしているロロルノーラ達は、生まれて初めて文字や言葉の勉強をしている……という可能性すらあったのだ。
もっとも、実際にはその神が教えてくれた以外の文字や言葉を覚えるのなら、意外と元の世界でも勉強したことがあるという可能性もあったが。
「取りあえず、この木はもう収納してもいいんだな? なら、収納するぞ」
「え? あ、ああ。分かった、頼む」
レイの言葉に、樵は突然話が変わったことに驚きつつも頷きを返す。
そんな樵をよそに、レイは伐採された木……レイが来た時にちょうど伐採された木や、レイが来る前に伐採されていた木をミスティリングに収納する。
「じゃあ、俺は他にも色々と回る必要があるから、このまま木の伐採を続けてくれ」
「分かった。……ああ、ただ、さっきも言ったけど、今日からは新しい樵が来てる。そいつはレイのことを知らないから……まぁ、セトやゾゾがいれば、レイを侮るような真似はしないと思うけど、もし万が一何かあっても、軽いおしおきですませてくれ」
これは、別に新しく来た樵のことを思ってのことではない。
いや、樵が怪我をしたり、精神的なトラウマを抱えたりしないようにという意味では、新しい樵の為を思ってのことと言ってもいいだろう。
だが、樵がそのように思うのは、ただでさえ木の伐採を急かされているのに、折角来た新しい樵が戦力にならなくなったらどうしようもないという、自分がこれ以上大変なことにならないようにという思いからの言葉だ。
レイはそこまで分かっているのかどうかは分からないが、それでも樵が仲間を思ってそのように言ったのだろうと判断し、頷きを返す。
「そうだな。俺としても樵の数が減るのは困るから、出来るだけそういうことはしないようにするよ」
「……出来るだけじゃなくて、絶対にって言って欲しいんだけどな。まぁ、無理を言うつもりはねえ。じゃあ、よろしくな」
そう言ってくる樵に軽く手を振り、トレントの森を進む。
歩くのに切り株が若干邪魔ではあるのだが、それでもロロルノーラ達緑人のことを思えば、これを排除するような真似は出来ない。
(出来れば、早いところロロルノーラ達を何人かでもいいから、回して欲しいところなんだけど……難しいんだろうな)
緑人達がいれば……とそう思ったレイだったが、ふと切り株を適当に成長させるような真似をした場合は、色々と面倒なことになると気が付く。
木を運ぶのはレイがいればどうとでもなるが、伐採したときに木が近くの木に寄り掛かったりした場合、その木を改めて地面に落とす時に周囲の者達が危険になるのではないか、と。
(そうなると、トレントの森の奥から伐採して……いや、そうなれば結局変わらないか。だとすれば……きちんと緑人達の能力を前提として伐採していくとか。その辺を一度話し合った方がいいのかもしれないな)
周囲の様子を眺めつつ、レイはトレントの森の中を進む。
途中で何人かの樵と遭遇し、伐採された木は全てがミスティリングの中に収納されていく。
そうして数人目の樵が、レイの初めて見る顔……つまり、最初の樵が言っていた今日から合流した樵だった。
「よう、お前が今日から仕事を始めた樵だよな? 俺はレイだ。伐採された木の収集と運搬を任されている」
一休みしていたところで突然レイに話し掛けられた樵は、声のした方に振り向き……そこで、レイはともかくセトとゾゾを見た瞬間、近くに置いてあった斧に手を伸ばし、素早く構える。
そんな樵の行動に、周囲にいた護衛や雑用を任されている冒険者達は、慌てたように口を開く。
「落ち着けって。大丈夫だ。あれはレイがテイムした従魔で、こっちを襲ってこないから」
「……そうなのか?」
身長が二mに届くかどうか、そして樵らしいがっしりとした身体付きの男は、見るからに迫力がある。
(いや、違うな。今の身のこなしは樵というよりは戦いを知ってる者のそれだ。つまり……元冒険者、もしくは兵士か?)
