1978話
ギガント・タートルの解体は、順調に進んでいた。
だが、それも当然だろう。
既に何日も同じ作業を行っているのだから、誰であろうともその解体という作業に慣れない筈がない。
もっとも、ギガント・タートルの大きさを考えれば、その部位によって解体の方法は若干違ってきたりもするのだが。
そのような場合は、解体の技術を持っている者が一緒に作業をしている者達にどうやればいいのかを教え、それを聞いた者達はそのアドバイスによって解体作業が捗る。
中には人の指示は聞きたくないといった態度をとる者もいたが、一緒に働いている他の者達からも色々と言われれば、それに従わざるを得ない。
……このような美味しい、それこそギガント・タートルの肉という文字通りの意味で美味しい依頼である以上、途中で投げ出すなどといった真似は絶対に出来ないし、しようとも思わない。
それくらいならばと、渋々ではあったが、周囲からの指示に従って作業をする者も多かった。
「やっぱりコボルトの数が昨日よりも少ないわね」
呟いたヴィヘラの声に、隣で冬らしい曇天を見ながら、解体作業を少しでも進める為に、出来れば雪は降って欲しくないと考えていたレイがその視線を追う。
レイの作った迷路に幾らかのコボルトが引っ掛かっているが、その数はヴィヘラの言う通り少ない。
もっとも、解体が始まるよりも前にギルド職員と会話をしていたことが実際に起こったのだと考えれば、そこまで不思議なことではなかったが。
「昨日の影響だろ。……それにしても、予想していたよりも大勢いるよな」
コボルトが迷っている迷路から視線を外し、レイはギガント・タートルの解体を行っている者達に視線を向ける。
明らかに昨日よりも人の数は多くなっていた。
ギガント・タートルの解体が早く終わるのは嬉しいので、不満はないのだが。
「やっぱり、目当ては肉でしょうね。あの肉を売るだけでも結構な金額になるらしいし、少しでも稼ごうという人にとって、この仕事はありがたいんでしょ。もしくは、自分で食べるか。……これ、前にも同じような話をしなかったっけ?」
「したか? そう言われると、したような覚えがあるような、ないような……まぁ、人数が増えたのは俺にとって悪いことじゃないけどな。それより、どうする? 俺はちょっと警備兵の詰め所に顔を出してこようと思ってるけど」
「昨日の一件?」
「ああ。何か詳しい事情が判明してないかと思ってな。……あんな地下空間が貴族街の近くにあるとなると、あまり安心出来ないし」
レイやエレーナ、ヴィヘラ、ビューネ、アーラ。
そして、セトとイエロ。
この面々は、毎日のように夕食はマリーナの家で食べている。
そう、端とはいえ、貴族街にあるマリーナの家で、だ。
そうである以上、当然のように昨日、一昨日とレイが潜った地下空間からそう遠くない場所にあることになる。
とてもではないが、良い気分で食事をするといった真似は出来ない。
もっとも、触手の能力も判明してきている今、もし触手が地下空間から出てきても、レイなら倒せるという自信があった。
地下空間でなければセトに乗って空から攻撃が出来るというのも大きいだろう。
だが……その場合問題なのは、もし触手が地下空間から出て来た場合、被害が非常に大きくなると予想されることだ。
それこそ、触手が出て来たと知ってレイがセトやヴィヘラ、それ以外にも他の仲間達が戦いに向かっても、到着するまでに少なくない被害が出るのは間違いない。
ましてや、ここは辺境にあるギルムであっても、冒険者でも何でもない一般人も多く暮らしているのだから。
また、その辺の冒険者では触手に敵わないというのは、それこそ昨日の地下空間で触手に骨と皮だけの死体にされた者達が証明している。
「まぁ、そうでしょうね。……ただ、私は行かないわ。あの触手と戦える訳でもないみたいだし。それに、昨日はビューネを置いていったのを考えると、今日はここに残っておきたいもの」
もしまた地下空間に行くというのであれば、ヴィヘラも喜んでレイの言葉に賛成しただろう。
だが、向かう先が警備兵の詰め所ともなれば、ヴィヘラにとってはあまり面白いものではない。
だからこそ、レイの言葉にそう言って、自分はここに残ると言ったのだろう。
……実際に、ビューネを昨日置いていったというのも、影響しているのは間違いないだろうが。
