1865話
ガイスカが絶望を味わっている頃……当然ながら、レイと黒狼の戦いはまだ続いていた。
時間が経つに連れて激しくなっていく戦いは、それこそこの戦いを見た者が金を払ってもいいと思えるような、それ程に高度な戦い。
少し前にレイが行った模擬戦とは、それこそ比べものにならない程の戦いだった。
だが、その戦いを見ている者は、エレーナただ一人。
じっと自分の愛する男の戦いを見守っているエレーナは、既に酒の酔いは完全に醒めていた。
(あの、転移と思われる能力。あれが、とにかく厄介だな)
レイが振るうデスサイズや黄昏の槍の一撃は、それこそ当たれば黒狼の命を一撃で奪うことも可能な程の威力を持つ。
また、そこまでいかなくても、戦闘に支障をきたすくらいの傷を与えるのは確実だった。
にも関わらず、黒狼はそんなレイの一撃が繰り出されると即座に転移して回避する。
……それは、黒狼がレイの放つ一撃をとてもではないが受けることは出来ないと、そう判断しているからこその行動だったのだが、それだけに黒狼の判断は非常に的確だった。
本来なら、容易く自分の命を奪うだけの一撃を連続して冷静に回避し続けるなどという真似は、そう簡単には出来ない。
だが、凄腕の暗殺者の黒狼にしてみれば、その攻撃を回避し続けるのは難しい話ではなかった。
「ちっ、いい加減しつこいな!」
デスサイズの一撃を回避し、後ろに跳躍しながらレイとの距離をとった黒狼に対し、レイは苛立ちを露わにする。
幾つかのスキルを使用もしたが、黒狼はその全てを回避していた。
レイの持つスキルが具体的にどのような効果を持っているのか……それを知らない筈なのに、そのことごとくを回避してしまうのだ。
攻撃の威力そのものはそこまで強力ではないが、こと回避能力だけに限って言えば、レイがこれまで戦ってきた相手の中でも、間違いなく上位に入る。
もっとも、そこまで強力ではないとはいえ、黒狼の爪は短剣の如き鋭さを持っている。
黒狼の仕事である、暗殺という行為をするだけであれば、全く問題ない攻撃力なのだが。
今の黒狼は、それこそ両手の指が短剣になっているようなものであり、口からも鋭い牙が……黒狼という呼び名に相応しい牙が生えているのだから。
「……」
レイの言葉に苛立ちを感じたのか、レイとの間合いをとった黒狼は……次の瞬間、消える。
動作も何もなくその姿が消えたと思った次の瞬間には、黒狼の姿はレイの後ろにあり、その爪を振り下ろしていた。
だが、レイもこれまで何度となく目の前で消えられ、こうして攻撃されている。
幾ら回避するのが普通なら難しいだろう攻撃であっても、これだけ何度も経験すれば、それに対して慣れるというのは当然だった。
……普通であれば、致命傷となってもおかしくはない一撃ではあったが、レイはその一撃を回避しながらも身体を回転させてデスサイズを振るう。
その一撃は、それこそ人の命を容易く刈り取るには十分な程の、それだけの威力と鋭さを持った一撃。
当然のように、黒狼もそんな一撃を受ければ致命傷となる以上、素早く後ろに跳躍してレイと距離をとる。
これまで何度となく行ってきた一連の行動だったが、それだけにレイは疑問を抱く。
(何故、姿を現す場所が決まって俺の後ろなんだ?)
そんな疑問を。
当然ながら、相手の意表を突くという意味では背後に転移するのが有効なのは事実だ。
だが、それはあくまでも最初の一度、もしくはその後の数度くらいだろう。
にも関わらず、黒狼は決まってレイの背後に姿を現す。
自分とここまでやり合えるだけの実力を持っている黒狼が、そんなことを分からない筈がないという思いがレイの中にはあった。つまり……
(転移するには、相手の背後のみという制約がある? いや、けど今までにも何度か俺の前で消えるという光景を見たけど、別にそんな制約はあるように見えなかった)
戦闘ではないが、レイが黒狼と遭遇した時は、決まっていつの間にか消えるといったことをしていた。
その時は別にレイの背後に姿を現すといった消え方はしていなかったのだから、今の黒狼の行動はレイにとっても疑問以外のなにものでもなかった。
(そもそも、背後に転移するんじゃなくて頭上に転移するとかすれば、こっちも色々と戸惑うだろうに。それをしない……いや、出来ないということは、やっぱり何かそういう意味があるのか?)
