1938話
警備兵の詰め所でコーブス子爵家の情報を仕入れたレイだったが、結局それ以上重要な情報を得ることが出来ず、次に向かったのは土壁だった。
警備兵を護衛としてつける訳にもいかない以上、もしかしたら昨日のグランジェの一件以降、新たに土壁を破壊するように赤布が派遣されたという可能性もあった為だ。
実際、赤布が具体的にどれくらい残っているのか、レイは分からない。
それこそ、昨日レイが見たので生き残りは全てだったかもしれないが、まだ他にも赤布が大勢いるという可能性はあるのだ。
であれば、グランジェ達が失敗したとして次の手を打っても不思議ではない。
(可能性は少ないだろうけど)
赤布を操っていた連中だけに、グランジェがレイとぶつかったという情報は得ていてもおかしくはない。
そうである以上、更に赤布に被害が出る可能性の高い真似をするかと言われれば、正直なところ微妙だとしか言えなかった。
もっとも、向こうがそれを分かっているということは、グランジェが知っている拠点……コーブス子爵家で借りている建物のこともレイに把握されていると考えてもおかしくはないのだが。
「グルゥ?」
どうしたの? と喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトの頭を撫でつつ街中を進み……やがて、増築工事の現場に入る。
そして感じたのは、あまり戦いの気配がないということか。
少なくても、昨日この増築工事の現場に来た時に比べれば、明らかに戦いの気配は減っている。
それはつまり、土壁を乗り越えて来たコボルトの数が昨日よりも少なくなっているということだった。
(いや、それとも昨日思ったように、建築資材の隙間とかに隠れていたコボルトが、昨日のうちに他の冒険者に倒されて、その結果としてここでの戦いが少なくなった……という可能性もあるのか?)
それは、出来ればそうであって欲しいという希望的な観測ではあったが、可能性としては決して皆無という訳ではない。
そのように考えつつ、レイは進み……やがて、コボルトと戦っている冒険者の姿が見えてきた。
とはいえ、以前苦戦していたような強いコボルトという訳ではなく、戦っているのはあくまでも普通のコボルトだ。
どこからどう見ても、冒険者の方が有利に戦いを繰り広げている。
「なぁ、セト。あの冒険者は……どっちだと思う?」
「グルゥ?」
どっち? と、レイの言葉の意味が分からなかったのか、セトは首を傾げる。
その愛らしい仕草に癒やされながらも、レイは道を歩きつつ言葉を続ける。
「ギルドからコボルトの討伐を頼まれた冒険者か、もしくは未だにここでのコボルト討伐に拘っている者か」
両者とも、やっていることはここでコボルトと戦うという点では同じだ。
だが、前者であればそれはギルドから依頼されてここで戦っているということになり、後者であれば何故か未だに自分で選んでここで戦っているということになる。
前者は、誰も戦う者がいなくなった場合、土壁を乗り越えてきたコボルトを街中に向かわせないようにする為に戦っており、後者はギガント・タートルの解体の護衛という、もっと多くのコボルトと戦い、それでいていざとなった時には助けてくれる仲間がおり、更には仕事が終わった後にギガント・タートルの肉を貰えるという特典もある。
普通に考えれば、明らかにギガント・タートルの解体の護衛をしている方が儲かるし安全なのに、もし自分から望んでここでコボルトと戦っているのであれば、余程の変わり者と言ってもいいだろう。
……もっとも、変わり者という点ではレイもギルムの中で屈指の変わり者なのだが。
それこそレイより変わり者はギルムの中でも……いや、ミレアーナ王国全体で見てもそう多くないのではないかと、そのように思われているのがレイだった。
「とにかく、前者ならともかく、後者なら……まぁ、俺が何かを言うようなことでもないか」
