1977話
貴族街の近くにある場所で大規模な強制捜査が行われた、翌日……レイはいつものように、ギガント・タートルの解体をする為にギルムの正門の前で手続きを行っていた。
これだけの人数が一斉に手続きをする為には、当然のようにある程度の時間は掛かる。
そんな待ち時間に周囲で話している者達の声に耳を傾けていると、やはり昨日の一件がかなり話題になっていた。
「あのコボルトを操っていた奴が捕まったんだろ? これで、コボルトが大量に現れるってのはなくなってくれるといいんだけどな」
「え? そうなのか? 俺が聞いた話だと、影武者を用意して逃げ延びたって風に聞いてるんだけど」
「あら、私が聞いた話によると、コボルトキングに生贄を捧げてコボルトを生み出していたって聞いたけど」
様々な声が聞こえてくるが、その内容は全く関係ないものが混ざっているのもあれば、そこかしこに真実が混ざっているものもある。
「昨日の今日なのに、随分と色々情報が行き交ってるわね」
周囲の話に耳を傾けているレイの様子に気が付いたのだろう。ヴィヘラが少しだけ面白そうにしながら、そう告げる。
ヴィヘラにしてみれば、これだけ色々な情報が行き交っているという今の状況は、色々と面白いのだろう。
「そうだな。……まぁ、あれだけ大勢で強制捜査したんだ。当然どこかから情報は漏れるだろうしな」
一応、昨日の一件はギルドを通さない指名依頼という形になっていたので、強制捜査が終わった後は幾らかではあるが報酬も出た。
その報酬で酒場に向かい、酔っ払って強制捜査の一件を喋ったり、もしくは娼館で娼婦に寝物語で自分の武勇伝を話したりといった風にした者も、相応にいただろう。
ダスカーもそれを理解していたからか、出来るだけまだ喋らないようにして欲しいとは言ったものの、そこまで強い口止めはしなかった。
結果として、現在のような状況になったのだろう。
「取りあえず、私が気になるのは……コボルトが今日も来ているかどうかね」
「あー……取りあえず、あの触手がコボルトの異常発生の原因だとすれば、今日は来そうだよな」
「冒険者や警備兵が結構な数、犠牲になったものね」
昨日の地下空間で見た多数の死体を思い出したのか、ヴィヘラが周囲に聞こえないように小さく呟く。
レイ達が知っている情報では、赤布達を生贄として触手に捧げることにより、コボルトを大量に用意――召喚か、生み出したのか、どこからか呼んだのかといった方法までは分からなかったが――するというものだった。
だが、昨日の強制捜査で地下空間に繋がっていた屋敷は調べ終わり、黒幕の可能性が高いジャビスも捕らえた。
そうなれば生贄を捧げるという行為そのものが出来なくなるのだが……昨日は地下空間で触手に殺された者が多かった為か、生贄としては十分な数が死んでいる。
もっとも、その後でヴィヘラによって浸魔掌で痛い目に遭わされ、続いてレイの槍の投擲によって大きなダメージを受けている以上、今までと同じようにコボルトを用意出来るのかどうかは不明だったが。
レイとヴィヘラが会話をしている間にも手続きは進み、やがて全員の手続きが終わって正門から外に出る。
そして、外に出た者達の視界に入ってきたのは……
「うん、やっぱりコボルトだったか」
昨日のギガント・タートルの解体で出た血の臭いや肉片に釣られ、多くのコボルトがレイ達の視線の先にいた。
「セト、頼む」
「グルルルルルゥ!」
レイの呼び掛けに、少し離れた場所で遊んで貰っていたセトが即座に反応する。
自分を撫でてくれる相手にごめんねといったように顔を擦りつけてから、その場を離れていく。
そんなセトの態度に、見送る側は当然のように応援の声を上げる。
「セト、頑張れよ」
「コボルト退治が終わったら、干し肉を食べさせてあげるね!」
「あ、なら私はサンドイッチ」
「ちょっと、それあんたの昼食でしょ? いいの?」
「セトちゃんの為なら、これくらい何でもないわよ!」
セト愛好家達の声に背中を押されるように、セトは数歩の助走で翼を羽ばたかせて空を駆け上がる。
既に慣れているかのように、上空からファイアブレスを放ち、地上にいるコボルトを次々に焼き払っていく。
