0198話
バールの街の正門前。現在、そこには色々な者達が集まっていた。中にはつい数日前まで共鳴の首飾りの副作用で寝込んでいたセイスの姿や、バールの街の領主代理でもあるディアーロゴ。そして警備隊の隊長であるサザナスや、パワー・アクスを背負っているアーラの姿もある。
そしてそれらの人々の見送りを受けているのは、ドラゴンローブを身に纏ったレイと、1週間程ゆっくりと過ごしていたグリフォンのセトだった。
「今回は非常に助かった。ギルムの街にいるマリーナの方にも後で連絡は入れるが、これを持っていってくれ」
そう言ってセイスが手渡してきたのは、依頼を完了したと証明する書類。
「お主が来てくれなければ、恐らく魔熱病による死者は何十倍、何百倍にも膨れ上がっていただろう。バールの街のギルドマスターとして感謝する」
「いえ。出来れば全員助けたかったのですが」
ギルムの街から実質2日程度でバールの街まで到着したとは言っても、当然魔熱病の患者全員を救えた訳ではない。魔力が低く、魔熱病に抵抗出来なかった者が10人以上は薬が間に合わなかった為に助からなかったのだ。
そんな風に溜息を吐くレイに、セイスの隣にいたディアーロゴが首を振る。
「全員を助けられなかったのは確かに痛いが、かと言ってそれはお前のせいじゃねえ。何でもかんでも救えると思い込むのは傲慢だぞ。お前は精一杯出来ることをやったんだ。バールの街の領主代理としても感謝はしてるぜ」
「いえ、復興は大変でしょうが頑張って下さい」
「はっ、当然だ。この街の住人はしぶといからな。今も東の貯蔵所を建て直しているところだ。……復興が終わった頃にまた街に寄れ。その時にはこの街の特産品でもある蒸留酒をたっぷりと飲ませてやるからな」
「……お手柔らかに」
アルコールの類にそれ程強い訳でも無いレイとしては、そう答えるしかなかった。
次に前へと進み出てきたのは、警備隊の隊長サザナス。その手に持っているのは30cm程の大きさの樽だ。
「ほら、これ土産だ。ディアーロゴさんの言葉の後に出すのはちょっと気が引けるが、蒸留酒の中でも上物の1品だ」
「……おい、サザナス」
上物との一言に、まさか貯蔵庫からちょろまかしてきたんじゃないだろうな? と疑いの目で見るレイだが、そんな視線にサザナスは苦笑を浮かべて首を振る。
「安心しろ。これに関しては警備隊一同からって奴だ。それぞれにちょっとずつ金を出し合ってな」
「そうか。ならまぁ、ありがたく貰っておくか。俺はそれ程酒には強くないが、ギルムの街では酒が大好物な奴がいるしな」
レイの脳裏に、少し前の騒動で関わった酒好きなドワーフの姿が浮かぶ。
身体に流れているのは血ではなくアルコールだと断言しているようなあのドワーフなら恐らく喜んで飲むだろうと。
そんな風に考えながらミスティリングの中へと収納する。
「レイ殿」
そして最後に前へと進み出てきたのは、バトルアックスを背にしたアーラだ。
この1週間、ソレイユの世話の合間を縫ってはレイとの模擬戦を行っていた為に、その身体には幾つかの切り傷や打撲の跡が残っている。だが、それでもその顔に浮かんでいるのは晴れやかな笑みだった。
実はソレイユに振り回されているストレスをレイとの模擬戦で解消していたりしたのだから、ある意味当然ではあるのだが。
「エレーナにはよろしく伝えておいてくれ」
「はい。その、よければ一度エレーナ様に手紙を書いて下さい。そうすれば喜ぶと思いますので」
「手紙、手紙か……」
エルジィンでは、レイが元いた世界のように郵便局のようなものはない。その為、手紙を届けるとすれば冒険者なりなんなりに依頼として頼むか、あるいは行商人達のような者に頼むしかない。つまりは距離や運にもよるが、手紙が相手に届くまで数ヶ月は普通。距離によっては年単位が必要なこともあるのだ。
つらつらとそんなことを考えつつも、それでもたまに手紙をかくのもいいかとアーラの言葉に頷く。
「そうだな、取りあえず冬の間はやることが多くないだろうし、手紙を書いてみるのもいいかもしれないな。……もっとも、冬になればさらに手紙が届くのは遅くなるだろうが」
