1910話
レイからの説明を聞いたスーチーは、嬉しそうにしながらもレイを信じきることが出来ずに若干の疑いを持つ。
本当に解体をするだけで多くの報酬を貰えるのか、と。
……実際には、ギガント・タートルの解体で貰える報酬というのは、コボルトの討伐依頼よりも少ない。
だが、スラム街でコボルトを解体することに比べれば、その報酬は明らかに多いのだ。
そして同時に、ギガント・タートルの肉を肉屋なり他の冒険者に売るなりすれば、その報酬以上の金を手に入れるのも難しい話ではない。
もっとも、ギガント・タートルの肉という高級食材を食べてみたいという誘惑に負けなければの話だが。
「でも、あたしは冒険者じゃないのよ? なのに、そんな真似が出来るの?」
「普通なら無理だろうな。けど、ギガント・タートルの解体は俺が頼んでいる依頼だから、ある程度無茶は聞いて貰える。……それに、今のままだと、この冬でどこまで解体出来るか分からないからな。解体が得意な奴は、少しでも多く雇いたいというのが本音だ。実際、ギガント・タートルの解体には、冒険者じゃなくても解体の技術を持ってる者は多く参加しているし」
そのような者達まで含めて、それでも圧倒的に人手が足りないのだ。
であれば、スラム街の人間で多少素性が怪しくても、しっかりと仕事をしてくれる人員というのは大歓迎だった。もっとも……
「ただ、スラム街の人間だから、色々と厳しい目で見られると思うし、ましてや肉を盗むなんて真似をすれば、一体どうなるのかは分からない。それでもいいか?」
そう、念を押す。
ギルムの中には、スラム街の人間というだけで嫌がる者も多い。
スラム街には犯罪者も多く、普通に暮らしている者に迷惑を掛けることも多いので、それはある意味で仕方のないことだったが。
「え、あ、ええ。うん。それはしょうがないでしょうね。私達が色々と迷惑を掛けてることも分かってるし。……ねぇ、その、ギガント・タートルの解体だっけ。それをやる人はもっと増えてもいいの? 聞いた話だと、少しでも人手が多い方がいいんでしょ? それなら、知り合いを何人か連れて行きたいんだけど」
スーチーのその言葉に、レイはどうするべきか悩む。
スーチーとはこうして直接話したことにより、その性格も大体分かったし、不義理な真似をしないだろうという確信があった。
だが、スーチーの知り合いとはいえ、スラム街の住人である以上、それがどのような人物なのかは分からない。
それこそ、スーチーとは仲が良くても、それ以外とは別。
そんな風に考えている者がいても、決しておかしくはないのだ。
とはいえ、人手が欲しいというのは間違いのない事実でもある。
解体技能がない者であっても、それこそ解体した部位を運んだり、血や脂で汚れた刃物を拭いたり、食事の用意をしたり……それ以外にも様々な雑用がある。
その上で、スラム街ではコボルトの解体を連日連夜行っている為に解体が得意な者も多い。
それは、レイにとっても歓迎すべきことなのは間違いなかった。
「そうだな……もしスーチーが連れてきたスラム街の住人が不始末……それこそ解体した肉や素材を盗んだり、もしくはギルドに雇われている者の金なり道具なりを盗んだら、スーチーを含めて全員纏めて厳しい処分をする上に、もうギガント・タートルの解体には雇わない。……それどころか、ギルムの表通りにある店は利用出来なくなる可能性もあるし、ギルドに関する利用にも厳しい制限がつく。それでも構わないのなら、他の奴を連れてきてもいい」
レイが口にしたのは、非常に厳しい内容だった。
スーチーの連れてきた者が一人でも盗みを働こうとすれば、その罰を全員に受けてもらうと言ってるいのだから。
だが、レイはもしスラム街の者達を雇うのであれば、そのくらいのことはしないと安心出来ないと理解している。
もっとも、その安心出来ないというのは自分がではなく、スラム街の面々と一緒に働くだろう者達が、だ。
ギルドとしても、今回のギガント・タートルの解体はレイに対しての報酬という一面もあって、ある程度レイの意見を聞くのは間違いない。
しかし、レイに対しての報酬である以上は、それを盗むような真似をしないようにと厳しく監督するのは間違いなかった。
