1896話
マリーナの家の庭でパーティーをやった翌日、レイの姿はギルドの前にあった。
冬にも関わらず、大勢がギルドの前にいるセトを可愛がっている。
これは、レイとセトが暫くギルムにいなかったから、というのが大きいのだろう。
以前からセトを可愛がっていた者達は、久しぶりに会うセトに構いたいと思う者が大勢いるのだ。
……実際には、セトがギルムにいなかったのは一ヶ月にも満たないのだが。
ともあれ、皆に可愛がられているセトを見たレイは、これなら寂しがることもないだろうと判断してギルドの中に入る。
ギルドの中に入って最初にレイが感じたことは、人の多さだ。
今まで何度かギルムで冬を越してきたレイにしてみれば、冬という時季にギルドの中に結構な人数がいるというのは、ちょっとした違和感すらあった。
ギルドの中であっても、酒場の方に人が大勢いるのであれば、レイもそこまで気にすることはなかっただろう。
だが、今のギルドでは酒場ではなく依頼ボードや受付のある方にいる冒険者の方が多いのだ。
(これも、コボルトの影響なんだろうな)
コボルトの襲撃が起きているということは、その素材や魔石、討伐証明部位を換金出来るということだ。
それを狙って、この冒険者達はここにいるのだろう。
もっとも、ここにいる冒険者は金に困っている者達、もしくは冬越えの資金として多少余裕を持っておきたいと思っているような者達で、ギルムにいる冒険者の中でもかなり少数派なのだが。
にも関わらずギルドの中にこれだけ大量に冒険者がいるのは、増築工事の仕事を目当てにやって来て、冬になってもギルムから出て行かなかった者達が多かったからだろう。
本来の仲間、もしくはコボルト討伐の為の臨時のパーティーを組んでいる者の話を聞き流しながら、レイはカウンターに向かう。
当然の話だが、カウンターの前にも結構な数の冒険者が並んでいた。
一応最も混む朝から時間をずらし、午前九時くらいになってからギルドまでやって来たのだが、それでもこれだけの人数がいるのは、レイによっても予想外だった。
(いや、この様子を見る限りだと、朝はもっと混んでいた筈だ。そう考えれば、やっぱりこの時間で正解だった……と、思いたい)
そんな風に考えて列に並んでいたレイだったが、珍しく……もしくは当然かもしれないが、今のレイに絡んでくるような相手はいなかった。
以前までであれば、レイのことを知らない冒険者がレイに絡んできたりもしたのだが、ここはレイのホームと言うべきギルムだ。
増築工事の為に急激に冒険者が増えてはいるのだが、そのような者達も他の冒険者達にレイの話を聞いて、決して絡んではいけない相手として認識している。
何より、レイは増築工事でもかなり派手に動いていたのだから、レイの顔を知らない者の方が少ない。
ドラゴンローブのフードを被っていれば、もしかしたらレイをレイと認識出来ずに絡んでいた者もいたかもしれないが、今のレイはフードを脱いでいるので、誰でも顔を確認出来る。
結果として、レイは特に騒動を起こすこともなく、担当の受付嬢たるレノラの前に立つ。
「ご用件は、コボルトの……」
今まで散々コボルト関係の対応をしてきたので、今度もまたそうだと思ったレノラだったが、目の前に立つのが誰なのかを理解した瞬間、驚愕の表情を浮かべる。
それでも叫んだりしなかったのは、それだけプロ意識があったということだろう。もっとも……
「あーっ! レイ君!? いつ帰ってきたの!?」
レノラの隣にいる、男好きのする身体をしている猫の獣人のケニーは、そんなレノラとは裏腹にレイの姿を見た瞬間に喜色満面といった様子で叫ぶ。
ケニーにとって、レイという人物は特別な相手だ。
レノラもそれを知っているからこそ、ケニーの様子を見ても特に何も言う様子はなかったが……代わりに、カウンター内部で仕事をしている他のギルド職員はケニーに鋭い視線を向けていた。
コボルトの一件で、ここ暫くギルドは非常に忙しい。
それだけに、そんなに忙しい中でケニーの態度は他の者にとって面白くないものだった。
自分が一生懸命仕事をしているのに……と。
