1915話
ギガント・タートルの解体をした日の昼。
周囲の警戒をしている者以外――それでも護衛要員の半分は食事をしているのだが――は、昼休みを楽しんでいた。
雪が降っていないが、それでも冬は冬だ。
ギルドから薪を提供され、その火に暖まりながら昼食を食べている中で、レイはスラム街の住人達の方に近づいていく。
ちなみに、レイはヴィヘラやビューネと一緒に昼食を食べ、現在は食休みといったところだ。
他の者達も、近くにいる者と話をしたり、中には器用にも座りながら眠っている者の姿もあった。
そのように皆がある程度自由にすごしてはいるのだが、それでもやはりある程度の棲み分けとでも呼ぶべきものは出来ている。
特にスラム街の住人は、他の者もどう接すればいいのか迷っているのか、近づこうとする者はいない。
これが街中で会ったのであれば、色々と話したりするようなことも出来たのかもしれないが、このような極めて大規模な仕事にスラム街の面々が参加しているということに、違和感を抱く者も多いのだろう。
あるいは、レイやギルド職員がここにいなければ、スラム街の面々に絡むような真似をする者がいてもおかしくはなかったが……レイやギルド職員がいるような場所で、そのような真似が出来る筈もない。
……そんな中、レイは周囲の雰囲気を特に気にした様子もなく、スラム街の面々に近づいていく。
多くの者がコボルトの肉を串焼きにしたものを食べているのは、別にコボルトの肉を好んでいるからという訳ではなく、純粋にそれが今の状況では一番手に入れやすい食料だからだろう。
毎日のようにコボルトがギルムに襲撃をしてきて、それを冒険者達が倒し、その死体はスラム街の住人の食料となる。
コボルトの肉は、ゴブリンの肉程ではなくても、とてもではないが美味い肉ではない。
だがそれでも、食べようと思えば普通に食べられるのだ。
そうである以上、スラム街の住人にとってそれを主食とするのは当然のことだった。
(味付けの類もしてなくて、ただ焼いただけか。……食事を楽しむとかじゃなくて、燃料補給って感じだな)
スラム街の住人の食事風景は、食事を楽しむレイにとってみればとてもではないが美味そうには思えない。
実際、スラム街の住人の中で味を楽しむという食事が出来るのは、かなりの少数派だ。
そういう意味では、ここにいるのは典型的なスラム街の住人なのだろう。
「えーと……」
自分達に近づいてきたレイに対し、それに気が付いた者達は警戒の視線を向ける。
仕事をくれた人だというのは分かっているのだが、それでもよく知らない相手だけに自然と警戒の視線を向けてしまうのだろう。
そんな視線を向けられつつも、レイは特に気にした様子もなく目当ての人物を探し……やがて見つける。
「スーチー、ちょっといいか?」
「え? あ、レイ。どうしたの?」
「お前達の件でちょっと相談があるんだが……」
そう言い、レイは周囲を見回す。
周囲にいる者達は、レイがスーチーに危害を加えるのではないかと、もしくは無茶を言うのではないかと。そのように疑惑の視線を向けていた。
このような場所で、お前達がスラム街でスーチー達を羨んで襲うかもしれないといった内容や、ギルドの倉庫に泊まることが出来るといったことを話す気分にはならない。
もしそれを言えば、周囲の者達が何だかんだと理由を付けて拒否する……といったように思ったからだ。
実際にはスーチーのことを思っての言動なので、しっかりと説明すれば納得して貰えるのだが。
「分かったわ。……ほら、心配いらないから。レイは見た目こそ怪しいけど、実際にはそんなに怪しくないんだし」
大丈夫? と視線を向けてくる十歳程の少女の頭を撫でながら、スーチーは落ち着かせるように告げる。
そんなスーチーの言葉を理解したのか、少女は不承不承ながらも、スーチーの服を掴んでいた手を放す。
「さ、じゃあ行きましょ。少し離れるくらいでいいでしょ?」
「ああ、それで構わない。……けど、そんなに俺の見た目は怪しいか?」
「怪しいわよ。ローブはともかく、フードで顔を隠している状況で怪しくないとでも、本気で言うつもり? あのグリフォンと一緒にいれば話は別だけど、今はレイだけじゃない」