元冒険者が樵をやっていても、おかしなところはない。
冒険者というのは、実力次第では非常に稼げる――レイを見れば明らかだろう――が、同時に危険も大きい。
いや、危険が大きいからこそ報酬も大きいのだ。
危険がなくて稼げるのであれば、それこそ冒険者に依頼をしなくても本人がそれをやればいいだけなのだから。
そのような理由で、一定の金を稼いだら冒険者を辞めて第二の人生を歩むという者は、決して少なくない。
もっとも、得た報酬を酒や女、ギャンブルといったものに使ってしまうような者も決して少なくないのだが。
「元冒険者か」
「……ああ。今は樵だけどな」
レイの様子から、自分の身体の動かし方で元冒険者だと知られたと判断したのだろう。
若干の沈黙の後であっさりと認める。
「そうか。それで、トレントの森の木はどんな具合だ? こうしてみたところ、もう何本か伐採は終わってるようだけど」
少し離れた場所には、枝が切り落とされてレイの回収待ちとなっている木が何本か倒れていた。
ただし、他の樵達に比べると幹の切り口が若干雑だ。
それが、まだこの男がトレントの森の木になれていないということの証なのだろう。
トレントの森は、その成立過程からして他の……一般的な森とは大きく違う。
普通の森というのは、何年、何十年、何百年……場合によってはそれよりも更に年月を掛けて生み出される。
だが、このトレントの森は、正確にはいつ出来たのかは分からないが、それでも一ヶ月も経たずに生み出されたのは確実だ。
それこそ、植物のサイクルとして考えれば一瞬で出来たに等しい。
それだけに、普通の森とは生えている木の性質が大分違うのだ。
もっとも、だからこそ魔法処理をすればギルムの増築工事を行う上で必要不可欠の建築資材となるのだが、
もしこれでここに生えているのが一般的な木と変わらないのであれば……
(いやまぁ、それでもギルムの近くにある森ってことで、建築資材としては使われていたけど)
レイの考えは間違っていないが、その場合であればここまで重宝されるということはまずなかっただろう。
「結構面倒な木だな。ただ……数日あれば慣れると思う。もしくは、早ければ今日で慣れるかもしれないな。……一応聞いておくが、木の伐採はああいう感じでもいいんだよな?」
少し離れた場所にある、自分の伐採した木を見て尋ねる樵に、レイは頷く。
「魔法処理をする時に、その辺はどうとでもなると思う。実際、これまでにもこれより酷い切り口の木はあったし」
「そうか。ならいい。それなら、次の木を伐採……」
しよう、と。
そう樵が言おうとした時、レイの後ろで周囲を眺めていたセトが、不意に喉を鳴らす。
警戒しているその様子に、レイもまた素早く周囲を見回す。
そんなレイから数秒遅れてゾゾや樵、冒険者達が周囲の様子を警戒する。
とはいえ、このトレントの森で起こった出来事を知っているレイにしてみれば、何が起ころうとしているのかは、容易に理解出来た。
(さて、転移してくるのは……緑人とリザードマンのどっちだ?)
