1984話
「はぁ? ……冗談を聞いてる暇はねえんだ。幾らマリーナでも、時と場所を選んでそういうことを言ってくれ」
執務室のソファに座っているマリーナに対し、ダスカーは不愉快そうにそう告げる。
ただでさえ、貴族街周辺にある高級住宅地と呼ぶべき場所で大量の犯罪の証拠が出て来て、その対応に大わらわなのだ。
その上、地下空間の一件や、それを企んでいたジャビスの扱い。
他にも多種多様な問題が起きて、しかもそれが半ば連鎖的に繋がっているというのだから、ダスカーにとって無意味に仕事が増えてしまう。
そんなところにマリーナがやってきて、地下空間にいる――もしくは召喚される――触手をどうにかする手段があると言われれば、ダスカーが冗談も大概にしろと言いたくなるのも当然だろう。
だが、そんなダスカーに対し、マリーナは笑みを浮かべたまま、メイドが出した紅茶を一口飲んでから、口を開く。
「言っておくけど、別に冗談じゃないわよ? 私は本気でここに来てるわ」
「……精霊魔法でどうにか出来るってのか?」
ダスカーも、マリーナとは長い……それこそ、子供の頃からの付き合いだけに、マリーナが隔絶した精霊魔法の使い手であるということは知っている。
それこそ、純粋に精霊魔法の使い手としては、ミレアーナ王国の中でも最高峰、場合によっては世界全体で見てもトップクラスの腕の持ち主と言っても、決して過言ではないだろうとすら思っていた。
……本人を前にそんなことを言えば間違いなくからかわれるので、絶対に口に出したりはしないが。
だからこそ、もしかしたらマリーナの精霊魔法でならどうにかなるかもと、そう思ってしまうのは当然だった。
能力的に言えばレイも候補に挙がるのだが、レイの魔法では地下空間ごと破壊してしまいかねないというのは、ダスカーの正直な思いだった。
それこそ藁にでも縋るような思いで尋ねたダスカーの言葉だったが、マリーナは首を振る。……縦ではなく、横に。
「残念だけど、精霊魔法で今回の件をどうにかするのは難しいわ」
「なら、どうやって今回の一件を解決するつもりだ? まさか、レイに炎の竜巻を作って貰って、あの地下空間を燃やして貰う……なんて言わないよな?」
「惜しい」
「おいっ!」
ダスカーとしては半ば冗談で言ったつもりだった内容だというのに、まさかマリーナの口からそんな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。
かなり焦った様子で、言葉を続ける。
「こんな街中で炎の竜巻を作り出してみろ。間違いなく周囲に被害が及ぶんだぞ!? いや、それどころか貴族街の方まで被害が及ぶ可能性がある。お前の家も貴族街にあるんだから、そんなことは分かってるだろ!?」
「落ち着きなさい。別に本当に炎の竜巻を使うなんてことは言ってないんだから。正解じゃなくて、惜しいって言ったのよ?」
落ち着かせるようなマリーナの言葉に、ダスカーは大きく息を吐いて自分を落ち着かせ、それから改めて口を開く。
「落ち着いたぞ。それで? 具体的にはどうやって地下空間の件を解決するつもりだ?」
「実は、昨日レイの師匠が私の家を訪ねてきたのよ」
「……は?」
マリーナの口から出たのは、あまりにも予想外の言葉。
地下空間の一件をどうにかする方法を聞いたのに、何故そこでレイの師匠が出て来るのかと。
そもそも、今は冬でギルムに訪れる者は決して多くはない。
そのような状況で、もしレイの師匠などという人物が現れれば、それこそすぐダスカーに連絡が入ってもいい筈だった。
だが、当然のように、そのような人物がギルムに来たという報告は受けていない。
勿論、昨日は忙しくて何らかのミスが重なった結果、ダスカーに報告が来なかった可能性はあるが、それでも決して見すごすことは出来ないことだ。
「言っておくが、それは別に冗談でも何でもないよな?」
確認の為にそう尋ねるダスカーに、マリーナは当然といったように頷く。
「そうよ。ただ、正規に入ってきた訳じゃないみたいね。……考えてみれば当然なんだけど、その師匠はレイの師匠なのよ? つまり、レイ以上の実力を持っている相手であっても不思議はないということなのよ」
「それは……まぁ……」
