2026話
「おおう」
領主の館に到着したレイの口から、そんな声が出る。
何故なら、門の外からでも分かる程に、領主の館の中に生えている植物が生長していた為だ。
今は春である以上、当然のように植物は生長する。
だが、それでも昨日の今日で二m以上も伸びるといったことになるのは、明らかにおかしい。
そして、おかしい以上は何らかの理由があるのが当然であり、レイはその理由についても予想出来てしまった。
「あー……取りあえず、うん。これってロロルノーラ達の食事だよな?」
門番をしている兵士の一人に尋ねると、その人物はそっと視線を逸らす。
今日の領主の館の前は、いつもと明らかに違う。
いつもであれば、増築工事の件でダスカーに挨拶にやってくる商人達が多く並んでいるのに、その姿はどこにもない。
また、正門の前にいる門番の兵士の数も、明らかに以前よりも多くなっている。
その理由が昨日の件にあるというのは、明らかだった。
「取りあえず、レイ達が来るというのは聞いてるから、中に入ってくれ」
門番の言葉に従い、レイ達は領主の館の中に入る。
すると、真っ先に視界に入ってきたのは、やはりと言うべきか門の外からでもしっかりと見えていた植物。
場合によっては、ここが本当に領主の館なのかと疑ってしまうような、そんな光景。
「凄いな、これは」
エレーナが、感心したように呟く。
その手に抱かれているイエロも、何度か来たことがある場所であるにも関わらず、全く違う様子を見せている周囲の光景に驚きの鳴き声を上げる。
「これは……凄いわね」
一方、驚くと同時に感心した様子を見せているのは、マリーナ。
最初レイから緑の亜人達の話を聞いた時は、植物を無理矢理成長させる……それは、もしかして植物に負担を掛けているのではないかと、そう考えていた。
だが、こうして直接植物を目にすれば、生長した植物には全く負担が掛けられておらず、それどころかのびのびとしているというのが理解出来る。
「普通は驚くよな。……俺も初めて見た時は驚いた」
エレーナとマリーナの二人に対し、レイがその驚きは分かるといった様子で頷く。
実際のところ、こうして見る限りではレイが昨日見たよりも明らかに植物の生長が早い。
昨日ロロルノーラ達が見せたのは、伸びても数cm程度でしかなかった筈なのだ。
(つまり、俺が見たのはおやつ程度の扱いだったから、数cmくらいしか植物が伸びなかったのか? 本気でロロルノーラ達が食事をすれば、コンスタントにこれだけ伸びるとかだったりしたら……トレントの森に生えている木がなくなる心配はしなくても良さそうだな。土の養分とか、そういうのは心配だけど)
周囲の光景を眺めつつ歩き続け、やがてレイ達は領主の館の前に到着する。
「グルゥ」
「キュ?」
セトとイエロは、レイが何も言わなくても二匹揃って中庭に向かう。
ダスカーに何の断りもなく行われている行為なのだが、ダスカーであればこの程度のことは全く何の問題もないと判断するのは明らかであり、実際に今まで何度となく領主の館にやって来たレイだったが、その件で何かを言われたことはない。
そうして、既に慣れた様子で領主の館の扉を開け……
「いらっしゃいませ」
その先にメイドが待っていたのを見て、ある意味で納得する。
現在領主の館は、転移してきた緑の亜人やリザードマン達といったような存在がいる為に、厳戒態勢に入っていた。
それは、ダスカーの昔馴染みのマリーナがいて、転移してきたリザードマンの中でも一番偉いゾゾがいるレイ達であっても、好き勝手に屋敷の中を歩いたりは出来ないということだ。
「ダスカーは今どこにいるの? 昨日の件で色々と大変でしょうけど、案内してくれる?」
「畏まりました」
メイドはマリーナの言葉に即座に頷く。
これが普通の相手であれば、メイドもこのような対応はしないだろう。
だが、マリーナは色々な意味で別格の存在だった。
それこそ、ダスカーが小さい頃からこの領主の館に出入りをしているのだから、メイドとして雇われた時にその辺りの教育はしっかりとされる。
ダスカーにとっては、半ば姉――本人は決して認めないだろうが――のような存在であり、だからこそこのような勝手も許される。
