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レジェンド  作者: 神無月 紅
増築工事の春
1999/3865

1999話

剣と魔法の世界で俺だけロボットの方も更新しています。

https://ncode.syosetu.com/n0434fh/

「うわああああああああっ!」


 その男は、悲鳴を上げながら逃げる。

 だが、そんな逃げる男の後ろからは、娼婦か踊り子のような服装をした女が追ってくる。

 いや、追ってくるのはその女だけではなく、何人もの冒険者が追ってきている筈だ。

 男は混乱した頭の中では、とにかく逃げるということしか考えていない。

 自分が握っている、刀身に血の付いた短剣を振り回しながら、少しでも後ろから追ってきている者達から逃げようと、必死になる。

 あるいは、持っていた短剣を投げ捨てれば、そこまで目立つようなこともなかったのかもしれないが……混乱している今の男では、そんなことを思いつくような余裕もなかった。

 今は、とにかくただひたすらに逃げるということだけしか、その頭の中にはない。

 だが……次の瞬間、男は不意に誰かが自分の隣を走っているのに気が付く。


「うわぁっ!」


 それが自分を追ってきた相手だと気が付いた……訳ではなく、半ば反射的な動きで男は短剣を振るう。

 男の手には、先程の喧嘩の際に頭に血が上り、人の身体を刺した感触が残ってはいたのだが……それでも、自分が捕まるかもしれないという恐怖から、短剣を振るったのだ。


「あら、駄目よ」


 しかし、そんな声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には男の視界が反転し、強い衝撃を背中に感じる。

 何があった?

 一瞬そう思った男だったが、まさか自分の走っている勢い、そして短剣を振るった勢いを利用され、そのまま自分が地面に叩きつけられた……などというのは、完全に予想外だったのだろう。

 それを行った女……ヴィヘラも、人を刺して逃げ出した相手に手加減をするなどという真似は殆どしなかったので、男は地面に叩きつけられた衝撃により、一瞬息が出来なくなり、次の瞬間には地面に寝転がったままで激しく咳き込む。


「全く。喧嘩ならこんな武器なんか使わないで、素手でやればいいものを」


 呆れたように息を吐き、ヴィヘラは今日一緒にグループを組んでいる者たちがやって来るのを待つ。

 グループの中で、ヴィヘラだけが突出した能力を持っているということもあり、今回はこうしてヴィヘラだけで一気に男を捕まえたのだ。

 咳き込んでいる男を眺めながら、ヴィヘラは今回の一件を思い返す。

 ことの始まりは、そう複雑なものではない。

 それこそ、道を歩いている時にぶつかった、ぶつからない。睨んできた、睨んでいない。そんな下らない理由から、数人ずつの集団が言い争いになった。

 血気盛んな若い男達だけに、言い争いになれば当然のように殴り合いになり……そして、自分達が不利になったと思えば、このまま負けたくない、侮られたくないと考えた者の一人が懐の短剣を抜くのも当然だった。