そう思いながら、ミスティリングの中からデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
ここはトレントの森で、周囲にはまだ結構な本数の木々が生えている。
それを思えば、大鎌のデスサイズよりも黄昏の槍だけを使った方がいいのは明らかだったが、レイは転移してくるのがリザードマンであった場合、威圧する為にデスサイズを取り出したのだ。
デスサイズは、その大きさと形から、見ている相手を脅すという意味では大きな意味を持つ。
「気をつけろ。何かが転移してくるぞ」
既にレイやセトの様子から、周囲の者達も何者かが転移してくるというのは理解していたのだろう。
それでも、一応といった様子でレイが周囲にいる者達に警告する。
当然のように、周囲にいる者達は何が起きてもすぐ対処出来るように、樵を守れるような隊形を取った。
樵も、元冒険者だけあってか、レイや周囲の冒険者達の様子から、何があってもすぐに対処出来るようにと斧を手に周囲を警戒していた。
樵の中には気が強い者も多いが、それはあくまでも一般人を相手にした場合での話だ。
もしくは、ゴブリン数匹程度なら問題なく倒すことも出来るだろうが。
ともあれ、何かが転移してくる……それも、リザードマンや緑人のような者達の可能性が高いという状況になれば、恐怖を覚えてもおかしくはない。
だが、ここにいる樵は元冒険者だけあって、度胸があった。
そういう意味では、この樵はこのトレントの森での作業に向いている人物だったのだろう。
……もっとも、冒険者という仕事を辞めて、危険のない樵という仕事を始めたのに、このようなことに巻き込まれたのだから、運は悪かったのだろう。
もしくは、レイとセトがいる場所でこのようなことになったのを考えれば、悪運というのはあるのかもしれないが。
「一体何が、と聞くのは今更の話なんだろうな」
「そうだな。出来れば、緑人達ならこちらとしても特に問題はないんだが。リザードマン達の場合は……」
樵に答えながら、レイは自分の側にいるゾゾに視線を向ける。
今までは、転移してきたリザードマンと接触した場合は基本的に戦いになってしまっていた。
だが、今はゾゾが……それも意思疎通出来る石版を手にしたゾゾがいるのだから、もしかしたら戦いにならないという可能性もあった。
(ザザのように、ゾゾと同格の……そう、皇子の類が出てこなければ、の話だけどな)
周囲の様子を観察し、何があってもすぐに対処出来るように準備しながらレイは考える。
そして……その時は来た。
「来るぞ!」
空間が歪んだ場所を発見しつつ、レイが叫ぶ。
だが、そのレイの叫びの中には驚愕の色がある。
今までにも、緑人やリザードマンが転移してきた光景は見たことがあったのだが、現在レイの視線の先にある転移の前兆たる空間の歪みは、間違いなく以前見た光景よりも大きかったからだ。
(さて、一体どんな相手が来るんだ?)
油断せずにいるレイの視線の先で、やがて空間の歪みはより大きくなり……ふと気が付けば、いつの間にか……本当にいつの間にか、森の中には大勢のリザードマンの姿があった。
その数は、森の木々に遮られている為にはっきりとは理解出来ないが、それでも分かっているのはこれまで見てきた転移の中で一番多くの数がいるということだろう。
ぱっと見たところでは、五十……いや、それ以上の数がいると言われてもおかしくはなかった。
「これは……また……」
レイの口から出たのは、驚き。
転移してくるとは思っていたし、空間の歪みから数が多いだろうと思ってもいたのだが、それでもこの数は予想以上だったのだろう。
そして何より……
「嘘……だろ……何だよあれ……」
樵を守っている冒険者の一人が、声を震わせながら告げる声がレイの耳に聞こえてくる。
いや、その冒険者は声が出せるだけ立派なものなのだろう。
現に、他の冒険者の中には声を出すことすら出来なくなっている者が存在しているのだから。
もっとも、そんな冒険者達の様子を見ても、レイは特に驚きはしない。
レイも態度にこそ露骨に出さないものの、視線の先にいるリザードマンは、明らかに他のリザードマンと比べても……いや、ゾゾと比べても特別な存在だったのだから。
何しろ、身長が三mを超え、その身体は筋骨隆々という表現でもたりないくらいの迫力を持つ。
リザードマンの巨人。
そんな言葉が思い浮かぶ程に、他のリザードマンとは違っている。
手に持つのは、大剣。……そう、身長三mを超えるリザードマンが持っていても大剣と認識出来るだけの大剣。
寧ろ、大剣よりは鉄塊とでも呼んだ方がいいような、そんな武器。
そのような武器を持つリザードマンの巨人と、レイの視線が空中で交わるのだった。