1990話
それは、一体何と表現するべきなのだろうか。
一言で言えば、それは異形と、そう呼ぶのが正しいのだろう。
例えば、ゴブリンやコボルト、オーク。
それらは、一応人型と呼ぶに相応しい姿をしている。
もしくは、狼や猪、鳥、蛇等々。
動物をベースにしたモンスターというのは、レイにも十分に見覚えがあった。
もちろん、モンスターの中にはそういう元々の形が全く分からないような、そんな奇妙なモンスターも多い。
それでも今レイの視線の先にいる触手の主は、とてもではないが受け入れがたい姿をしている。
それは、巨大な目玉だ。
そして目玉の周囲からは、無数の触手が……レイにも嫌という程に見覚えがある、ピンクの触手が無数に伸びている。
瞼の類がある訳でもなく、本当に眼球と呼ぶ部分だけが空中に浮かんでおり、視神経のように、そして尻尾のようにすら見えるものが目玉の背後から伸びている。
何よりもおかしいのは、その大きさだろう。
空中に浮かんでいるその目玉は、それこそレイがざっと見た感じでだが、直径十mを超えているような、そんな巨大な目玉なのだ。
ましてや、その周囲には無数の触手が生えているのだから、それを見たエレーナ達三人の顔が嫌悪に歪んだのは、ある意味当然なのだろう。
いや、嫌悪に歪んだという意味では、レイやセトも同様の思いを抱いている。
正直なところ、とてもではないが自分の手で触れたいとは思えない、それほどに生理的な嫌悪感を抱くのに相応しい相手。
(妙だな)
そんな目玉を見ながら、レイは疑問を抱く。
レイは、これまで色々なモンスターと戦ってきた。
そういう意味では、それこそ気色悪い存在と戦ったのも、一度や二度ではない。
だというのに、何故この目玉に限ってそんな嫌悪感を抱くのか。
勿論そういう感情を抱くのに十分な相手だというのは理解しているが、それでもパーツ単位で見た場合は、気色悪いとは思っても、ここまで嫌悪感を抱く程ではない。
だが、目玉という全体像を見ると何故か急激に気持ち悪さを感じるのだ。
その目玉は、突然この世界に放り出されたことに戸惑ったような様子で周囲を見回している。
先程まで延々とレイによって炎の魔法を叩き込まれ、身体から伸びている触手を次々に燃やしつくされたというのに、それを全く気にしている様子はない。
……そもそも、目玉から生えている触手はどこもなくなっている部分はなく、身体中から触手を生やしていた。
レイが燃やした触手の痕跡は、どこにもない。
「どうする? 触手の主が出て来るとは思っていたけど、まさかああいう奴だってのは、ちょっと意外だったな」
レイの言葉に、一番嫌そうな表情を浮かべたのはヴィヘラだ。
当然だろう。基本的にヴィヘラの攻撃方法は格闘である以上、あの目玉と戦うとなると、その身体に直接触れる必要がある。
強敵との戦いを好むヴィヘラではあったが、生理的な嫌悪感を掻き立てる目玉に触れるというのは、強い抵抗感があった。
もっとも、目玉が空中に浮かんでいる以上、もしヴィヘラが目玉に攻撃を加えるのなら、どうにかしてヴィヘラが空中まで行くか、もしくは目玉を地上に叩き落とす必要があったのだが。
その点、エレーナとマリーナの二人は遠距離からの攻撃手段を持っている為か、目玉に対する嫌悪感を抱いていても、ヴィヘラ程に強いものではない。
「そうね。出来れば魔法で片付けたいところだけど……レイ、エレーナ、それでいい? ヴィヘラには悪いけど」
「……取りあえず、あのまま空中にいられると手が出せないから、地上に降ろしてくれると助かるわ」
マリーナの言葉にヴィヘラがそう言い返したのは、半ば意地でもあるのだろう。
ともあれ、魔法で攻撃をするというマリーナの言葉に、誰も異論はなく……マリーナがそれを確認して何かを言おうとした瞬間、空中に浮かんでいた目玉は、不意に巨大な声を出す。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
それは、一体どこから出ている声なのか、聞いているレイにも……そして他の面々にも分からない。
目玉の周囲から触手が生えており、他にあるのは視神経のようにも見える尻尾だけだ。
声帯の類はどこにもないのだから、声を出すということそのものが不可能な筈だったのだが……
