1908話
聞こえてきた悲鳴に、レイとセトはすぐに声のした方に向かう。
正直なところ、このギルムにいる冒険者でコボルトを相手に悲鳴を上げるような者はいない……訳ではなかったが、それでもそこまで多くはないと理解していたレイだったが、だからこそ悲鳴の聞こえてきた方に走り出したのだ。
つまりそれは、普通では考えられないような何らかの異常があったということを意味しており、その異常というのはマジックアイテムが関係している可能性があった。
それは半ばレイの願望……希望的観測と言ってもいいようなものだったが、それでも何も手掛かりがない状況で工事現場を探し回るよりはいいだろう。
そうしてやって来たレイだったが……
「何だ」
目の前に広がった光景に、残念そうに呟く。
そう思いつつも、見てしまったからには見捨てるのも後味が悪いということで、ミスティリングから槍を取り出す。
いつも使っている黄昏の槍ではなく、それを入手する前によく使っていた壊れかけの槍。
コボルトを相手に黄昏の槍を使うのは勿体ないと、そう思っての行動。
数歩の助走の後、その壊れかけの槍を投擲する。
真っ直ぐ空気を斬り裂きながら飛んでいった槍は、そのまま女の冒険者に噛みつこうとしていたコボルトの頭部を爆散させ、その衝撃で若干軌道が変わったのか、次にその背後にいたコボルトの胸を貫き、更にその後ろにいたコボルトの胴体に突き刺さったところで動きを止める。
「……え?」
絶体絶命だった女の冒険者は、一体何が起きたのか分からない様子で戸惑ったような声を出す。
それも当然だろう。いきなり自分の目の前にあったコボルトの頭部が爆散し、そして血や骨、脳みそ、体液といったものが顔にかかったのだから。
コボルトの眼球が頬にぶつかって潰れていることにも気が付かず、女は周囲を見回す。
そうして目に入ってきたのは、グリフォンを連れた冒険者の男。
それが誰なのか、ギルムに住む者として当然知っていた。
「深紅?」
女の口から出た呟きが聞こえたのだろう。一撃で女を襲っていたコボルト三匹を殺した――正確には最後の一匹はまだ生きてるが、瀕死の状態である以上そう長くもたないのは確実だ――レイは、セトと共に女に近づいていく。
「……悪かったな。咄嗟に助けたけど、こんなことになるとは思わなかった」
そう言いながら、レイはミスティリングの中から取りだした布を女に渡す。
それを受け取り……そこで初めて女は自分の顔に、いや身体全体にコボルトの血やら何やらがへばりついていることに気が付く。
何気なく自分の頬に触れ、柔らかく温かい感触のものを不審に思い、そのまま目の前まで持ってくる。
そこにあったのは、爆散した勢いで女の頬にぶつかり、潰れてしまった眼球。
「きゃ……きゃああああああああああああああああああああっ!」
それが何なのかを理解した瞬間、女の口から出された甲高い悲鳴が周囲に響き渡る。
その悲鳴は、先程レイが聞いた悲鳴よりも間違いなく大きかった。
自分が殺されそうになった時に出る悲鳴と、コボルトの潰れた眼球を見た時の悲鳴で後者が大きいのはどうかとレイも思ったが、取りあえず目の前にいる女の様子を確認する。
年齢としては、レイと同じくらい。……つまり、十代半ばといったところか。
だが……それ以外のところで、レイの目を惹く場所があった。
(装備が合っていない? それも、かなり古いし、手入れもろくにされていない)
そう、女の防具は明らかに身体よりも大きなものだったし、地面に落ちている長剣も錆びている部分がある。
一瞬コボルトが持っていた武器なのかとも思ったが、槍を投擲する時にその辺はきちんと確認していたので、その可能性は有り得ない。
(冒険者かと思ったけど、冒険者じゃない? いや、冒険者になったばかりなのか? だとすれば、コボルト程度のモンスターに苦戦している理由も分からないではないが)
だが、基本的に冒険者になったばかりの者は街中での依頼しか受けられないというのは、レイも知っている。
一応この工事現場も街中であるというのは間違いないが、それでもギルドの方で冒険者になったばかりの新人にコボルトの討伐……それも一匹や二匹ではなく、大量に襲ってくるコボルトの討伐を任せるとはレイにも思えない。
「お前……本当に冒険者か?」