「昨日な。それで、以前から約束してた通り、ギガント・タートルの解体をして貰おうと思ってたんだけど……戻ってきたら、コボルトが毎日のように襲撃してきてるって話があってな。それでどうするのかと思ってギルドに来てみたんだけど」
それと、コボルトの件で上位種や希少種がいないかどうかを聞く為というのもあったのだが、こっちは駄目元に近いので特に口にすることはない。
「ああ、その件ですか。そちらについては、ギルドマスターから指示を受けています。報酬はコボルトの討伐よりも安いものになりますね。ただ、以前レイさんから提案のあった、若干のギガント・タートルの肉の譲渡というのは問題ありません」
それが妥当なのかどうかは、レイにも分からない。
だが、本来よりも安めに設定されているのだろうというのは、予想出来た。
実際、そうでもしなければ、金目当ての者は皆がギガント・タートルの解体に向かうのだから、そのようにしてもおかしくはないだろうと。
(ただ、そうなると問題も出てくるな。一応春になるまでにギガント・タートルの解体を終わらせるつもりだったんだが、コボルトの方に人手を取られると……今年の冬では終わらない可能性が高い)
元々、ギガント・タートルの大きさを考えれば、それこそギルムにいる冒険者が総出で解体作業を行っても、今年の冬で終わるかどうかというのは不明だった。
その名の通り巨大な……いや、巨大すぎるモンスターだけに、それを解体するのにどれくらいの時間が掛かるのかといったことを前もって計算出来ないというのは痛い。
それでも実際に解体を始めれば、どれだけのペースで解体したのかといったことから、大体の予想は出来るようになるのだが……それは、あくまでも実際に解体を始めてからの話だ。
「レノラ、一応聞いておきたいだけど、報酬が低くて集まる冒険者が少ない場合って、ギルドからも人が派遣されたりするのか?」
「はい。そちらは確実に。ギルドには元冒険者という方も多いですし、モンスターの解体に慣れている方もいます。……コボルトの件が起きた当初は、解体をギルド任せにするという方もいたのですが、今はもう殆どいませんし」
「まぁ、コボルトの値段と解体費用で見れば、何とか赤字にならないって人が多かったしね。コボルトの状態が酷い場合は余計に解体に費用が掛かって赤字って人も多かったし。それなら、コボルトの素材は諦めて、討伐証明部位と魔石だけを持ってくるって人が多くなったのよ」
レノラの会話にケニーが割り込むが、それを聞いたレイは別の意味で心配になる。
「それ、コボルトの死体はいいのか? アンデッド化する可能性もあるし、今は冬だからいいけど、春になったら死体が腐る可能性もあるぞ?」
「ああ、そちらは大丈夫です。スラム街の人達に任せてますので。正直なところ、今回のコボルトの一件で最も得をしたのは、スラム街の人達でしょうね。少なくても、食料に困ることはないですし」
冬のスラム街ともなれば、本来なら餓死や凍死をする者が多く出る。
……それでもスラム街にいる者が減らず、寧ろ次第にではあるが増えているのは、死ぬ者よりもスラム街に棲み着く者の方が多いからなのだが……それはともかく。
戦場となった場所に散らばっているコボルトの死体は、ダスカーからの特別の許可を得て、スラム街の面々が集めてスラム街まで運ぶ。
そこで自分達で解体し、肉は自分達の食料に、素材――とくに毛皮――は自分達の衣服にといった具合に有効活用している。
実際には毛皮はそのままではとても使えたものではないのだが、スラム街に住んでいる者は色々な技能を持つ者がおり、中には毛皮をなめすといったことが出来る者もいたので、そのような者はかなりの儲けを得ていた。
本来は皮をなめすというのはある程度の時間が掛かるのだが、どこから入手したのか、もしくは自分で持ち込んだものか、マジックアイテムの類でなめす作業を短縮する者もいる。
中にはコボルト程度の低ランクモンスターの討伐証明部位や魔石は取るのも面倒だと残している者もいるので、そのような者は伝手を使って金に換えることも出来た。
総じて、コボルトの襲撃によってスラム街に住んでいる者は多くの利益を得ることが出来ていた。
中には運や立ち回りによって相応の稼ぎを得たことにより、スラム街から出ていった者すらいる。
