1911話
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レイとセトが増築工事の現場で懲りずにマジックアイテムを探している頃……ギルムのすぐ外では、ギガント・タートルの解体が着々と進んでいた。
とはいえ、ギガント・タートルの大きさから考えると、その進行具合は文字通りの意味で亀の如き遅さと言えたが。
そして、ギガント・タートルの側には解体をしている者、血の臭いに惹かれて集まってきたモンスターを倒す護衛、そして……
「すげえ……こんなにでかいモンスターっているんだな」
「こんな巨大なモンスターを倒すとか、ギルムの冒険者は化け物揃いか?」
「おい! 言っておくが、ギルムの冒険者なら全員がギガント・タートルのような奴を倒せる訳じゃないからな! くれぐれも……いいか? く・れ・ぐ・れ・も、そこを勘違いするなよ!」
ギガント・タートルの解体を一目見ようと思ってやって来た者達が、その様子を見物している。
ギルド職員の中には、そんな見物客達が解体の邪魔にならないようにという仕事をしている者すらいた。
そんな見物客の言葉に、モンスターがやって来たら倒す為に用意された護衛の一人が反射的に叫ぶ。
話していた相手が冒険者ではなかったことから、もし本当にギルムの冒険者なら誰でもギガント・タートルのようなモンスターを倒せるのだと思われたら、たまったものではないといった口調で。
ギルムの中にいる冒険者でも、個人でこれだけのモンスターを倒せる存在はレイ以外にいない……とは言わないが、本当にトップクラスの少数だけだ。
「え? そうなの?」
「当然だろうが! ったく……そもそも、レイとセトみたいな例外と同じ強さを持つ奴がそこら中にいてたまるかっての」
「だよな。ある意味、ランク詐欺って感じだし」
叫んだ冒険者の男の側にいた、別の冒険者がしみじみと呟く。
その言葉が聞こえたのか、近くにいた別の冒険者も同意するように頷く。
「一応ランクはBなんだから高ランク冒険者なんだけど……他のランクB冒険者にしてみれば、一緒にされたくないよな」
「あの深紅と一緒のランクにいると思われるのか? うわぁ、それはちょっと洒落にならないな。少なくても、俺はそんな真似をしたくねえぞ」
同じランクということは、同じような働きを求められてもおかしくはない。
そういう意味では、男の言ってることは他の冒険者達にとっても否定出来ない事実だろう。
そもそも、世界に三人しか存在しないランクS冒険者ともやり合えるだけの実力を持つランクB冒険者という時点で、色々な意味でおかしいのだ。
何も事情を知らない……それこそ、先程ギガント・タートルを見てギルムの冒険者なら誰でも同じようなことが出来るといったニュアンスで喋っていたような者が妙な勘違いをすれば、それこそレイがランクS冒険者と戦えるのだから、ランクB冒険者にランクS冒険者と戦うように依頼するといったことが起きる可能性も少なからずあった。
そんな依頼を受けさせられれば、それこそ自殺行為に等しい。
もっとも、依頼を受けるのはあくまでも冒険者である以上、基本的にそのような依頼を受けなければいいだけなのだが。
そのようなやり取りをしている中、不意に声が響く。
「ちょっ、おい。あれ……もしかして、姫将軍じゃないのか?」
そこまで大きい声という訳ではなかったが、それでも姫将軍という言葉は間違いなく周囲にいる者達の耳にも届く。
そして半ば反射的に周囲を見れば、その言葉通り姫将軍が……エレーナの姿がそこにはあった。
太陽の光そのものが髪になったかのような豪奢な縦ロールの金髪に、見る者の視線を引き寄せるような美貌。
そんな人物が、アーラと共にギガント・タートルの方に歩いてきているのだ。
エレーナの姿には、周囲を警戒していた冒険者達だけではなく、ギガント・タートルの解体を見物に来ていた者、そして解体している者、ギルド職員……といった、多くの者が目を奪われる。
本人はそのような憧れの視線――中には欲望の視線もあったが――を向けられるのは慣れているので、特に気にした様子もなく歩いていた。
やがて、そんなエレーナとその横を歩くアーラの側に、ギルド職員が近づいていく。
