1901話
ギルド職員からの通達があった通り、もう少しで昼になるという時間帯になるとある程度纏まった人数がギガント・タートルの解体現場に姿を現す。
そのうちの何人かが不満そうな顔をしているのは、やはり増築工事の現場からここまでやって来るのが手間だからというのが大きいのだろう。
元々ギルムは街と呼ぶには疑問が残るくらいの大きさを持っていた。
そんな中で、増築工事をやっているのはギルムの中でも奥の方。
そこからここまで来るのは、当然のように時間も掛かるし、疲れる。
……それでも直接不満を口にしないのは、解体されているギガント・タートルをすぐ目の前で見たことによる驚きもあるし、何よりもこのギガント・タートルの解体をギルドに頼んだのがレイであると知っているからだろう。
そのような状況で不満を口にし、ましてや横暴な態度をとろうものなら……間違いなく、レイが出てくるのだから。
あるいは、レイがこの場にいなければ不満を直接口にした者もいたかもしれないが、今はまだレイとセト、ヴィヘラとビューネの姿もある。……もっとも、ビューネはギガント・タートルの解体を見るのではなく、コボルトとの戦い――蹂躙と呼んでもいい――を行っているのだが。
「おお、よく来てくれました。では、早速ですが解体と討伐に別れて、それぞれお願いします」
そう言ってきた相手に文句を言おうにも、ギルドの制服を着ている以上、そのような真似は出来ない。
そもそも、ここにいる者の多くは報酬の安いギガント・タートルの解体ではなく、少しでも稼げるコボルトの討伐を選んだ者達だ。
金がなく、これからもギルドからの依頼を受けるというのに、ギルド職員に喧嘩を売るような真似が出来る筈もない。
(あれ? でも、よく考えれば……ギガント・タートルの解体にくれば、多少なりとも肉を分けるんだから、その肉を肉屋なり金持ちなりに売った方が報酬的には大きいんじゃないか? その上、解体の護衛でなければ戦闘はしなくてもいいんだし)
今更ながらそのことに思いいたったレイだったが、実際にはコボルトの討伐に参加していた者達は、コボルトを大量に倒した方が多くの報酬を貰えると判断した者達だ。……中には、肉を売るという考えにいたらなかった者もいるのだが。
「これだけ人数が増えれば、解体もそれなりに早く終わるんじゃない?」
「どうだろうな。ギガント・タートルの大きさを思えば、そこまで差は出ないと思うけど」
焼け石に水という言葉は、恐らくこういう時に使うんだろう。
そう思いつつ、レイはヴィヘラに答え……コボルトの一件について考える。
最初にコボルトの話を聞いた時は、最悪セトを増築工事の現場に置けばセトを怖がってコボルトの襲撃も起きないのではないかと思っていた。
だが、ギガント・タートルの血の臭いに惹かれてやってきたのだろうコボルトは、ここにセトがいても逃げ出したり怯えたりといった真似をすることはなかった。
そのことが、レイには気になる。
普通のモンスターであれば、それこそセトの存在に気が付いた途端に逃げ出してもおかしくはない。
もしくは、セトの存在そのものに怯えて動けなくなるか。
にも関わらず、ここにやって来たコボルトは全くそんな様子を見せない。
(普通のコボルトじゃないのは、間違いないな。けど……その割には、特に強いって訳でもないし)
レイの視線の先では、白雲を持つビューネによってあっさりと殺されているコボルトの姿がある。
その一方的な戦いは、セトの存在に怯えなくてもいいような強さを持つモンスター……とは、到底思えない存在だった。
「なぁ、ヴィヘラもコボルトとは戦ったんだよな?」
「え? 何よ急に。……ええ、戦ったわ。もっとも、普通のコボルトでしかなかったけど」
「でも、セトがいるのに全く逃げる様子がないのは、何でだと思う?」
「……え?」
そんなレイの言葉で、ヴィヘラは改めて少し離れた場所にいるセトの様子を見る。
ヴィヘラにとっても、セトというのはパーティーメンバーという認識であり、それだけにこの場にこうしているのを見ても、特に気にした様子はなかった。
