1890話
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レイがブルーイットやラニグス、テレスと共にアネシスと歩き回ってから数日……その日の朝、アネシスの門の一つの前には、大勢の人が集まっていた。
冬である以上、本来ならそこを通る者の数はそこまで多くはない。
だが、それでも……今日に限っては、数十人以上の者達が集まっていた。
当然だろう。そこにいるのは、アネシスの領主たるリベルテに、その妻のアルカディアがおり、その護衛としてケレベル公爵騎士団の団長たるフィルマや、その部下の騎士達……そして、他にこれからアネシスを出る人物と関わった貴族やその護衛といった者達が集まっているのだから。
「レイ、今度俺の領地にも遊びに来いよ。結構面白い場所だし、お前も気に入ると思うぜ」
「あー……そうだな。暫くはギルムの増築工事とかの方に集中する必要があるから、ちょっと難しいだろうけど……余裕が出来たら考えてみるよ」
レイは、自分の領地に遊びに来いと言ったブルーイットにそう返す。
「何だよ、なら俺がギルムに遊びに行った方がいいのか?」
「そうだな。それも面白いと思う。今は……いや、正確には春になれば、また大勢が増築工事をする為にギルムに集まってくるだろうし、かなり賑やかで面白いと思うぞ」
「へぇ。……まぁ、俺の実力だと辺境にあるギルムまで行くには、護衛を雇う必要があるだろうけどな」
街中の喧嘩であればそれなりに自信のあるブルーイットだったが、高ランクモンスターが平然と姿を現すのも珍しくはない辺境のギルムには、一人で行けるという自信は全くなかった。
いや、前はもしかしたらそのくらいの自信はあったのかもしれないが、レイとの模擬戦で完膚なきまでに倒されてしまったこともあり、自分の実力を過信しないようになった、と言うべきか。
ともあれ、そう告げるブルーイットの言葉にラニグスが口を挟む。
「へぇ、ギルムか。ちょっと面白そうだな。現在増築工事中のおかげで、モンスターとかも出にくくなってるんだろ?」
「まぁ、街道周辺でなら、だけどな」
ギルムで行われている増築工事の資材は、それこそ幾らあっても足りない程だ。
トレントの森から採れる木材を有効活用してはいるが、辺境にあるギルムを増築するのには、当然のように木材以外にも大量に資材が必要となる。
その資材を運ぶ為には、大量の馬車が必要となり、街道に出てくるようなモンスターの多くはその護衛によって片付けられている。
辺境だけに、馬車の護衛でなら普通は倒せないようなモンスターが出てくることもあるのだが、そこは建築ラッシュということで大量の冒険者が雇われているし、ギルム側からも街道の安全を守る為に討伐依頼が出されることもある。
それを考えれば、少なくても増築工事が行われる前に比べれば、ギルムに行きやすくなっているのは間違いのない事実だった。
「そうなのか? なら、ちょっと本気で行ってみるかな」
「まぁ、来るのなら止めはしないけど、今のギルムは色々と柄の悪い奴も多いから……いや、ブルーイットにはその辺の心配はいらないか。もっとも、中には高ランク冒険者だが性格の悪い奴もいるから、その辺は注意が必要だろうけど」
レイの言葉に、ブルーイットは一瞬動きを止める。
このアネシスでは、絡んでくる相手に対して喧嘩したりといったことをしているブルーイットだったが、ギルムでそのような真似をした場合。下手をするとその相手が高ランク冒険者であるという可能性もあるのだ。
それでも、ブルーイットの性格からして誰かが絡まれている光景を見れば、それを止めるといった真似をしないとは限らないのだろうが。
「あー……取りあえず留意はしておく。で、ラニグスはどうするんだ? ギルムに行くのか?」
「俺は……あー、どうだろうな。今の話を聞くと……ちょっと行く気がなくなったな。街中を普通に高ランク冒険者が歩いていて、その高ランク冒険者の性格も悪いとか、どんなところだよ」
「いや、別に高ランク冒険者全員の性格が悪い訳じゃないんだが。ほら、俺だって高ランク冒険者だし」
そう告げたレイの顔を、ラニグスとブルーイットの二人はじっと見つめ……やがて、お互いに顔を合わせて頷き、口を開く。
「やっぱり高ランク冒険者の中にまともな性格の奴はいないんだな」