「分かった。じゃあ、俺は行ってくる。ヴィヘラがここにいれば、コボルトじゃなくてもっと強いモンスターに襲われても、問題はないだろ」
「そうね。そういうモンスターが来れば、の話だけど」
その言葉通り、ヴィヘラは出来れば強いモンスターがやってきて欲しいと、そう思いながらレイに告げる。
レイもそんなヴィヘラの性格は十分に承知しているので、それ以上は特に何も言わずに周囲を見回す。
そして、雪の上で寝転がっているセトに向けて呼び掛ける。
「セト、俺はギルムに戻るけど、お前はどうする?」
そう尋ねるレイに、セトがどう返すのかというのは、考えるまでもなかった。
「ん? ああ、レイか。どうせ昨日の件だろ? 入ってもいいぞ。……ただ、言っておくけどランガ隊長はいないからな」
警備兵の詰め所に到着したレイとセトだったが、詰め所の前にいる警備兵に尋ねるよりも前にそう言われる。
レイとしては、出来ればランガから詳しいことを聞きたかった。
特に地下空間の触手に関しては、普通の警備兵で情報を持っている者は少ないだろう。
いや、正確には地下空間や触手の存在について知っている者は多いだろうが、その本質……具体的には、どうやればあの触手を倒せる、もしくはそこまでいかなくても触手をこの世界に出てこないようにさせるかといったことは、普通の警備兵が知っている筈もない。
その辺の事情を知りたかったレイとしては、ここに来たのが失敗だったか? と思わないでもない。
「ランガに聞きたい事があったんだけどな。ランガが今どこにいるのか分かるか?」
「領主の館だよ。ダスカー様に色々と報告することがあるらしい」
「……昨日の件をまだ報告してなかったのか?」
昨日の件は昨日のうちに報告したものだとばかり思っていたレイは、若干の呆れと共にそう告げるが、警備兵はそれに対して首を横に振る。
「違う。昨日からずっとだ。勿論、昨日の強制捜査で得られた証拠が結構な数だというのは事実だから、報告に行くのが遅くなったのは間違いないがな」
「うわぁ……」
昨日からずっと。
そう聞かされれば、レイとしても文句を言うことは出来ない。
「ちなみに、昨日からずっととなると、地下空間以外にもやっぱり犯罪の証拠の件とかが関わってきてるのか?」
レイ達が強制捜査をした屋敷もそうだったが、他の屋敷にも結構な数で犯罪の証拠が見つかったという話は聞いている。
警備隊の隊長たるランガやギルムの領主たるダスカーとしては、貴族街の近くにそのような者達が大量にいたというのは、あまり考えたくないことだった……というのが、正直なところだろう。
だが、考えたくなかったからといって、それを無視するような真似が出来る筈もない。
であれば、早急に何とかする必要があるというのは、間違いのない事実だった。
「さぁ、どうだろうな。下っ端の俺には正確なところまでは分からねえよ。ただ、ランガ隊長の性格から考えれば、そういう風になっていてもおかしくないけど。それに……前々から、あの辺には微妙に怪しい噂があったのも事実だ」
「噂?」
それについては初耳だったのか、レイは警備兵に話を促すように視線を向ける。
レイは結構な頻度で街中を歩き回っているし、屋台で買い食いをすることも多い。
また、セトを愛でに来た相手と話すことも多いので、それなりに噂の類については詳しいと思っていたのだが……そんなレイですら、その噂を知らなかったから、驚くのも無理はない。
レイの驚いた顔を見て、警備兵は納得した表情を浮かべる。
「ああ、噂だ。ただ、この場合の噂というのは、あくまでも警備兵の間でされている噂だけどな。レイが考えているような、一般人がしている噂とは違う」
「あー……うん、なるほど。大体分かった」
専門家――という表現が正しいのかどうかは分からないが――だからこその噂話。
つまりは、そういうことなのだろうと納得し、レイはこれからどうするべきかを考える。
元々この詰め所に来たのは、あくまでも昨日の一件……特に地下空間や、そこに出て来る触手にどう対処するべきなのかをランガに聞こうと思ったのが最大の理由だった。
勿論、今この警備兵と話したように、他の屋敷にどれだけの犯罪の証拠があったのかといったことも聞きたいという思いがなかったとは言わないが。
