1953話
「どうする?」
今ならまだ見つかっていないので、どうとでも向こうを対処出来る。
そう言ってくる警備兵に、レイはどうするべきなのかを迷う。
実際、戦おうと思えば向こうを制圧するのはそう難しい話ではないだろう。
そもそも、向こうの戦力はあくまでも一人でしかなく、その一人もロープで赤布の者達を引き連れている。
その足取りから、ある程度の強さは持っているというのは分かるが、それこそ警備兵であれば取り押さえられる程度の強さでしかない。
そうである以上、捕らえるつもりなら確実に捕らえることは出来る筈だった。
にも関わらず、レイが捕らえるという即断をしなかったのは、単純に今回の一件が色々と不明だからだ。
ましてや、今こうして見ている限りでは、赤布の連中を使って何かをしようとしているのは間違いない。
結果として、この屋敷で見つけたような骨と皮だけの死体になるのは確実なのだが……
(いや、警備兵がいる場所で見殺しにするなんて真似をすると、面倒なことになりそうだな)
レイにしてみれば、赤布の連中が死んだところで、そこまで後悔したりはしない。
自分で選んで赤布として活動していた結果だと言われれば、納得すらする。
だが、それはあくまでもレイの意見であって、警備兵は違う。
元々人情に厚い者が集まる傾向――中には犯罪者は死ぬべきという強硬派もいるが――もある以上、ここで赤布が死ぬ可能性が非常に高いのに、見逃すといった選択肢は間違いなく存在しない。
「確保しよう。あのロープを持ってる奴なら、色々と情報は知ってるだろうし」
結局レイが選んだのは、それだった。
もっとも、あのロープを持っている者が何かを知っているのであれば、それを聞き出せばいいだけなのだから、結果的には同じことなのだろうが。
「分かった。けど、どうやって捕まえる?」
警備兵がそう言うのも、男の入ってきた場所がレイ達のいる場所からそれなりに距離がある為だ。
それこそ、今ここで一気に走って近づいても、最悪の場合はロープを持っている男が逃げ出してしまう可能性が高い。
追えば捕まえられるかもしれないが、もしかしたら逃げられる可能性もある。
なら、どうするか……そう考え、レイが口にしたのは単純なことだった。
「どうやらこの空間の中央に向かって歩いているみたいだから、向こうが走っても逃げられない場所まで進んだら、確保に向かうってのはどうだ?」
「それが一番無難だろうな。ただ、あの男が自分の降りてきた階段に向かうと思うか? もしかして、別の階段に向かうって可能性も……」
「そうなると、それこそどれだけ素早くあの男を捕らえることが出来るか、だな。……こっちも一塊になって追うんじゃなくて、それぞれが別個に行動した方がいいか?」
レイの言葉に、三人の警備兵達が頷く。
ロープを持っている男の様子から、自分達でも捕らえる事が出来ると判断した為だろう。
「よし、じゃあもう少し待ってから行動を開始する。……何で俺が仕切ってるんだろうな」
ふと、そんな疑問を感じ、レイが呟く。
本来なら、相手を確保するというのはレイではなく警備兵の仕事の筈だった。
だが、何故か今この場で仕切っているのはレイだ。
それを自分でも不思議に思ったのだが、警備兵の一人は気にするなといった様子で、軽くレイの肩を叩く。
「何だかんだと、こういう場合に素早く判断する能力は、俺達よりも多くの経験をしているレイの方が上だろ。それなら、レイが仕切ってくれた方が手っ取り早い」
「そうか? 俺が出した意見なんて、結局あの男が逃げられない場所まで移動してから捕まえるといった程度で、誰でも出せるような代物だと思うけどな」
「それでもだよ。こういう時にレイみたいに場慣れしている奴がいてくれるのは助かる」
警備兵の言葉に首を傾げるレイ。
場慣れという意味なら、それこそ警備兵は毎日のように様々な事件現場に遭遇している筈なのだから、レイよりも場慣れしていてもおかしくはない。
そんな疑問を抱いたが、ともあれ向こうがそう言うのであれば、と。それ以上はその件について口にせず、別のことを口に出す。
「なら、取りあえず動くか。向こうも大分この地下空間の中を進んでくれたし」
