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レジェンド  作者: 神無月 紅
ケレベル公爵領
1861/3865

1861話

 レイとエレーナの前に最初に出された酒は、小さめの樽に入った酒だった。

 それこそ個人に対して売りに出されているような樽なので、大体二リットルくらい入るような樽だ。

 思う存分飲むには足りないが、ゆっくりと味わう為の酒として考えれば、全く文句がないだけの量はある酒。


「お土産ということでしたので、このような酒はいかがでしょう? この酒は甘めの酒ですが、後味のキレはよく、どなたにでも楽しんで貰えるような味であると自負しています。実際、宴会をやるという時にこの酒を纏めて買っていく方も多いですし」

「なるほど。なら、取りあえずその樽を……そうだな、十樽くらいくれ」

「へ?」


 特に悩む様子もなくレイの口から出た言葉に、店員は少しだけ驚く。

 まさか、こうもあっさりと買うとは思ってもいなかったからだ。

 この酒蔵で売ってる酒は、高級酒という訳ではない。

 それでも、一般人にしてみればちょっと豪華な食事の時に飲むような酒の値段のものが多い。

 中にはかなり格安の酒もあるのだが、今回店員が勧めてきた酒は、ちょっと高級な酒と呼ぶに相応しい酒だった。

 だが、すぐにエレーナとレイがどのような人物なのかを思い出し、嬉しそうに笑みを浮かべて口を開く。


「分かりました、すぐに準備させます。それで、他にも色々な種類の酒がありますが、どうしましょう?」


 店員の言葉に、エレーナはどうする? とレイに視線を向けてくる。

 そんな視線を向けられたレイは、酒というのはあっても困るものではない――自分では好んで飲まないが――と考え、頷きを返す。


「分かった、持ってきてくれ。それが良い酒なら、買わせて貰う」

「ありがとうございます! 少々お待ち下さい!」


 レイの言葉に、これは上客だと判断したのだろう。店員は嬉しそうな笑みを浮かべて、店の奥に向かう。

 レイとエレーナのことを知っている以上、最初から決して悪い客であるとは思っていなかったのは間違いない。

 だが、それでも……予想していたよりも遙かに上客なのは、間違いなかった。

 この酒蔵で売っている酒は、安い物もあれば高い物もある。

 高い酒でも、そこまで……それこそ、家を建てられるような程の金額という訳ではないが、それでもある程度高級品という風に思われるような酒も多い。

 具体的には、ちょっとした祝いの場で飲んだり、何か目出度いことがあった時に贈るような酒といった具合に。

 レイやエレーナであれば、そのような酒も大量に買ってくれるのではないか。

 そんな思いから、店員は急いで酒を取りにいく。

 なお、当然の話だが、この酒蔵はアネシスでもそれなりに有名である以上、店員はレイとエレーナの担当をした者以外にもいるし、そちらでも当然のように他の客の相手をしている。

 そのような他の客達も、レイとエレーナの存在にはどうしても目を奪われてしまう。


(見られてるな。……まぁ、いつものことだけど)


 他の客や店員からの視線を感じつつも、レイは特に気にしないようにしてエレーナに声を掛ける。


「酒って、具体的にどれくらい買えばいいと思う?」

「うん? それはちょっと難しいな。それこそ、酒というのは自分達が飲むだけではなく、度数が高ければ消毒にも使えるし、贈り物としても使える。それと、ゲオルギマからは料理に酒を使っているという話を聞いたことがある」

「あー……まぁ、料理にはな」


 レイも、その説明には強く納得出来るものがあった。

 それこそ日本にいた時に、知り合いが猟で熊を獲って肉を分けて貰った時は、臭み消しとしてショウガや長ネギといった香味野菜と共に、大量の日本酒で煮込んでいるのを見たことがあった為だ。

 実際、そのようにして調理された熊肉は、獣臭さというものが全くなく、長時間煮込んだおかげで口の中にいれるとあっさりと崩れるといったような、極上の煮込み料理に変わっていた記憶が、レイの中にはあった。

 それ以外にも、実際にレイが食べたことはないが、TVでは牛肉の赤ワイン煮込みといった料理が紹介されているのを見たこともある。

 マリーナが料理を作ってくれた時に、酒を使っていたのも見たことがある。

 それらを考えれば、エレーナが言う料理に使うという言葉には素直に納得することが出来た。


(ただ、料理酒ってのもあったような……普通の酒を料理に使うのなら、料理酒ってのは一体何に使うんだ?)