 興奮していた男は、半ば発作的に短剣を振るい……対立していた集団にいた男の太股を刺した。

 それに驚いたのは、それこそ刺した男の仲間だった。

 喧嘩をするというのはともかく、まさか自分達の仲間が武器を使って、しかも脅すのではなく本当に刺すというような行為をするとは思ってもいなかったのだから。

 そして刺した男は恐怖から逃げ出し、結果がこの有様だった。


「全く、まだ春になったばかりだっていうのに、何でこういう人が多いのかしら」

「はぁ、はぁ、はぁ……それは、春になったばかりだからですよ」


 ようやく追いついてきた冒険者の一人が、息を荒げながらそう告げる。

 そして、実際その言葉が決して間違っている訳ではないことを、ヴィヘラも知っていた。

 知っていたが、それでもやはり不満に思うのだ。


「治安維持の仕事……もう少し後で引き受ければよかったかしら。もしかして、ビューネがマリーナの家にいたのって、こうなる可能性が分かっていたからかもしれないけど」


 春になったばかりで、冬の間はギルムにいなかった人員が短期間で大量に入ってきた。

 そんな中には、当然のように今回のような事件を起こす問題児……あるいは、それ以上に性格に問題のある者も多い。

 一気に入ってくる人数が多いので、当然のように問題を起こすような者の数も増える。

 それを考えれば、治安を守るという意味では今が一番大変な時期なのだろう。

 迷宮都市エグジルで長年一人で暮らしていたビューネは、その辺りを予想して今日はマリーナの家に残った――ビューネも一応は夕暮れの小麦亭が定宿なのだが――のだろう。


「俺達としては、ヴィヘラさんみたいに腕の立つ人が一緒にいるってのは、嬉しいですけどね。……それに、赤布がいないだけまだ楽な方ですよ」

「赤布……ね」


 赤布の多くは、目玉への生贄として殺されてしまった。

 幸いにもまだ生き残っていた者達もいたが、その者達は自我が喪失しており、自発的に何かをするといったことはない。

 ヴィヘラが知ってる限りでは、その者達はダスカーによってどこかの建物に軟禁されている、という話だった。

 もっとも、自発的に何をするでもないような者達で、ただ食料や水、それ以外にも生活物資を消耗するだけの存在だ。

 ダスカーだからこそこうして生かしているが、もしもっと冷酷な領主であったり、利益にならない存在をわざわざ生かしておく必要がないと判断するような者であれば、既に自我の存在しない、ただ生きているだけという赤布達は殺されていただろう。

