2030話
「えーっと……いや、何が起きたのかは、分かってる」
トレントの森に戻ってきたところで、緑の亜人が増えていたことについてレイがそう告げる。
そもそも、また誰かが転移してくるかもしれないからこそ、こうやって何人もの腕利きの冒険者や騎士、兵士といった者達がトレントの森にいたのだ。
それを考えれば、緑の亜人達が転移してきたのは、ある意味で予定通りと言ってもいい。
(まぁ、本当に転移してくるとは思わなかったけど)
昨日から今日にかけて、ゾゾ達が転移してからは誰も転移してくる様子がなかった。
それを思えば、ゾゾ達が最後の転移で、それ以後に誰かが転移してくるとはレイは思っていなかったのだ。
勿論、それはあくまでも楽観的な予想であり、実際にこうして緑の亜人達が転移してきている以上、その予想は外れた訳だが。
転移してきた緑の亜人達の数は、十人程。
数としては、そこまで多い訳ではない。
そのことを喜べばいいのか、残念に思えばいいのか迷いつつ、レイは若干不機嫌そうな様子のヴィヘラに視線を向ける。
「それでヴィヘラが不機嫌そうなのは、やっぱり転移してきたのがロロルノーラの仲間達だけだったからか?」
「そうらしい。ゾゾのように、ある程度力を持った者が転移してくると期待していたのだろう」
「あー、なるほど。だと思った。とはいえ、誰が転移してくるのかはまだ分からない。それを考えると、しょうがない一面もあるんだろうな」
レイの言葉に、それを聞いていたエレーナやマリーナも頷いている。
だが、実際には転移してきたのは緑の亜人だけであり、それがヴィヘラには面白くなかったのだろう。
「取りあえず……緑の亜人達はゾゾを怖がっている様子だけど、何かあったのか? いや、緑の亜人達がリザードマン達に攻撃をされていたと考えると、その気持ちも分からないではないけど」
「そうなるわね。とはいえ、ゾゾはそこまで高圧的な様子ではなかったのを考えると、向こうもそこまで怖がっているとは思えないけど。……やっぱり言葉が通じないという点は大きいわね」
「そうだな。……というか、これからも緑の亜人達が転移してくるとなると、その全員にどうにかして言葉を覚えさせる必要があるのか」
面倒な。
そう言外に告げるレイだったが、実際に転移してきた者にしてみれば、その辺りは非常に重大なことなのは間違いない。
転移した先は、言葉も何も通じない状況で、しかもそこには自分達を攻撃していたゾゾの姿がある。
その上、ゾゾの周囲には冒険者や騎士、兵士といった者達もおり、それらがゾゾの仲間であり、同時に自分達の敵であるという可能性も否定は出来ない。
「まぁ、その件は運次第だしな。……それより、置いていったゾゾはどうだった?」
レイと一緒にいたいと思うゾゾだけに、今回レイが伐採された木を持っていくのに自分も一緒に行きたいと主張したが、結局それは却下されてしまった。
その上で緑の亜人達が新たに転移してきたのを考えると、ゾゾが大人しくしていたかどうかというのは、レイにとっても気になるところだ。
もっとも、緑の亜人達が一ヶ所に固まってはいても、特に怪我の類をしていないのを見れば、ゾゾが危害を加えるというのがなかったのは明らかだったが。
「●●●●」
レイの視線を感じたのか、ゾゾは何かを言いながらレイに向かって一礼する。
そんなゾゾの態度に緑の亜人達が驚きの表情を浮かべていたが、レイは特に気にせずに頷くだけに留めた。
「ゾゾ、置いていって悪かったな。それと、あの連中を落ち着かせてくれたことにも感謝する」
ゾゾに向かってそう告げるレイだったが、当然のようにその言葉が通じるといったことはない。
だが、身振り手振りもそうだが、レイの言葉のニュアンスで大体どのようなことを言っているのかというのは分かったのか、再度一礼する。
その程度のことは気にしていないと、そう態度で示しているゾゾだったが、緑の亜人達はそんなゾゾを見て再度驚く。
(この様子を見る限りだと、リザードマンだからって訳じゃなくて、ゾゾだから怖がられているのか? で、そのゾゾが俺に向かって丁寧に接しているから、それで驚く、と)
緑の亜人達の様子からそう予想しながら、レイはマリーナの方を見る。