デスサイズを握る手に力を込め、今度は黒狼の行動を待つのではなく自分から動く。
「マジックシールド!」
その言葉と共に生み出される、光の盾。
一度だけではあるが、どのような攻撃であっても確実に受け止めてくれるという、そんな光の盾を生み出すスキル。
黒狼にしてみれば、レイがどこからともなく生み出したその光の盾は、非常に怪しく、警戒するべき存在だった。
レイを見る視線が一際厳しくなり、黒狼の手の指から伸びている短剣の如き爪がカチカチと音を立ててぶつかる。
小さな音ではあったが、不思議とその音はレイの耳にもよく聞こえてきた。
だが、そのように警戒している黒狼の様子は全く気にせず――戦っている相手なのだから当然だが――に、レイはマジックシールドを展開したまま黒狼に近づいていく。
(あの様子からして、間違いなく黒狼はマジックシールドを警戒している。なら、恐らく次に黒狼が打つ手は……)
次に自分がとるべき行動を考えながら、レイは黒狼に近づいてデスサイズを振るう。
黒狼は何を考えているのか、レイが自分に向かってきても特に何か対応する様子は見せない。
そうしてデスサイズが振るわれ……次の瞬間、当然のように黒狼は姿を消す。
それを見た瞬間、レイは後ろに向かってデスサイズを振るおうとし……
(違う!?)
今までのように、後ろに転移してくるだろうと思ってデスサイズを振るったレイだったが、黒狼の気配が放たれたのはレイの右側。
だが、レイは左回り――時計の秒針とは逆の方向――に向けてデスサイズを振るおうとしていたこともあり、その体勢になった以上は丁度今の時点で黒狼がレイの背後にあった。
瞬間、どうするべき迷ったレイだったが、その迷いは一瞬……いや、一瞬にも満たない程度の時間しかない。
レイはそのままデスサイズを振るう。
当然いると思った場所に黒狼がいない以上、それは空中を斬り裂くかの如き一撃になり……そのタイミングで、レイが使用していたマジックシールドが黒狼の攻撃を受け、光の粒となって散っていく。
だが……当然のように、レイの行動はそれでは終わらない。
本来なら黒狼がいると思った場所を攻撃した勢いそのままに、足を中心として更に身体を捻って現在の黒狼のいる位置に向けてデスサイズを振るう。
敵の攻撃を一度だけではあるが完全に防ぐというマジックシールドの能力があるからこその行動。
微かに手に伝わってきた、何かを斬り裂く感触と、何か重い物がぶつかって吹き飛んでいく感触。
デスサイズを振るった状況で黒狼のいた場所に視線を向けると、そこには、真っ直ぐに吹き飛んでいく黒狼の姿があった。
そんな黒狼を見て、致命傷を与えたか? と期待したレイだったが、すぐに厳しい表情で吹き飛んでいく黒狼に視線を向ける。
もしデスサイズの刃がまともに当たったのであれば、それこそこうして吹き飛ぶといったことにはならず、胴体が上下真っ二つに分かれていた筈だった。
それが血の臭いをさせてはいるが、それでも五体満足な状況であるというのは……黒狼が何らかの手段でデスサイズの一撃を凌いだということだったのだから。
(咄嗟に後ろに退いたのか?)
吹き飛んでいた状態から、空中で身体を捻り地面に着地した黒狼を見ながら、レイは予想する。
最初から黒狼が自分の狙い通りに背後にいたのであれば、そのような行動をとるような余裕はなかっただろう。
だが、今回黒狼が姿を現したのは、今までのようにレイの背後……ではなく、右側。
そのことで、一瞬にも満たない短い時間ではあったが、レイは時間を無駄にしてしまった。
結果として、デスサイズの一撃であっても黒狼は何とか後ろに跳んで攻撃の威力を弱め、受け流すだけの余裕を得たのだろう。
(それこそ、転移して回避すればいいような……いや、そう簡単じゃないのか。実際、今までの戦いの中でも、転移を使えば楽に回避出来る時に、普通に身体能力で回避したりしてたしな。恐らく、スキルではあってもさっき考えたように、何らかの制約があるのは間違いない)
デスサイズを構えながら、レイは改めて黒狼を観察する。
今の一撃は、黒狼に致命傷を与えるようなことは出来なかった。
だが、それでも間違いなく傷を与えることは出来たし、同時に致命傷ではなくても戦いには間違いなく影響を与える傷であるのも事実だった。
「どうする? その傷だと今までみたいな戦い方は出来ないだろう? 降伏するのなら、命を助けてもいいぞ」
そう告げられた黒狼は、着地した時から押さえていた腹部から手を外す。
不必要に血が流れないようにしていたのでは?