だが、それはヴィヘラだからこそ思えることであり、普通ならセトの持つ存在感に気が付かないということはない。
ましてや、それがモンスターであれば尚更だろう。
「そう言えば……あ、でもコボルト以外のモンスターもここには来てるじゃない。多分、セトが気合いを入れた本気じゃないから、向こうもセトに気が付いていないとか。もしくは、ギガント・タートルの血の臭いがそれくらい魅力的だとか?」
「うーん……まぁ、その可能性がないとは言えないけど……」
これだけの巨体を持つ高ランクモンスターの血の臭いともなれば、それを嗅ぎつけた他のモンスターが目の色を変えてもおかしくはない。
だが、そう言われてもレイは理解出来ても納得は出来ない。
理屈ではその可能性が高いと分かっているのだが、それでも何か微妙な違和感のようなものがあるのだ。
「なら、今度セトを連れて増築工事をしている場所に行ってみたら?」
「それは俺も考えたんだけどな。ただ、コボルトを倒すのは、金が足りなくて街の外に討伐依頼に出ることが出来ない、もしくは雪が積もってる野外で動き回るのが面倒って連中にとっては格好の稼ぎ場所だろ? それを奪ってしまうのもどうかと思って」
「……それは分かるけど、ずっとこのままだったらどうするの? 今はいいわ。冬だから、増築工事は行われていないんだもの。けど、もう少し時間が経って春になれば、増築工事が本格的に行われるのよ? その時、今と同じようにコボルトの襲撃が続いていれば、工事は確実に遅れるわよ?」
ヴィヘラの言葉は、否定出来ない事実だった。
自分の身は自分で守れる冒険者はともかく、増築工事の仕事をするのは冒険者でも何でもない、出稼ぎに来た者が多くを占めるのも間違いない事実。
そのような者達に、いつコボルトの襲撃が起こるかも分からない場所で仕事をしろというのは、無理がある。
いや、それ以前にコボルトの一件を聞けば自分の命の方が大事だと、仕事をするのを拒むだろう。
コボルトを倒すことが出来る冒険者でも、増築工事をしている途中でコボルトに襲撃されるということになれば……不意打ちの類を受ければ、対処するのは難しい。
「なるほど。今はいいけど、いつまでも今のままって訳にはいかないか。そうなると……」
そこで一旦言葉を切ったレイは、少し離れた場所にいるギルド職員……今回のギガント・タートルの解体で責任者のような形になっているギルド職員に声を掛ける。
「おーい、ちょっといいか? 少し話をしたいんだけど!」
その声が聞こえたのだろう。ギルド職員は、近くにいる部下数人に指示を出すと、急いでレイの方に走ってくる。
「はい、何でしょうか?」
「忙しいところ、悪いな。コボルトの襲撃の件についてちょっと聞きたいんだけど」
「は? はぁ、それは構いませんが」
てっきりギガント・タートルの解体について何か聞かれると思ったのだろう。少しだけ意外そうな表情を浮かべたギルド職員だったが、すぐにその驚きを消し、レイの口からの質問を待つ。
「今はコボルトが毎日、毎晩といった具合にギルムを襲撃してきているけど、それって春になったときのことを考えると、色々と不味くないか?」
「不味いですね」
一瞬の躊躇いもなく、あっさりとそう告げるギルド職員。
その態度こそが、今の状況が決して良いものではないということを示している。
それでも切羽詰まった様子がないのは、まだ春まである程度の時間があるからだろう。
春までにはこの件は解決しているという、希望的観測。
……とはいえ、ギルムの冒険者は殆どが腕利きと呼ぶに相応しい者だ。
現在は増築工事の一件で腕利きと呼ぶのは難しい者達も多くいるが、ギルムの冒険者が今回の一件で本気になれば問題なく解決出来ると、そう思ってもおかしくはない。
「いざって時の為に焦らないように、今のうちから考えておいた方がいいと思うんだけどな。……誰かに恨まれ……ちょっと待て」
そこまで言ったレイは、ふと気が付く。
今回の一件は、今のところは金のない冒険者達にとって喜ばれている。
だが、客観的に見てこれが何らかの人為的な理由によって起こっているとすれば、これは間違いなくギルムに対する妨害行為……いや、敵対行為と呼んでもいい。