 そんな疑問を抱くレイだったが、それを口にするよりも前に先ほどの店員が幾つかの酒の入ったコップの乗ったお盆を持って姿を現す。

 本来なら樽を持ってきたいところだったのだろうが、今回に限ってはそんな真似は出来なかったのだろう。

 持ってくる酒の種類が、どれだけあるのか……それは、店員の持つお盆の上にあるコップが示していた。


「お待たせしました。お勧めとして多少高級な品や、それ以外に安くても十分以上に美味しいお酒をお持ちしました。これらは、全て私が自信を持ってお勧め出来る美味しいお酒です」


 酒蔵で働いているだけあって、店員は本当に酒が好きなのだろう。

 それこそ、今もこうしてレイとエレーナの前で、これ以上ないくらいに嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「本来なら色々な店に卸しているのですが、この酒蔵で買えばそのようなお店で買うよりも若干安く買えるのが、酒蔵のいいところですね」

「まぁ、それはそうだろうな」


 レイもその店員の言葉には素直に頷く。

 どこかの店……酒場のような場所で酒を買えば、間に酒場が入っている分だけ、どうしても値段が上がってしまうのは当然だった。

 それを作っている場所で買えば、安くなるのは当然だろう。

 レイにとっては、それこそ人間が数度生まれ変わっても豪遊して一生暮らせるだけの金額を持っているのだから、正直なところそのくらいの値段の差は気にしないのだが。

 だが、それはあくまでもレイの場合であって、他の者……それこそこの酒蔵に酒を買いに来ている者にしてみれば、その値段の差が大きな出来事なのは間違いなかった。


「さて、ではどうぞ。まずはこちらから。こちらのお酒は、安いですが味に関しては間違いなく一級品の代物です」

「……味が一級品なのに、安いのか? それは矛盾してると思うが」

「いえ、この酒が作られた年は気候が悪くて、作物が不作だったんですよ。おかげで、この年の分は縁起が悪かったり、不味いと判断されていたりして、買い手がおらず……味そのものは、先程も言いましたが全く問題ないんですけどね」


 ふう、と。残念そうに店員が呟く。

 店員にしてみれば、美味い酒が不当に安く見られていることに納得出来ないのだろう。

 エレーナもそれは同感だったらしく、店員からコップを受け取って口に運ぶ。

 酒を飲む度にエレーナの白い喉が蠢く様子は、いっそ蠱惑的ですらある。

 本職の店員ですら、その光景に目を奪われてしまうのだから。

 そんな目の保養が出来る幸せな一時もすぐに終わり、エレーナは飲み終わった酒の後味を楽しむように目を瞑る。

 エレーナの仕草で我に返った店員は、慌てたように口を開く。


「その、どうでしたでしょう?」

「美味い。これだけの味が安いというのは、ちょっとどうなのだろうな。……もっとも不作だったということであれば、数そのものがないのだろうだが」

「そ、そうなんですよね。ですが、エレーナ様のように味の分かる方に飲んでもらえると、きっと酒も喜んでいるかと」

「ふふっ、上手いことを言うな。……いいだろう、この酒を貰おう。レイ、私もお土産として配る必要があるのだから、これは私が買っても構わぬか?」


 尋ねてくるエレーナに、レイは特に迷う様子もなく頷く。

 こうして二人で土産を買っているが、別にレイだけが金を払って土産を買わなければならないという理由はない。

 エレーナが買うというのであれば、レイは特にその言葉に異論はなかった。


「ふむ。では、この酒は……一人用の樽として、どれくらい売れる? 元々の数が少ないという話だったが」

「そうですね。十……いえ、十五樽くらいでどうでしょう? まだ余裕はありますが、それでも他のお客様にお売りする分を考えると、さすがに全てをという訳にはいきませんので」


 酒蔵としては、出来れば自慢の酒をそれに相応しい人物に飲んで貰いたいという思いがある。

 だが、それでもエレーナに全てを売るといった真似が出来る筈もない。

 この先、どのようなことがあるのか分からず、それこそもしかしたら何かあった時にその酒が必要になる可能性もあるのだから。

 エレーナも、貴族としてその辺りの事情は分かっているのか、店員の言葉にそれ以上の無理は言わずに承諾する。


「うむ、それで構わない。では、次の酒だが……」

 