「平和ね」
そんな光景を見ていたヴィヘラが、レイの隣で小さく呟く。
だが、それを聞いたレイは、この光景が平和? と思い切り首を傾げる。
今も視線の先では、コボルトがファイアブレスの炎に身体を包まれ、悲鳴を上げながら雪の上を転げ回って身体の火を消そうとしており、その光景はとてもではないが平和という言葉からは遠く離れていた。
「あの光景のどこを見て平和なんて言葉が出てくるんだよ?」
「平和でしょ? 地下空間で空間の裂け目から無数に伸びてくる触手と戦うよりは」
「……まぁ」
そう言われると、レイもこの光景が平和に見えてくるから不思議だった。
そんな話をしている間にも、セトによる一方的なコボルトの虐殺とも呼べる行動は続き、やがて周囲には無数のコボルトの焼死体だけが残る。
「別に平和じゃなくても、何か強力なモンスターとかがいてくれれば、それはそれで面白いんだけどね」
あまりにもヴィヘラらしい言動に、レイは突っ込む気力もなくし、コボルトを倒したセトが、褒めてと嬉しそう駆け寄ってくるのを迎える。
「グルゥ! グルルルルゥ、グルルゥ!」
「ああ、よくやったな。セトの上空からのファイアブレスは、コボルトとかゴブリンのような弱いモンスターには、効果抜群だ」
レイに褒められ、嬉しそうにするセト。
もっとも、効果は抜群なのだが、焼死体である以上は素材の類を剥ぎ取ることは出来ず、討伐証明部位も状態によっては焼けてしまっているのだが。
剥ぎ取れるとすれば魔石くらいなのだが、コボルトの魔石を集めるよりもギガント・タートルの解体を進めた方が、成果報酬としてより多くの報酬や肉を貰えるからだ。
スラム街出身の者達ですら、コボルトの剥ぎ取りよりもギガント・タートルの解体の方を選ぶ……と言えば、どれだけ報酬に差があるのか分かりやすいだろう。
勿論、ギガント・タートルの解体に参加していないスラム街の者がいれば、モンスターの中でも一番高く売れる魔石だけは確保しようとするだろうが。
ともあれ、いつもの場所を占拠していたコボルトが消滅したことにより、早速レイはミスティリングからギガント・タートルを取り出す。
「じゃあ、頼む。……それにしても、解体が始まってから結構経つのに、何だかんだとまだそこまで進んでないよな。分かってたことだけど」
「そうですね。どのみち、この冬だけで全て解体するのはまず無理だと、そうレイさんも言ってたでしょう? 恐らく数年がかりの作業になるかと。……冬の間しか出来ないというのが、痛いですよね」
一秋や春といった季節でも解体作業が出来ないことはないだろうが、秋や春となれば冒険者の多くは自分の仕事に向かうだろうし、モンスターの動きも活発になる。
そして何より、ギルムの増築工事の方で人手が必要になり、非常に忙しくなるというのは確定だった。
とてもではないが、ギガント・タートルの解体に回せる人手はない。
(何人かはやる気に満ちていて、少しでも金を稼いでおきたいとかいう奴もいるかもしれないけど、殆どの奴は増築工事の疲れで早朝だけとはいえ、別の仕事をするような余裕はないだろうしな)
それは、レイが去年行われた増築工事を見ての感想だった。
元々、ギルムの増築工事に大量に人が集まったのは、短期間でそれなりに稼げるからだ。
そういう者達にとっては、下手にギガント・タートルの解体に手を出しても疲れて、本番の増築工事の方に手が回らなくなる可能性が高い。
あるいは短期間……数日程度なら問題ないかもしれないが、そのようなことを長期間続けるのは体力的に厳しい。
何より、数日間程度しか働けないのであれば、解体に慣れてきたところで仕事が終わってしまうということになる可能性が高かった。
それを思えば、やはりギガント・タートルの解体に関しては、増築工事が中断し、解体の経験のある冒険者達の多くが仕事をしていない冬が最適なのは間違いないだろう。
「まぁ、解体の費用とかも出して貰ってるし、冬の間にギルムでの仕事をもたらしたと思えば、それでいい。こっちも毎日のようにギガント・タートルの肉とかを貰えるしな」