レイの師匠ということで考えると、素直に納得してしまう。
そう思ってしまうのは、決してダスカーだけではないだろう。
レイの出鱈目具合を考えれば、寧ろ多くの者が納得してもおかしくはなかった。
「で、ちょうど地下空間の触手について話していたから、何か力を貸して貰えないかと思って聞いてみたのよ」
「……一応、その件は人に話して貰っちゃ困るんだけどな」
半ば呆れたように告げるダスカーだったが、それでもマリーナを責める色はない。
レイの師匠であれば、本当に何とかなるかもしれないという期待の方が大きかったのだろう。
当然、これはグリムに頼ることを表に出せないレイ達が考えたカバーストーリーなのだが。
「別にいいでしょ。そのおかげで、今回の一件が解決しそうなんだから。……ただ、かなり難しいことを頼む以上、当然のように厳しい条件を付けられたけど」
「厳しい条件? その人物はレイの師匠なんだろう? であれば……」
そのようなことはしないのではないか。
そう言おうとしたダスカーに、マリーナは首を横に振る。
「いいえ。寧ろ師匠だからでしょうね。レイを鍛える為に、レイと私達……紅蓮の翼と、後は戦力的にエレーナとアーラの二人。これ以外の戦闘参加は認めないそうよ。それと、触手を討伐したという証の素材はこちらに渡すけど、それ以外の素材は全てレイの師匠が貰うそうよ」
「それは、少し強欲すぎないか?」
「でも、その師匠に頼る以外、他に方法がないのも事実よ。……生贄を使って時間稼ぎをするという話だったけど、本当に時間稼ぎしている間に何とかなるの?」
そう言われると、ダスカーとしても何とも言えない。
一応魔法使いや錬金術師、学者といった者達になんとかする方法を考えるようにと命じはしたのだが、命じたからといってすぐに解決策が出て来る訳でもない。
であれば、やはり今回の一件ではレイの師匠に頼るしかないというのは事実だった。
「……分かった。なら、そのレイの師匠に頼ろう。一度会わせてくれ」
ギルムの一大事になるかもしれない、地下空間の一件を頼むのだ。当然のように自分の目でその人物を直接見て、どのような人物なのかを確認したいと思うのは当然だろう。
だが、マリーナはそんなダスカーの言葉に首を横に振る。
頼むのがグリムである以上、ダスカーを会わせる訳にはいかないのだから。
「残念だけど、レイの師匠は魔法的な制約によって、あまり人には会えないことになってるらしいわ」
「なら、何でマリーナ達は会ったんだ?」
「私達……正確には、私、エレーナ、ヴィヘラの三人は一定以上の強さを持つから、その制約から外れたらしいわ。それと、レイと間に縁があるとかも言ってたわね」
その説明は、ダスカーにとって納得出来るようで出来ない、そんな説明だった。
「それを信じろと?」
「信じろも何も、信じて貰うしかないというのが、正直なところよ。大体さっきも言ったけど、今のダスカーに選択の余地はあるのかしら?」
「……」
マリーナの言葉に、ダスカーは沈黙するしかない。
今の時点で、何らかの手段があるのかないのかと言えば、ないと答えるしかなかったからだ。
生贄を使って時間稼ぎをするしかない以上、現在のダスカーが取れる手段は、どこか怪しい……恐らく何らかの隠しごとをしているマリーナの言葉を信じるか、それとも生贄を使って時間稼ぎをするかの、二者択一だった。
「……失敗したら、どうするつもりだ? その触手については、俺も色々と報告書で話を聞いているし、直接それを見た奴からの報告も聞いている。そうである以上、そう簡単に倒せるとは思わないが?」
「そうかもしれないわね。けど、レイの師匠は強制的に相手を転移させることが出来るのだから、地下空間では使えなかった魔法や攻撃方法が使えるのは間違いないわ。それに、地下空間ではない以上、セトも戦闘に参加出来る。私やエレーナも同様にね。……それでも戦力的に不足だと思う?」
その言葉に、ダスカーは頷きたかった。
実際、それを言ったのがもし他の者であれば、恐らくダスカーも頷いていただろう。
だが、マリーナが口にした戦力を考えると、それこそとてつもない腕利きが揃っているのだ。
何があっても大丈夫。
