1932話
グランジェが大人しくなったこともあり、レイは取りあえず連絡を取る為の拠点に行こうと思い……だが、自分達だけで行くのは若干の問題があると気が付いた。
その場で踏み込むのであれば、全く何の問題もない。
しかし、今回の場合はあくまでコボルトの一件を仕掛けている相手を捕らえて今の状況を解決するのが最大の目的なのだ。
そうである以上、直接その場で突っ込むのではなく、暫く見張る必要がある。
だからといって、レイが自分で見張るなどという真似をする訳にはいかない。
レイにはレイで、ギガント・タートルの解体を含めて色々とやるべきことがあるのだから。
「そんな訳で、こっちで動ける人数を増やす為に、警備兵の詰め所に行くぞ」
「……私の安全はどうなるんでしょう? このまま警備兵に捕らえられるというのは、出来れば……いえ、全力で遠慮したいのですが」
そう告げるグランジェだったが、既にレイから逃げようとはしていない。
離れた場所にいたセトも合流した以上、今の状況で自分が逃げても絶対に捕まると、そう理解していたから、というのがこの場合は大きいだろう。
「安心しろ。お前はエッグ……ギルムの諜報部隊に引き渡すことが決まってるから、警備兵に引き渡すといった真似はしない。ただ、今からでも妙な真似をしたりすれば、話は別だけどな」
グランジェはそんなレイの言葉に、勿論ですと頷く。
今の自分の状況がかなり綱渡り的なものだというのを知っているからこそ、そのように言うのだろう。
「なら、心配はない。色々と誤魔化すさ。……まぁ、向こうはある意味でプロだ。何か怪しいとは思うだろうけど、俺が責任を持つと言えば、そこまで追求されない筈だ」
警備兵というのは、ギルムの治安を守る者達だ。
そして、このギルムは普通の街ではなく、辺境にあって大勢の冒険者が集まる。
そのような場所の治安を守るからには、妙な動きをしている者を見つける眼というのが大事になるのは当然だろう。
であれば、当然レイが連れているグランジェについて怪しく思ってもおかしくはない。
……ただ、そこにレイが介入してくるとなると、話は変わってくる。
レイが責任を持つのであれば、と見逃してくる可能性は高い。
(それでも納得しない奴がいたら、エッグに預ける人材だと言えばいいだろ。……今はまだ違うけど、実際にその予定なんだし)
そんな風に考え、あまり気が進まない様子のグランジェを引き連れ、警備兵の詰め所に向かう。
土壁の一件が冒険者達から広まっている為か、街中の雰囲気は昨日までに比べるとそれなりに明るくなっているように思える。
コボルト程度ならどうとでも出来る戦力がギルムにあるというのを知っていても、それでもやはり潜在的な不安があったのだろう。
だが、土壁のおかげでその不安はなくなった。
……正確には、土壁があっても、どのような手段かでそれを乗り越えてくるコボルトがいるので、完全には安心は出来ないのだが。
また、普段はギルムを覆っている結界も現在は展開されていない以上、空を飛ぶモンスターに対しては決して万全の備えとは言えない。
それでも、やはり毎日のように確実に襲ってくるコボルトと、いつやってくるのかも分からない空のモンスターともなれば、やはり前者の方が明確な脅威なのだろう。
そのようなことを考えつつ街中を進み……目的の警備兵の詰め所の前に到着する。
レイが何も言わなくても、詰め所の中に入れないセトはそのまま空いている場所で寝転がっていたが……それはいつものことなので、レイは特に気にした様子も見せず、詰め所の扉を叩く。
「……まさか、このようなことで詰め所に来るとは思いませんでしたよ」
そう言いながらも、グランジェは自分を落ち着かせるように深呼吸する。
そして扉が開き……
「はい? ん? ああ、レイか。それとそっちは……見ない顔だな。何かあったのか?」
扉から出てきた警備兵の一人が、レイの顔を見てそう告げてくる。
警備兵にしてみれば、レイとは色々なことがあって顔馴染みの存在と言ってもいい。
レイの方も、詰め所から出てきた警備兵は顔見知りの相手だったので、特に緊張した様子もなく口を開く。
「何かあったというか、何か起こすというか……」
