2031話
トレントの森でレイがゾゾに言葉を教えながら木の伐採をすること、十数分。
その間に五本の木が伐採され、手持ち無沙汰な冒険者達によって枝を切られて木の形を整え、レイのミスティリングに収納される。
「今更だけど、別に木を切るって言葉から教えなくてもよかったような気がするわね」
ヴィヘラが呟くと、その言葉を聞いていた他の者達が同意するように頷く。
実際、その言葉は決して間違っている訳ではない。
何となく流れでレイが木を切るという言葉をゾゾに教えたのだが、それ以外の言葉でも本来なら全然問題はなかったのだ。
「増築工事で木材が足りなくなっているって話だったし、それを考えるとそこまで問題でもないんじゃないか?」
少し誤魔化す様子でレイが呟く。
レイとしても、本当に成り行きで木を切るという言葉を教えることになったのであって、別に何かの意図があってそうした訳ではない。
であれば、今になって何となく気恥ずかしい気持ちになってもおかしくはなかった。
そんなレイを救ったのは、こちらに向かって走ってきた馬車だ。
その馬車はレイ達から少し離れた場所で停まると、扉が開き……
「●●●!」
ロロルノーラが姿を現し、レイ達から少し離れた場所で固まっていた自分の仲間達に声を掛ける。
今日転移してきた緑の亜人達にしてみれば、気が付けば全く見知らぬ場所におり、それでいながらそこには自分達とは違う多くの人や獣人、ダークエルフといった存在がおり、更にはゾゾというリザードマンの姿すらあった。
それだけでも危機感を覚えてもおかしくはないのに、グリフォンに乗ってきたレイが来ると、いきなりゾゾに見せつけるようにして木を斬ったのだ。
それも細い木ではなく、それこそ大人が何とか一抱えに出来るかどうかといった太さを持つ木を。
ある意味で示威行為に近いと思われてもおかしくはない。
実際、緑の亜人達がレイに向ける視線の中には畏怖や恐怖の色があった。
そんな中でロロルノーラがやって来たのだから、今日転移してきた緑の亜人達が驚き、喜ぶのは当然だろう。
ロロルノーラと顔見知りだったのだろう。緑の亜人達が嬉しそうに何かを言ってるのがレイの耳にも聞こえてくる。
そんな緑の亜人達の何人かが、レイに少しだけ視線を向けたりしていた。
「どうやら皆、レイに興味津々のようね」
「そうか? あれは、興味っていうか……」
ヴィヘラの言葉に、そう返す。
実際のところ、どのような視線を向けているのかというのは、本人にしか分からないのだろうが。
「ロロルノーラが来たんだから、そういう誤解は減るんじゃない?」
「だと、いいんだけどな」
ロロルノーラとの間には、それなりの信頼関係を築いているという自信がレイにはある。
実際にゾゾを従えた場所にはロロルノーラがいたのだから、その印象は強い筈だった。
とはいえ、その一件がどこまでの信頼関係になっているのかというのは、レイにもまた分からなかったが。
「取りあえず、今日も新しく転移してきたことに驚いたってのが正直なところだけどな」
「昨日で転移は終わったと思った?」
「可能性としては」
実際、昨日はゾゾ達が転移してきた後は、誰も転移してこなかったのだ。
その為に、誰かが転移してきた時のことを考えてヴィヘラにここで待機して貰っていたが、結果として誰も姿を現すことがなく、ヴィヘラが不機嫌になってしまったのだから。
そんなヴィヘラも、新たに転移してきた相手がいるということや、何よりも今朝の模擬戦のおかげで鬱憤を晴らしたということもあって、今はその不機嫌さは消えている。
「そうね。正直私もそう思ってはいたけど……ただ、今日も転移してきた相手がいるとなると、これからは色々と面倒なことになりそうね」
ヴィヘラの言葉に、レイが……そして他にも話を聞いていた者達が同意するように頷く。
実際問題、こうしてまた転移してきたということはこれからも転移してくる可能性が高いということだ。
そうである以上、何らかの対処は必要となるだろう。
それこそ、今日のように腕利きの冒険者を恒常的に配置する、といったように。
「緑の亜人達だけが転移してくるのなら、そこまで問題もないんでしょうけどね」
「否定はしない」