そう思ったレイだったが……手をどけた場所を目にし、驚きから小さく息を呑む。
何故なら、手をどければあったのだろう傷が、明らかに小さかったからだ。……否、現在進行形で小さくなっていっているというのが正しい。
小さな泡のような物が幾つも傷口から出ており、その泡の効果によってか、もしくはそれ以外の効果によってか。
ともあれ、付けたばかりの傷が急速に、それこそ目で見て分かる程の速度で回復しているのは間違いなかった。
「冗談だろ?」
呟くレイだったが、実際に視線の先で目で見て分かる程の速度で小さくなっていくのは、冗談でも何でもなく、間違いのない事実だ。
これでは、それこそ一撃で首を切断するなり、胴体を切断するなりしなければ、勝てないのでは?
いや、場合によっては首や胴体を切断しても、即座にくっつければそのままくっつくのではないか。
驚異的な回復力、もしくは再生力と言うべきかもしれないが、今の黒狼を見ればそのように思ってしまう。
(つまり、倒す為には一撃で殺す必要がある、か。それも殺した瞬間に再生されないようにする必要も)
レイにとって、黒狼というのは決して憎い相手ではない。
いや、薬を使って自分を襲わせたということに思うところはあるのだが、それでもやはり餌付けをした経験からか、殺したい程に憎むといったことは思っていない。
とはいえ、当然だが自分を襲ってくるのであれば、それを黙って受け入れるなどというつもりもない。
だからこそ、こうしてレイは黒狼と戦っているのだから。
だが、それでも黒狼を本当に殺してしまっていいのか? という思いがない訳でもなかった。
(降伏してくれるのが、一番いいんだけど……うん?)
自分でもどうしようもないことだと分かっていながら、そんなことを考えていたレイだったが……ふと、黒狼の様子がおかしいことに気がつく。
「う……が……」
それは、黒狼の口から初めて漏れた言葉。
それなりに黒狼と一緒の時間をすごしたレイだったが、それでも黒狼が口にした言葉は初めて聞いた。
だが、今はそんなことを考えていられるような場合ではない。
黒狼の口から出た言葉は、間違いなく何かに耐えるかのような、そんな呻き声だったのだ。
「黒狼?」
一体何がどうなっているのか分からず、それでも取りあえずといった様子で声を掛けるレイ。
だが……そんなレイが声を掛けた瞬間、黒狼の視線は真っ直ぐレイに向けられる。
普段は表情を殆ど表に出さない黒狼だったが、今の黒狼にははっきりと一つの感情が浮かんでいた。
それは……飢え。
(何でだ?)
先程までは特に飢えを感じさせるようなことはなかった。
肉まんの件もあって食欲旺盛なのは知っていたが、それでもこうして命を懸けた戦いの中で腹が減るなどということは、普通ならありないだろう。
そうなると、何故急にこんなことになったのかということで、思いつくのは一つしか存在しない。
「なるほど。転移の方はともかく、あの強烈な回復能力に関しては、種も仕掛けもあった訳か」
今の様子を見る限り、先程の急激な回復は続けて何度も使えるものではないというのは、明らかだった。
(なら、特に問題はない。……後は、黒狼の限界を超えるまで斬り続ければ……斬り、続ければ……出来るか?)
非常に高い身体能力を持ち、回避という能力ではこれまでレイが戦ってきた中でも間違いなく上位に位置するだろう能力の持ち主。
そんな相手に先程のように何度も攻撃を当てることが出来るのか?
一瞬そんな疑問を抱いたが、それでもやらなければならない以上、ここで退く訳にはいかなかった。