普通なら、同じ空間にレイ達のような存在がいれば、それに気が付かないということはない。
だが、レイ達は自分達が降りてきた階段の側に隠れるようにしており、そのおかげで向こうに見つかるようなことはなかった。
勿論、レイ達の視線の先にいる男が、高い注意力を持っているのであれば話は別だったが。
ともあれ、警備兵達はレイの言葉に頷くと、それぞれ動き出す。
最初は相手に見つからないようにしながらゆっくりと動きつつ、地下空間の中央に進んでいる男に向かって歩き出す。
レイ以外の警備兵は、それぞれ男が別の方向……それこそ、降りてきた階段とは別の階段に向かう。
そうして相手の注意を引きつつ、出来るだけ見つからないようにするという矛盾した行動をしながら進んでいたレイだったが……
「ふん、ふん、ふーん」
ロープを手にした男は、自分に近づいてくるレイの存在に全く気が付く様子もなく、鼻歌に集中していた。
あるいは、赤布の男達が正気であれば、もしかしたらレイの存在を教えたかもしれないが……残念ながら、ロープで縛られている赤布の男達に、自我の類は存在していない。
そのような状況であった為、ロープの男は自分に近づいてくるレイに、そして警備兵達に全く気が付く様子はなかった。
この地下空間という場所が、絶対的に安全な場所であるという認識もあったのだろう。
実際、レイ達がいた屋敷では隠し扉の先にこの地下空間に繋がる階段があったのを考えると、そう簡単にこの場所を見つけるといった真似が出来ないのは間違いなかった。
だからこそ、ロープを持った男もそのように思い……この場は絶対に安全だという認識を抱き、危機感がなく、まさかレイ達のような存在がこの場にいるとは思いもしなかったのだろう。
……レイ達が屋敷を強制的に捜査しているという情報が伝わっていれば、まだどうなったのかも分からなかったかもしれない。
だが、生憎とその情報は伝わっていなかったのが、男の不幸と言える。
結果として、レイがロープで縛られている赤布達のすぐ近くまで近づき……そこでようやく、鼻歌で歌うことに集中していた男はレイの存在に気が付く。
それも、足音といったもので気が付いたのではなく、気持ちよく鼻歌を歌いながら赤布達の様子を見る為に視線を向けて偶然レイと目が合うことになり、そこでようやくレイの存在に気が付いたのだ。
レイ達が近づく前であれば、もしかしたら逃げ出すような真似が出来たのかもしれない。
ただ、ここまで近づかれるといったことは完全に予想外で、だからこそ現在の状況で男にこの場から逃げ出す手段は全くなかった。
「な!?」
男に出来たのは、そんな驚きの声を上げることだけ。
次の瞬間にはレイが男に襲い掛かり、あっさりとその身体を地面に押さえつけることに成功する。
男が地面に引き倒された衝撃でロープが手放されるが、赤布達は逃げ出すような真似はせず、ただその場に立っているだけだ。
そのことからも、赤布達に自我がないというのははっきりとしている。
「ちっ、くそっ! 何をしやがる! 放せ!」
押さえつけられた男が苛立ち紛れに叫ぶが、当然のようにレイがその手を放すようなことはない。
だが、押さえられている男にしてみれば、自分を押さえつけているのが誰なのか分からず、だからこそ居丈高に叫ぶ。
「てめえ、俺が誰か分かってるのか!? こんな真似をして、ただですむと思ってるのか!」
「さて、お前が誰なのかってのは分からないから、出来れば具体的にお前が誰なのか教えて欲しいところなんだが」
「何!? てめえ、本気で後悔しても知らねえぞ!」
どこか挑発するようなレイの言葉に、男は苛立ったように叫ぶ。
普段であれば、男はこうもあっさりとレイの挑発に乗るような真似はしなかっただろう。
だが、本来なら絶対に安全な場所でこうして襲われたということにより、半ばパニックに近い状況になってしまい、その結果として現在のような状況になってしまったのだ。
「いいから、言ってみろよ。お前がどこの誰なのか。そして、俺が何で後悔するのか。まさか、こうして俺が近づいてくるのにも全く気が付かない様子で捕らえられたお前が俺を後悔させる……なんてことは、まずない筈だろ?」