 短く商談を纏めると、エレーナは次の酒に手を伸ばす。

 その後もエレーナは酒を飲んでは的確にその表現をし、店員を喜ばせる。

 それどころか、他の暇な店員までもがエレーナの表現を聞きたいと集まり、最終的には他の客やその対応をしていた店員、それどころか酒蔵の職人までもが集まってくることになるのだった。






「大丈夫か」


 一通り酒を買い……それこそ、普通の家なら一年分、場合によってはそれ以上に消費するのに時間が必要になる分だけの酒を買ったレイとエレーナは、酒蔵を出てから道を歩いていた。

 正直なところ、レイにしてみればあれだけ大量の酒を買っても、自分で飲むということがまずない以上、それこそ宝の持ち腐れでしかないのではないか。

 そんな思いを抱きもしたが、お土産ということで配ったり、マリーナが料理に使う時に使えばいいだろうと判断し、取りあえず買えるだけ買うことにした。

 何より、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、いずれレイが酒を飲んで美味いと思う時が来るかもしれないという思いもあった。

 今のレイでは、とてもではないが酒を美味いとは思わない。

 だが、これだけ熱心に酒を造っている者がおり、同時に酒を飲むのを楽しんでいる人がいるのだ。

 それを飲んで不味いというのは、若干勿体ないのではないか。

 そうレイが思った最大の理由は、やはり先程の酒蔵でレイ達の担当をしてくれた店員の存在があるのだろう。

 ストレートに、酒を好き、愛している。そんな雰囲気を発しているのを見て、レイもそこまで言うのなら……と、そう思ったのは、事実だった。

 もっとも、少し酒を飲んで見て、やはり自分には到底合わないと今はこれ以上飲もうとは思わなかったが。

 あくまでも、レイが飲むのは美味いと思った飲み物なのだから。

 ……果実水といったものであれば、それこそレイは望んで飲むのだが。


「うむ。少し……飲みすぎたな。冷たい風が心地良い」


 多少ではあっても酔っ払った今のエレーナにとって、冬の風というのは気持ち良いものだった。

 それこそ、エンシェントドラゴンの魔石を継承しただけに、雪が降り始めた今のアネシスであっても、寒いのではなく涼しいと呼ぶべき状況だった。

 照れではなく、微かな酔いで薄らと赤くなった今のエレーナは、非常に艶っぽい。

 レイにとって艶っぽい女と言えばマリーナという強い印象があったが、今のエレーナはそんなマリーナに負けない程の艶っぽさを有している。

 そんなエレーナの横顔を見ながら、レイはミスティリングの中から取り出した果実水を渡す。

 一種類の酒は少量ではあっても、その全てを飲めば当然ながら相応の量になる。

 酔ったエレーナには、さっぱりとした果実水が嬉しいだろうと、そう思った為だ。

 ……実際に日本にいた時、宴会をやって酔っ払いながら帰ってきた父親が、水を飲みたがっているというのを何度も見ているからこその対応だった。

 果実水でもかなり薄いそれは、だからこそエレーナにとっては非常に美味く感じられたのだろう。嬉しそうに飲み干す。


「ふぅ。……美味い」

「そうか。喜んで貰えて何よりだ。取りあえず、次の店に行く……のは、無理そうだな」


 完全に酔っ払っている訳ではないが、それでも今のエレーナは酔っ払っている。

 ほろ酔い加減、といったところか。

 本来ならこの程度の酔いであれば、全く問題なく行動出来る。

 だが、エレーナはケレベル公爵令嬢であり、姫将軍の異名を持つ者だ。

 そうである以上、もし酔いに任せて何か問題を起こすようなことでもあれば、それはケレベル公爵家の恥となる。

 エレーナの名声があれば、そのようなことは問題にならない可能性が高いだろうが……


(エレーナも、決して敵がいないって訳じゃないしな)


 新年のパーティーの時に、エレーナに絡んできた女の姿を思い出す。

 レイの目で見た感じでは、エレーナには全く相手にされていなかったが……だからといって、放っておいていい訳ではない。


「いや、私は特に問題はないぞ?」

「そうか? けど、それならどこかでもう少し酔いを……」


 覚ましてからにしよう。

 そう言おうとしたレイは、咄嗟に言葉を止めてとある方に視線を向ける。

 その視線の先……建物の屋根の上には、黒狼の姿があった。

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