1965話
N-starにて、異世界だから誰かに従うのはやめにする ~石化の視線でヒャッハーする~が更新されています。
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ピーッ、と。そんな音が聞こえてきたのは、書斎の中を調べ始めてから一時間経ったかどうかといったくらいの頃だった。
レイが見つけた以外にも、結構な数の悪事の証拠を見つけることが出来、それがどれだけこの屋敷の主人が犯罪に手を染めていたのかというのを示している。
もし地下空間の件に関係なくても、間違いなく処罰されるだろう。
そんな思いを抱いていたところに、そんな音が聞こえてきたのだ。
そして、その音を聞いた警備兵の反応は早い。
「レイ、緊急事態だ。この笛の音はすぐ集まるようにという緊急の合図だ」
「ああ、そう言えば」
レイも昨日捜索した屋敷で聞いた音だなと思いつつ、警備兵の言葉に頷く。
「分かった。それで一体どうすればいいんだ?」
「笛の音を鳴らした奴の所に行く。レイも一緒に来てくれ」
本来なら、この書斎で見つけた証拠の類をしっかりと持っていかなければならない為に、行動が遅くなってもおかしくはない。
だが、レイの場合はミスティリングがある以上、その中に証拠の書類を入れておけば荷物の類は全く邪魔にならず、書斎の中にいた警備兵達とレイは、即座に部屋を飛び出す。
真っ直ぐ笛の音のした方に向かって走る。
途中で屋敷の使用人と思しき者達が突然の笛の音に混乱している光景も目にしたが、警備兵達は未だに定期的に聞こえてくる笛の音の方角に向かって走る。
当然のように、この屋敷を強制捜査していた者達はレイ達と同様に笛の音の聞こえた方に向かって走り……レイ達と合流することになる。
「何があったか分かるか?」
「いや」
短く言葉を交わす警備兵達。
走りながらなので、それ以上無駄な言葉を交わすようなことはせず、そのまま屋敷の中を走り……やがて、笛を持っている警備兵の前に到着する。
「何があった」
「昨日隣の屋敷にあったっていう、地下空間に通じる隠し階段を見つけた」
短い言葉だったが、それだけで笛の音を鳴らした意味は十分に理解出来た。
まだこの場に来ていない者達もいるが、その者達も今の説明を聞けばすぐにでも納得するだろう。
「どこだ?」
「この部屋の中だ。本棚に仕掛けがあって、それを動かしたら隠し階段があった」
警備兵の説明を聞きつつ、部屋の中に入る。
部屋の中では壁の一面が開いており、そこには地下に通じる階段がある。
その階段は、レイにとっても見覚えのあるものだった。
正確には昨日レイが見た階段とは違うのだが、それでもピンク色の触手の存在する地下空間に続いていると思うからか、同じような階段に思える。
「この部屋は書斎って訳じゃないんだな」
階段から視線を逸らし、周囲を見ながらレイが呟く。
本棚に仕掛けがあったと言う通り、この部屋には幾つもの本棚がある。
図書室……と呼ぶには些か小さいが、それでも本を読む為の部屋なのは間違いなかった。
「で、どうするんだ? 地下空間に繋がってると言い切るってことは、この階段を下りてみたんだろ?」
警備兵の一人が尋ねると、笛の音を鳴らしていた男が頷く。
「ああ。この階段の先には、間違いなく報告にあった地下空間が広がっている。ただ、触手はいなかったし、空間の裂け目ってのもなかったけどな」
「死体はあったか?」
警備兵達の話を聞いていたレイは、不意にそう尋ねる。
レイが昨日見た限りでは、地下空間に触手によって骨と皮だけにされた死体が幾つも残っていた筈だった。
赤布の者達と、その赤布を連れてきた者の死体が。
だが、尋ねられた警備兵は首を横に振る。
「いや、死体の類は何もなかった。……恐らく回収したんだろうな」
本来なら、その死体はレイが回収しておけばよかったのだろう。
だが、ピンクの触手の能力を考えると、あの時は一旦退避するのが最善の選択肢だったのは間違いない。
あのまま戦っていた場合、下手をすれば触手の数が次々と増え、手に負えなくなっていた可能性も高い。
(可能性じゃなくて、ほぼ間違いなくって言ってもいいと思うけどな)
空間の裂け目の向こう側には、レイが戦った触手が大量に存在する気配があった。