「ぐっ!」
自分があっさりとレイに捕らえられたというのは理解しているのか、男は口籠もる。
だが、それもほんの数秒。
自分を捕らえた相手に対し、少しでも強気に出て後悔させてやるという思いが強く、それ故に本来ならここで口に出してはいけないことを口にする。
「聞いて後悔するなよ! 俺が仕えているのは、国王派の中でも強い影響力を持っている一派の方だ! 分かったら、さっさと俺を解放しろ! でないと、お前の知り合いまでもが最悪の結末を迎えることになるぞ!」
その、あっさりとした言葉に、レイはもしかしてブラフか何かではないかとすら、思ってしまう。
見るからに怪しい相手……それも今回の一件について調べている相手に、まさか自分の所属を口にするというのは、明らかに出来すぎていた。
どう思う? と、レイは近づいてきた警備兵に視線を向ける。
警備兵達の方も、レイが取り押さえている男の言葉は聞こえていたのだろう。少しだけ疑問を抱いた様子を見せるが、やがて首を横に振る。
それは、恐らくレイの押さえている男が本当のことを口にしているのだろうということを示していた。
レイ達がここにいるのは、あくまでも捜査の為だ。
だが、それを取り押さえられている男が知ってる筈もない。
それこそ、こそ泥か何かで、自分の後ろ盾を口にすれば怯えて退くだろうと、そう考えたとしてもおかしくはなかった。
(にしても、国王派か。また厄介な)
レイも国王派には何人か知り合いがいる。
だが、その知り合いが今回の一件を企んだ……とは、到底思えなかった。
そもそもの話、国王派は三大派閥と言われる中で最も大きな派閥だ。
それだけに、国王派の中でも幾つかの派閥があるというのは、以前誰かに聞いてレイも知っていた。
恐らくレイが関わったことのない国王派の中の派閥の仕業なのだろう。
そう思うも、何を考えてこのような真似をしているのかが、レイには分からなかった。
「国王派か。……けど、三大派閥の中でも最も大きな国王派がやるにしては、コボルトでギルムを襲わせるってのはどうなんだ?」
「うるせえっ! その連中の魂の質が悪いんだから、しょうがねえだろ!」
ピクリ、と。レイはその言葉に、男を押さえつけながら自我のない赤布達を見る。
レイがコボルトと口に出したのは、半ば鎌掛けのつもりだった。
だが、男は見事にそれに引っ掛かって決定的な言葉を口にしたのだが……
(魂……つまり、この赤布達は何らかの生贄とかにでもするつもりだったのか?)
ことここにいたって、レイが予想していたマジックアイテムによってコボルトを引き寄せるなり、操るなりといったことをしているという仮定は完全に崩れた形となる。
もっとも、マジックアイテム説はあくまでもレイがそうであればいいと思ってのものであって、希望的な観測でしかななかった。
それを考えると、生贄という方法は他の警備兵達にとって多少の驚きはあったが、それでも納得出来るものだった。
そもそもの話、コボルトとはいえ、あれだけ大量のモンスターを操るというのが普通なら出来ることではないし、何よりも大きいのはコボルトの数だ。
連日連夜、毎日のようにコボルトが殺されているにも関わらず、ギルムにやってくるコボルトの数が減ることは一向にない。
ギルム周辺にもそれなりコボルトはいた筈だったが、これまで倒された数から考えて、本来ならこの辺り一帯のコボルトが全滅していてもおかしくはない。
にも関わらず、それこそ今日もまたギルムにコボルトが集まってくる。
そのような真似が出来るのは、通常の手段ではまず無理だ。
だが、生贄のようなことをしているのであれば、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、どこからかコボルトを連れてきたりといった真似が出来てもおかしくはない。
「ほう。魂の質か。その辺でモンスターの種類とかは変わるのか」
「当然だろ。折角ならもっと強い……待て。お前達一体何者だ? 何でこんな場所にいる?」
レイや警備兵の様子が少しおかしいと思ったのだろう。
男は訝しげに自分を押さえつけているレイの顔を何とか見ようとするのだった。