呟きつつ、コボルトと戦っている冒険者を観察する。
そこで戦っている冒険者は、コボルトの攻撃を回避しながら、横を通り抜けざまにその首を持っていた長剣で切断する。
まるでボールか何かのように、空中を飛ぶ頭部。
その鋭い一撃を見ただけで、レイはこの冒険者が先程の分類の場合は前者に入るのだろうと予想する。
それだけの鋭い一撃だったのだ。
コボルトの首を一撃で切断した冒険者は、レイの視線に気が付いたのか見返してくる。
だが、まだ距離がある為かそんなレイに向かって何か声を掛けるでもなく、軽く頭を下げて挨拶をするとその場から立ち去ってしまう。
向こうもレイのことは分かっていたのだろうが、今は特にレイと話す必要はないと考えたのか。
とはいえ、レイも今の冒険者がなかなか腕が立つというのは分かっていたが、だからといって何かを話したかった訳ではない。
(あの強さからすると、恐らくギルドに頼まれた奴なんだろうな。……もっとも、腕が立つからといって、絶対にそうだとは限らないのがギルムらしいところだけど)
もしかしたら、あの技量でありながら人と接するのが苦手な、生粋のソロ冒険者かもしれないと思いつつ、レイは増築工事現場を進む。
結局戦っているのを直接見たのはその一組だけで、それ以外は戦いの気配は感じたものの、わざわざ見に行くといった真似はしなかった。
そうして歩き続け、やがてレイとセトは土壁の前に到着する。
「……ん?」
と、その土壁を……正確には土壁の周囲に折れた長剣があるのを見て、疑問を抱く。
ここにそのような武器があるのは、明らかにおかしかった。
それも、折れている長剣ということは、何者かがここで戦ったのか……もしくは、折れた長剣を誰かがここに捨てに来たということを意味している。
(いやまぁ、全く考えられないって訳じゃないけど……でも、わざわざそんな真似をする奴がいるのか? 土壁を壊そうとして失敗した……って訳でもなさそうだし)
しっかりと確認した訳ではないが、ざっと見たところでは特に土壁が削られた様子はない。
もしかしたら、土壁を削ろうとして長剣を折ったという可能性も考えたのだが、今のところその様子はない。
そもそも、この土壁はマリーナやメールの精霊魔法によって補強されているとはいえ、長剣を使っても傷一つ付けられない……といった頑丈さを持っている訳ではない。
だが、武器というのは扱い方次第ではあっさりと折れたりすることもある。
ましてや、武具の手入れをろくにしないような冒険者であれば、長剣の刃が損耗していても全く気が付かない……という可能性も十分にあった。
「グルゥ?」
どうしたの? と喉を鳴らして尋ねてくるセトに、レイは何でもないと首を横に振りながら、折れている長剣を拾い上げる。
あくまでも素人目ではあったが、長剣は特に損耗しているようには思えない。
(となると、コボルトとの戦いで武器が折れて、それをただここに捨てていっただけか? まぁ、それはそれで困るんだけど)
何らかの理由によって土壁を乗り越えてきたコボルトではあっても、そのコボルトが全て武器を持っているとは限らない。
いや、土壁を乗り越えるということを考えれば、武器の類は持っていない個体の方が圧倒的に有利な筈だ。
そんなコボルトが素手で土壁を乗り越えてここに着地した時、そこに刃が途中で折れているような物であっても、長剣があればどうなるか。
当然のように、コボルトはそれを武器として使うだろう。
「ん? でも、さっきソロの冒険者と戦っていたコボルトがいたよな」
先程の戦闘を思い出しながら、改めてレイは自分の持っている武器を見る。
そのコボルトが素手での戦闘を得意としていたのか、それとも単純にレイがいる場所ではなく、別の場所から土壁を乗り越えて、地面に落ちていた長剣に気が付かなかったのか。
(意外と、自分の美意識に合わないから、壊れた武器は使いたくないとか、そういう理由だったりしないよな?)
