1959話
セトを外に残し、詰め所の中に入ったレイとヴィヘラは、早速警備兵達に声を掛ける。
「俺を呼んでるって話だったけど、どうしたんだ?」
「ああ。実は、昨日の屋敷とその周辺にある屋敷を警備兵で大々的に捜査することになってな。今回は、ランガ隊長も出る」
「……ランガが?」
ランガというのは、警備隊の頂点にいる人物だ。
厳つい顔と髭によって強面の外見をしているのだが、性格は温和だ。
もっとも、性格が温和だというのは、ランガが弱いということを意味してはいない。
とはいえ、ここ暫くレイはランガのことを見ていなかったので、まさかここでその名前が出てくるとは思っていなかった。
「ああ。ちょっと前までは増築工事の件でとんでもなく忙しかったんだが、今は冬になってある程度落ち着いたからな。……コボルトの一件で、最近はまた忙しかったらしいが。ともあれ、昨日の屋敷がコボルトの一件に関係しているのなら、ということでランガ隊長も出ることにしたらしい」
「ふーん。……まぁ、ああいう場所だしな。警備隊の隊長が出てくるというのは、十分にありだろ」
貴族街の近く、それも一つの屋敷ではなく、その周辺にある屋敷に対しても捜査するというのであれば、当然のようにその屋敷の者や貴族街の者達を納得させる旗頭とでも呼ぶべき人物が必要になる。
そういう意味では、警備隊の隊長のランガというのは、十分な旗頭になると言ってもいいだろう。
「ああ。ランガ隊長もその辺を考えて決めたんだと思う。……他にも冒険者に何人か協力を要請している。もっとも、大々的に依頼として募集すれば向こうに知られる可能性もあるから、信頼出来る冒険者達に内密でという感じだが」
「ふーん。まぁ、それは別にいいんじゃないか? 今の状況で役に立つかどうかは、微妙な奴も多いけど」
冬の今は、多くの冒険者にとって長期休暇とも呼ぶべき期間で、大なり小なり身体が鈍っている者が多い。
それでも一般人と比べると間違いなくその強さは上なので、こういう場合は戦力にはなるのだろうが。
「それで、レイにも協力して貰えるということでいいのか?」
「ああ、俺はそれで構わない。……ヴィヘラの方も、完全にその気になってるみたいだし」
ヴィヘラの方を見ながらそう告げると、視線を向けられたヴィヘラは満面の笑みを浮かべて小さく頷く。
「というか、俺だからいいけど、本来ならもっと早くに捜査……この場合は強制捜査か。強制捜査をするって言わないと、今日言われてすぐに動くというのは普通なら無理だぞ?」
「あー……すまない。今回の件は色々と突然だったからな。こっちの方でも手間取ってることが多いんだ」
そう言い、レイと話していた警備兵が頭を下げる。
レイも、そのように素直に謝罪されれば、文句が言いにくい。
実際、昨日の件で事態が急激に動いたのは間違いないと分かっているというのもあるのだろうが。
まさか、あのように凶悪な触手が次々に出てくるとは思っていなかったのだから。
「何らかの手段でコボルトを操るなり召喚するなりしてるんだろうけど、その対象があの触手じゃな。……正直なところ、あの触手の方が何倍も、何十倍、場合によっては何百倍も危険なような気がする」
レイのデスサイズでなら切断出来るが、そこには相応の抵抗があった。
今までそのようなことがなかった……という訳ではないが、そこまで多くあった訳でもないのも事実だ。
デスサイズでそれなのだから、あの触手が街中で大量に姿を現すことになれば。
そう考えると、昨日の今日でこうして強制捜査に乗り出す理由もレイには理解出来る。
「そうなる。だから、レイの力も当てにしてるぞ」
「分かってる。……けど、もし俺がここに来なかったら、どうするつもりだったんだ? それこそ、何か用事があってギルドで聞いた伝言を忘れていた場合」
「昨日の一件を実際に経験したレイが、そうやって忘れるとは思ってない」
それは信頼なのか、もしくはトラブルに巻き込まれるレイに対する半ば呆れなのか。
ともあれ、実際に警備兵はそのように思い、レイがこうして詰め所にやって来たのは間違いのない事実なのだ。