それを考えると、あの場で死体をミスティリングに収納するような時間も惜しんで地下空間から退避した判断は、間違っていなかったという確信がレイにはある。
「そうか。出来れば死体が残っていたら、今回の一件の証拠の一つとして結びつけることが出来たんだろうけど。……どう思う?」
レイが最後に尋ねたのは、レイを驚かそうとしてか気配を消して部屋の中に入ってきていたヴィヘラ。
他の者達はこの部屋に他に何らかの手掛かりの類がないかといった事や、場合によっては地下空間から触手が出てくる可能性もあるのではないかといった具合に警戒していた。
にも関わらず、部屋の中にヴィヘラが入ってきたのに気が付かなかったのだ。
それに驚くなという方が無理だろう。
「そうね。でも、レイが昨日行った隣の屋敷にも同じような死体はあったんでしょ? なら、そっちの方に関連すると言われる可能性も高いんじゃない? ……もっとも、レイが言う触手の残骸を持ってくれば、どうとでも出来るでしょうけど」
「いや、それはお前が触手と戦いたいだけだろ。それに、触手の死体……って表現が正しいのかどうかは分からないけど、それは塵になって消えてしまうんだ。どうやって触手の残骸を持っていくんだ?」
「それは、レイがどうにかしてくれると信じているわ」
「……そこは俺任せか。それで、どうだった? そっちにはヴィヘラが喜ぶような強敵がいたか?」
「いいえ。そういう人は来なかったわね。兵士が何人かいたけど、期待した程じゃなかったし。……もしかして、レイの方に行ったんじゃないでしょうね?」
疑惑の視線がレイに向けられる。
普通ならそんなヴィヘラに目を奪われてもおかしくはないのだが、一緒に行動しているレイは当然のようにヴィヘラの美貌にも慣れており、すぐに首を横に振った。
「いや、ヴィヘラにとっては幸運なことに、こっちに来ることはなかったな。俺の方に来たのも、ヴィヘラの方に行ったのと同じような兵士だけだった。……もっとも、それなりに骨のある兵士だったが」
もしかして、昨日あのように襲われたのは、昨日の屋敷が死体を保存しておくような場所として機能していたからなのでは? と、若干考えるレイだったが、ヴィヘラの前でそれを口に出すようなことはしない。
もしそれを口にすれば、ヴィヘラはそれこそ昨日の屋敷……隣の屋敷に向かってもおかしくなかったからだ。
(いや、一応依頼を受けてここにいるんだと考えれば、そんな真似はしないか? ……しないといいんだけどな)
ヴィヘラだけに、一体どのような行動を取るのかが分からないというのが正確なところだった。
普段であれば大体の予想は出来るのだが、こと戦いとなるとその予想が外れる可能性も高い。
ヴィヘラと行動を共にしていた警備兵は少し遅れてここに到着したのか、扉の外から中を覗くようにしている。
護衛対象を置いてくるというのは、正直どうかと思わないでもないが……まぁ、ヴィヘラが口にしていたように、この屋敷に昨日の屋敷のような襲撃者はいない可能性が高い。
そう思い、これからどうするべきかと考えていると……
「こ、こ、こ、これは一体何だ!? あの階段は誰が作ったものだ!」
不意に部屋の中にそんな声が響く。
俺を含めて部屋の中にいた面々が声のした方に視線を向けると、部屋の扉のすぐ側で驚愕の表情を浮かべつつ叫んでいる男の姿。
今の台詞から、その叫んだ人物が誰なのかというのは、それこそ考えるまでもないだろう。
この屋敷の主人の男だ。
てっきり外で苛立ち紛れに何らかの行動をしているのだとばかり思っていたのだが、まさかこうして屋敷の中に直接入ってくるとは思わなかった。
「言え! お前達がここを強制捜査するのは、このような階段を秘密裏に作る為だったのか!」
ん? と、その言葉を聞いた者の大半の警備兵や護衛の冒険者達が、疑問を抱く。
それは、レイもまた同様だった。
今の発言を聞く限りでは、この屋敷の主人たる男は、ここに隠し階段があったというのを知らないというようなものだったのだから。
一瞬、隠し階段を見つけられた為に誤魔化そうとしているのか? と思わないでもなかったが、レイから見て今も苛立ち紛れに叫んでいる男は、とてもではないがそのようなことをしているようには思えない。