ヴィヘラの代わりという訳ではないが、そう言ったマリーナにレイは頷く。
「ともあれ、だ。……なぁ、あの新しく転移してきた緑の亜人達は、お前が馬車でギルムまで運んでいくということでいいのか?」
「はい。そのようにダスカー様から言われています」
執事然とした……いや、実際に領主の館で執事として働いているところを何度か見たことのあるその男は、レイの言葉にそう返す。
その言葉に、レイは自分が緑の亜人達を運んでいく必要がないのだと知り、安堵する。
護衛をしながらギルムまで戻るというのは、セトに乗って移動することに慣れているレイにとって、非常に面倒なことだった。
とはいえ、昨日の今日だということで、今日に限っては朝にトレントの森まで来る時や、夕方にトレントの森からギルムに戻る時に樵達の護衛という名目で一緒に移動することになっている。
……ゾゾがいる以上、護衛云々を抜きにしても地上を一緒に移動する必要はあったのだが。
「そうか。なら、頼む。俺達はまた誰かが転移してこないかを待ってるから」
「わかりました。皆様もお気を付け下さい」
一礼した執事は、そのまま仲間の緑の亜人と話しているロロルノーラの方に近づいていく。
ロロルノーラの側にいた緑の亜人が、最初に近づいてくる執事に気が付き、少し警戒したような視線を向ける。
(平和主義ってだけじゃなくて、一応相手を警戒するような奴もいるんだな)
そのことに少しだけ驚くレイだったが、考えてみれば全員が平和主義で相手を疑うようなことをしないというのであれば、それこそ今まで生き残るようなことは出来なかっただろう。
「では、そろそろギルムに行きましょうか。他の皆さんも、いつまでも森の中にいるのでは落ち着けないでしょうし。……それとも、ロロルノーラさん達は自然の中にいた方が安心出来るのですか?」
そう尋ねる執事だったが、当然のようにロロルノーラがそんな長い言葉を理解出来る訳がない。
とはいえ、執事もそれが分かっているので、身振り手振りで馬車に戻り、ギルムに向かうようにと態度で示す。
「●●●●●」
やがて、その態度の意味を理解したのだろう。ロロルノーラは頷き、仲間達と馬車に向かう。
言葉そのものは分からなかったが、馬車に乗るように示しているというのは、レイを含めて見ている者にも理解出来た。
そしてこの場について自分達の中で一番理解しているロロルノーラが馬車に乗ったということで、他の緑の亜人達もそれぞれが馬車に乗る。
馬車は一台で若干狭いながらも、何とか全員が乗ることは出来て、そのままギルムに向かう。
「ロロルノーラの仲間達って、一体何人くらいいるんだろうな」
「そうね。百人単位ならともかく、千人単位になったりしたら、色々と大変でしょうね」
「ギルムで住むにも、千人単位ともなれば専用の区画が必要になるだろうしな」
レイの呟きにマリーナが告げ、続いてエレーナが同意するように言葉を続ける。
「百人単位でも、住む場所とかを用意するのは大変だと思うけどな」
「だが、ロロルノーラ達の能力を思えば、全員を囲い込みたいと思うのは当然だろう。それこそ、出来ればアネシスにも何人か派遣して欲しいくらいだ」
「その辺は、俺じゃなくてダスカー様に言ってくれ。ロロルノーラ達を匿ってるのは、ダスカー様なんだし」
レイがそう告げるが、実際にはロロルノーラ達の情報を集めた者の多くは、恐らく自分達にも何人か派遣して欲しいとダスカーに要求するだろうという予想は出来る。
実際、植物を自由に育てることが出来る……それも、植物に負担を掛けるような真似をせずにそのような真似が出来るのなら、それは非常に大きな利益となるのは間違いない。
(とはいえ、貴族の中にはロロルノーラ達を道具として使いそうな奴も多いしな。そう考えれば、信頼出来る相手にしか派遣は出来ないし、何よりロロルノーラ達がそれを承知するかどうか……)
ダスカーは、あくまでもロロルノーラ達を客人として扱っている。
それだけに、ロロルノーラ達が嫌だということは基本的に行わない。
勿論、それはロロルノーラ達がギルムに大きな利益をもたらすと分かっているからであって、もしそれがなければ、もしかしたら多少の無理は強いたかもしれないが。
