1934話
「へぇ……そうなの」
そう言いながらも、ヴィヘラの視線は何か言いたげにレイに向けられていた。
もっとも、レイもヴィヘラからそのような視線を向けられるのは理解しているので、特に気にした様子もないが。
スノウ・サイクロプスの一件について、ヴィヘラは自分が戦ってみたかったと、そう思っているのは確実だった。
「ああ。コボルトの一件については、恐らくそう遠くないうちに解決すると思う。グランジェもエッグに預けてきたし、もう心配はいらないだろ」
赤布の裏にいる人物との連絡を取る為の拠点。
そこを見張る場所を見つけた警備兵達は、早速そこでの見張りを始めていた。
それを確認したレイは、約束通りグランジェをエッグに……正確にはエッグがいなかったので、その部下にだが、事情を話して預けてギガント・タートルの解体の場所に戻ってきたのだ。
そんなレイを待っていたのが、不機嫌な様子のヴィヘラ。
「コボルトの一件ね。……でも、何でコボルトなのかしらね」
「それは俺も疑問に思ったし、警備兵達も同じように疑問を感じてたな。結局、どういう理由なのかは分からなかったけど。ただ、数匹の強力なモンスターじゃなくて、とにかく数を多くしたかったんじゃないかって意見が、警備兵の中にあったみたいだけど」
レイの言葉に、再びヴィヘラが不機嫌になる。
ヴィヘラにしてみれば、どうせ操るのであればもっと強力なモンスターを……それこそ、レイが戦ったスノウ・サイクロプスのようなモンスターを操って欲しいという思いがある。
とはいえ、スノウ・サイクロプスが何匹も群れになって襲ってくるようなことになれば、レイが作った土壁程度は容易に破壊されるか……場合によっては、破壊されるまでもなく乗り越えられる可能性が高い。
そのようなことになれば、増築工事の現場で何とか侵入を食い止めているコボルトと違って、そこを突破されて街中でスノウ・サイクロプスが暴れるという可能性も十分にある。
ギルムには腕利きの冒険者が数多いが、だからといってスノウ・サイクロプスのようなモンスターが街中で暴れているのをすぐに倒せる訳でもない。
何より、今は冬だということで、一日中酒場にいるという者も決して少なくないのだ。
そのような者達がスノウ・サイクロプスと戦っても、それこそ余計に周囲に被害を広げるだけだろう。
「取りあえず、明日だな。明日の朝にヴィヘラも俺達と一緒に来ればいい。そうすれば、ギガント・タートルの血の臭いや肉片に引き寄せられたモンスターの中でも強い奴がいる可能性がある」
本来なら、レイは地形操作を使って現在表に出ている土を埋め、地面の下から別の土を持ってくる……といった真似をしようかと考えてもいた。
だが、ヴィヘラの様子を考えるとそのような真似をする訳にもいかなかった。
……レイやセトにとっても、未知の魔石を入手出来るといった可能性があるので、決して嫌々そのような真似をする訳でもないのだが。
「あら、そう」
現金なことに、レイのその言葉であっさりとヴィヘラの機嫌は直る。
(ただ、昨日は強力なモンスターがいなかったし、それを考えると必ずしも強力なモンスターがいるとは限らないんだよな)
結局のところ、どのようなモンスターが出てくるのかは運だ。
明日ヴィヘラがレイと一緒に朝にここに来ても、運が悪ければコボルトやゴブリンといったモンスターくらいしかいない可能性がある。
それでも、結局は挑戦しなければそれを得られることが出来ない以上、ヴィヘラにここで挑戦しないという選択肢は存在しなかった。
「……グルゥ?」
レイの方を見て、セトが喉を鳴らす。
それは、遊んできていい? と、そう言っているかのような態度であり……その視線が向けられているのは、レイが土壁で作った迷路の方だ。
そこでは、現在も迷路を抜けてきた相手を護衛の冒険者達が倒している。
あまり複雑な迷路ではないのだが、コボルトにとってはそれで十分だったのだろう。
「あー、そうだな。コボルトを倒している連中の邪魔はしないようにな」
「グルゥ!」
レイの言葉に嬉しそうに鳴き、セトは地面を蹴って迷路の方に向かう。
それを見ていたレイは、セトがコボルトを倒したいのか、それとも迷路に挑戦してみたいのか……はたまた、その両方を一緒に経験するのが目的なのかが分からず、疑問を抱く。
とはいえ、もう許可してしまった以上、今更レイが何を言ってもセトは聞く耳を持たないだろう。
……いや、本当にレイが止めろと言えば止めるだろうが、そうなると一度喜んだだけに残念そうにするのは間違いなかった。
それなら、別にコボルト達を倒している者達の邪魔をする訳でもない以上、好きにさせておけばいいと判断する。
「ふぅ。……セトを見ていたら、少し気が抜けたわね」
レイとセトのやり取りを眺めていたヴィヘラは、まだ若干不機嫌そうな様子だったのがすっかりと消え、笑みを浮かべて呟く。
(もしかして、セトはこれが狙いだったのか?)