もっとも、相手は人ではなく、場合によってはこのエルジィンにおけるモンスターの定義からすら外れていてもおかしくはない存在だ。
そうである以上、レイの常識が通用しなくてもおかしくはなかった。
……そして、声を出している方法そのものはレイにも分からなかったが、その声はレイにも聞き覚えがあった。
強制捜査をした際に地下空間で戦った時、レイの一撃によって聞こえてきた声だ。
以前はその声が何重にもなって聞こえてきたのだが、今は違う。
地下空間ではなく外だからなのか、もしくは目玉が空間の裂け目の向こう側にいるのではなく、この世界にいるからなのか。
ただ、今の声を聞いて分かったことがレイにはあった。
「なるほど。あの目玉に対する嫌悪感は、本当にそんな風に思っているとかそういうことじゃなくて、この世界で言う、何らかの魔法かスキルが関係している訳だ」
そう、今の声を聞いた瞬間、レイが目玉に抱く嫌悪感が明らかに増したのだ。
それはレイだけではなく、エレーナ達……そして、セトまでも同様に目玉に対する嫌悪感が増しているように思えた。
「そうね。……それこそ、視界から外したくなるような、そんな感じすらするわ」
嫌そうに、本当に嫌悪感たっぷりといった様子で、マリーナがレイに同意する。
「直接攻撃をしてくればいいようなものを。……嫌らしい真似をする。そもそもの話、こうして私達の嫌悪感を煽ってどうするつもりだ?」
エレーナの言葉は、レイを含めた他の者が抱いた疑問と同じでもあった。
そもそもの話、親近感を抱くような相手であれば、攻撃を躊躇う者も出て来るだろう。
実際に出来るかどうかは別として、ギルムでセトに攻撃をしろと言われても躊躇う者が多数いるのと同じようなことだ。
だが、抱いているのが親近感ではなく嫌悪感であれば、攻撃をするのに躊躇うようなことはない。
いや、寧ろ積極的に攻撃してもおかしくはない。
であれば、目玉が何を思ってそんな真似をしたのか……そうレイが思った瞬間、不意に目玉が動き、その視線をレイ達に向ける。
「っ!? 避けろ!」
やばい。
反射的にそう判断したレイは、叫びながらその場から跳躍して離れる。
幸いにもと言うべきか、この場にいる全員がレイの咄嗟の言葉に反応するだけの能力を持っていた。
全員がレイの叫びに反応し、何があったのかといったことで迷うようなこともなく、その場から移動する。
次の瞬間、レイ達がいた場所を紫電が貫く。
一瞬光ったかと思うと、同時に放たれたその紫電……目玉から放たれた雷は、レイ達がいた場所を黒く焦がす。
「無事か!?」
嫌な予感がして反射的に動いたレイが、空中に漂ったままの目玉を見ながら鋭く叫ぶ。
「私は問題ない!」
「こっちも大丈夫よ!」
「同じく!」
「グルゥ!」
エレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、セト。
レイは三人と一匹から問題がないと返事がきたのに安堵しつつ、何故か雷の一撃を放った後に次の行動をしてこない巨大な目玉を睨み付ける。
(何でだ? 今の状況を考えれば、追撃を放ってきても……いや、そもそも、何で急に俺達を攻撃した? その前にあったのは……)
そう考えたレイは、先程のスキル……かどうかは分からないが、ともあれ鳴き声が響いてから目玉に対し、それまで以上の嫌悪感を急激に抱いたことを思い出す。
(つまり、あの目玉は自分に対する嫌悪感を何らかの方法で察知して、それに反応してあの雷を放った訳か。……厄介な)
空中に浮かんでいる目玉を睨み付けながら、その厄介な攻撃方法にレイの苛立ちは増す。
ただ普通に攻撃を仕掛けてきただけであれば、回避するという方法がある。
実際に目玉の放った雷の一撃を回避するといったことが出来たのだから、それは必ずしも不可能ではないだろう。
だが、そこにあの嫌悪感を掻き立てるスキルがあるとなると、どうしても一歩……あるいは一歩半、次の行動に出るのが遅れてしまう。
本来であればその程度はどうということもないのだが、あのような目玉を相手にしている上で、嫌悪感というのは決して軽視していいものではない。
他の面々も一流、もしくはそれ以上の実力を持っている以上、当然レイが気が付いたようなことには既に気が付いているだろう。