「それは……ちょっと厳しすぎない?」
スーチーにとっても、それは明らかに厳しいという内容だったのだろう。戸惑ったようにそう告げる。
だが、レイはそんなスーチーの戸惑いを特に気にした様子もなく、口を開く。
「そうだな。言ってる俺でもかなり厳しいと思う。けど、別に冒険者でも何でもないスラム街の住人を雇うんだから、そのくらいの厳しさは必要だろ。それに……スーチーが信頼出来る相手だけを、盗みとかを働かないような奴だけを連れてくれば、問題ないと思うが?」
「そ、そう言われると……そうだけど……でも、中には出来心でそういう真似をする人もいるかもしれないじゃない」
「だから、そういうことを考えない奴を選べばいいだろ? それに、別に無理に誰かを連れてこなければならないって訳じゃないし。それこそ、スーチーだけでもいいんだからな」
「嬉しいけど、そういう訳にもいかないのよ。スラム街だからこそ、人との付き合いは大事なんだもの」
「別に、無理にとは言わない。ただ、スーチーは戦闘訓練の類も特にしたことはないんだろ? そんな状況でコボルトを倒すというのは、無謀にしか思えないけどな」
実際、もしレイが助けなければ、三匹のコボルトによってスーチーがどんな目に遭っていたのかは容易に想像出来る。
最悪、コボルトによって喰い殺されることになっていた可能性も高いのだ。
それを考えると、解体をしていれば戦闘をしなくてもいいというギガント・タートルの解体という仕事は、スーチーにとっては歓迎すべきものだった。
「分かったわ。取りあえず家に戻ったら色々と動いてみる。それで、その依頼を受ける為にはどうしたらいいの? まさか、私達がギルドに直接出向いて依頼を受けさせて下さいって言う訳にもいかないでしょ?」
「そうだな。あー……冒険者じゃない奴はどうやって依頼を受けてるんだ?」
後半は口の中だけで呟く。
ギガント・タートルの解体に関しては、コボルトの襲撃の一件もあって絶対に冒険者だけでは足りないとギルドが判断し、元冒険者だったり、肉屋や料理人だったりの中でも、解体の技能を持っている者を結構な数集めている。
そのような者達がどうやって依頼を受けたという風にしているのかは、詳しい話を聞いてる訳ではないのでレイも分からない。
「取りあえず、明日の午前六時の鐘が鳴った時、門の前に集まっててくれ。俺はギルド職員に話を通しておくから。……ああ、それとこれはさっきの話に戻るけど、モンスターを操るようなマジックアイテムやスキルの類、それと赤布に関してそれとなく情報を集めてくれると助かる」
先程聞いた時は、スーチーも特にこれといった情報を持っていなかった。
だが、どういう情報が欲しいのかということが分かっていれば、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、自分が欲しい情報を入手出来る可能性もあるのではないか。
そう思ってのレイの頼みだった。
(まぁ、赤布はスラム街で見せしめにあったって話だったし、何か新しい情報があるとは限らないけど。ただ、コボルトを操る方の件はもしかしたら何らかの情報を得られるかもしれないしな)
そう思いつつ、レイはミスティリングの中から布袋を取りだし、銀貨を一枚指で弾いてスーチーに渡す。
「……これは?」
「情報料……いや、情報を得る為の軍資金だな」
その料金は、普通に考えればそこまで高いものではない。
それこそ、冒険者であれば容易に稼げる程度の金額だろう。
だが、それはあくまでも冒険者であればの話であって、スーチーのようなスラム街の住人にしてみれば、それだけの金額を稼ぐのはかなりの労力を伴う。……それどころか、生まれてから一度も銀貨を見もせずに死んでいる者すらいる。
そう考えると、例え軍資金であっても銀貨一枚を渡すというレイの行為は、スーチーにしてみれば信じられないような行為だった。
「いいの、本当に?」
「ああ。それだけ俺が情報を欲していると思ってくれ」
レイの言葉に、スーチーは少しだけ深呼吸をしてから、頷きを見せる。