ヴィヘラの様子を見てそう思ったレイだったが、早速迷路の中を歩き回っている様子のセトを見れば、とてもではないがそんなことを考えて先程のような行動を取ったとは思えない。
それ程までに、セトは無邪気に迷路を楽しんでいた。
「取りあえず、コボルトの一件を仕掛けている連中の所に殴り込む時は私も連れて行ってね」
「まぁ、戦力としては助かるからいいけど……何をするつもりなんだ?」
「決まってるじゃない。何だってコボルトなんかを呼び込むような真似をしたのかを聞くのよ。出来れば、その方法を知ることが出来ればいいわね。そうすれば、もっと強力なモンスターを呼び寄せることが出来るかもしれないもの」
満面の笑みを浮かべ、期待を込めてそう呟くヴィヘラ。
レイはそんなヴィヘラらしい様子に、小さく笑みを浮かべる。
それでこそ、ヴィヘラだと。
……何より、強力な未知のモンスターと戦うということは、レイにとっても未知の魔石が入手出来る可能性があるということになるのだから、ありがたい。
そう考えつつ、レイは迷路から出てきたコボルトを白雲を使って一撃で仕留めているビューネの姿を見る。
ビューネも金を稼ぐという点において、未知のモンスターと戦うことに反対はしないだろうという確信がレイにはあった。
「ヴィヘラの考えには賛成だけど、今回の一件を起こしている連中の持ってるマジックアイテムが、コボルトだけを呼び寄せるような奴だったらどうするんだ?」
「マジックアイテム……そう言えば、レイの主張はそうだったわね。もっとも、マジックアイテムが本当に今回の一件の原因なのかどうかは、分からないけど」
レイに言葉を返しつつも、ヴィヘラの意見としては決してレイが言うようにマジックアイテムではないと表情で示す。
そんなヴィヘラの態度に、レイは何かを言い掛けるも……
『おおおおおおおおおおお!』
と、不意にそんな声が周囲に響く。
何だ? と声のした方に視線を向けたレイだったが、そこにあったのは何故か鱗のような物を持って喜んでいる冒険者と思しき者の姿があった。
「……鱗?」
何故に鱗? と、レイは疑問を口にする。
ギガント・タートルは、その名の通り――色々と規格外なところはあれども――亀のモンスターだ。
当然のように、その皮膚に鱗の類はない。
いや、正確にはレイが想像しているようなはっきりとした鱗はないと表現するべきか。
だが、現在レイの視線の先にいる冒険者の男が持っているのは、間違いなくレイが想像するような……それこそ、蛇やワニが持っているような、一般的に鱗と呼ばれてイメージするような、そんな鱗だ。
そして鱗の大きさは、それこそ普通の盾と同じくらいか、それよりも大きい。
「鱗、ね」
レイの呟きに、ヴィヘラが短くそう返す。
だが、そんなヴィヘラの顔にも驚きの色がある。
「解体してた奴が持ってたってことは、あの鱗はギガント・タートルの鱗なんだよな? ……出した時とか、鱗があるなんて全く気が付かなかったけど」
レイは今まで何度となくギガント・タートルの身体に触れている。
それこそ、夕方にはミスティリングに収納し、朝にはミスティリングから出すのだから、それも当然だろう。
にも関わらず、今までレイはギガント・タートルの身体にあのような鱗があるということに、全く気が付かなかった。
「そうね。私もギガント・タートルは結構見てたけど、鱗はどこにもなかったと思うわ。……そうなると、あの鱗は一体どこから出てきたのかしらね」
解体が胴体まで進んでいれば、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、胃の中から出てきたといった風に考えることも出来たかもしれないが、今のところ解体が進んでいるのはまだ足だけだ。
そうなると、当然のようにその鱗は足から出てきたということになるのだが……