「ふふっ、そうかもしれませんね。……あぁ、しまった。それならバールの街にいるうちにレイ殿から手紙を書いて貰っておけば……」
そんな簡単なことを思いつかなかった自分に、ショックを受けるアーラ。
だが、アーラにしてもこの1週間はソレイユに振り回される日々だったのだ。他のことに気が回らなくてもしょうがないと言えばしょうがない。
もっとも、レイがその件に気が付かなかったのはフォローのしようがないのだが。
ショックを受けているアーラの肩を励ますように軽く叩くレイ。
「さて、じゃあいつまでも話していてもしょうがないのでこの辺で。セト」
「グルルゥ」
ディアーロゴから感謝を込めて渡された秘蔵の干し肉を食べていたセトが、レイの呼びかけに鳴き近寄ってくる。
「じゃあ、俺達はこの辺で。また機会があったら街に寄らせて貰いますので」
「うむ。何度も言うが、今回は助かった。お主を寄こしてくれたマリーナには本当に感謝をしなければな」
「おう。さっきも言ったが、今度来た時にはお前さんにも秘蔵の酒をのませてやるから、また寄れよ」
セイスとディアーロゴからの声を聞きながら、セトの背へと跨がるレイ。
「セト!」
「グルルルルゥッ!」
レイの声に高く鳴き、数歩の助走を付けてから翼を羽ばたかせる。
そのまま、まるで空中を駆けるかのように上空へと上がっていく1人と1匹を、その場にいる面々は姿が見えなくなるまで見送るのだった。
バールの街から、ギルムの街を目指して飛んでいるセト。その背に乗っているレイだったが、フードの中へと冷たい何かが落ちてきたのを感じて周囲を見る。
「……雪か」
「グルゥ」
まだ微かにだが、白い雪が舞い降りてきているのを見て思わず呟く。
空を見上げると曇天と表現すべき天気であり、太陽の光も雲によって遮られて若干薄暗く感じられる。
時刻はまだ昼前だというのに、それでも周囲の気温は殆ど上がっていない。幸いなのは、風がそれ程強くないことか。寒さに関してはレイもセトもそれ程苦にしないが、空を飛んでいる以上は風の影響はそれなりに強い。
「けど、雪か。……そろそろ本格的に冬だな」
「グルゥ」
資金的な意味での問題は全くない。だがセトの食事を考えると、冬でも何度かモンスターの肉を確保する為に外に出る必要があるかもしれない。そんな風に思っていると、ふと思い出す。
「あぁ、そう言えばガメリオンの魔石や肉はまだミスティリングに入ったままだったな」
何しろ、ガメリオンの魔石をどうするか迷っている時にバールの街へと救援物資を運んで欲しいとの依頼が来た為に、すっかり記憶の底へと沈み込んでいたのだ。ソード・ビーの魔石に関しても脳裏を過ぎり、すぐに決断する。
「そうだな。ダンジョンの核を斬って手に入れた地形操作とかいうスキルの使い勝手も試してみたいし、今夜は街じゃなくて夜営をするか。セトもガメリオンの肉を食ってみたいだろう?」
「グルルルルゥッ!」
ガメリオンの肉と聞き、嬉しそうに吠えるセト。寒さを苦にしないレイとセトだからこそ出来た選択と言えるだろう。普通の冒険者なら、この季節の夜営はなるべく避けるのだから。何しろ雪が降っていることを考えると、下手をすると夜に寝たまま凍死してしまう可能性も考えられる。
そしてそのまま空を飛び、バールの街から一番近くにある村を通り過ぎ、前回夜営をした分かれ道を通り、サブルスタの街を通り過ぎる。さすがに一休みもしないで飛び続けていた為に、肉体的な疲れよりも精神的な疲れがレイの身を襲い始めた。午前中には少しだけ降った雪も既に無く、冬特有の澄んだ空気により今までとは違った夕焼けがレイの目を楽しませる。
「セト、暗くなる前に夜営の準備をするか。昼食も飛んだまま食えるようなものだったし、夕食は多少豪華にな」
「グルルルゥ」
朝食はバールの街で食べたのだが、一応まだ最後の魔熱病の患者が回復してから1週間が経っていないので未だに街は封鎖中だ。後数日程度で封鎖は解かれる筈だが、それ故に食料は未だ配給制となっている。その為、レイやセトが満足する程の量は無かったのだ。味に関して言えば、幸い宿の本来の経営者が魔熱病から復帰したのでそれなりに美味い料理が食べられるようになっていたのだが。