「分かった。どれくらいの情報を集めることが出来るかは分からないけど、可能な限りやってみる」
「そうしてくれ。ただ、俺が欲しいのは本当の意味での情報だ。もしくは、疑わしい情報であっても、それが疑わしいとしっかり分かるような、そんな情報。出鱈目な情報はいらないからな」
決意を込めた様子で、スーチーは無言で頷く。
そんなスーチーを見て、取りあえずこれ以上は念を押す必要もないだろうと判断し、話題を移す。
「明日の件もあるし、これ以上ここに残っていないでスラム街に戻った方がよくないか? コボルトを倒せる実力がない以上、ここにいるのは自殺行為だぞ」
「う……それは……」
少しだけ名残惜しそうに周囲を見回す。
スラム街の住人にとって、コボルトの討伐というのは非常に美味しい仕事に思えるのだろう。
(もっとも、コボルトに勝てるだけの実力があってやる気があればの話だが)
スラム街にいる者の中には、スーチーと違ってコボルトを倒す実力を持つ元冒険者というのは決して珍しくはない。
ギルムまで来て、それでやっていけないと判断してスラム街に向かう冒険者も多いが、そのような冒険者であっても、一定の実力は持つ。
だからこそ、今回のような一件であれば、本来ならそのような冒険者にとっては稼ぎ時ではあるのだが……実力はあっても、心が折れてしまってはどうしようもないのが実情だった。
(心が折れて、変に捻くれて裏の組織に所属するようになる冒険者がいる……って話はそれなりに聞くけどな)
そんな風に考えているレイの視線の先で、どうするべきか悩んでいたスーチーはやがて頷いて口を開く。
「分かった。スラム街に戻るわ」
渋々……本当に渋々といった様子だったが、スーチーはそう告げる。
スーチーにしてみれば、ここまで来るのに色々と覚悟を決めてきたのだ。
それこそ、もしかしたらコボルトに喰い殺されてもおかしくはないと思う程の悲壮な覚悟を。
実際、レイが助けなければ先程の三匹のコボルトに殺されていたのは、多分間違いないのだろうが。
そんな覚悟を決めてきただけに、どこか現実感がないというのも、間違いのない事実だった。
「そうしてくれ。俺も、折角の伝手がコボルトに殺されてしまうと困るしな」
「私も、銀貨を持ったまま死にたくないし」
「あー……うん、そうだな」
レイが思っていた以上に、スーチーにとって銀貨というのは大金なのだろう。
もしかして、軍資金として渡すのは銅貨の方が良かったのか? と思ったレイだったが、まさか今更銀貨を返せとは言えない。
(最近……俺の金銭感覚は色々と麻痺してきたしな)
実際、レイは金貨、もしくは白金貨程度であればすぐにでも支払うといったことが多かった。
何よりレイが欲するようなマジックアイテムは非常に高価で、銀貨程度では購入出来ない。
また、趣味と実益を兼ねた盗賊狩りで手に入れることが出来るお宝の量は、かなりの代物だ。……中には銀貨数枚程度しか持っていないような、貧乏な盗賊の姿もあるのだが。
料理を買う時も、普通に料理店でスープを鍋に一杯といった具合に、鍋ごと購入したりといったことをするのも珍しくはない。
金銭感覚という意味では、今のレイは明らかに一般人とはかけ離れている。
とはいえ、それはレイだけに限っただけではなく、冒険者であれば大抵その傾向があるのだが。
命懸けで戦って得た報酬で、酒を飲み、女を抱き、新しい装備を購入する。
そんなことを続けていれば、金の使い方が荒くなって当然だろう。
全員がそのような訳ではなく、冒険者を止めた後で暮らしていく為の資金を貯めている、という者もいるにはいるのだが。
「じゃあ、あたしはこれで行くわね。……色々とありがと」
そう言って小さく頭を下げると、照れ臭いのか薄らと頬を赤く染めてその場から走り去る。
レイはそんなスーチーを見送り、周囲の様子を警戒しているセトに話し掛ける。
「セト、俺達もそろそろ次の場所に行くか。もしかしたら、マジックアイテムを見逃している可能性があるかもしれないしな」
「グルゥ?」
そうなの? 喉を鳴らすセトだったが、セトにとってはレイと一緒にこの周辺を歩き回るというのは、遊びにも等しい為か、特に嫌がる様子もなく喉を鳴らすのだった。