「そうだな」
「おい!」
あまりと言えばあまりの評価に、レイは思わずといった様子で叫ぶ。
「いや、だって……なぁ?」
「ああ」
不思議な程に分かり合った様子を見せる二人に対し、レイは不満そうな表情を浮かべて視線を逸らす。
すると、少し離れた場所で何故かついてきたケレベル公爵邸のメイド達に撫でられ、嬉しそうに喉を鳴らしているセトの姿が目に入る。
セトはレイの視線を感じたのか、どうしたの? と小首を傾げる。
それに何でもないと首を横に振り、次に最も人が多く集まっている場所に……エレーナのいる場所に視線を向けた。
そこでは、リベルテやアルカディアの他にも、テレスを始めとした何人かの貴族の姿があった。
そして当然のように、アーラの姿もそこにはある。
今日旅立つのは、レイ、エレーナ、アーラの三人。
それと人ではないが、セトとイエロの二匹。
そんな中で、やはり一番人が集まるのは……当然のように、エレーナだった。
「どうしたんだ?」
エレーナを眺めていたレイに、ブルーイットが不思議そうに尋ねる。
先程までのふざけた雰囲気が微かに残ってはいるが、それでもレイの様子を疑問に思ったのだろう。
「いや、エレーナの方に人が大勢いると思ってな」
「それはそうだろ。向こうは、言ってみれば貴族派の象徴のような存在だしな。どうしたってレイより人気はあるだろ。……何だ、寂しいのか?」
「そういう訳じゃないんだけどな。ただ、こうして見ているだけでも、エレーナがアネシスの住人に……そして貴族派の人にどれだけ好かれているのかが分かったってだけで」
そう言いながらも、レイは改めてエレーナの方を見る。
エレーナの両親のリベルテとアルカディア。
それ以外にも、エレーナを……姫将軍を慕っている大勢の貴族派の者達。
そのような者達にとって、エレーナの側にいる自分という存在はどう思っているのだろうかと。
リベルテとアルカディアの二人は、レイに対してエレーナとの付き合いを半ば黙認という形で認めてくれた。
だが、その心の中でどう思っているのかは、レイにも分からない。
そう思えば、何だか微妙な思いが湧き上がってくるのも、必然なのだろう。
「まぁ、そうだな。国王派の俺から見ても、エレーナという存在は大きい。それこそ、ミレアーナ王国という全体で考えた場合、その存在は貴族派だけではなく国として重要な存在と言ってもいい」
ラニグスのその言葉は、ふざけているといった様子はなく、真剣なものだ。
そうして、次の瞬間……ラニグスはレイに視線を向け、告げる。
「だが、重要な人物という点で考えれば、それはレイ。お前も同じだ。いや、派手に動いている分、今では姫将軍よりも深紅の方が最近は有名になってきているしな」
「そうか? いやまぁ、派手に動いてるのかどうかと言われれば、決してそうではないとは言えないんだが。ただ、どちらかと言えば自発的に俺が動いてって感じじゃなくて、騒動に巻き込まれているって方が正しいんだけどな」
傍から見れば、レイが好き勝手に暴れているように見えるのかもしれないが、レイの感想としては自分から騒動を起こしているのではなく、巻き込まれているというものだ。
もっとも、ガイスカが黒狼を雇った時のように、レイが原因で騒動が起きるといったことも皆無という訳ではないのだが。
「……自分がどう思っていようと、他人が見てそう思えばそれを止めることは出来ないだろうな」
「ぬぅ」
そう言われれば、レイとしても言い返すことは出来ない。
実際、他人の噂にいちいち訂正するような真似は不可能なのだから。
吟遊詩人の歌といったものであれば、それを訂正するような真似も出来ない訳ではないだろうが、吟遊詩人にしても自分の歌で稼がなければ生活出来ない以上、聞いた噂や自分で調べた話に多少なりとも尾びれを付けるのは、おかしな話ではない。
もっとも、その吟遊詩人から聞いた者達が友人や知り合いといった連中に話す際には、尾びれどころか、胸びれや背びれといったものが次々についていくのだろうが。
「ま、諦めろ。その辺も普段の行いがものを言うんだろ」
ブルーイットが笑みを浮かべつつ、そう告げた。
実際、普段の行いからレイの行動が派手に取り上げられることが多いのは理解している為、レイもそれ以上は何も言えない。