それでも、もしかしたら、万が一という可能性がある以上、それを口にしないという選択肢はレイにはなかった。
「気をつけろ! あの目玉はさっきの自分に対する嫌悪感を増すスキルで敵を察知していると見てもいい。とにかく、あの目玉に攻撃して……ちっ、今度は触手かっ!」
雷を回避されたと理解したのか、もしくはレイの叫びが聞こえたのか。
ともあれ、空中に浮かんでいた目玉は身体中から生えている触手を、一斉にレイ達に向かって伸ばす。
目玉から伸びている無数の触手は、本来ならその長さからレイ達のいる場所までは届かない筈だった。
だが、元々が空間の裂け目にいるような存在であり、レイ達の常識が通じないのは当然だろう。
本来なら届かない筈の触手が、真っ直ぐレイのいる場所まで伸びてくる。
それも、目玉がこの空間にいるからか、地下空間にいる時と比べても触手の速度は数段上だ。
「だからって、そう好き勝手にはさせねえよ!」
自分に向かってくる触手を、魔力を通したデスサイズで斬り裂きながらレイは叫ぶ。
地下空間で戦った時と同じく……いや、気のせいかもしれないが、それ以上の抵抗を感じつつ、それでもデスサイズで触手を切断していく。
切断された触手は、当然のように地面に落ちると、地下空間にいた時や、先程燃やした時のように塵となって消えていった。
無数に……それこそ前方のあらゆる場所から襲ってくる触手を、デスサイズと黄昏の槍を使い、斬る、斬る、斬る。
そうしながら周囲に視線を向けると、そこではエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、セトといったように三人と一匹も、レイと同じように無数の触手を相手に圧倒していた。
(とはいえ……)
すぐに再び自分に向かってくる触手に視線を戻し、十本近い触手をデスサイズの一撃で刈り取りながらも、レイはこのままではいずれ物量で押し切られると判断してしまう。
今は圧倒しているし、レイを含めてここにいる全員は冒険者として非常に高い体力を持っている。
だが、高い体力を持っているといても、それは別に無限の体力である訳ではないのだ。
それでも普通の冒険者よりは明らかに上である以上、体力が完全に消耗されるまではかなりの余裕がある。
そんなタイムリミット前に、目玉をどうにかする必要があるのだが……
「邪魔だぁっ!」
魔法を使うにしても、目玉に……そして目玉から伸びている触手を纏めて燃やしつくす為には、どうしてもある程度の呪文の詠唱が必要となる。
勿論短い詠唱で使える呪文もあるが、その手の魔法はどうしても威力や効果範囲が狭くなってしまう。
(となると、俺かエレーナかマリーナに魔法を使う為の時間的な猶予が必要となるな)
左右両側から一気に襲い掛かってくる触手を、その場で素早く回転することにより、両手に持つデスサイズと黄昏の槍で一気に切断する。
だが、そうして切断されても空中に浮かぶ目玉は全く気にした様子がなく、無数に伸びている……もしくは新たに伸びてきた触手が、次々とレイに向かって伸びてくる。
「飛斬っ!」
大きく振るわれたデスサイズから、斬撃が飛ぶ。
触手が纏めて切断されたのを見ながら、レイは再度デスサイズを振るう。
「パワースラッシュ!」
続けて振るわれたのは、一撃の威力を高めた一撃。
十本近い触手が、デスサイズによって纏めて切断され、引き千切られる。
「ついでだ、これを……食らえ!」
パワースラッシュを片手で強引に振るった勢いを利用しつつ、半ば強引にではあるが左手の黄昏の槍を投擲する。
瞬間的にはではあるが、たっぷりと魔力を込められた槍は、真っ直ぐ空中にいる目玉に向かって突き進む……が、レイが槍を放った瞬間、今までレイやエレーナ達に向かって攻撃していた触手が瞬時に目玉の手元に引き戻され、黄昏の槍を防ぐ為の盾として何重にも重なっていく。
黄昏の槍の飛ぶ速度を考えると、その行為はまさに一瞬にして行われたと言ってもいい。
槍の投擲が効果的だというのは、レイも地下空間で知っている。
だが、それがここまで大きく目玉が反応するというのは、レイにとっても完全に予想外の結果なのは間違いない。
数秒の間、唖然としながらも……これが絶好のチャンスであることを知り、レイはこのチャンスを逃すような真似はせず、行動に移すのだった。