「エレーナ様、ようこそいらっしゃいました。レイ殿からお話は聞いています。今日は、ギガント・タートルの解体の見学に来たとか……」
「うむ。昨夜、レイから話を聞いていたのでな。それにしても……こうして、改めて見ると凄いな」
ギガント・タートルを見ながら、エレーナは告げる。
実際、ギガント・タートルの大きさや、その解体をしている者達、周囲でそのような者達を護衛する冒険者達。……そして、解体の様子を周囲で眺めている見物客達。
既にそこで行われているのは、ただの解体ではなく一種のショーに近い。
だからこそ、こうして多くの見物客も集まってきてるのだろうが。
「あはは、そうですね。いっそ見物料でも取ればギルドとしても儲けられたかもしれません」
ギルド職員が冗談交じりにそう言うくらいには、大勢の見物客が集まっていたのだ。
勿論、護衛の冒険者がいるからこそ、こうして集まっているのだろうが……それでも絶対に安全とは言い切れない。
今のところ血の臭いに惹かれてやって来るのは、ギルムを襲っているコボルトが多いし、それ以外にはランクD……たまにランクCのような大物がやってくるといったところか。
だが、それを倒す為に護衛の冒険者達が雇われているのであって、そのようなモンスターとの戦いも娯楽の一種のようになっていた。
今回は護衛として雇われている冒険者の数も多いので、見物客に被害が出るようなことはない。
……もっとも、本来ならモンスターの解体が見世物になるということは滅多になく、もしあってもこれだけ見物客が集まるということはない。
それでもこれだけの人数が集まるのは、やはり今が冬だからだろう。
春から秋に掛けてとは違い、娯楽の類は多くない。
そのような者達にとって、このギガント・タートルの解体というのは格好の娯楽と言ってもよかった。
巨大なモンスターの死体を近くで見て、冒険者以外は普段ならあまり目にすることがない解体現場をその目で見る。おまけに、本物のモンスターが襲ってくるのを護衛達が倒すといった光景を間近で見ることも出来るのだから、これで人気が出ない訳がない。
とはいえ、護衛達が守るのは本来ならギガント・タートルの解体をしている者達であって、見物客ではない。
本当にいざという時は、解体をしてる者達を優先することになるのだが……何気なく、見物客の中にはランクC冒険者やランクB冒険者といった面々が入っているので、もし何かあっても見物客達にそこまで大きな被害が出るようなことはないだろう。
「見世物、ですか。ギルムのギルドなら、そのようなことをしなくても、資金に困るということはないのでは?」
エレーナの側で話を聞いていたアーラが、そう尋ねる。
辺境にあるギルムのギルドでは、当然のように多くの希少なモンスターの魔石や素材が持ち込まれる。
ギルドはそれを色々な店に売り、場合によっては他の街や都市に住んでいる者に売ったりとして、多くの利益を得ていた。
特に秋に獲れたガメリオンの肉は、ギルムで消費する以外はそれなりの値段で売れる。
……ギルムで消費する分が、そもそもかなりの量になるのだが。
そのように儲けており、また有力者からの援助を受けてもいるギルドなのだが、わざわざギガント・タートルの解体を見に来ている者達から見物料を取る必要はないのではないか。
そうアーラは告げ、ギルド職員はそんなアーラの言葉にそうなんですが……と困ったように笑う。
必要以上に金を稼ぐつもりはなくても、こうして見物客が多くなれば、見物料をと考えてもおかしくはないのだろう。
「ですが、資金はあって困ることはありませんので。……それで、どうします? ゆっくりと見ていくのなら、椅子か何かを用意しますが」
「構わん、このままでいい」
ギルド職員の言葉に、エレーナはあっさりとそう告げる。
これが特に身体を鍛えていない貴族であれば、立ちっぱなしは辛いから椅子を持ってこいといったことを普通に命じるだろう。
だが、エレーナは幾多もの戦場を駆け抜けてきた人物だ。
ただ立っているくらいなら、全く問題なく見ていることが出来る。
ギルド職員もそんなエレーナの言葉に、椅子の類を用意しなくてもいいということに安堵する。
