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レジェンド  作者: 神無月 紅
ケレベル公爵領

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1889/3908

1889話

「では、エレーナ様は数日中にでも、ギルムに行くと?」


 五十代程の男が、そうエレーナに向けて尋ねる。

 その目にあるのは、エレーナに対する信頼……ではなく、強い不満の色だ。

 もっとも、隠すにしろ隠さないにしろ、そのような不満を持っている男が多いというのは、エレーナも当然のように理解している。

 目の前の男のような存在にとって、エレーナが……貴族派の象徴とも呼ぶべき姫将軍の異名を持つエレーナが、わざわざ中立派の本拠地に行くというのが気にくわないのだろう。

 この手の者達は、現在の貴族派と中立派の友好関係を面白く思っておらず、中立派を従え……最終的には吸収してしまった方が良いと、そう思っている。

 いや、そう思っているのではなく、このような者達にとって、それは既に決定事項なのだ。

 だからこそ、エレーナがわざわざ中立派を率いるダスカーが領主をしているギルムに行くのが、面白くないのだ。

 目の前の貴族の考えを理解しながらも、エレーナはそれを気にした様子もなく口を開く。


「うむ。現在増築中のギルムだが、そこに貴族派の貴族が妨害工作を仕掛けるなどといったような馬鹿な真似をしたからな」

「ですが、それでも……わざわざエレーナ様が行かなくても、他の者を派遣すれば良いのでは?」

「いや。父上が手を出すなと命じたというのに、それでも手を出したのだ。そうである以上、中途半端な人材を送っても意味はない。私が行くことが重要なのだ」


 目の前の男に期待を持たせるようなことを言えば、それがエレーナの知らない間に事実として広められかねない。

 そうしたことを平然とする男だと分かっている為に、エレーナはきっぱりとそう告げる。

 そんなエレーナの言葉に、男は色々と言いたそうな様子だったが、結局はそれ以上何を言っても無意味だと判断したのか、そのまま挨拶をして部屋を出ていく。


「ふぅ」


 男が出て行った扉を見て、エレーナの口から安堵の息が漏れる。

 そんなエレーナの前に、そっと紅茶が置かれた。


「お疲れ様でした、エレーナ様。取りあえず今日面会を希望してきた方は、今ので最後です」


 笑みを浮かべて告げるアーラの言葉に、エレーナは微かに笑みを浮かべつつ紅茶に手を伸ばす。

 口の中に広がる豊かな香り。

 エレーナも紅茶を淹れられるようにはなったが、それでもアーラの腕には遠く及ばない。

 紅茶を飲むことで、自分の中にあった苛立ちが消えていくのが分かる。


「ふぅ」


 再びエレーナの口から息が漏れるが、それは先程とは全く違う種類の息だ。

 そんなエレーナの様子を見ていたアーラが、小さく笑みを浮かべる。


「む? どうした? 何かおかしいことでもあったのか?」

「いえ、何でもありません。ところで、その紅茶に良く合う干した果実があるのですが、出しますか?」

「何だか、誤魔化されているような気もするが……まぁ、いい。アーラの言葉に騙されておくとしよう」


 不満そうな口調だったが、エレーナの顔に浮かんでいるのは笑みだ。

 そんなエレーナの前に、アーラは紫色の干した果実の入った皿を置く。

 干されて大分小さくなっているのだが、それでも一口では食べるのが無理なくらいの大きさはある。

 その干した果実を、パンでも千切るかのように容易く千切って口の中に入れる。

 すると次の瞬間、太陽によって濃縮された強烈な甘みが口の中に広がり、少しの間それを楽しんだ後、エレーナは再び紅茶を飲む。

 不思議な程に、口の中にあった甘みが紅茶で洗い流され……また果実に手を伸ばす。

 何度かその行為を繰り返し、不意にその視線は窓に向けられる。

 既に窓の外では完全に日が落ちて暗くなっているのが分かる。


(出来れば、私もレイと一緒に出掛けたかったのだが……いや、無理だとは分かっていたのだがな)


