1848話
新年のパーティーも、そろそろ終わりに近づいてきた。
既に日付が変わるくらいの時間になっており、普段であればこの時間にはもう眠っている者も多いだろう。
それでも、今日は年に一度のパーティーだからということで、興奮したり気分が高ぶっている為か、眠気を我慢している者はそう多くはない。
「では、そちらの治水工事を私が引き受けるということで」
「うむ、頼む。報酬はしっかりと支払うので、安心して欲しい」
「ありがとうございます。幸い。うちには土系統の魔法使いが多いので、その手の仕事は得意なんですよ」
そんな会話をしている者がいるかと思えば……
「くそっ! エレーナ様はもうどうにもならないのか!? 折角……折角俺はここまで強くなってきたのに……」
「諦めろって。お前が幾ら強くなったところで、深紅みたいに異名持ちになるのは無理だろ?」
「それは……」
「それより、ほら。見てみろよ。向こうの娘達。さっきから、何度もお前のことを見ているぞ?」
「何!? それは本当か!?」
エレーナを狙っていた貴族が、新しい恋を見つけてみたり。
ともあれ、貴族達の多くが、それぞれ自由にすごしている。
今回のパーティーで良い交渉が出来たという者は機嫌良くワインを飲んだり、ゲオルギマやその弟子達が作った料理を味わっている。
交渉が纏まらなかった貴族は、苛立ちを抑える為にワインや料理を口に運んでいた。
そんな中、パーティー会場の隅で何人かの貴族が纏まってそれぞれ話をしていた。
「それにしても、今日のパーティーは驚くことばかりでしたな。まさか、あのエレーナ様があそこまで素晴らしい踊りを披露してくれるとは思いませんでしたぞ」
「そうですわね。あの踊りを見た時、私は目を奪われてしまいましたわ。年甲斐もなく、興奮してしまいました」
「それを言うなら、私もですよ。本当にあの踊りは素晴らしかった。……それに、エレーナ様の相手の冒険者。深紅とかいう異名持ちで、相当の強さを持っているとか」
貴族の一人がそう言うと、以前行われたレイの模擬戦を見ていた何人かの貴族が、即座に口を開く。
「レイがやった模擬戦を見たんですけど、あの強さは本物でしたね。……しかも、グリフォンを従魔にしているのですから」
「そうなんだよな。正直なところ、最初に話を聞いた時には何だってケレベル公爵が冒険者風情をエレーナ様の相手として認めたのかと思ったんだが……グリフォンを従魔にしているのを見れば、納得するしか出来なくなる」
「……そ、そんなのじゃない。あの男の強さは……」
ふと、今まで黙って話を聞いていた一人の貴族が、そう呟く。
その口調に宿っているのは、紛れもない恐怖の感情だ。
普段は堂々としているその貴族だけに、そのような様子を見て周囲の貴族は疑問を抱く。
「チルムノ男爵、一体どうしたんだ? 貴方らしくもない」
爵位を継ぐ前からの友人のその言葉に、チルムノ男爵と呼ばれた男は自分を落ち着かせるようにワインを口に運ぶ。
かなり度数の強いワインだったのか、口の中が熱くなり……その熱さを吐き出すかのように、チルムノ男爵は息を吐く。
「俺はな、以前レイと一緒に戦場に出たことがある。ほら、あれだ。数年前に行われた、ベスティア帝国との戦争」
「ああ、そう言えば参加するとか言ってたな」
貴族派といえども、資金的に余裕のある貴族だけではない。
特に男爵家のような爵位の低い貴族にしてみれば、戦争に参加して手柄を挙げ、それによって恩賞を期待したり、より上の爵位につけることを希望する者というのは珍しくないのだ。
チルムノ男爵もその例に漏れず、ベスティア帝国との戦争に参加した。
日頃から鍛えているだけあって自分の強さには自信があったし、率いる兵士達も厳しく鍛え上げられ、精兵と評するのに不足はないだけの実力を持っていた。
だが……戦場でチルムノ男爵が見たのは、巨大な炎の竜巻でベスティア帝国軍の前衛部隊に多大な被害を与えるレイの姿。
そして直後に行われた、大鎌を使って次々に敵を殺していくレイの姿。
大鎌を使っているだけあって、その行動はどこか鎌で雑草でも刈るかのように人の命を刈っているようにすら、チルムノ男爵には見えてしまった。