女の悲鳴が一段落したところで、レイはそう尋ねる。
探りも何もない、それこそ正面からの問い掛けだったが……それを聞いた女は、一瞬身体が強ばった。
それを見ただけで、レイは女が冒険者ではないだろうという強い確信を持つ。
「え……その……あの……」
何と言えばいいのか、迷っている様子を見せる女。
その動きを見ても、とてもではないが身体を鍛えていたり、戦闘訓練をしているようには見えない。
冒険者といえども、誰でも戦闘訓練をするということはない。
それでもコボルトの討伐依頼という、戦闘を前提とした依頼を受けるというのに戦闘訓練をしていないというのは色々な意味で不自然だった。
「お前は誰だ? 取りあえず、冒険者じゃないのは確実だと思うんだけど……」
「ぼ、冒険者よ! でないと、こんな場所にこんな格好で来る筈がないでしょ!」
「なら、ギルドカードを見せろ。冒険者なら必ず持ってる筈だな?」
そう言いながら、レイはミスティリングの中から自分のギルドカード……ランクBと表示されており、名前がしっかりと書かれているギルドカードを取り出す。
そうしながらも、もしかしたら目の前の女はギルドカードを持ってるかもしれないな、とも思う。
ギルドカードは免許証やパスポートのように写真が貼られている訳ではないのだから、他人のギルドカードを持ってこれが自分のだと言い張っても、レイにはその真贋が判断出来ない。
ギルドや警備兵の詰め所であれば、本人かどうかを確認出来るマジックアイテムもあるのだが。
ともあれ、そんな理由からレイは目の前の女がもしかしたら何らかの手段で誰かのギルドカードを入手し、出してくるのでは? と思ったのだが……
「その、ちょっとなくして……」
あからさまな誤魔化し。
ギルドカードを出されていればレイとしては困ったので、そういう意味では助かったともいえるのだが。
「なら、ギルドに行くか? 少し費用は掛かるけど、ギルドカードは再発行して貰えるぞ」
「金欠なのよ。でないと、わざわざこんな依頼を引き受ける訳がないでしょ?」
「嘘だな」
レイは女の言葉をあっさりと断言する。
自らの挙動が不審であったというのは、本人も理解しているのだろう。
レイの断言に、女は言葉に詰まる。
「で? 結局お前は何なんだ? 冒険者じゃないのは、その装備や身のこなしから想像出来るけど……なら、何でこんな真似をする?」
「それは……」
女はまだ何とか誤魔化そうと頭を巡らせるが、レイが自分を見る視線にこれ以上は何を言っても無駄だろうと判断し、観念するように息を吐く。
「あたしは、スーチー。……スラム街の人間だよ」
スラム街の人間。
そう言われたレイは、驚くのではなく寧ろ納得し、改めてスーチーと名乗った女を見る。
冒険者として振る舞えるようにか、顔は汚れがないようにしっかりと拭かれていた。
エレーナ達のように絶世のという程ではないが、それなりに整った顔立ち。
十人に聞けば、半分くらいは可愛いと評してもおかしくはないだろう。
(これくらいなら、娼婦としても十分やっていけると思うけど……この様子を見ると、本人にはそういう気持ちはないんだろうな)
そんな風に思いつつ、レイは改めて口を開く。
「ここで冒険者が倒したコボルトの死体は、基本的にスラム街の連中が集めて素材を剥ぎ取りしたり、肉を食ったりといったことをしてる筈だ。つまり、冒険者の真似事をして自分でコボルトを倒さなくてもいい筈なのに、何でまたこんな真似を?」
それは、純粋な疑問。
レイが口にしたように、冒険者が討伐したコボルトの死体は討伐証明部位や魔石といったものを剥ぎ取った後は、基本的にここに放置される。
素材の剥ぎ取りをする者もいない訳ではないが、素材の剥ぎ取りに時間を掛けるより一匹でも多くのコボルトを倒して討伐証明部位と魔石を確保した方が、結果として得られる金は多くなる。
そんな訳で、コボルトの死体は素材の剥ぎ取りや肉を食用にする為にスラム街の住人が得られるということになっていた。
当然、死体そのものはスラム街の住人が自分達で取りに来る必要があるので、その時に……それが夜であってもコボルトに襲われるという危険はあるのだが、言ってみれば危険はその程度でしかない。