……もっとも、それ以外にゾゾを連れていて、一連の事情を知っているから、というのも大きいのだろうが。
「こちらへどうぞ」
そう言い、メイドは先頭に立って歩き出す。
向かったのは、いつものように執務室……ではなく、パーティをやる時に使われる大広間。
そこには、ダスカーやその部下、もしくは護衛の騎士といった者以外にも、緑の亜人やリザードマン達の姿があった。
「おう、来たのか。……また、随分と大勢で」
「あら、今回の件は色々と興味深いんですもの。それに、レイの仲間としては当然でしょ?」
笑みを浮かべてそう言うマリーナに何か言い返そうとしたダスカーだったが、マリーナには小さい頃の恥ずかしい話……黒歴史とも言うべきものを知られている以上、迂闊に反論も出来ない。
それに、リザードマン達はともかく、ロロルノーラを始めとする緑の亜人達については、その能力からダークエルフのマリーナに色々と聞きたいこともあったのは事実だ。
(マリーナも、レイからこの連中の持つ能力を聞いて興味を抱いてやって来たんだろうけどな)
ダスカーはそう言いながら、視線をゾゾに向ける。
レイの後ろに控えているゾゾは、部下のリザードマン達を一瞥し、特に怪我をしている者もいないと知ると、それ以上は特に興味を示さず、レイの後ろでじっとしていた。
「レイ、そっちの方では昨日と今日で何も問題はなかったか?」
それがゾゾに関して尋ねているのだと理解したレイは、すぐに頷く。
「はい。正直なところ、最初に会った時とは別人かと思うくらいに従順ですね」
「ほう。そうなると、そっちのリザードマン達もそうなる可能性があるのか? レイがゾゾを従えたのは、戦いで勝ったからだったな? そうすると……」
ダスカーがリザードマン達の方を見ながら呟くが、レイとしては戦いを勧める訳にもいかない。
本当に戦いでゾゾがレイに従うようになったのか、もしくはゾゾだけがそういう性質……いや、性格を持っていたのか。
その辺りが分からないからだ。
もしゾゾだけがそういう性格であったのなら、そのような状況でリザードマンに戦いを挑んで従わせるというのは、かなり不味い。
特に、リザードマン達がどこかの国に所属している可能性が高い以上、何かあった時、問題はより大きくなってしまうだろう。
レイが気が付くことであれば、当然のようにダスカーも気が付き、すぐに首を横に振る。
「止めておくか」
「そうした方がいいでしょうな」
「これは、エレーナ殿。挨拶が遅れましたな」
「いや、そちらの都合も分かるので、気にしないで下さい。それにしても……これは見事に……」
エレーナの視線が向けられたのは、ロロルノーラ達だ。
その皮膚までもが緑というのは、エレーナにしても非常に珍しいのだろう。
「ああ。そちらですか。……門の側の植物を見たかな?」
「ええ、私が知っているよりも、随分と生長していたようですね」
「ロロルノーラ達に、どこまで出来るのかということを聞いたら、一日……いえ、昨日この屋敷に来てからなので、実際には半日かそこらで、ああなりましてな。嬉しい誤算です」
「半日……」
半日ということで驚いているエレーナだったが、実際にはその半日の中にはロロルノーラ達の睡眠時間も入っているのだから、実際にはもっと短い。
横で聞いていたレイは、身振り手振りでそのような意思疎通に成功したことにこそ、驚いたのだが。
自分が何度も身振り手振りで意思疎通をしているだけに、その大変さはしっかりと理解していた。
簡単な意思疎通ならそこまで難しくはないのだが、それが複雑な意思疎通となると、身振り手振りの難易度は加速度的に上がっていくのだ。
(その辺りを直接経験したダスカー様なら、ロロルノーラ達に言葉と文字を教えるのが必須だと思い知っただろうな。それと、リザードマン達にも)
そう思い、レイはダスカーに尋ねる。
「よく、そういう難しいのをロロルノーラ達に理解させることが出来ましたね」
「分かってくれるか」
しみじみといった様子で呟くダスカー。
それを見れば、実際にそのやり取りがどれだけ大変だったのかの予想は出来る。
もっとも、実際にロロルノーラ達と身振り手振りでやり取りをしたのだが、ダスカー本人であるとは限らないのだが。