それこそ大鎌を持ち、踊るように敵の命を刈っていくその姿は、死神と呼ばれてもおかしくはなかっただろう。
その戦いの様子について説明したチルムノ男爵は、喋ったことで幾らかは落ち着いたのか、ゆっくりと話を続ける。
「正直なところ、俺は中立派と友好関係を築いたケレベル公爵の判断はこれ以上ない英断だったと思う。レイを懐刀にしているダスカー辺境伯と戦うなんてことになれば……」
ぶるり、と。
レイと敵対した時のことを想像したのか、チルムノ男爵の身体が震える。
そんな様子を見て、チルムノ男爵の話を聞いていた者達は、自分達の認識が甘かったのだということを知る。
それこそ、模擬戦を見てレイの強さを理解した気になっていた貴族などは、チルムノ男爵が言った通り中立派と友好関係を築いたケレベル公爵の判断を高く評価した。
中立派と敵対して、戦場でレイと遭遇するようなことになるのは、絶対に避けたかったのだから。
「チルムノ男爵程の男がそう言いたくなる程か。……ああしたところを見ている限りでは、到底そのようには思えないのだがな」
チルムノ男爵の話を聞いていた貴族の一人が、何人かの貴族と談笑しているレイを見ながら告げる。
その視線が若干窺うような視線になってしまったのは、レイがそれだけの力を持っていると、そう理解してしまったからだろう。
「そうだ。お前達にも言っておく。くれぐれも、本当にくれぐれもレイと敵対するような真似はしない方がいい。レイと敵対すれば、その先に待っているのは破滅だけだ。何しろ、レイは相手が貴族だからといって手加減をするような真似もしないしな」
チルムノ男爵はレイが異名を得ることになった戦争で、ミレアーナ王国の貴族に対しても一切の容赦なく、その大鎌を振るったという事実を知っている。
普通なら貴族を相手にそこまであっさりと攻撃したりといった真似は出来ない。
だが、それを平気で行うレイは、まさに貴族にとっては天敵の如き存在でもあった。
権力で相手を黙らせようにも、相手はその権力に何の価値も見出していないのだ。
いや、もしかしたら価値は見出しているのかもしれないが、それは無視出来る程度の価値でしかない。
護衛を雇っても、レイや……ましてやグリフォンのセトを相手に、そう簡単に勝てる相手を用意出来る筈もない。
そしてセトがいる以上、本当にレイが勝てない相手を雇っても、空に逃げられれば追うのは難しい。
その上、逃がしてしまえば、次はいつどこから襲撃されるか分からないのだ。
レイを倒せる程の強さを持つ者であれば、当然雇うのにも相応の金額が必要になり、余程の金持ちでなければ雇い続けるというのは難しい。
チルムノ男爵の言葉に、それを聞いていた者達は我知らず口の中の唾を飲み込むのだった。
「はっはっは。お前、話が分かるじゃねえか」
「いやいや、そんなことはないさ。寧ろあんたの方が話が分かると思うぞ」
レイの目の前では、ちょっと予想外の光景が広がっていた。
何故なら、そこではブルーイットとラニグスがお互いに笑っていたからだ。
お互いに貴族同士ではあっても、ブルーイットは別にアネシスに滞在している訳でもなければ、国王派のラニグスと貴族派のブルーイットといったように派閥も違う。
だというのに、この二人は余程相性が良かったのだろう。あっという間に仲良くなってしまったのだ。
そんなラニグスとブルーイットから少し離れた場所では、テレスがエレーナのドレス姿や、先程の踊りを褒めている。
そこから更に離れた場所では、アーラがエレーナと話しているテレスを羨ましそうに見ているのだが、話し掛けてくる貴族の相手をする必要があり、すぐにはその場を離れられない。
エレーナの腹心というのが、アーラの表向きの評判だ。……実際それが間違っている訳ではないのだが。
貴族派の貴族にとって、そんなアーラは結婚相手としてはかなり魅力的だった。
だからこそ、多くの若い男達がアーラを口説こうとしている。
……もっとも、本人は男に興味など全くなく、このような男達と話をしているくらいなら、それこそエレーナの下に行きたいという思いの方が強いのだが。
もしこれで、アーラに言い寄っている男達が強引な真似をしていたのであれば、アーラも自慢の剛力を発揮して男達を叩きのめすようなことも出来ただろう。