そう思ってしまうのは、ダスカーがレイ達の実力をよく知っているからだろう。
「…………………分かった」
たっぷりと数分沈黙した後、重々しく、そして若干苦々しく、ダスカーはマリーナにそう告げる。
「今回の一件は、お前達に任せる。そして、レイの師匠がお前達以外と会えないというのも、理解した。だが、もしも……本当にもしもの為に、戦場となる地域の周辺にギルムの戦力を用意し、もしお前達で手に負えなくなったら即座に戦力を投入する。それが条件だ」
レイの修行の為に触手とはレイ達だけで戦うというのは説明されたが、それでもギルムの領主という立場である以上、ダスカーにはいざという時の為に手を打っておく必要があった。
マリーナもダスカーの立場を理解しているので、その言葉には特に抵抗なく頷く。
「それは構わないわ。ただし、私やレイ、それにセトやエレーナが戦闘をしているというのは、理解した上で待機していてね。こっちの攻撃の余波で被害を受けたと言われても、どうしようもないから」
自分、レイ、セト、エレーナ。
マリーナが口に出した面々は、大規模な攻撃手段を持っている者達だ。
マリーナは精霊魔法、レイは炎の魔法、セトはブレス、エレーナは竜言語魔法。
ヴィヘラの名前が出ることはなかったが、それはヴィヘラが多数よりも個人を相手にする為の戦闘スタイルだからだろう。
そのような者達が戦っている場所の周囲に兵力を置いて、戦いの余波で被害が出ても自分達に文句を言うな。
そう告げてきたマリーナの言葉に、今度はダスカーが頷く。
「分かっている。そんな化け物達が戦っている場所に、迂闊に戦力を近づけるような真似はせん」
ダスカーも、それだけの戦力が戦うのであれば、触手を相手にしてもどうとでもなる……といった思いを抱いてはいた。
それでもいざという時に備えなければならないのが、領主としての役目なのだが。
「それで、具体的に触手との戦いはいつになる? こちらも準備がある以上、今すぐと言われても困るのだが」
「そうね。レイの師匠もある程度はこっちに合わせてくれるって言ってたから、その辺を考えると……明日、でどう?」
そう告げたマリーナの表情は、一瞬ではあるが苦いものがあった。
明日触手を倒すということは、昨日に引き続き生贄を触手に与える必要があるのだ。
例え罪人であろうとも、生贄に捧げるというのはマリーナにとっても気分の良いものではない。
マリーナの表情から、何を考えているのかというのを大体理解したダスカーだったが、それに対して何か口に出すような真似はしなかった。
その件は既に決まっていることで、そうである以上、ここで自分が何かを言ってマリーナと言い争いになっても、何の意味もないと、そう理解していたからだろう。
「明日か。分かった。具体的にはいつがいい?」
「そうね。出来れば明るいうちがいいでしょうね。暗い中だと、どうしても戦いで不利になるし。いえ、夜目が利く人も結構いるから何とでもなるけど、それでもやっぱり昼間の方がいいのは変わらないし」
「そうか。……そうなると、今レイがやらせている、ギガント・タートルの解体。それも、明日はやらない方がいいのか? ギルムの外である以上、それこそ戦いの余波で巻き込まれたりしたら、堪ったものじゃないだろうしな」
「レイには言っておくわ。ただ、ダスカーの方から、ギルドの方に話を通しておいてくれる? レイがやらないと言うよりも、上から直接言った方が、こういう場合は適切でしょうし」
具体的にどのような場所で触手の討伐を行うのかというのは、まだ決まっていない。
それでも最低限の条件として、レイ達が戦うということで周囲に被害が及ばないくらい離れた場所になるのは確実だ。
だからこそ、本来ならギルムのすぐ側で行われているギガント・タートルの解体にも被害が出るようなことはまずないのだが……それでも、確実とはいえない。
万が一、本当に万が一被害が出た場合、解体に参加している大勢に被害が及ぶ可能性がある以上、解体そのものをやらない方がいいのは確実だった。
ダスカーもそれが分かっている為かすぐに頷く。
「分かった。その件はこっちで手を打つ」
こうして、マリーナとダスカーの間で触手の討伐に対しての話し合いは進むのだった。