 あるいは、赤布の中には若い女もいたことから、死ぬよりも悲惨な運命が待っていた可能性もある。

 その辺の事情を考えれば、治療方法を考えたりはせずとも、生かしておくというダスカーは十分善人と呼ぶに相応しい人物だろう。


「ヴィヘラさん? どうかしましたか?」

「いえ、何でもないわ。取りあえず、この男は警備兵の詰め所に連れて行きましょうか。このまま私達が確保してる訳にもいかないでしょうし」

「それは大丈夫です。既にもう何人か警備兵を呼びに行かせましたので」

「あら、気が利くわね」


 笑みを浮かべてそう告げるヴィヘラに、男は自分でも頬が赤くなるのが分かった。

 男も、別に女を知らない訳ではない。

 金に余裕があれば娼館に行くこともあるし、恋人がいたこともあった。

 それでもヴィヘラの笑みを見ただけで、ここまで初心な反応をしてしまうのだ。

 そんな自分の反応に、頭を抱えて地面を転げ回りたいという思いを何とか押し殺しながら、ヴィヘラと事務的な会話を続ける。

 やがて警備兵がやってきて、男を捕まえるまで、ヴィヘラはその場に留まるのだった。






「はい、これで問題はない筈よ。……けど、無理はしないようにね」

「ありがとうございます、マリーナ様」


 マリーナの使った水の精霊魔法によって怪我の治療を終えた男は、頭を下げて部屋の中から出ていく。

 そんな後ろ姿を見送り、マリーナは周囲を見回す。

 何人かの魔法使いが、それぞれ自分の持つ回復魔法を使って怪我人を治療している。

 いや、回復魔法だけではなく、薬草の類を使って回復している者も多い。

 元々魔法使いというのは非常に数が少なく、その中でも回復魔法を使える者となれば更に少なくなる。

 それだけに、軽い怪我程度であれば薬草やポーションといったもので回復している者も少なくない。

 実際、マリーナが回復した男も、増築工事の最中に手元を狂わせ、大工道具でかなり深い傷を負ってしまっていたのだから。

 ……この場合は、寧ろそれだけの怪我を短時間で治療した、マリーナの精霊魔法の実力を褒めるべきなのだろう。


「それにしても、怪我人が絶えないわね」

「それはしょうがないわ。これだけの人数が一斉に仕事をしてるんだもの」


 薬草を使って軽い怪我の治療を終えた女が、マリーナの呟きにそう返す。


「そうね。ただ……仕事の上での怪我じゃなくて、血の気の多い子達が喧嘩して……ってのもあるでしょ? ほら、さっき運ばれてきた、足を刃物で刺されたって怪我とか」

「ああ、そういうのは……ね。どうしてもこれだけ一気に人が多くなると、ああいう人達も混ざってしまうのよ」


 そう言いながら、女は嫌そうな表情を浮かべる。

 女にしてみれば、ギルムの増築工事で負った怪我を治療するのはともかく、そのような下らないことで負った怪我を治療するのは面白くないのだろう。

 いや、面白い面白くないという理由だけではなく、単純に薬草の在庫は数が決まっているから、というのも大きい。

 ここでそのような者達に対し薬草の類を使ったりして、いざという時に薬草がなかったら一体どうなるのか。

 そんな思いが、女にはあるのだろう。

 その辺りは、精霊魔法で回復をしているマリーナにはあまり関係ないのだが。

 とはいえ、マリーナの精霊魔法も何の対価もなしに使われている訳ではない。

 精霊に与える魔力は有限だし、精霊そのものが治療に飽きてしまうという可能性だってある。


「警備兵や、治安を守る依頼を受けた冒険者が頑張ってるし、そういう人達はこれからいなくなる……という訳じゃないけど、少なくなっていくのは間違いないでしょうね」


 いなくなるのではなく、少なくなると表現するところに、マリーナの話を聞いていた女は嫌そうな表情を浮かべる。

 女にしてみれば、出来ればそのような相手の治療はしたくないというのが正直なところなのだろう。


「そうね。出来れば少なくなることを……」


 願ってるわ。

 女がそう最後まで言うよりも前に、再び下らない理由で喧嘩をした若い男達がやってきて、女は苛立ちを抑えつつ治療に専念するのだった。






 マリーナの家の庭。

 そこは、マリーナがいなくても快適にすごせるような空間となっている。

 今はもう春ではあるが、それでも家の外でこうしてゆっくりと紅茶を楽しむ……という真似をするには、まだ少し寒い。

 エレーナだけであれば、その辺はあまり気にする必要はないのだが、今はアーラやビューネといった面々もいる。

 その為、マリーナによって庭は非常にすごしやすいように環境を整えられていた。


「エレーナ様、ビューロー伯爵家の使いの者からです」


 庭に戻ってきたアーラが、エレーナの前に手紙を一通渡す。

 その手紙はしっかりと封蝋がされており、正式な手紙であることを示していた。


「ビューロー伯爵か。だが、本人ではあるまい」


 紅茶をテーブルの上に置き、エレーナはナイフを使って封筒を破り、手紙を一瞥する。


「やはりな」

「本人ではなかったんですか?」

「ああ。ビューロー伯爵の親戚だ。どうやら私に会いたいらしいが……さて、どうしたものか」


 春になり、仕事を求めて多くの者がやって来たのと同様に、貴族もまたこの春になってかなり増えた。

 ギルムが増築し、街から都市に規模を拡大するということを知った貴族達が送ってきた者達だ。

 もっとも、ギルムから近い場所の貴族は去年のうちに既に到着しているので、春になってやって来たのはギルムから遠いか……もしくは情報収集を苦手としている貴族達の手の者だ。

 手紙を持ってきたビューロー伯爵もギルムから遠い場所に領地を持つ貴族で、去年のうちに相応の人物を送ってくることは出来ず、今年の春になってようやく到着したのだろう。

 そして貴族派に所属する貴族であるということで、貴族派を率いているケレベル公爵の娘にして、姫将軍の異名を持っている貴族派の象徴ということで、面会を希望してきたのだろう。


「ビューロー伯爵は、悪い噂を聞かない人物です。会ってみてもいいのでは?」


 同じ派閥に所属するだけに、アーラも当然のようにビューロー伯爵のことは知っていた。

 貴族派にしては珍しく――こういう表現をしなければならないのが、アーラとしては非常に残念なのだが――善政を敷いており、その領地はかなり栄えていると。

 もしこれが、領民から激しく搾取しているような貴族であれば、エレーナに悪影響を及ぼしかねないとして、アーラも会うのを勧めるような真似はしなかったのだが。

 そんなアーラの言葉に、エレーナは少し考え……やがて頷く。


「出来れば、ビューロー伯爵本人と会ってみたかったのだがな。だが、分かった。アーラがそう言うのであれば、会ってみよう。アーラ、向こうと話し合って会談の席を設定して欲しい」

「分かりました。では、すぐに準備します」


 そう言い、頭を下げてアーラは庭から去っていく。

 それを見送り、エレーナは再び紅茶を口に運ぶ。

 庭では、ビューネがイエロと一緒に遊んでおり、その光景をエレーナは笑みを浮かべて眺める。


「ふふっ、春になって皆が活発に動くようになってきたが……さて、今年はどのようなことが起きるのだろうな」


 絶対に今年も何か事件が起きる。

 そう確信しているかのような言葉を呟きながら、エレーナは楽しそうに空を見上げるのだった。

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