吟遊詩人にしてみれば、派手に動くレイというのは飯の種として非常に貴重な存在なのは間違いなかった。
とはいえ、レイ本人は吟遊詩人と会ったことは殆どないのだが。
そんな話をしていると、エレーナとの話を終えたのか、リベルテとアルカディアの二人がレイの方に近づいてくる。
ケレベル公爵夫妻が移動するとなれば、当然のように周囲にいる他の貴族もそれと一緒に移動する者が多い。
その様子に、ラニグスとブルーイットの二人は場所を空ける。
……ただし、レイとエレーナの関係を知ってるからか、最後にからかうような視線を向けるのを止めるようなことはなかったが。
「レイがアネシスにいたのは、短い間だった。だが、その短い間で数年分くらいの騒動が起きたような気がするよ」
「それは、否定出来ませんね」
笑みを浮かべて告げてくるリベルテに、レイも笑みを浮かべてそう返す。
実際、レイがアネシスに来てから起きた大きな出来事……貴族の多くが参加した模擬戦や、黒狼との戦い、セレスタンが封印を解こうとしていたモンスターと思しき肉の繭の存在。
おまけに肉の繭を倒すと空間に異常が起きて、セレスタンの家のあった場所が、まるでスプーンでくり抜いたかのような光景を残して消滅してしまったのだ。
その上、セレスタンが消えたことにより、良くも悪くも今までセレスタンのおかげで落ち着いていたアネシスの裏社会も慌ただしくなっている。
セレスタンの後釜を狙って組織内部での抗争も激しくなっている。
……それらのことを思えば、レイもリベルテの言葉を否定することは出来なかった。
おまけに、それらはあくまでも現在のレイが把握していることだけだ。
実際にはレイが把握していないような何らかの問題……いや、それどころかリベルテですら予想していなかったような問題が起きるという可能性は十分にある。
「とはいえ、黒狼の件はいつかこちらで処理する必要があったことだ。それをやって貰ったんだから、レイには文句を言うつもりはない」
「……そうですか」
レイにとって今回の騒動で最大の心残りは、やはり黒狼の一件だろう。
リベルテに返す言葉にも、どこか苦い色がある。
なお、黒狼を殺したという話はエレーナを通してリベルテにされているが、その死体はまだレイのミスティリングの中に入っている。
レイも、自分と同じく日本からやって来たと思われる黒狼の死体を、リベルテに渡そうとは思わなかったのだ。
ギルムに帰るまでの途中で、山かどこかに燃やして灰になった死体を埋めるつもりでいる。
そんなレイとリベルテの会話に、横からアルカディアが割り込む。
「あの子のこと、お願いね」
「はい」
「……一人で何でも出来るように思えるけど、私生活だと意外と抜けているところもあるのよ。そういうところが、可愛いんだけど」
「ちょっ、母上!」
レイ達から少し離れた場所で他の貴族の相手をしていたエレーナだったが、アルカディアの声が聞こえたのだろう。慌てたように叫ぶ。
エレーナにしてみれば、アルカディアの口から恥ずかしい秘密――あくまでもエレーナの主観でだが――がレイに話されるというのは、絶対に我慢出来ないことだった。
話していた貴族をその場に残し、走ってアルカディアの側まで移動する。
そんなエレーナの様子を、アルカディアは笑みを浮かべて眺めていた。
「ふふっ、母親離れが出来ない子ね」
「違います! 全く、レイに何を言おうとしてるんですか」
「あー……俺としては、ちょっと聞いてみたい気がしないでもなかったけど……いや、何でもない。うん」
最後まで話すようなことが出来なかったのは、エレーナに向けられた視線がそれだけ強烈なものだったからだろう。
「何か言ったか?」
「いや、何でもない。ほら、そろそろアネシスを出発した方がいいかと思ってな」
誤魔化すようにそう告げたレイだったが、実際にこの場で見送りが始まってから既に三十分以上経っている。
このままいつまでも見送りを受けている訳にもいかないのは事実な以上、出発した方がいいのは事実だった。
「ふむ、そうだな。では、そうするか」
エレーナの言葉で出発が決まり……最後に、レイはリベルテの護衛としてついてきたフィルマに視線を向ける。
「次に会った時は、また手合わせを楽しみにしている」
「私も、鍛錬を続け、腕を磨いておこう」
短く言葉を交わし……レイ達はギルムに向かって出発するのだった。