1873話
エレーナ達がその家の前に辿り着いた時に見たのは、何人もが地面に倒れている光景だった。
当然なのだが、倒れているのは兵士や騎士よりも圧倒的に組織の人間と思われる者の方が多い。
普段から真面目に戦闘訓練をしている兵士や騎士と、裏社会の人間で荒っぽいことに慣れてはいても、毎日のように訓練をしている訳でもない者達。
その両者がぶつかれば、このような結果になるのは当然のことだった。
「妙だな」
目の前の光景を見て、エレーナが小さく呟く。
レイやアーラといった者達も、エレーナが何を言いたいのかに気がつき、頷きを返す。
「そうだな。これだけ一方的な戦いなのに……何故か、まだあの家が落ちてない」
そう、レイが呟く。
実際、その言葉は決して間違いという訳ではない。
端から見る限り、セイソール侯爵家の戦力が圧倒しているのは間違いない。
そもそも、セイソール侯爵家は貴族派の中でも大きな勢力を持ってるだけに、有する戦力もケレベル公爵家に及ばずとも、貴族派の貴族の中では多い方だ。
今回アネシスに来るということで、その戦力全てを連れて来ている訳ではない。
だが、それだけに護衛として一緒に来た兵士や騎士は、精鋭と呼ぶべき者が多い。
全ての兵士がそうだという訳ではないのは、それこそ先程エレーナ達をこの先に行かせまいとした兵士を見れば明らかだったが。
「誰だ!」
そんなレイ達の存在に気がついたのだろう。先程の兵士達と同様に鋭い声が響く。
その声を発したのは、三十代半ば程に見える騎士だ。
月明かりと周囲に焚かれている篝火のおかげで、夜目の利くレイやエレーナでなくても、その顔を確認することは出来た。
恐らくここを攻めているセイソール侯爵家の戦力の中でも、かなりの地位にいる者なのだろう。
それだけに、当然のようにエレーナやセトといった目立つ者達を目にすると、すぐにそれが誰なのかを理解する。……レイは、セトがいたから分かったのだろうが。
「エレーナ様に……深紅殿? 失礼しました。ですが、何故このような場所に? それも随分と大勢を連れて」
「私の目的も、その家だ」
そう言われ、騎士の男は顔を引き攣らせる。
薄々そうではないかと思っていたのだ。
でなければ、エレーナやレイといった有名な人物がこうしてここにいる理由にならない。
いや、ならない訳ではないが、それでも一番可能性が高い理由というのが、それだったのだ。
「ですが、見ての通り既にこの家にいる者の多くは私達で排除済みです」
「……その割には、家の方を攻略は出来ていないようだが?」
「ぐっ」
痛いところを突かれたのか、騎士は言葉に詰まる。
実際、エレーナの言葉は間違っていないのだ。
この家を守る為に周囲にいた者達は、セイソール侯爵家の戦力に多少の犠牲は出たものの、ほぼ完勝と評してもいい状況だった。
だが……問題はそこからだ。
家の中に入った……いや、敷地の中に入った瞬間に様々な罠が発動したのだ。
兵士や騎士といった者達は、あくまでも正面からの戦いの為の存在であって、盗賊のように罠を解除したりといった真似は出来ない。
いや、兵士や騎士になる前に冒険者をやっていた者であれば、そのような技能を持った者もいたかもしれないが……生憎と、そのような者はいなかった。
結果として、罠を解除することも出来ずに次々とその罠に引っ掛かることになる。
また、一度引っ掛かった罠であっても、それで終わりという訳ではない。
どのような手段を使っているのかは分からないが、一度引っ掛かった罠は次の瞬間には復活してるのだ。
それも同じ罠ではなく、全く別の罠になったり、かと思えば同じ罠のままということもある。
結果として、家の中に入ろうとするだけで兵士の多くが傷を負う。
厄介なのは、その傷は重症ではあっても致命傷ではないということか。
おかげで死人こそ出ていないものの、重傷を負った者を後方に運んだり治療したりといったことで、そちらに人手が多く取られることになる。
結果として、戦力不足になってしまっており、こうして家を攻めあぐねているというのが、正直なところだった。