少なくても、スーチーのように自分でコボルトを倒すといった真似をしなくても、十分に利益は出る筈だし、不味いとはいえゴブリン程には不味くない肉を食用にも出来るのだから。
なのに、何故わざわざ危険な真似をするのか。
スーチーがある程度戦えるのであれば、このような真似をする理由も分からないではないのだが。
「何でって……お金が必要だからに決まってるじゃない」
「コボルトの死体を集めるだけじゃ駄目なのか?」
「そうよ。うちには小さい子が一杯いるんだから、少しでも多くの食料が必要なのよ」
コボルト一匹でも、五十kg前後くらい……個体によっては、もっと大きいものもいる。
内臓やら骨やらは取り除く必要があり、五十kg全てが食用になる訳ではないが、それでも十分な量になる……というのは、レイの見立てだった。
(にも関わらず、足りない? 一体、何人くらい子供がいるんだ? いやまぁ、このコボルトの襲撃がいつまで続くか分からない以上、干し肉とかにして少しでも食料を保存しようとしてるのかもしれないけど)
そんな風に考えながら、レイは地面に倒れている三匹のコボルトの死体を見る。
一匹目は頭部が爆散しており、討伐証明部位を取ることは出来ないだろう。
少し離れた場所にいて胸部を貫通されたコボルトは、魔石も一緒に破壊されている筈だった。
唯一、胴体に突き刺さって瀕死の重傷を負った最後のコボルトのみは、討伐証明部位も魔石も無事ではあったが。
金を稼ぎたくてコボルトと戦っていたというのを考えると、この倒し方は色々と不味いのは事実だろう。
もっとも、スーチーが命の危機にあったのを思えば、レイが近くにいて助けられたという時点で運が良かったのだが。
「……まぁ、大体の理由は分かった。つまり、冒険者が倒したコボルトの死体は討伐証明部位や魔石がないから、それが欲しかったって訳か」
「正確には魔石ね。討伐証明部位は、ギルドでしか換金出来ないし」
「あー……なるほど。そう言えばそうだったな」
基本的に、レイは素材や魔石の類はギルドで売っている。
その時に討伐証明部位の換金も同時にしているのでそれが普通だという意識しかなかったが、討伐証明部位はともかく、魔石や素材の類はギルド以外でも買い取ってくれる。
それこそ、交渉の腕次第ではギルドに売るよりも高く買い取って貰えるのだ。
……だが、それは逆に言えば交渉が下手な場合はギルドで売るよりも安く買い取られることになる。
素材の状況についての細かいチェックや、それについての交渉、それ以外にも色々と交渉をする必要があり……レイはそういうのが面倒なので、若干そのような店で売るよりも安めであっても、ギルドで素材や魔石を売っていた。
多少安くても、それこそレイの場合はモンスターを大量に倒せるので、買い取り金額に不満はなかったというのが大きい。
スーチーもそんなレイの様子からレイが普段どのようにして倒したモンスターの処理をしているのかを理解したのか、不満そうな表情を浮かべる。
「異名持ちのあんたには、分からない苦労だろうね」
「そうだな。それは否定しない」
実際、レイの場合は本来なら冒険者が下積みという形でやるような苦労をすっ飛ばしている。
セトという存在がいたのも大きいし、ギルムで活動をしてからそんなに時間が経っていない時にオークの集落がギルムの近くに出来て、そこでオークキングをレイが倒したというのも大きい。
また、その結果によって上から目を掛けられるようになり、エレーナとも会うことが出来た。
そう考えれば、スーチーがレイを羨ましく思うのは当然だろう。
もっとも、有名になればなったで色々と面倒が増えるのも事実なのだが。
オークの集落を討伐しに行く時も、レイの持つミスティリングを狙って襲ってきた冒険者がいたように。
「ぐむ……と、取りあえず! あたしはコボルトを倒して金を稼ぐ必要があるんだ! あんたにこれ以上構ってるような余裕はないんだよ! じゃあね」
そう叫び、立ち去ろうとするスーチーの背に、レイ声を掛ける。
「そのコボルトの死体はいらないのか?」
「あたしが倒したんじゃないんだ。助けて貰った上に、横取りする訳にもいかないでしょ」
「……なら、交換条件だ。俺はちょっと情報を集めていてな。それについての情報が欲しい」
レイの言葉に、スーチーは訝しげな表情を浮かべながらも、足を止めるのだった。