そう言われると、レイとしても反論がしにくい。
実際、フードを被っている今の状況では、レイをレイだと判断するのは難しい。
また、レイの象徴に近い扱いになっているセトは、日頃の運動不足を解消するかのように、周辺を走り回っている。
そういう意味では、セトを連れていない今のレイを見て怪しいと表現してもおかしくはないのだろう。……本人はあまり歓迎出来るものではないが。
「それで? 私に話って何? 特に問題を起こした人はいない筈だけど」
「ああ、そっち関係じゃない。いや、寧ろギルド職員はかなりの手際だって褒めてたぞ」
「そう? ……えへへ」
自分の友人達が褒められたのが嬉しかったのか、スーチーは笑みを浮かべて頬を掻く。
(こういうのを見れば、明るい性格をしてるってのは分かるんだよな。……それに、あれだけ子供達を養ってるのなら、コボルトの討伐をしに増築工事の現場までくるのもしょうがないだろうけど)
今日やってきた者の中にも、多くの子供達がいる。
その子供達もしっかりと解体の戦力になっているし、言われる前に動くということが出来るので、解体をしている他の者達から文句が出ることはない。
そんな褒め言葉に照れていたスーチーだったが、やがて我に返ったのかレイを見ながら口を開く。
「で、私を呼んで何の用? あの子達の働きぶりが問題ないなら……」
「お前が連れてきた子供達の安全にも関係のあることだ」
レイの言葉にスーチーの表情が真剣なものに変わる。
スーチーがしっかりと自分の話を聞く態勢になったのを確認してから、レイは先程ギルド職員と話したことを説明する。
ギガント・タートルの解体によって得られた報酬や、その肉……もしくはその肉を売った金を目当てに、スラム街の住人に襲われる可能性があるということを。
裏の組織の件も説明すると、スーチーは納得したように難しい表情を作る。
レイの言っていることが、決して気にしすぎや冗談の類ではなく、純粋に有り得るとそう思ったからだろう。
「……」
自分の目の届く範囲でなら、何とか守りたい。
そう思うスーチーだったが、スーチーもある程度の荒事には慣れているが、決してその道の専門家という訳ではない。
それは、昨日三匹のコボルトを相手にして、殺されそうになっていたのをレイが助けたことから明らかだろう。
スラム街の中でも裏の組織に所属している訳でもない者達がスーチーの身内を攻撃しようとしても、それを防ぐことは到底出来ない。
それが分かっているからこそ、レイの言葉に言い返すことが出来なかったのだろう。
正直なところ、スーチーとしては自分達がこれ程に好条件――他の解体をしている者達に比べれば明らかに報酬は安いのだが――で仕事が出来るとは思っていなかった。
その上で、ギガント・タートルの肉も幾らか分けて貰えるという話を聞き、正直なところスラム街の者達、特に他人を襲うことに躊躇しないような者達に、今回の仕事の件を知られれば危険かもしれないとは思っていたのだ。
そこに、こうしてレイがその辺の話を持ってきたのだから、どう反応していいのか迷う。
そうして迷いながら……それでも、仲間の身の安全を考えると、黙っていられないと考えて口を開く。
「それで、なら一体どうすればいいのよ? まさか、ギルドの方で全員に護衛を付けてくれる……なんてことをしてくれる訳もないでしょうし」
「だろうな」
そもそも、五十人近い人数……子供だけでも二十人近い人数全員に護衛をつけるとなれば、当然のように相応の報酬が必要となる。
……腕利きの冒険者が多く揃っているギルムだけに、一定以上の技量を持つ者を雇うには当然のようにそれだけ高額となってもおかしくはない。
中には、もしかしたら好奇心や人の良さで報酬の安い冒険者もいるかもしれないが、そのような者であっても子供達全員を一人で守るというのは不可能だ。
そうである以上、スラム街で暮らしているスーチー達には、報酬を出して護衛を雇うなどといった真似は出来ない。
「ちょっと。じゃあ、一体どうすれば……」
そうして言葉に詰まるスーチーに向け、レイは笑みを浮かべて口を開く。