何となくそう思いながら、取りあえず折れている長剣をここに置いておくのも後で別のコボルトに使われそうで嫌だという事で、ミスティリングの中に収納する。
後で何らかの役には立つかも? と一瞬思うも、よく考えてみれば多分何の役にも立たないだろうなと思い直す。
あえて使うとすれば、それこそ金属で出来ているだけに投擲武器、もしくはいっそのこと溶かして何か別の物を作るといったところか。
そう思いつつ土壁を観察していたレイだったが、セトの雰囲気が変わったのを感じ、次の瞬間にはレイも何故セトがそのようにしているのかを理解する。
「へぇ。そうやって土壁を乗り越えてくるのか。もっとも、ある意味で予想通りの光景ではあるけど」
レイの呟きが聞こえたのか、土壁を跳び越えてきたコボルトが一瞬驚き、次の瞬間にはレイとセトに向かって唸り声を上げる。
レイはともかく、自分よりも明らかに高ランクのモンスターのセトを前にしているにも関わらず、コボルトは全く怯えたり逃げたりする様子はない。
明らかに普通のコボルトとは違うというのは、見れば誰にでも分かった。
とはいえ……例えコボルトが普通とは違っていても、それでコボルトの力が増す訳ではない。
レイが何かをするよりも早くセトが動き、あっさりとコボルトの首の骨をへし折る。
それこそ、文字通りの意味で一蹴。
「グルルゥ」
褒めて褒めてと、レイに向けて喉を鳴らすセト。
「あー……うん、そうだな。よくやった」
少し迷いながらも、レイはセトを撫でて褒める。
それをセトは目を細めながら、嬉しそうに受け入れた。
「取りあえず、コボルトがどうやって土壁を乗り越えるかというのを見ることが出来たのは、嬉しかったな」
そう言いつつ、レイはコボルトの死体の足首を持ち上げ、土壁の向こう側に放り投げる。
その死体が命中したのか、コボルトのものと思われる悲鳴が聞こえてきたが、レイはそれを特に気にした様子はない。
元々土壁の向こう側にコボルトがいるというのは分かっていたので、悲鳴が聞こえてくるのは当然だったのだろう。
「土壁の方に問題がないのは良かったな。赤布の連中が追加でやって来たりはしなかったみたいだし」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは同意するように喉を鳴らす。
「まぁ、多分何もないだろうとは思ってたんだけどな」
半ば強がりに近い言葉を口にするレイだったが、何の根拠もなくそのようなことを言ってる訳ではない。
そもそも、昨日グランジェが元赤布を率いて土壁を壊しに来たにも関わらず、グランジェは報告をしに拠点に戻るといった真似をせず、そのまま行方を眩ました。
正確には、ダスカーの諜報部隊にレイが引き渡したのだが、向こうにしてみればそれを理解出来る筈がない。
結果として、グランジェが戻ってこなかったということは、グランジェ達全員が死んだか捕らえられたかしたと考え、そこから拠点が知られた……そう考えても、決して間違いではない筈だった。
だからこそ、今頃はその対処で忙しく、レイが作った土壁を破壊するということは取りあえず横に置いておかれてもおかしくはない。
レイもその辺を予想していたからこそ、何もないだろうと思っていたのだ。
「グルゥ?」
じゃあ、これからどうするの? と、そう喉を鳴らすセトに、レイは少し考える。
現在レイがやるべきことは、そう多くはない。
土壁に異常がないことは確認したし、コボルトの一件を行っている者達の使い捨ての拠点の見張りは警備兵がやっている。
ギガント・タートルの解体を手伝うという選択肢は残っているが、下手にレイが手を出せば、それこそ現在働いている者達の邪魔になるだけという可能性が高い。
「そうなると、見回り……か?」
もっとも、警備兵がやるような本格的な見回りという訳ではなく、屋台や食堂のような店を見て回って料理を食べながらの散歩……というのが、正確なところだろう。
ついでに、ギガント・タートルの解体をしている者達に何らかの差し入れでもしてやるかといった思いがない訳でもなかったが。
「グルルルルルルルゥ!」
レイの言葉に、嬉しげに鳴き声を上げるセト。
やはり、美味しい料理を食べられるというのはセトにとっても非常に嬉しいことなのだろう。
「何を食いたい? 取りあえず差し入れをするなら、スープだよな。……そう言えば、この前使った鍋は洗ってミスティリングの中に入ってるから、それにスープを入れて貰えばいいか」
基本的にスープといったものは鍋ごと買ってるレイだったが、当然のようにスープを食べきればその鍋は使わなくなる。
いや、場合によっては何かに使うかもしれないが、それでも溜まっていく一方なのは間違いない。
だからこそ、その鍋にスープを入れて貰うという購入方法をすることが多い。
肉がたっぷりと入った、身体が暖まるようなスープを買うべく、レイはセトと共に土壁の前から立ち去るのだった。