それらの説明をレノラから聞いたレイは、スラム街の住人の逞しさに驚く。
「コボルトの襲撃は、普通に住んでいる者にとっては面倒としか言いようがないけど、スラム街の住人にとっては稼ぎ時な訳だ」
「そうですね。ギルムの上層部でもコボルトをスラム街の住人に与えてもいいのかといった意見はあったようですが、そうでもしないと増築工事をしている場所が死体の山になりますから」
「……だろうな」
レイが昨日ギルムに帰ってきた時に上空から見た感じでは、コボルトの数は百匹くらいはいるように思えた。
そのような数のコボルトが、毎日……それも日に一度だけとは限らず、何度も襲撃をしてくると考えれば、その死体の処理が非常に面倒なのは明らかだった。
「まぁ、取りあえず事情は分かった。なら、どうすればいい? 明日の朝にでもここに来ればいいのか?」
「そうですね。ただ……このような時間帯ではなく、もっと早く、六時くらいにお願いします」
えー……と。微妙に嫌そうな声を上げそうになったレイだったが、レノラの要請は考えてみれば当然のものだった。
解体するギガント・タートルがレイのミスティリングに収納されている以上、当然それがなければ仕事にはならない。
そうなると、解体を始める為にはどうしてもレイが他の冒険者に合わせる必要がある。
ギルドとしては、報酬の持ち出しがギルドやギルムである以上、当然のように解体はなるべく早く済ませたい。
だからといって、まさか夜中にギルムの外にギガント・タートルを置いておくような真似をする訳にもいかなかった。
そのような真似をすれば、それこそギルムを襲っているコボルトだけではなく、それ以外のモンスターも引き寄せることになるのだから。
特にギルムの外で解体する以上、その血の臭いに惹かれてやってくるモンスターも確実におり、特に冬の今はそのようなモンスターを倒す為の人員を雇うにも相応の金が掛かる。
ましてや、ここは辺境で今は冬なのだから、血の臭いに惹かれて姿を現すモンスターは当然高ランクモンスターも混ざっており、そのような相手を倒すとなると、護衛の冒険者も相応の力が必要になるのは明らかだった。
「あー……うん。分かった。なら、午前六時にギルドに来ればいいんだな?」
「はい。その……多分、かなり混んでるでしょうけど……」
「レイ君って、そのくらいの時間にギルドに来た時あったっけ? もし初めてなら、きっと驚くよ?」
レノラの言葉にケニーが追加するように告げ、含み笑いをする。
「出来れば遠慮したいところだけど……ギガント・タートルの解体をいつまでも伸ばす訳にはいかないしな」
本来であれば、レイがアネシスに行くような真似をしていなければ、とっくにギガント・タートルの解体が行われていたのは間違いない。
それが出来なかった以上、レイとしては色々と手間を取らせたギルドの要望を却下するといったことは出来なかった。
……どうしてもレイが嫌だと言えば、ギルド側でも解体を始める時間を延ばしてくれたりといった真似はしてくれただろうが。
その後、レノラと細々とした打ち合わせを終えたレイは、他の冒険者達の邪魔にならないようにギルドから出ようとし……
「ねぇ、レイ君! 今日のお昼、一緒に食べない? 痛ぁっ!」
ケニーがレイを昼食に誘おうとするが、すぐにレノラによって鎮圧される。
ケニーの頭部に振り下ろした、丸めた書類を手に、レノラは呆れたように口を開く。
「あのね、ここ数日で忙しいのは分かってるでしょ? それこそ、昼になったらはい休憩って訳にはいかないのよ。……ケニーは、そんな中で一人だけ抜け出すつもり?」
据わった視線をレノラに向けられたケニーは、何かを言い返そうとするも、その迫力に何も言えなくなる。
そんなケニーの様子に満足したのか、レノラはケニーに向けていた視線から一転して笑顔を浮かべてレイに話し掛ける。
「申し訳ありません、レイさん。ケニーのことは気にしないで結構です」
「……そうした方がよさそうだな」
助けてといった視線をレイに向けるケニーだったが、このまま自分がここに残れば、レノラの怒りが自分にも向けられそうな気がし、その場を立ち去る。
背後のレノラがケニーに向けてする、説教を聞きながら。