正真正銘、混乱しているように思えた。
勿論それが演技であるという可能性も否定は出来ない。
だが、レイが見た限りでは、男にそのような真似が出来るとは思えず、何よりその行動は真に迫っていた。
(そうなると、本当にこの隠し階段のことを知らなかったのか? その可能性も考えないではなかったけど)
屋敷の主人とはいえ、この屋敷程に広い屋敷の全てを熟知しているとは限らない。
そうである以上、屋敷の主人には知られないように隠し階段を作ることも、恐らくは無理ではなかった筈なのだ。
当然だが、そのような行為をするにはかなりの労力を必要とするし、屋敷の主人に見つからなくても、メイドや執事といったような者達には見つかる可能性は高い。
そんな中で、見つからずにこのような隠し階段を作るというのは、一体どれだけの労力が必要になるのか。
途方もない労力が必要となるのは間違いなかった。
だが、レイが見たところ、この屋敷の主人が驚いている様子はとてもではないが演技には見えない。
実は演技を得意としているという可能性もあるのだが、そこまで考えればより多くを疑わなければならなくなる。
「何を驚いてるんだ? ここはお前の屋敷なんだから、ここに隠し階段があるくらいのことは知っていた筈だろ?」
鎌掛けのつもりでそう告げるレイだったが、屋敷の主人は一瞬何のことを言われてるのか分からないといった様子で呆然とし、数秒後には慌てて首を横に振る。
「違う! 私の家にこのような仕掛けがあるとは、全く知らなかった! 誰だ! 誰が屋敷の主である私にも秘密で、このような隠し階段を作った!」
そうして叫ぶ様子に、レイだけではなく警備兵までもが疑問の表情を浮かべていた。
やはり、とてもではないが演技をしていたり嘘を吐いているようには見えないのだろう。
(となると……)
屋敷の主人の周囲にいるメイドや執事、それ以外にも護衛の兵士や使用人といった者達に視線を向けるレイだったが、全員が戸惑ったような表情を浮かべている。
レイが見る限り、屋敷の主人の周囲にいる者達の中には隠し階段の一件に関わった者はいないらしい。
勿論、レイが見ても分からないくらいに演技をしている者がいないとは限らないので、確実ではないのだが。
「今回、私達が強制捜査に乗り出したのは、この地下階段が関係しています。……この地下階段の先に何があるのか、ご存じですか?」
そう屋敷の主人に尋ねる警備兵だったが、隠し階段があったのを知らなかったのだから、当然その先に何があるのかといったことを知っている筈もない。
首を横に振る屋敷の主人に対し、警備兵は厳しい表情のまま説明を続ける。
「この階段は、地下に大きく広がっている空間に繋がっています。この屋敷の地下に巨大な空間があるということも、当然知らなかったと思ってもいいですよね?」
「あ、ああ。知らん。そんな話は全く聞いたことがない」
警備兵の言葉に、即座に答える屋敷の主人。
こんなことで強制捜査を受け、何らかの罪に問われるのかという思いがあるのだろう。
もっとも、例えこの隠し階段の一件を知らなくても、それ以外で色々と……それこそ捕まえるのに十分なだけの犯罪の証拠は見つかっているのだが。
本人は不幸にもまだそのこと知らないらしく、何とかこの場を誤魔化せばどうにかなると、そう思っているのだろう。
「そうですか。……実は、この屋敷の地下にある空間はこの辺一帯の他の屋敷にもこのような階段で繋がっている疑いがあります」
「何っ!?」
再びの衝撃で、屋敷の主人は唖然とした表情を浮かべるしか出来ない。
当然だろう。
もしこれが地下にあるという空間に繋がっているだけであれば、色々と思うことがないでもなかったが、それでも納得出来た。
だが、その地下空間が他の屋敷に繋がっているとなると、それは許容出来る範囲を大きく超えている。
それこそ、場合によっては全く知らない誰かがこの屋敷に勝手に侵入するかもしれないのだ。
それは、とてもではないが許容出来ることではなかった。
「誰だ……一体、誰が勝手にそんな真似をした! 誰の許可を……」
「おっと」
怒りで顔を真っ赤に染めて叫ぶ屋敷の主人だったが、不意にヴィヘラが動く。
屋敷の主人の頭部を狙って放たれた短剣を、手甲で弾いたのだった。