一応解体の仕事をした者の名前を控えていたり、その者にきちんと支払いをしたり、報酬以外にお土産として肉を持たせたりといったことをしなければならないので、簡単な椅子と机は用意されている。
しかし、それは本当に簡単な代物で、言ってみれば粗末なと言い換えてもいい。
とてもではないが、貴族が使うような代物ではない。
つまり、もしエレーナが椅子が必要だと言えば、それこそ一旦ギルムに戻り、ギルドかどこかから相応の椅子を調達してくる必要があった。
そのような真似をしなくてもよくなっただけでも、ギルド職員としては助かったといえるだろう。
「では、私は解体作業の指示をしなければいけないので、この辺で失礼します。何か用事があったら呼んで下さい。可能な限り動かせて貰いますので」
「うむ。そうしてくれ。レイが依頼した仕事で、私が邪魔をして無為に時間を使わせたなどということになったら、申し訳ないからな」
「ありがとうございます。では……」
一礼したギルド職員はエレーナの前から立ち去り、エレーナの姿に目を奪われて集中力を欠いている者達に注意する。
「ほら、解体に集中するように。折角のモンスターも、解体に失敗すればその価値は落ちる。そうならないように、きちんと集中するんだ」
その声に、多くの者が現在の自分の状況……ギガント・タートルを解体しているのだということを思い出し、作業を再開する。
「随分と統率力があるな」
「それはそうでしょ。ギルドにしても、ここで変な人材を派遣してレイとの関係を気まずくはしたくないでしょうし。そういう意味では、しっかりと実力のある人物を派遣するのは当然でしょう?」
下手な人材を派遣して、それがマリーナの耳に入ったら大変でしょうし。
そう言いながら、ヴィヘラはエレーナの方に近づいてくる。
ヴィヘラがこの場にいるのを見ても、エレーナに特に驚いた様子はない。
昨夜、そのようなことを言っていたのを聞いていたのだから。
「ビューネは?」
「ん? ほら、あそこよ」
エレーナの問いにヴィヘラが視線を向けたのは、今は特にモンスターの姿もない為か、ぼーっとした様子で解体作業の光景を眺めているビューネだ。
少し前には、ギルムに向かう予定だったと思われるコボルトが、ギガント・タートルの血の臭いに惹かれてやってきたのを倒していたのだが……今日は昨日に比べると護衛の数が増えているということもあり、あっさりと倒してしまったのだ。
護衛の数が増えているのは、昨日予想以上にコボルトの数が多かったのを見たギルド職員が緊急に護衛役として多くを雇ったからなのだが。
コボルトを倒して討伐証明部位や魔石を入手しようと考えるビューネにとっては、ギルドの行為は自分のライバルを増やしただけでしかなかった。
「少し不機嫌そうでしょう?」
「……そうか?」
それなりにビューネとの付き合いが長くなったエレーナだったが、それでも今のビューネの様子を見て、不機嫌そうであるというのは理解出来ない。
エレーナから見た今のビューネは、いつものように無表情でしかないのだから。
分かるか? とエレーナはアーラに視線を向けるが、アーラも当然のようにビューネの表情の違いは分からない。
分からないと首を横に振るアーラに、エレーナは同意するように頷く。
だが、そんな二人を見て、ヴィヘラは軽く首を傾げる。
「そうかしら? 結構分かりやすいと思うんだけど」
「それが分かるのは、ヴィヘラだけだろう」
少しだけ……本当に少しだけだが、羨ましそうな様子でエレーナが呟く。
エレーナにとって、ビューネは幾ら腕が立とうともまだ子供にすぎない。
そうである以上、庇護する、もしくは可愛がるといったことをしたいと思っても当然なのだが、表情を殆ど変えることのないビューネにはどこか手を出しかねるというのが正直なところだった。
「うーん……そう? まぁ、ビューネと一緒に動いていれば、そのうちその辺りのことも分かるようになるわよ」
「だと、いいのだがな。それで、ビューネの件はともかく、ヴィヘラはただ見学してるだけなのか?」
「そうね。もし高ランクのモンスターが血の臭いに惹かれてやってきたら、私の出番になると思うわ」
そう言い、ヴィヘラは艶やかな笑みを浮かべるのだった。