そう考えれば、レイの行動を読んだ警備兵の言葉に間違いはないということになる。
自分の行動が単純だったのか? と思いつつ、隣で笑みを浮かべているヴィヘラから視線を逸らし、半ば照れ隠しで口を開く。
「それで、強制捜査はいつやるんだ? やっぱり向こうに怪しまれないように夜とかか? 警備兵とかが大量に動いていれば、こっちの行動を読まれやすいだろうし」
「いや、今日の午後だ」
「また、随分と早いな。しかもそんな明るい時間からか?」
冬らしい雲が空を覆っているが、それでも太陽は雲の隙間からそれなりに顔を出し、明るさもそれなりにある。
そんな中、それぞれが違う装備の冒険者ならともかく、警備兵が纏まって動けば間違いなく人目を引く。
……セトとヴィヘラと一緒に行動しているレイも、警備兵とは違う意味で人目を引くのは間違いないが。
「本来なら夜の方がいいんだが、レイ達に地下空間を見つけられて、触手も見られたとなると、危険だと判断してギルムから逃げ出す可能性がある。……今なら、正門を通らなくても、増築工事中の場所から抜け出せるしな」
「一応レイの造った土壁があるけど、ギルム側からなら乗り越えるのは難しくないしな」
土壁を直接見てきたのか、警備兵の一人がそう告げる。
実際、それは間違いではなく、レイが作った土壁はギルムの外から入るのは難しく、中から出るのであればそう難しい話ではない。
元々レイが作った土壁は、コボルトを含めてギルムの外から侵入してこようとする敵を防ぐ為に作ったものであって、ギルムから出て行く相手に対処する為に作った訳ではないのだから当然だろう。
「こうなると、ギルム側の方も地面を沈下させておくべきだったな。今更言っても意味はないことだけど」
「気にするなって。そもそも、こうなることは誰にも予想出来ていなかったんだからな」
警備兵の一人が、レイを慰めるように言う。
「そう言って貰えると、こっちとしても助かるよ。……で、今日の午後から強制捜査に行くって話だったけど、それは昨日の屋敷だけじゃなくて、他の屋敷もなんだよな? そうなると、俺とヴィヘラは別々の屋敷に行った方がいいのか?」
ピンク色の触手はともかく、それ以外の屋敷を守っていて、レイ達に攻撃を仕掛けてきた者達の実力を考えると、レイとヴィヘラのような戦力が一つに纏まるというのは戦力を無駄に一つに纏めていることになるだろう。
そう思って尋ねたのだが、警備兵達が浮かべたのは複雑、もしくは微妙な表情。
「あー……その、だな。俺達だとヴィヘラを御することは出来ないから、出来ればヴィヘラはレイと一緒に行動して欲しい。さっきも言ったと思うが、信頼出来る冒険者に声を掛けているから、取りあえず戦力不足になるってことはない筈だ」
警備兵の言葉を聞いても、ヴィヘラは特に不満そうな様子はない。
自分が厄介者扱いされるのは分かっていたからだろう。
特に警備兵は、今まで何度もヴィヘラが起こした騒動で出張ってきたということもあり、余計に自分と組みたくないだろうという思いがあった為だ。
もっとも、人によってはヴィヘラを野放しにするのは危険なので自分達と一緒に行動するようにと言うような者がいてもおかしくはないのだが、幸か不幸か現在ここにいる警備兵にそのようなタイプはいなかったらしい。
ヴィヘラとパーティを組んでいて、扱いに慣れているレイに任せてしまった方が手っ取り早くていい。
そのような思惑から出た言葉に、レイとヴィヘラはそれぞれ頷く。
「分かった。そっちがそれでいいのなら、俺はそれで構わない。……ヴィヘラもいいよな?」
「ええ、私もそれで構わないわ。それにしても……ふふっ」
何故か急に笑みを、それも嬉しそうな笑みを浮かべるヴィヘラに、レイだけではなく警備兵達も疑問の視線を向ける。
ヴィヘラに対する扱いを考えた場合、不愉快になるということはあっても、まさか機嫌が良くなるとは思ってもいなかったのだろう。
とはいえ、ここで警備兵が何かを尋ねて、その結果としてやっぱりレイとは別行動を取ると言われてしまっても面白くはない。