だが、男達はそれを知っているのか、それとも単純に暴力に訴えるような真似をするのがみっともないと思っているのか、普通にアーラを口説いてくる。
「どうでしょう、アーラさん。私の家の近くにはこの時季、雪原が広がっているんですよ。誰も歩いた跡のない、真っ白な雪原です。是非、アーラさんと一緒に見たいのですが」
「ごめんなさい、私はエレーナ様の護衛騎士団団長という役目があるから、そう簡単にアネシスを空ける訳にはいかないのよ」
実際にはエレーナと共にずっとギルムにいたのだが、それを表に出さないようにしながら誘いを断る。
「じゃあ、俺と一緒にアネシスを見て回らないか? 俺はアネシスに来たばかりだから、案内してくれると助かるんだけどよ」
「今は仕事が忙しくて、そんな余裕がないの。ごめんなさい」
そのようなやり取り以外にも……
「アーラ、瞳は強い意思を宿していて、とても素敵だ。出来ればいつまでも見ていたくなるくらいに」
「君という宝石と出会えたことを祝いたい」
「君のその、凛とした雰囲気。いつまでも見ていたくなるよ」
そのように、次々と褒め言葉を投げ掛けられてもいる。
(うわ……悲惨だな)
レイはそんなアーラの様子を見ながら、近くのテーブルから持ってきた料理を口に運ぶ。
既に作ってから数時間以上が経っている料理だったが、ゲオルギマやその弟子達が作った料理だけあって、普通に美味い。
パーティーで出される料理ということで、冷めても味が落ちない料理を中心に作ったのだろう。
料理の中には、温かいうちは非常に美味いのだが、冷めると一気に味が落ちる……美味さの持続時間と言うべきものがある。
レストランで出すには相応しい料理だが、このようなパーティーで食べるには向いていない料理。
ゲオルギマは当然そのことを分かっているので、今レイが食べているような料理をメインに作ったのだ。
それでいながら、冷めても色々な料理を食べられる辺り、ゲオルギマの面目躍如といったところだろう。
「なぁ、おい。レイ。お前はどう思う?」
料理を楽しんでいたレイは、不意にブルーイットに話し掛けられて我に返る。
だが、全く話を聞いていなかった以上、どう思う? と聞かれても答えられる筈がない。
「悪い、料理を食べてて聞いてなかった。何の話だ?」
なので、素直に謝って何を言いたかったのかを聞く。
そんなレイの様子に若干呆れた様子を見せたブルーイットだったが、それでも不満を口に出すような真似はせず、事情を説明する。
「ラニグスの家にいい狩り場があるって話だよ。モンスターとかは出てこないから、安全に猟が出来るらしいぞ。興味ないか?」
「興味……は、悪いけどそこまでないな」
狩り、いわゆる狩猟で獲れる獲物は、基本的には野生の動物だ。
特に今はモンスターがいないとラニグスが言っているのだから、当然だろう。
だが……狩猟で狩る楽しみを別にして、純粋に肉の味で考えた場合、どうしても野生動物ではモンスターの肉よりも味が劣るのだ。
その野性味溢れる味こそが良いという者もいるし、レイもそれは否定しないのだが……それでも、どうせ食べるのなら美味い肉を食べたいというのが、レイの正直な思いだった。
モンスターの中にも、ゴブリンを始めとして不味いモンスターはいる。
だが、レイが戦うような高ランクのモンスターの肉は、魔力を持っている関係で野生動物の肉よりも確実に美味いのだ。
場合によっては、それこそ貴族や王族の食卓に上がっても不思議ではないような、そんな肉すらも存在している。
「そうか? 狩りってのは結構面白いんだがな。……あー、いや。レイの場合はそういう狩りとか慣れてるのか」
「そうだな。貴族がやるような狩りってのがどうなのかは分からないけど、セトと一緒に暮らしていれば、どうしてもモンスターを狩ることは多くなるな。肉目当てで」
実際には未知の魔石も欲してのことだったのだが、魔獣術については教える訳にはいかず、適当に誤魔化す。
そうしてレイ達は、何とか言い寄ってくる男達を振りほどいてやって来たアーラと共に、パーティーの閉会をリベルテが口にするまでの間、気心の知れた者同士ですごすのだった。