そんな風に考えていると、地面に多少の木が生えているのが見えてくる。林と呼べる程の規模ではないが、雨や雪が降ってきても多少は雨宿り出来る程度の規模の木々だ。
「セト、あそこで夜営にするか」
「グルゥ」
レイの提案に小さく鳴き、そのまま空中から地面へと向かって降りていく。幸い目的の木の周辺にモンスターの類はいないようで、特に何事も無くその木の下で夜営の準備を始められるのだった。
「とは言っても、まだ夕食にはちょっと早いからまずはスキルの確認からにしておくか」
「グルルルゥ」
レイのその言葉に、お腹減った! と言わんばかりに顔を擦りつけるセト。
その様子に、バールの街の様子を思えばしょうがないとばかりにオークの肉の塊をミスティリングから取り出す。
塊とは言ってもブロック肉であり、重量にして2kg程度はあるだろう。いつもならこの肉を切り分けて串焼きにしたり、料理の材料にするのだが……
「グルルルルルルゥッ」
かなりの空腹に耐えていたセトは、生肉でも構わないとばかりにオークのブロック肉へと噛ぶりつく。
その様子を見ながら小さく溜息を吐き、まずは試しとばかりにデスサイズを取り出し、石突きの部分を地面へと付ける。
「地形操作」
自分達のいる場所を1m程下へと沈下させるイメージと共に発動したスキルだったが……
「……いや、Lv.1ならこんなんものなのか?」
数秒前に比べて、ほんの10cm程度視線が下がったのを確認しながら周囲へと視線を向ける。
すると、レイを中心にして綺麗な円形状に地面へと沈み込んでいた。
「グルゥ?」
オークの肉を食べながら、小首を傾げて周囲を見回すセト。さすがにオークの肉に夢中になっていたとしても、自分のいた地面が沈み込んだのには気が付いたらしい。
「半径10mって辺りか?」
呟きながら視線を向けたのはレイ達が屋根代わりにしている木だ。その木も10cm程下へと沈み込んでいる。
「なら、これはどうだ?」
次に行ったのは、地面を盛り上げるイメージ。すると次の瞬間には今まで沈下していた地面が盛り上がり、微かにだが視線が高くなる。
今までいた場所から10m程移動して確認すると、20cm程盛り上がっていた。元々の地面が10cm沈下していたことを考えると盛り上がっているのも10cm程だろう。
「なるほど。沈下させるにしろ、盛り上げるにしろ10cmが限界なのか。これがせめて1m程度なら色々と戦いでも使いようがあるんだが……いや、魔石じゃなくてダンジョンの核を吸収してこの結果だと考えると、スキルを習得出来てラッキー程度に思っておいた方がいいのかもしれないな」
呟きながら、セトの場所へと戻るレイ。
本来魔獣術は魔石を吸収して成長していく魔術だ。それが、まさかダンジョンの核をも吸収出来るとは思ってもいなかっただけに若干戸惑いつつ、それでもスキルが増えたのは運が良かったと納得するのだった。
「さて、なら次だ。まずはソード・ビーの魔石だな」
セトの方へと視線を向けるレイだが、肝心のセトは再びオークのブロック肉を食べるのに集中しているらしくレイの言葉は聞こえていないらしい。その様子に、ここ1週間の食糧事情を考えるとしょうがないと溜息を吐きながら、ソード・ビーの魔石を空中へと放り投げる。
「はっ!」
横薙ぎに一閃。次の瞬間には真っ二つにされて霞の如く消え去り……
「スキルは何も無し、か」
脳裏に浮かぶ聞き慣れたメッセージの類は無く、溜息を吐く。
そうして食べていたオーク肉が大分少なくなり、ようやく人心地付いた様子のセトへと視線を向ける。
「セト、デザートだ」
その言葉と共に放り投げられた魔石を口にするセトだったが……
「グルゥ」
アナウンスの類はデスサイズの時と同様に聞こえてこなかった。
「セトもスキルを覚えられなかったか。まぁ、ソード・ビーに関してはランクの低いモンスターであるのを考えるとしょうがないんだけどな。ほら、気にするな」
残念そうに項垂れているセトの頭を撫でながら、反対側の手でミスティリングからガメリオンの魔石2つを取り出す。
片方は通常のガメリオンのものだが、もう片方は希少種のもので、通常種の物よりも一回り大きい。
「さて、この魔石の配分をどうするかだな」
ギルムの街の宿で悩んでいた時のように、再び悩み始めるレイだった。