「それで、あの緑の亜人達をギルムまで運ぶ手筈は?」
「ああ、それは心配ないわ。冒険者が一人、この件をギルムに知らせる為に馬に乗っていったから」
「……俺がもう少し早く帰ってきてれば、ギルムまで行ってもよかったんだけどな。それとも、今からでも俺がもう一回ギルムまで戻るか?」
元々何かあった時ににはすぐにギルムに知らせられるようにということで、今日は馬車を牽く以外にも馬が用意されている。
ギルムに知らせに行ったのは、そんな馬の一頭を使ってのものだったのだろうが……当然のように、セトが空を飛んで移動する方が速い。
であれば、今からでも自分がギルムに向かった方がいいのではないか。
そう尋ねるレイだったが、マリーナは首を横に振ってそれを否定する。
「そこまでしなくてもいいいわ。レイがギルムに向かってからそう時間が経っていない時に転移してきて、それからすぐにギルムに知らせに向かったんだから、もうギルムに到着していてもおかしくないわ。そうなると、今から行っても入れ違いになるだろうし……」
そこまで言ったマリーナが、そこで一旦言葉を切ると、ゾゾに視線を向けた後、再びレイを見た。
言葉には出さないが、それだけでレイはマリーナが何を言いたいのかを理解してしまう。
ここでレイがいなくなってしまえば、間違いなくゾゾが影響されるのだろうと、と。
「うん、取りあえず俺はここで大人しくしてるよ。それで……」
何かを言おうとしたレイだったが、それよりも前にトレントの森の奥の方で木が倒れる音が聞こえてきて、言葉を止める。
「この状況でも、樵は仕事を続けてるのか。これは褒めるべきか、それとも呆れるべきか。どっちだと思う?」
「それは褒めるべきじゃない? ただでさえ増築工事で木材が足りていないのに、昨日は早めに終わったし。その分、今日は多くの木を伐採しようとするのは当然だと思うけど」
マリーナのその言葉に、周囲で話を聞いていた多くの者が頷く。
レイもまた、そんなマリーナの言葉には頷かざるをえない。
「そう言われればそうだな。いっそ、俺が木を伐採してしまうか?」
樵達は、自分の仕事道具の斧を使い、何度も木に叩きつけてようやく一本の木を伐採する。
だが、レイの場合はデスサイズを一閃させれば、それだけで木を伐採することが出来るのだ。
効率という意味では、明らかにレイの方が上だった。
にも関わらずレイが木の伐採を行わないのは、レイが木の伐採をやれば樵の仕事を奪ってしまうからであり、同時にレイは木の伐採以外に様々な仕事がある為だ。
とはいえ、建築資材としての木が足りない現状では、それこそある程度安定するまでは自分が伐採をやった方がいいのではないかと、そう思ってしまう。しかし……
「止めておいた方がいいんじゃない? 今はまだちょっと戸惑ってるけど、レイが連れて来た樵の人達もそろそろ慣れてきた頃だから、木の伐採に関しては問題なくなると思うわ」
レイとマリーナの話を聞いていたヴィヘラが、そんなレイの意見を否定する。
「そうか?」
そう呟くレイだったが、すぐにヴィヘラの言葉を証明するかのように、何本かの木が纏めて倒れていく。
「……そうらしいな」
あまりのタイミングに、もしかして狙っていたのか? と思わないでもなかったが、ヴィヘラの様子を見る限りでは特に悪戯が成功したといったような様子も見えない。
であれば、今のは本当にただの偶然だろうと思い直す。
「それにしても、ここの木は他の森の木とはやっぱり色々と違うのか?」
「レイはどう思ったの?」
「俺は特に何か違う感じはしなかったけど……デスサイズだしな」
「あー……」
レイの言葉に、聞いていたヴィヘラどころか、デスサイズの性能を知っている者達全員が納得したように頷く。
実際、デスサイズはレイだけしか使えない――持つという意味でならセトも問題はない――が、その性能は凶悪の一言につきる。
何しろ、魔力を通さずに生えている木を一振りで切断出来るのだから。
それ以外にも様々な特殊能力があり、黄昏の槍共々レイの強さを証明する存在の一つでもある。
「というか、ぶっちゃけた話、木を伐採するくらいならエレーナ達でも出来るだろ?」