「おいおい、お前が動くと絶対に大事になったりするんだから、出来れば遠慮して欲しいんだがな」
「へぇ、そうなのか? ……例えば、それがギルムに何らかの手段でコボルトを呼び寄せているような奴らを捕らえるって話でもか?」
そうレイが告げた瞬間、警備兵の視線は鋭くなる。
数秒前の、レイと気楽な感じで話していたような様子ではなく、ギルムの平和を預かる警備兵としての顔。
「本当か、それは? 言っておくが、冗談でしたなんてことにはならないぞ?」
「ああ、それは問題ない。今はまだ状況証拠しかないが、ほぼ確実だと言ってもいい」
「……中に入れ。外で出来るような話でもないだろ」
レイとの会話で、本当にそれが冗談でも何でもないと判断したのだろう。警備兵はそう言って、レイとグランジェの二人に詰め所の中に入るように言う。
レイは特に気にした様子もなく詰め所の中に入ったが、グランジェの方は今まで後ろ暗いことをしてきたからだろう。微妙に嫌そうな表情を浮かべつつ、それでもレイから逃げられる筈がないので、大人しく詰め所に入った。
そうして通されたのは、リビング……というよりは、待機所とも呼ぶべき場所。
そこには表に出てきた者を除いて五人の警備兵が待機しており、現在はこの合計六人が、何かあった時にすぐ動ける人員だった。
「ん? レイと……そっちは?」
待機所にいた警備兵の一人が、レイとグランジェを見てそう告げる。
その口調はまたレイが何かをやらかしたのかという、軽いものだったが、レイと先程まで受け答えしていた警備兵は真面目な表情で口を開く。
「レイが言うには、ちょっと前から問題になっているコボルトの件。それを行っている犯人についてらしい」
そう言った瞬間、気楽な様子で話を聞いていた警備兵も真剣な表情になる。
当然それは話していた警備兵だけではなく、他の警備兵達も同様だ。
「本当か?」
警備兵の一人が確認するように尋ねてくるその言葉に、レイは頷きを返す。
「ああ。もっとも、俺が持ってきた情報はあくまでも手掛かりでしかない。そこから本当にコボルトの一件の裏にいる奴に繋がる……といった確証はないけどな」
「詳しく話してくれ」
促されたレイは、まず最初に土壁についての話をする。
当然警備兵も土壁についてはギルムから情報が回ってきていたので、そのことに関しては特に聞くような真似はしない。
いや、色々と聞きたそうにしてはいたのだが、今はそれよりもコボルトの一件について聞く方が先だと、そう判断したのだろう。
続いて土壁を壊しに来た赤布や、その赤布を指揮しており、最終的には土壁を破壊してそこから出てきたコボルトの群れに赤布の者達を始末させようとしていたこと。
そう説明されると、警備兵がグランジェに向ける視線が鋭く、そして厳しくなる。
明らかに犯罪者と言うべき存在なのだから、警備兵としては当然の行為だろう。
「待ってくれ。こいつは後でダスカー様の抱える諜報組織に預けることになっている。……そうだよな?」
確認の意味を込めて尋ねるレイに、グランジェは警備兵に鋭い視線を向けられても全く変わらない笑みを浮かべたまま、頷きを返す。
「ええ。それが最善の選択だと思いましたので。……それに、一応言っておきますが、私はまだギルムでは何らかの罪を犯した覚えはありませんよ?」
ギルムではのところで、警備兵の視線はより一層鋭くなる。
言い換えれば、それは別の村や街、都市といった場所では何らかの犯罪を犯していると白状しているのも同然だったのだから。
だが、警備兵の一人が何かを言おうとするよりも前に、レイが再び口を開く。
「さっきも言ったが、こいつはエッグに……ダスカー様に預けることになっている。ともあれ、グランジェのおかげでコボルトの一件についての重要な情報を得られたんだ。その辺は、素直に感謝してもいいんじゃないか?」
司法取引という言葉そのものはなくても、そのようなことは普通に行われている。
そうである以上、グランジェはまだギルムに来てから特に何も犯罪を犯してないのだから、ここは見逃してはどうかと、レイはそう告げる。