警備兵もレイが何故詰め所に来たのかは分かっているのだろう。
少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべ、レイに話し掛ける。
「どうする? ランガ隊長はいないけど、それでもいいのなら、寄っていくか?」
そんな警備兵に、レイは少し考え……やがて、首を横に振る。
「いや、止めておく」
目的を達成出来ないのであれば、わざわざ詰め所による必要もないだろうと、そう判断して。
警備兵もそんなレイの態度は予想していたのか、あっさりと頷く。
「分かった。……ちなみに、レイが来たってのはランガ隊長に知らせた方がいいか? いつ領主の館から帰ってくるのかは分からないけど」
「あー……そうだな。そうしてくれ。地下空間の一件では、色々と話す必要もあるだろうし」
触手との戦いを途中で止められたレイとしては、その辺の情報をしっかりと共有しておきたいというのが、正直なところだった。
もっとも、未だにダスカーと協議を続けているとなれば、いつ戻ってくるのかというのは分からないのだが。
(ランガも、昨日の強制捜査であそこまで大量に犯罪の証拠が出て来るとは思わなかったってことか? でも、警備兵の間ではかなり有名だったって話だし……その辺、どうなってるのやら)
ランガの件はその辺にしておくとして、今回はこれ以上詰め所に用はないと判断して、セトを呼ぶ。
「セト、来たばかりで悪いけど、もう行くぞ。どこか適当な場所に寄って、食べ物でも買っていくとしよう」
「グルゥ? ……グルゥ!」
寝転がっていたセトは、レイの言葉に嬉しそうに喉を鳴らして立ち上がる。
てっきり、もっと長時間レイを待っている必要があるのかと思っていただけに、予想以上に早かったことに、嬉しそうな様子を露わにする。
そうして近寄ってくるセトを迎えるレイ。
そんな光景を見て、警備兵は少し呆れた様子で視線を向ける。
本来なら、このような光景を見ればレイがモンスターに……セトに襲われたようにしか見えない。
すぐにでもセトを止めるというのが、警備兵ならやらなければならないことだろう。
だが、このような光景は、それこそ警備兵から見ても既に日常なのだ。
……警備兵は、少しだけこれからのことを不安に思う。
このような光景に慣れてしまえば、もし街中で何らかのモンスターに襲われるような光景を見ても、反応するのが一瞬遅れるのではないか、と。
コボルトがギルムに侵入してくるという一件があっただけに、その不安は決して的外れなものではない。
「ん? どうかしたのか?」
自分達をじっと見ている警備兵の様子に気が付いたのだろう。レイは、不思議そうに尋ねる。
他意はありませんといった様子のレイに、警備兵はどう答えるべきか迷い……やがて、何でもないと首を横に振る。
「いや、相変わらずセトと仲が良いなと思っただけだ。レイのような存在を見ると、テイマーってのはもの凄い戦力になりそうだという思いもあるけど」
「あー……それな」
ギルムではマスコットキャラ的な存在となっているセトだが、そんなセトを見て、当然のように自分も欲しい! と強烈に思う者はいる。
そのような者達は、セト程ではなくても愛らしい、それこそ自分の相棒となってくれるような相手をテイム出来ないかといった風に、色々と行動をしている、という噂をレイは聞いたことがあった。
だが、元々テイマーという存在はかなり数が少なく、テイムの仕方も人によって大きく違う。
戦って勝つことによって自分の力を認めさせるという者もいれば、仲良くなって友達のような関係を築くという者もいる。
それ以外にも様々な上に、どのようなモンスターがテイム出来るのかというのも運の要素が関わってくるのだ。
……それでも、ギルムという大勢の冒険者が集まってきているだけに、何人かはモンスターのテイムに成功したという話が噂では広がってる。
出来ればその相手に会いたいと思わないでもなかったが、運が悪かったのか、今のところ会ったことはない。
「その辺は、完全に運次第だからな。ただ、辺境のギルムだけに、強力なモンスターをテイム出来る可能性は、他の場所よりも高いと思う」
取りあえず、そう言って誤魔化す。
実際にはレイとセトの関係はテイム云々ではなく魔獣術によるものだったのだから、それも当然だろう。