警備兵達はそう考え……だが、警備兵達の考えを知らないレイは、普通にどうしたのかといったように尋ねる。
「てっきり機嫌が悪くなると思ったんだけどな。どういう心境の変化だ?」
止めろぉっ! と、警備兵達が心の中で叫ぶも、それがレイに届く筈はない。
……心の中で叫びつつ、警備兵もヴィヘラの笑みの理由を聞きたいという思いがあった為か、内心では不満に思いつつも、ヴィヘラの様子を窺う。
「あら、だって私とレイが一緒に行動するんでしょ? それならデートじゃない」
「……随分と物騒なデートもあったものだな」
予想外の言葉にレイはそう言いつつも、ヴィヘラにそう言われることが若干嬉しかったというのは間違いのない事実だった。
そんな二人のやり取りに、警備兵達は呆れと嫉妬の視線を向ける。
ヴィヘラによって何度となく手を煩わされたことがあるとはいえ、それでもヴィヘラが極上という表現でも足りない程の美女であるというのは間違いのない事実だ。
そんなヴィヘラに好意を……それも友情ではなく男女間の愛情を向けられているレイに、男として嫉妬するなという方が無理だった。
もっとも、ならば自分がヴィヘラからそのような感情を向けられたいかと言われれば、幾らヴィヘラが絶世の美女であっても、性格的にはかなりの問題があり、素直に頷くのは難しいだろう。
そんな視線を向けられていたレイだったが、その手の視線は慣れているので、特に気にした様子もなく口を開く。
「それで、午後から強制捜査をするとなると、俺とヴィヘラ、それと表にいるセトはどうすればいい? まさか、午後までずっと詰め所にいるって訳にもいかないだろうし」
「あー、そうだな。詰め所にいるのは別に構わないぞ。特に何か問題がある訳でもないし。寧ろ、そっちこそ午後までに特に何かやるべきことはないのか?」
「……ないな。いや、色々と細かいことはあるけど、どうしても今日でなければならないってのはない。ただ、強いて言えば増築現場に作ってきた土壁がどうなっているのか、ちょっと見てきたい。多分大丈夫だとは思うけど、もしかしたら……」
その先は言わなくても、警備兵達にもレイが何を言いたいのかを理解出来た。
「そうだな。一応調べておいた方がいいだろうな。多分大丈夫だとは思うが、あそこが一番逃げ出しやすい場所なのは間違いないし。……もっとも、夜の辺境、それも冬ともなれば、普通なら外に出たいとは思わないだろうが」
「そうだな。普通なら」
レイが言外に、今回の一件を企んでいる者が普通とは到底言えないと告げる。
実際問題、あのような触手を召喚し、その結果としてコボルトをギルムに呼び寄せるなどという真似をする者が、普通であるとは到底言えない。
それが分かっているからこそ、警備兵もレイの言葉に対して意味ありげに答えたのだろう。
「じゃあ、私達は取りあえずその土壁を見に行ってくる。そういうことでいいのね?」
「ああ。どうせ何かやるべきこともないし、買い食いしながらそっちの様子を見てきた方がいいだろ」
「相変わらずだな」
買い食いという言葉に、警備兵の何人かは笑みを浮かべつつ、そう告げる。
普通なら、これから得体の知れない相手の拠点に踏み込むともなれば、とてもではないが食欲が湧かないだろう。
にも関わらず、レイは全く問題ないといった様子で、買い食いをすると言ったのだ。
警備兵達にしてみれば、どれだけ度胸があるのだと、そのような思いを抱くのは当然だろう。
とはいえ、レイはレイで今まで色々な……それこそ、数え切れない程に幾つもの経験をしてきている。
この程度のことで食欲が減衰される、などということは有り得なかった。
「そうか? 腹が減っては戦は出来ぬ。……どこの国だったか忘れたけど、そんな言葉もあるんだ。食欲ってのは大事だぞ」
当然それは日本の言葉なのだが、そんなことをこの場で言える筈もなく、そう誤魔化す。
「腹が減っては戦は出来ぬか。そう言われると納得出来る言葉だな」
警備兵として、その言葉には強く思うところがあったのだろう。
「ま、そんな訳だ。とにかく、俺達はちょっと土壁を見てくるよ」
そう言い、レイはヴィヘラと共に詰め所を出て行くのだった。