 そろそろギルムに戻るという頃に起きた今回の一件は、当然の話だったがエレーナが色々と動く必要が出てきた。

 だからこそ、こうしてエレーナはレイとは別に、貴族と会ったり、アネシスの有力者に会ったりとしていたのだ。

 それでも、やはりエレーナとしては出来ればレイと一緒の時間をすごしたいと思うのは、当然のことだった。


「残念でしたね。エレーナ様」

「……何がだ?」


 だからこそ、エレーナは自分の心を読んだかのようにアーラが言葉を掛けると、一瞬沈黙してしまう。

 そんなエレーナの様子に、アーラは分かってますよと言わんばかりに笑みを浮かべる。

 何となく照れくさくなったエレーナは、それを誤魔化すように残っていた紅茶を口に運ぶ。


「それにしても、もう数日したらまたギルムに行くと考えると、少し寂しい気もしますね」

「そうだな。だが、それでも私はギルムに行くだろう。アーラはどうする? 無理に私についてこなくてもいいのだぞ? 残りたければ……」

「ギルムに行きます」


 アネシスに残ってもいい。

 そう言おうとしたエレーナに、最後まで言わせずにアーラはそう言い切る。

 アーラにとって、アネシスは第二の故郷と呼んでもいい場所だ。

 だが、それでも……エレーナのいるギルムとアネシスであれば、前者を選ぶのは当然だった。


「そうか」


 エレーナもそんなアーラの気持ちは理解出来るのか、無理にアネシスに残れとは言わない。

 アーラはエレーナの護衛騎士団を率いる者として、アネシスに残るべきだという意見もあるのだが……エレーナの護衛という点を考えると、アーラはエレーナと共にいた方がいいという意見の方が強い。

 もっとも、アーラが書類仕事に強いということであれば、もしかしたら別の意見もあったのかもしれないが。


「ともあれ、だ。今日一日で大体の人物とはあったな。残っているのは、そこまで重要な人物ではないか」

「そうですね。……本当にお疲れ様でした」


 労るようにアーラが言い、その言葉にエレーナは笑みで応える。

 そうしてゆっくりとした時間を楽しんでいると、やがて扉をノックする音が部屋に響く。


「誰だ?」

「失礼します、お嬢様。レイ様がお戻りになりましたが、どうしましょう」

「そうか、戻ってきたか。……騒動は起きなかっただろうな?」


 騒動を引きつける……否、惹きつける天運のようなものを持つレイだけに、街中に行けば何らかの騒動を起こしたのではないかと考えたエレーナだったが、今日は特に何も問題を起こしてはいない。

 もっとも、それはレイが注意深く行動したから……といった理由ではなく、単純にラニグスとテレスという二人の貴族が一緒に行動した為に、その護衛として騎士が何人もいたというのが最大の理由なのだが。