コボルト程度とはいえ、モンスターをギルムの中に大量に呼び寄せているのだから、それは当然だろう。
「どうしました?」
喋っている途中でいきなり言葉を切ったレイに、ギルド職員が不思議そうに尋ねる。
そんなギルド職員に対し、念の為といった具合でレイは尋ねる。
「一応聞いておくけど、コボルトだけを選んでギルムに呼び寄せる。そういう手段とか儀式とか、マジックアイテムとか、魔法とか、そういうのはあるか?」
「え? えーっと……」
いきなりのレイの質問に、ギルド職員は少し考える。
ギルムのギルド職員……それも今回の一件を任されている通り、この男はギルムのギルドの中でもそれなりに高い地位にいる。
言わば、レノラやケニーの上司と言ってもいい。
それだけに、レノラやケニーであっても知らない情報を多数知っているのだが……すぐに首を横に振る。
「いえ、残念ながらそういうのは聞いたこともありませんね。一応、今回の一件が始まってからギルドの方でもダスカー様からの指示でその辺りを確認してみたので、明らかです」
辺境にあるギルムだけに、そのギルドに蓄えられている知識は普通のギルドよりも大量にある。
ダスカーからの指示で、そのようなものがないのかどうか。それをギルド職員のほぼ全員で調べたのだから、レイの問いには自信を持ってないと言えた。
もっとも……と、ギルド職員は言葉を続ける。
「世の中には私達の知らない技術や魔法、マジックアイテムの類があってもおかしくはありませんし、そのようなマジックアイテムを作った錬金術師がいてもおかしくありません。ましてや、ダンジョンとかであれば、私達が把握していないようなマジックアイテムが出てくる可能性もありますし」
「……だろうな。そうなると、もしこの件が人為的に起きた一件の場合、具体的にどのようにして起こっているのかも分からない訳か」
「残念ながら、そうなります。それに……ギルムに恨みを持ってる人というのは、それこそ十人、二十人といった程度ではないですしね」
その説明には、レイも納得せざるをえない。
ギルムは辺境にあるが故に、希少な素材や鉱石、魔石……様々な物を入手しやすい。
それを羨ましく思っていたり、中立派を率いるダスカーの治める街だったり……そして、今は増築工事をしており、その規模を更に広げようとしている。
その辺りを考えれば、ギルムに恨みを持つ者、増築工事を失敗して欲しい者といった者の数は、それこそギルド職員が言ったように十人、二十人どころか、百人、二百人の単位でいてもおかしくはない。
「人為的なものじゃないとすれば、上位種か希少種辺りがいてもいいけど、そういうのはいないんだろ?」
「はい。今のところ、その類の報告はありませんね。何人か、索敵能力が優れている冒険者にも調べて貰ったんですが……」
見つかりませんでした、と首を横に振るギルド職員。
そうなると、レイとしても上位種や希少種ではなく人為的な方法というのを考えざるを得ない。
(もしくは、セトの光学迷彩のような能力を持った上位種か希少種がいるのか。……個人的には、そっちの方が助かるんだけど)
もし光学迷彩のような能力を持っているモンスターがいるのであれば、それを倒して魔石を入手すれば、セトの光学迷彩のレベルが上がる。
戦闘をする上で、光学迷彩というのが非常に大きな効果を持つのは、これまでに経験してきた戦いでレイも分かっているし、戦闘以外でも色々と使い勝手のいいスキルなのは間違いない。
「取りあえず、貴族派の妨害……ということは、多分違うと思ってもいいだろうな」
エレーナが直々にギルムにいる状況の中で、このような真似をするというのは自殺行為に等しい。
もっとも、それはあくまでもエレーナに知られればの話であって、実際にそのような真似をしてもエレーナに知られなければどうにかされることはないのだが。
「他には……」
そう考え、ふとレイはアネシスに行く前にギルムで騒動を起こし続けていた者達のことを思い出す。
「そう言えば、俺がアネシスに行く前に騒動を起こしていたあの赤布の連中はどうしたんだ? こっちに戻ってきてから、話を聞かないけど」
そう、尋ねるのだった。