そんなレイの言葉に、部屋の中にいた警備兵の何人かは何かを言おうとしたものの、レイをここまで連れてきた警備兵がそれを止め……レイに向かって口を開く。
「取りあえず俺達は分かった。だが、報告書の方にはその辺もしっかりと書く必要がある。それを読んだ上がどう判断するのかは分からないが……それでもいいか?」
「ああ、それで構わない。エッグにはこっちから話を通しておく。そうすれば、そっちの方にも自然と話は通る筈だ」
実際、エッグが率いている諜報組織は常に人手不足だ。
即戦力になるだろう人物がいると知れば、間違いなく上司に……この場合はダスカーに話を通す筈だ。
(まぁ、ギルムでは何もやってないって話だったし、多分問題はない……筈。とはいえ、ギルム以外で大きな犯罪を犯していれば、その時は話が別だけど。その辺はエッグがしっかりと判断するだろ。人を見る目は俺よりもあるだろうし)
そう思っているレイと警備兵が視線を交わし……やがて、警備兵が小さく息を吐く。
取りあえずレイの言ってることを信用することにしたのだろう。
「それにしても、今回の一件に赤布が関わっているとはな。……ここ暫く姿を見なかったから、てっきりギルムから出て行ったんだとばかり思ってたよ」
しみじみと呟く警備兵に、他の面々も同意見だと頷く。
「俺が接触した赤布の話を聞く限りだと、ギルムに対して何らかの良からぬ思いを抱く奴に匿われていたみたいだな。……そう言えば、雪が降る前に捕まえた赤布と関係のありそうな女……あの女はどうしたんだ? あの女なら、その辺の情報を持っていてもおかしくはないんじゃないか?」
「あー……あの女は領主の館に連れて行かれて、その後王都に送られたらしいな。何でも他の場所でも厄介な面倒を起こしていたとかで、その関係らしい」
そう告げる警備兵だったが、その表情からはその一件を全面的に信じているという訳ではないようだった。
自分達が捕らえた相手が上の何らかの事情によりいなくなるというのは、これまでにも何度か経験していたからだろう。
ダスカーもそのような行為は面白く思っていないが、それでも結局辺境伯という爵位や中立派のトップという肩書きではどうしようもないことも多い。
「そうか。赤布の関係者だから、何か知ってる可能性は高いと思ったんだけどな」
そう言い、レイは警備兵達と自分が知っている情報を改めて交換していく。
三十分程で情報交換が終わり、その頃には先程までは部屋の中にいなかった警備兵達も集まってきており、レイの話を聞いていた。
「……そういう訳で、グランジェが言っている向こうの拠点、多分使い捨てとかそういうのだろうけど、それを知ってる奴はいるか?」
そう尋ねたレイだったが、予想外のことに部屋の中にいる警備兵の半分以上が知っていた。
いや、ギルムの警備兵として日々街中をパトロールしているのだから、知っていても当然なのかもしれないが。
「となると……どうする? 拠点が使い捨てなら、強引に攻め込んでも殆ど意味はないと思うし、俺としてはその拠点を見張って、関係者を尾行するって形がいいと思うんだけど」
元々レイが警備兵の詰め所にやって来たのは、それを頼む為という理由が大きかった。
そして警備兵達もレイの意見には賛成だったのか、それぞれ頷き、警備兵の中でも階級が上の犬の獣人が口を開く。
「分かった。なら、レイの意見を採用しよう。どうやら、それが最も手掛かりを掴みやすいだろうしな」
「あ、でも、どうせなら盗賊か誰かを雇って、侵入して貰うってのはどうですか?」
警備兵の一人がそう告げるが、犬の獣人は首を横に振る。
「相手が普通の犯罪組織ならそういう手段もありだろう。だが、相手はどんな手段かは分からないが、モンスターを……コボルトをあれだけ大量に操れるような連中だ。その辺の盗賊では、捕まってしまう可能性の方が高い。そして捕まれば向こうに自分達が怪しまれているというのが知られてしまう」
その言葉に反論出来ず、盗賊を派遣するという提案をした警備兵は黙り込む。
犬の獣人の言葉に、強い説得力があったからだろう。
「よし、他に意見のある奴はいないな? なら、早速割り当てを考えるぞ」
そうして相談する警備兵達を、レイはそれ以上口出しせずにじっと見つめるのだった。