 だが、レイが一人でアネシスを見て回っていると思っていたエレーナは、そのことを知らない。

 だからこそ、レイが何か問題でも起こさなかったのかと心配をしたのだが……レイが帰ってきたという報告をしに来たメイドは、笑みを浮かべて頷く。


「はい、特に何も問題が起きたとは聞いていませんので、安心して下さい」


 そんなメイドの言葉に頷くエレーナだったが、レイから直接話を聞くまでは、その言葉を心の底から信じる訳にはいかない。

 レイの実力があれば、それこそ何らかのトラブルに巻き込まれても、それと表に出さないで片付ける……といったことは難しくないのだから。


「食事の時にでも、それとなく聞いてみるか」

「そうですね。レイ様もエレーナ様に今日の出来事をお話しするのを楽しみにしているかと」


 エレーナの台詞を若干誤解したメイドだったが、それを特に訂正するようなこともなく、エレーナはメイドに戻ってもいいと告げる。

 実際、レイの話を聞くのを楽しみにしていたのは間違いないから、そのような態度を取ったのだろう。

 メイドは一礼すると、部屋を出る。


「さて、取りあえずレイが戻ってきたのなら、何か問題を起こさなかったか聞いておいた方がいいだろうな。全く」


 本人としては面倒だといった様子で呟いたつもりだったらしいが、そんなエレーナを見ていたアーラは、口元に笑みを浮かべる。

 傍からみれば、エレーナがレイと話をするのを楽しみにしているというのは、明らかだった為だ。

 エレーナもそんなアーラの態度には気が付いたが、今の状況で何を言っても、恐らくは自分にとって不都合なことになるだろうと思い、それを突っ込むようなことはしない。

 残っていた紅茶を飲み終えると、そのまま席を立つ。


「アーラ、私はレイに会いに行く……」

「私はまだ少し書類整理をする必要があるので、先に行っていて下さい。もし書類整理が終わって時間がまだあるようなら、そちらに顔を出しますので」

「そうか? 書類整理は別に今やる必要もないと思うのだが……」

「やれる時にやっておきたいんです。もう数日したら、私もギルムに行く訳ですし」


 そう言われれば、エレーナもそれ以上は何も言えなくなる。

 実際、ギルムに長期間滞在するのだから、その前に処理出来る仕事は処理しておく必要があるのは、明らかだったからだ。

 アーラの場合は騎士団長ではあっても、前線で戦うタイプの騎士団長で、書類仕事の大半は下の者に任せている。

 だが、任せているからといって全く仕事がない訳ではない。

 アーラがいない時であれば下の者がその書類の決済をしてくれるのだが、アーラがいるのであれば、アーラがそれを行わなければならないのは当然だった。


「分かった。では、程々にな」


 そう言い、エレーナとアーラは部屋を出て、エレーナはレイの部屋に、アーラは書類が待っている部屋にそれぞれ向かう。


(エレーナ様が喜んでいるのが、私にとっては一番嬉しいわね)


 エレーナの笑みを思い出しながら、アーラは廊下を進んでいると……やがて、何人かの貴族が廊下の隅で話しているのが目に入る。

 その貴族の中には、先程エレーナに対してギルムに行くのが不満だと示した貴族の男の姿もあり、アーラの穏やかだった気分が急速に収まっていくのを感じた。

 当然だが、アーラもそれを表情に出したりはしない。

 そのまま廊下を歩き、貴族達を気にしないようにして進もうとし……だが、貴族達の方がそれを許さない。


「アーラ殿、少しよろしいですかな?」


 そう言ったのは、先程エレーナと会った貴族だ。

 よろしいですかと尋ねつつも、アーラが絶対に自分の言うことを聞かないとは思っていない様子で近づいてくる。

 アーラも、話し掛けられた以上は無視する訳にもいかず、近づいてくる貴族達を待ち受ける。


「騎士団長としての仕事が残っているので、あまり時間はありませんが、少しだけなら」

「そうですか。それは良かった。では、単刀直入に言いますが、エレーナ様をギルムに向かわせるのを止めていただきたい」

「私はエレーナ様の護衛騎士団を率いてる身ではありますが、エレーナ様の行動を指示する権限は持ちません」

「ですが、アーラ殿はエレーナ様の幼馴染みなのでしょう? なら、部下ではなく、友人としてエレーナ様の浅慮をお諫めするべきでは?」


 その貴族の言葉に、他の者達も同意するように頷く。


「エレーナ様……いや、姫将軍は貴族派の象徴的な存在。そのような存在が、わざわざ格下の中立派を率いている者の所に行くのは、貴族派として面子が立ちませんな」

「そうそう。どうせなら、中立派から人質でも差し出してくれば、多少は可愛げがあるものを」

「ほっほっほ。あのダスカーなどという男に、そのようなことを期待しても無駄ですよ。貴族のなんたるかすら分かっていないような男なのですから」


 そんな風に好き勝手に告げる言葉に、アーラは不愉快な思いを抱くが……それを表情には出さず、口を開く。


「残念ながら、エレーナ様は自分で決めたことを決して覆すような真似はしません。それこそ、どうしてもそうしたいと言うのであれば、直接話した方がいいかと。少なくても、私に言うよりは可能性がありますし」

「おや、アーラ殿はエレーナ様の親友にして懐刀なのだろう? であれば、私達が何かを言うよりも、アーラ殿が言った方が効果的だと思いますが?」

「申し訳ありませんが、そのつもりはありません。では、私は仕事がありますので、これで失礼させて貰います」

「……ふん。結局エレーナ様も女ということか。全体を見るといったことが出来ないのだな」


 立ち去ろうとしたアーラだったが、貴族の男の一人がそう言ったのを聞くと、足を止め……その貴族に視線を向ける。

 その視線は、何を言っている訳でもないが、明らかに力があった。

 それも、物理的な力と言ってもいいような、強烈な力。


『……』


 そんなアーラの視線に、貴族達は何も言えなくなる。

 もし何かを言えば、殺されてしまうのではないか。

 そのような恐怖すら覚えてしまうのだ。

 この辺り、実際に戦いに出たことがないことが大きな影響を与えたのは間違いないだろう。

 視線を向け、貴族達が何も言わないのを確認し、アーラはその場から立ち去るのだった。

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