「ん? うむ、そうだな。私も出来るのは間違いない」
エンシェントドラゴンの魔石を継承した異名持ちのエレーナがレイの言葉にあっさりと頷く。
それ以外にも極めて優秀な……それこそ、この国どころか世界でも恐らく最高峰の精霊魔法使いたるマリーナであれば、精霊魔法で木を伐採することが出来るだろうし、ヴィヘラは浸魔掌や魔力で出来た爪を生み出すマジックアイテムの手甲がある。
それらの能力を考えれば、トレントの森の木を伐採するのはそう難しいことではない筈だった。
もっとも、場合によっては伐採ではなく木の幹を粉砕するといった手段になったりもするのだろうが。
「●●●●? レイ●●」
レイ達の話を聞いていたゾゾが、そんな風に話し掛けてくる。
殆どの言葉はレイにも理解出来なかったが、それでもレイの名前が入っているのは理解出来た。
「あー、うん。そうだな……木を伐採出来るかどうかってのを話してるんだよ」
そう言いながら、レイは少し離れた場所に生えていた木の幹を指さす。
そんなレイの行動で何を話しているのか理解出来た訳ではないだろうが、それでも木に関係している話をしているというのは分かっているのか、ゾゾはその木に近づいていく。
木の幹を見て、レイを見て、そしてまた木の幹を見る。
最終的には、結局レイが何を言いたかったのか分からず、不思議そうに尻尾を左右に動かす。
レイも、今の状況を思えば自分の言葉をゾゾがしっかりと理解出来るとは思わなかったが、少しでも言葉を教えるのに良い機会だと判断してゾゾの方に近づいていく。
「木」
「木」
単語に関しては、ゾゾもそれなりに覚えているのか、木という言葉をすぐに発する。
それを見て……
「まぁ、木の一本くらいはいいか。足りないって話だったし」
呟き、ミスティリングからデスサイズを取り出す。
「!?」
既にゾゾの前では何度もアイテムボックスを使っているのだが、それでもまだ慣れないのだろう。
いきなり現れたデスサイズに、ゾゾは驚き、思わず後退る。
また、新たに転移してきた緑の亜人達も、レイが何もない場所からいきなりデスサイズのような巨大な武器を取り出したのを見て、驚愕を露わにする。
そんな様子に、レイのやり取りを見守っていたエレーナ達、そしてギルムの冒険者や兵士、騎士達といった面々がどこか懐かしそうな視線を向けていた。
最初にレイがアイテムボックスを使っているのを見た時は、皆が驚くのだ。
だが、レイは珍しい……それこそ現在確認されているのが数個しか存在しないアイテムボックスを持っていても、それを隠すといった真似はしないで普通に使う。
それだけに、当然のようにギルムに住んでいる者達はアイテムボックスの存在に慣れてしまうのだ。
……中には、レイからアイテムボックスを奪おうと考える者もいるが、そのような者が一体どのような結末を迎えるのかは、考えるまでもなく明らかだった。
しかし、レイはそんな周囲の驚きに構わず、ゾゾを見て、しっかりと声が聞こえるように口を開く。
「木」
「……木」
先程と同じく、再び木を指差しして木という単語を口にする。
ゾゾがそれに会わせて木という単語を口にしたのを聞いてから、デスサイズを構える。
「斬る」
「じぇじゅ」
「き・る」
「ひぇ・る」
「き・る」
「き・る」
最初は上手く発音出来なかったゾゾだったが、レイが何度か口にすることで最終的には何とか斬るという言葉を口にすることに成功する。
(とはいえ、斬る、切る、着る……といった具合に、色々な意味があるからな。この辺のニュアンスの違いは、後で勉強して覚える必要があるだろうが)
その辺は後で覚えて貰えばいいだろうと判断し、レイはデスサイズを振るう。
特に力を入れた訳でもなく、魔力を流している訳でもないにも関わらず、デスサイズの刃は大人一人では木の幹に抱きついても両手がくっつかない程度の太さの幹を持つ木を、あっさりと切断する。
デスサイズを振るった時の軌道により、木が倒れる方向も人のいない方に向けられており、それを見ていた者達は木が倒れる光景を安心して眺めていることが出来た。
「木を斬る」
レイは驚きの表情を浮かべているゾゾに向かい、そう言葉を繰り返すのだった。