「なぁ、あの鱗はどこから出てきたんだ? 今まで何度もあのギガント・タートルには触ってきたけど、ああいう鱗は持ってなかったと思うんだが」
レイは近くにいたギルド職員……このギガント・タートルの解体の指揮を任されている人物ではなく、別の人物に向かって尋ねる。
そのギルド職員は、自分がレイに話し掛けられるとは思っていなかったのか、少し驚いた様子を見せながらも、口を開く。
「あ、はい。私が聞いたところでは、何でも皮膚の下に鱗があったとか」
「……皮膚の下に? いや、それなら俺が見ても一目で分からないだろうけど……本当にか?」
「取り出した人がそういう風に言ってるのは間違いないですね」
皮膚の下にある鱗と聞かされ、レイは心の底から不思議そうな疑問を抱く。
当然だろう。今の言葉を信じるのであれば、ギガント・タートルは肉の上に鱗があり、それを皮膚で覆い隠していた……と、そのようなことになるのだから。
皮膚の上に鱗があるのであればまだしも、皮膚の下に鱗があるというのは、レイにとっても全く理解出来ないことだった。
「ちょっと待って。見つかった鱗って、一枚だけなの? あの様子を見ると、他に鱗を持ってる人はいないみたいだけど」
「そうですね。今のところは、あの一枚だけかと。……これから先も、もしかしたら鱗が見つかる可能性はあるかと」
「……そう。レイ、どう思う?」
ヴィヘラがレイに向かって尋ねるが、レイも現在の意味不明と言ってもいい状況に混乱していた。
もっとも、ギガント・タートルそのものが、半ば意味不明の存在と言ってもいいのだ。
それを考えれば、皮膚の下に鱗がある程度のことは、そう驚くことでもないのだろう。
(皮膚の下に鱗……隠し盾とか、そんなような感じで使ってたのか? いや、ギガント・タートルの大きさを考えれば、あの鱗は小さすぎるし)
人間が持つには丁度いい……いや、人によっては若干大きめな盾のようにも見えるそれは、ギガント・タートルがそのような用途で使うにはあまりにも不適当に思える。
なら、何の為に鱗が皮膚の下にあるのか聞かれても、レイにには答えようががなかったが。
「取り合えず、他の場所からも鱗が出てくればそういうものなんだろうと納得も出来そうだけどな。鱗があの一枚だけじゃなければいいんだが。……どう思う?」
「そう言われても、私もギガント・タートルがどういう生態なのか、なんてのは分からないもの。正直なところ、どうしようもないと思うわ。このまま解体を続けていくしかないんじゃない?」
ヴィヘラに尋ねてみたレイだったが、それに返ってきたのはそのような言葉。
実際にこのまま解体を進めてみなければ、今の鱗が本当に偶然なのか、それとも何らかの理由で他の足にも同じような鱗があるのか……その辺りははっきりとしない。
それでも分かることは、あの鱗が何らかの素材になりそうだということだった。
それこそ、少し加工するだけでも盾としては十分に使えそうな形をしているし、鱗というのはポーションを始めとした薬の材料になるのも珍しくはない。
具体的にどのような素材として使えるのかというのは、しっかりと調べなければ分からないのだが、それでもギガント・タートルの希少さから何らかの素材となるのは確実のように、レイには思えた。
「取りあえず、あの鱗が良い素材になってくれることを期待しておくとするか」
結局はそういう結論に落ち着く。
そもそもの話、ギガント・タートルの解体でどれだけの未知の素材が出てくるかも、まだ分かっていないのだ。
そうである以上、一つくらい未知の素材が出てきたところで騒ぐのは、これから先のことを考えると、どれだけ騒ぐことになるのか分からない。
今の鱗は予想以上に驚いたが、ギガント・タートルの皮膚も未知の素材であることに変わりはないのだから。