「取りあえずロロルノーラ達は行ったんだし、俺達はまた暫くこの辺で待機だな。……俺はちょっと伐採された木を集めてくるから、この辺は頼む」
その言葉に皆が頷いたのを見たレイは、セトを連れて森の奥に……樵達がいる方に向かおうかと思ったのだが、セトがイエロと遊んでいるのを見て、自分だけで森の奥に向かう。
ゾゾも一緒に来たがったが、ここからそう離れることはないと身振り手振りで示したことで多少は安堵したのか、その場に残る。
……他の面々から、言葉を教えて貰っているというのも、この場合は大きかったが。
森の奥とはいえ、そこは樵達が木を伐採して進んで行った場所だ。
歩くのに木が邪魔になったりといったことは……
「いや、切り株が邪魔か」
とはいえ、緑の亜人達がいることを考えると、この切り株を掘り返すような真似は止めた方がいいのは間違いなかった。
切り株がある木と、切り株がない木。
どちらが新たに生えやすいのかと言われれば、当然のように前者なのだから。
(そう考えると、これから歩く時とかにも注意する必要があるか。下手に切り株に足を引っ掛けたりすれば、怪我をするという可能性も十分にあるし)
切り株に足を引っ掛けないように、そしてドラゴンローブを引っ掛けないようにしながら森の奥に進むと、やがて何本かの木が倒れているのを見つける。
既に樵や助手をしている冒険者達が枝を切っており、ミスティリングに収納されるのを待っているだけの状態の木。
そのような木に触れ、次々とミスティリングに収納していく。
樵達の方も、木を伐採しておけばそれをレイが収納してくれるというのは分かっているので、伐採した木を一ヶ所に集めるといった真似をしなくてもいい。
そうなると木を探してレイが歩き回る必要が出てくるのだが、伐採された木にはしっかりと目印を付けているので、基本的にレイがそれを見逃すといったことはない。
伐採された木を運ぶというのは、樵やその手伝いをしている冒険者達にとってもかなり大変な作業だ。
本来なら、伐採した木はある程度の期間放っておくことにより、木が内部に蓄えた水分を失わせるといった真似をする必要がある程に。
だが、トレントの森の木はそのような真似をせずに錬金術師によって魔法的な処理を施されることになるので、寧ろ水分を含んだまま運ぶ必要があった。
「面倒ではある……」
「うっ、うわああああああああああっ!」
と、レイが最後まで言葉を発するよりも前に、そんな叫び声が聞こえてくる。
即座にレイは声のした方に向かって走り出す。
トレントの森には基本的にモンスターは存在しないが、それでも他の場所からモンスターがやって来て棲み着くということはある。
そして、ここが辺境である以上は、場合によっては強力な……それこそ、本来ならその辺の冒険者が手を出せないようなモンスターが棲み着くという可能性も皆無ではない。
とはいえ、転移のことがあるので今日護衛としてトレントの森にやって来ている冒険者は、樵の護衛をするという者も含めてある程度の実力がある者が集められているのも事実だったが。
それだけに、その辺にいる程度のモンスターであれば対処出来る者がいるにも関わらず、先程のような悲鳴が上がったというのは、護衛の冒険者達の手に負えないような相手が出たということを意味していた。
今の声は間違いなくエレーナ達にも聞こえただろうから、向こうでもすぐ行動に移るだろう。
それでも、レイの方が悲鳴から近い場所にいる以上、優先して行動を起こす必要があった。
その辺に生えている切り株が邪魔だったが、それでも足を引っ掛けないようにして走り……やがて、十秒もしないうちに悲鳴の聞こえた場所に到着し……
「リザードマン!?」
目の前に広がっていた光景に、そう叫びを上げる。
事実、レイの視線の先では冒険者とリザードマンが双方共に向き合っていたのだから。
不幸中の幸いだったのは、まだ実際に戦闘が行われていなかったことだろう。
冒険者達の後ろにいる樵のうちの一人が地面に尻餅をついているのを見れば、先程の悲鳴は誰の口から上がったものなのかは容易に想像することが出来る。
そして何よりレイを驚かせたのは、冒険者達と向き合っているリザードマン達が、ゾゾ達と同じ鎧を身に着けていることだった。