中には何人か運良く家まで辿り着いた者もいたが、扉を開けて中に入った瞬間に罠によって大きな怪我をして、そのまま死ぬか、もしくは何とか仲間の下に辿り着き、怪我の治療をして貰うか。
結果として、現在の状況はセイソール侯爵家の戦力が圧倒的に苦戦しているということに他ならないのだ。
「そうであれば、私達が出ても構わぬと思うが? そもそも、本来であれば私達は父上の……ケレベル公爵からの指示を受けて動いているのだ。そうである以上、このアネシスで私達の行動を妨げるような真似をするのは、セイソール侯爵家の為にはならないだろう」
断言するエレーナに、騎士の男は言葉に詰まる。
エレーナの言葉は、実際に間違ってはいなかった為だ。
もしここで強引に……それこそ力でエレーナの行動を阻止しようとすれば、それは間違いなくセイソール侯爵家にとって大きな不利益となる。
この場を任されている……それも全てを任されている訳ではなく、指揮官の一人でしかない騎士の男に、その辺りの判断をしろという方が無理だった。
いや、無理に判断をしようとすれば出来るかもしれないが、そのような真似をして、後でその責任を取らせられるのは絶対に困る。
エレーナに対して何も言えない騎士をそのままに、エレーナはケレベル公爵家の戦力に向かって口を開く。
「これから、私とレイ、アーラの三人があの家に突入する。他の者は、あの家から誰かが脱出した時にそれを逃がさないように家を包囲しておくように。それと……」
そこまで言ったエレーナは、何も言えなくなってしまった騎士を一瞥してから、言葉を続ける。
「それと、セイソール侯爵家の者で怪我をしている者も多い。その者達には出来るだけ手当てをするように」
「いいのですか?」
エレーナの言葉に、アーラが短くそう尋ねる。
アーラにしてみれば、今回の一件はセイソール侯爵家の暴走に等しい。
にも関わらず、こうして手助けをしてもいいのかと。そのように思うのは当然だった。
だが、エレーナはそんなアーラの言葉に問題はないと返す。
「今回の一件はともかく、セイソール侯爵家の戦力が下手に減るというのはよくはない。そうである以上、治療をした方がいい。……その方が、恩も売れるからな」
そう言われれば、アーラにもそれを拒否するようなことはない。
すぐにエレーナに代わって、次々に指示を出していく。
(へぇ)
そんなアーラの様子を見たレイは、少しだけ驚く。
レイが知っているアーラというのは、それこそエレーナを好きでたまらないといった者だった。
だが、今の次々に指示を出している様子を見ると、エレーナの護衛騎士団を率いているだけはあるのだな、と。そう思う。
しかし、レイもまたそんなアーラの様子を見ているだけではなく、セトに言い聞かせておく必要があった。
「セト、お前も上空から地上を見て、この家から逃げ出すような相手がいた場合は、そいつを捕らえてくれ。……出来るか?」
「グルゥ!」
任せて! と喉を鳴らすセト。
元々夜目の利くセトだが、現在は月明かり以外にも地上にはセイソール侯爵家の兵士達が焚いた篝火がある。
それがある以上、いつも以上にしっかりと地上を見ることが出来るのだから、誰かが逃げようとしてもそれを逃がすといった真似をするつもりは、セトには全くなかった。
そうして、レイがセトに、アーラが兵士達に指示を出し終わると、それを見ていたエレーナが口を開く。
「さて、では行くとするか」
そう告げるエレーナの表情は、猛々しくも美しい。
まさに姫将軍の異名に相応しい光景だった。
それに続くレイも、エレーナ程の凜々しさはないが、放たれる迫力は他を圧倒している。
そんな二人に比べるとどうしても一段劣るアーラだったが、それは比べる対象が悪い。
三人が家の敷地内に進んでいくのを、セイソール侯爵家の騎士は止めようにも止めることが出来ない。
本来の職務を果たす為には、どうしても止めなければならないのだが……止めようとしても、とてもではないが止められるとは思わなかったのだ。
また、もし止めようとすれば、周囲にいるケレベル公爵家の兵士達が、どのような行動をするのかも分かったものではない。
結局レイ達が家の敷地内に入るまで、騎士は動くことが出来なかった。