一度に大量に解体した場合、貰える肉の量も多くなるが、普通ならその大量の肉を自分で食い切るといった真似は出来なくなる。
それを思えば、こうして毎日のように一定量肉を貰える……というのがいいのだろう。
もっとも、レイの場合はミスティリングがあるので、肉を大量に貰っても腐らせるといったことはないのだが。
寧ろ、その辺を気にしているのは解体をしている者達だろう。
「あはは、そう言って貰えると助かります。では、早速……」
「あ、ちょっと待った」
早速作業に取りかかろうとするギルド職員を、レイは呼び止める。
何です? といった具合に視線を向けてくるギルド職員に、噂になってるから知ってるだろうけど、そう断ってからレイは口を開く。
「昨日の貴族街の近くでの一件、どこまで知ってる?」
「まぁ、大体は知ってますけど。警備隊の方からギルドにも情報は流れてきてますので」
そう言いながら、若干ではあっても不満そうな様子を見せたのは、昨日の強制捜査に参加した冒険者達は、ギルドを通さない指名依頼という形になっていたからか。
ギルドを通していない以上、当然のように仲介料の類はギルドに入らず、それだけ損をしたといったことになる。
とはいえ、ギルムのギルドは増築工事の一件から、近年希な程の好景気だ。
冬で増築工事が行われていない今であっても、レイの持ってきたギガント・タートルの解体のおかげで、非常に懐が暖かくなっているのは間違いなかった。
まだ素材の類はギルドに売られていないが、レイからはギルドに売るという確約を貰っていることも大きい。
また、警備隊がそのようにしなければならなかった理由も理解している以上、ギルド職員としては警備隊を責めるという訳にもいかないのだろう。
「そうか。ともあれ、事情を知ってるのならもう予想は出来ていると思うけど、コボルトをギルム周辺に放ち続けていた相手を倒す……ことは出来なかったが、傷を付けることには成功した。また、黒幕と思しき相手も捕らえることには成功したから、生贄もこれ以上は与えられない。つまり……」
「コボルトがいなくなる。そういうことですか?」
「ああ。勿論絶対という訳じゃなくて、あくまでも恐らくといった感じだけど」
「ですが、先程はコボルトがいましたよね?」
「……昨日、地下空間で冒険者や警備兵が死んだからな。それが生贄という形になった可能性が高い。もしそれが事実なら、明日からは全くコボルトが出てこないか、もしくは出てきても少なくなると思う」
そう言いつつも、あのピンクの触手が生贄を与えられないことに怒りを覚え、地下空間から出て来る可能性もない訳ではないのか、というのがレイの予想だった。
一応ランガがその辺は何とかすると言っていたので、多分大丈夫だとは思っているのだが、そのランガにしても絶対の自信があって言った訳ではないだろう。
「なるほど。なら、明日からはコボルトに関してはあまり心配しなくてもよさそうですね。……そうなると、護衛の方はもう少し減らした方がいいでしょうか?」
「いや、ギガント・タートルの血の臭いに惹かれてやってくるモンスターは、別にコボルトだけじゃないだろ? コボルトの場合はギルムの近くに出てきたからかか、こっちに集中してきたけど。ともあれ、コボルト以外のモンスターもいるから、その対処に護衛は必要な筈だ」
「そうですか。……まぁ、護衛を希望する冒険者は多いですから、喜ぶとは思いますけど」
しみじみと告げるギルド職員。
ギガント・タートルの解体はしなくても、護衛をするだけで肉を貰えるのだ。
その上、戦う相手はコボルト程度のモンスターなのだから、護衛を受けている冒険者の多くにとっては苦戦すべき相手ではない。
大量のコボルトに襲われれば苦戦するかもしれないが、レイが地形操作を使ってそうならないようにしている。
そんな状況である以上、ギガント・タートルの解体の護衛を希望する冒険者が多くなるのは、当然のことだった。
「コボルトが減っても、強力なモンスターが出て来るという可能性は否定出来ないのを考えると、喜ぶだけでは済まないと思うけどな」
そう言い、レイはギルド職員とギガント・タートルの解体についての話を進めるのだった。