いや、そもそも領主という立場のダスカーが、そのようなことに時間を取られても大丈夫なのか、といったことを考えれば、部下にやらせた可能性の方が高いだろう。
「ともあれ、ロロルノーラ達の能力がはっきりしたのはいいことですね」
「そうだな。色々と大変だったが、その甲斐はあったということだ」
しみじみと呟くダスカー。
そんな様子を見たレイは、トレントの森の一件で目処が立ったことが嬉しいのだろうと予想する。
とはいえ、ロロルノーラ達がどの程度の割合で食事をするのかは分からないし、食事の度にトレントの森まで連れていくのも、大変なのは事実だ。
(そうなると、ロロルノーラ達にはトレントの森に住んで貰うのが最善なんだろうけど……ただ、トレントの森はちょっとな。昨日までなら問題はなかったんだろうが)
リザードマン達に襲われているところを転移してきたのを考えれば、またゾゾの仲間達が転移してくるかもしれない以上、ロロルノーラ達をトレントの森に住まわせるといったことは難しい筈だった。
それこそ、下手にロロルノーラ達をトレントの森で生活させて、気が付けばいつの間にかリザードマンが転移してきており、全員が殺されてましたなどという最悪の結果になる可能性すらあるのだから。
「まぁ、何をするにしてもまず必要なのは意思疎通の方法ですね」
「……そうだな」
レイの言葉に、しみじみといった様子でダスカーが頷く。
昨日から今日に掛けて、ロロルノーラ達と意思疎通をするのがそれだけ大変だったのだろう。
とはいえ、レイの名前を簡単に覚えたロロルノーラのことを思えば、そこまで言葉を覚えるのに時間が掛かるとは思えなかったが。
「そう言えば、リザードマン達の方は何か問題を起こしたりはしませんでしたか? ゾゾが俺と一緒に来てしまいましたけど」
「問題ない。ゾゾだったか。そのリザードマンが前もってしっかりと言い聞かせておいてくれたからか、特に何か問題を起こすようなこともなく、大人しいままだったよ」
「そうですか。なら、いいんですけど」
ダスカーと会話をしつつ、レイは自分の後ろに控えているゾゾに視線を向ける。
視線を向けられたゾゾは、何故自分がそのような視線をむけられたのかが分からないのか、一瞬目の中に動揺の色を浮かべたが、それもすぐに消えた。
レイの前でみっともない姿は見せられないと、そういうことなのだろう。
「ゾゾ、お前もリザードマン達に何か話すことがあるのなら、向こうに言ってきてもいいぞ」
そう言いながら、身振り手振りリザードマン達の方を示す。
レイの様子から何を言いたいのかということを察したのか、ゾゾは少し迷った様子を見せる。
だが、レイの……自分の仕える相手に気を遣われたのであればということで、レイに一礼してからリザードマンのいる方に向かって歩き出す。
「随分と素直にレイの指示を聞くんだな」
ダスカーが、感心したように呟く。
そこには若干の羨ましさの色があるのは、恐らくレイの気のせいという訳ではないだろう。
とはいえ、レイにしてみればダスカーには忠誠心の高い部下は多いのだから、そこまで羨ましがる必要があるのか? という思いがある。
(全員が全員そんな訳じゃないんだろうけど)
寧ろ、ゾゾのような忠誠心を持つ人物が大量にいるというのは、非常に違和感を抱いてしまう。
とはいえ、それは別にダスカーの部下の中に裏切り者の類がいるという訳でもない。
勿論、いないとは言い切れないが、部下達のダスカーに対する態度を見ていれば、そのような者はいてもそこまで多くないというのは確実だった。
「それで、レイ。今日の件だが……」
レイがゾゾについて何かを言うよりも前に、ダスカーが話を変える。
そのことに若干助かったという思いを抱きつつ、レイは頷く。
「トレントの森の件ですよね。樵の護衛とかはどうしたんですか?」
「ギルドの方に連絡して、腕利きの冒険者をある程度集めて貰った。……本来なら、騎士や兵士を大々的に派遣したいところだが、今はまだそこまで大袈裟にするのは、色々と不味いからな」
「あら、でも……恐らく昨日の件を見た樵や冒険者達が、酒場で酔っ払って色々と言ってるでしょうし、そうなれば多分そう遠くないうちに噂が広まることになるわよ?」
マリーナの言葉に、ダスカーは微妙に嫌そうな表情を浮かべるのだった。