「っと! いきなりか」
自然と先頭になっていたレイが、地面を踏んだ瞬間にどこからともなく飛んできた矢を、ミスティリングから取り出したデスサイズで斬り落とす。
なお、レイが先頭になったのは、レイが自分が男だから……というのもあるが、純粋にドラゴンローブを着ているレイは高い防御力を持っているからというのも大きい。
デスサイズや黄昏の槍を使い、今のように飛んできた矢を防御出来るというのも大きいが。
もっとも、後者だけなら連接剣のミラージュを持っているエレーナにも出来るのだが、エレーナの場合は何かあった時にレイやアーラに指示を出す必要がある。
そういう意味では、エレーナが真ん中に、何かあった時の為にアーラが最後尾になるというのは、決して間違っている隊列ではなかった。
「レイ、大丈夫だとは思うが、一応気をつけろ」
「分かってる。この程度の矢なら……なっ!?」
矢なら問題はない。
そう言おうとしたレイだったが、一歩進んだ瞬間にトラバサミのように、地面がレイを挟み込もうとして動き出す。
まさか矢の罠から一歩進んだところで、いきなりこのような罠があるとは思っていなかったレイだったが……デスサイズを振るうことで、大地のトラバサミ――いつの間にか、鋭い刃すらついていた――を切断する。
「……驚いたな」
それは、レイにとっても正直な思いからの言葉だった。
今の罠は、間違いなく発動するまでレイにその存在を気がつかせなかった。
レイも盗賊と比べれば劣るが、それでも罠の有無を見抜く目には、ある程度自信があった。
だが、それでも今の罠は全く気がつくことが出来なかったのだが。
もっとも、一度発動した罠がすぐに復活し、その上で別の罠になる……などといった真似をするのを考えれば、この罠が普通の罠ではないのは明らかだろう。
(強引に突破するか? いや、それだと罠が次々に連鎖してくる可能性もある。そうなると……)
デスサイズを手にしたレイは、後ろにいるエレーナに声を掛ける。
「エレーナ、このままだと罠が大量にありすぎて面倒だ。いっそ大地諸共に魔法で燃やしてしまう……ってのはどうだ? そうすれば、向こうがどんな手段を使ってるのかは分からないが、ある程度纏めて罠を消滅させられると思うけど」
「ふむ……だが、セイソール侯爵家の者達に被害は出ないか?」
「その辺は上手く調整する」
レイの言葉に、エレーナは少し考え……今の一連の罠についての行動について思い出しながら、レイの言葉に頷きを返す。
「では、そのようにして欲しい。ただ、今も言ったが、くれぐれもセイソール侯爵家の者には被害を出さぬようにな」
「ああ」
頷き、レイはデスサイズに魔力を込めつつ、呪文の詠唱を始める。
『炎よ、汝は我が指定した領域のみに存在するものであり、その他の領域では存在すること叶わず。その短き生の代償として領域内で我が魔力を糧とし、一瞬に汝の生命を昇華せよ』
呪文の詠唱が進むと同時に、レイたちと目的の家を繋ぐように赤い線が引かれていく。
そして赤い線が透明なドーム状になり……赤いトカゲの形をした火精が何匹、何十匹、何百匹と姿を現す。
『火精乱舞』
呪文が完成し、魔法が発動する。
トカゲの形をした火精が爆発し、その爆発に触発されて他の火精も爆発し……とドームの中で火精の爆発が連鎖されていく。
透明なドームそのものは、レイ達がいる場所から家までなので、そこまで大きくはない。
だからこそ、火精の爆発は大きいものではあったが、爆発そのものはやがてすぐに終わる。
爆発を終えると同時に、透明のドームが消え……そして残ったのは、爆発によって耕された地面のみ。
そこには、罠もなにも見つけることは出来ず、レイがデスサイズの石突きで地面を突いてみても、新たな罠が発動する様子はなかった。
「……さて、そんな訳で、取りあえずここはもう罠がなくなった。後は家の中だけど……どうする? 家もいっそここで燃やすか?」
「それもいいのだが、色々と調べることもあるから、それは止めてくれ」
エレーナがそう言いつつ、レイとアーラと共に地面を進み……やがて、そのまま特に何もなく、家の前に到着するのだった。