「安心しろ。取りあえず、その件に関する対処案は持ってきた」
「……本当? 出来るの、そんなことが?」
スーチーにしてみれば、レイの話を聞いた上でどうにか出来るとは、到底思えなかった。
だが、疑惑の込められたスーチーの問いに、レイは問題ないと頷きを返す。
「ああ。ただし、そっちにも相応の負担を強いることになる。……具体的に言えば、お前達にはスラム街に戻らないで、ギルドの所有する倉庫の中で寝泊まりして貰おうと思ってるんだ」
スラム街に戻れば襲われるのだから、スラム街に戻らなければいいという、単純な発想。
だが、その発想はスーチーにとっても全くの想像外の話だったのか、一瞬この人物は何を言っているのだろうといった視線をレイに向ける。
レイもそんな視線を向けられるのは何となく予想出来たので、気にした様子もなく言葉を続ける。
「そこまで驚くことはないだろ? そもそも、スラム街に戻るから襲われる可能性があるのであって、それならスラム街に戻らなければいいだけだろうし」
「それは……そう思う。けど、それは無理よ。私と一緒に仕事に来てる人の中には、スラム街に家族や仲間を残してきてる人もいるわ。ここで稼いだ報酬で、食べ物を買って帰るのを待ってる人達がいるのよ」
「あー……そういうのもあるのか」
スーチーの言葉に、レイは納得してしまう。
単純にここに働きに来ている者をスラム街に戻らせなければいいだろうという考えからの提案だったが、スーチーの説明を聞けばそれに納得してしまう。
だが……だからといって、このままここにいる全員がスラム街に戻れば、間違いなくスーチーの仲間の幾らかはトラブルに巻き込まれることは確実だった。
「けど、ならどうするんだ? 今日はまだスラム街の方にもお前達がどれだけ儲けたのか、そして何を得たのか、知られることはないと思う。……誰かが自慢したり、派手に動いたりすれば、話は別だけどな」
「それは……うーん……」
レイの言いたいことが分かったのだろう。スーチーもどうしたらいいのかと迷う。
実際、ここまで報酬の良い仕事だとは思っていなかったし、まさかギガント・タートルの肉を少しであっても貰えるとも思っていなかったのだろう。
レイからの誘いを引き受けた時は、ある程度上前をはねられたりしてもおかしくはないと、そう思っていた。
それでも少しでも儲けることが出来ればと思っていたのだが、実際に今日来てみてギルド職員と条件を話し合ったところで、レイから聞いた条件そのまま……いや、若干上回ってすらいたのだ。
そうなると、レイが言っているようなことも問題になってくるのは間違いない。
スーチーの知り合いにはそのようなことをする者はいないが、それはスーチーがスラム街の住人としては考えられない程に善良な性格をしているからであって、極めて珍しい例外だ。
スーチーもそれは分かっている以上、自分の家族、友人、仲間といった者達を守る為に何らかの動きを見せる必要があった。
「そう、ね。……レイに聞きたいんだけど、その倉庫って具体的にどのくらいの人数が入れるの?」
「人数? そうだな、以前俺がガメリオンを大量に倒した時は、その死体を数百匹単位で並べることが出来たくらいには広いぞ」
「がめりおんをすうひゃっぴき……」
レイの口から出た例えが意外すぎたのか、スーチーは意味も理解出来ないようにその言葉を繰り返す。
スーチーもギルムに住んでいる以上、ガメリオンについては知っている。
その肉の美味さも、今まで運良くではあるが、何度か食べたことがあったので知っている。
だが、同時にスラム街で懇意にしている元冒険者……それこそ、今日一緒に解体の仕事をしに来ている者の何人かから、ガメリオンの凶暴さも十分に聞かされていた。
コボルトすら倒せない素人のスーチーにしてみれば、とてもではないが戦いを挑むといったことは出来ない。
……実際には、ガメリオンを一匹でも倒せばかなりの儲けとなるので、出来れば倒したいと考えたことはあったのだが、結局諦めることになった。
「あー……えっと……そう、その、ギルドが用意した倉庫って、ここに来ている人の家族とかも一緒に泊まることは出来る?」
そう、スーチーはレイに尋ねるのだった。