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レジェンド  作者: 神無月 紅
ケレベル公爵領
1826/3865

1826話

 模擬戦のあった翌日……レイの姿は、いつも通りケレベル公爵騎士団の訓練場……ではなく、厨房に向かっていた。

 当然レイだけではなく、レイの担当ということになっているメイドのミランダも一緒だ。

 厨房に向かっていたのは、当然のようにゲオルギマに呼ばれたからだったが、同時にレイにとっては昨日の夕食の時に飲んだスープの……正確には、魚醤の件で聞きたいこともあったというのがある。

 しょっつるという、旨味の凝縮された魚醤を知っているレイにとって、今回のゲオルギマの呼び出しは、寧ろ好都合ですらあった。


(魚醤が出来たってことは、普通の……大豆を使った醤油が出来てもおかしくはないのか? まぁ、普通の醤油をどうやって作るのかは、俺には分からないけど)


 レイが知っている魚醤の作り方は、あくまでもハタハタを使ったものであり、しかもそれもかなり中途半端……ニュースの特集か何かでやっていたのを見たような記憶しかない。

 だからこそ、魚醤と醤油……漢字は似ていても、醤油の作り方は殆ど知らない。

 醤油について覚えているのは こちらもニュースか何かの番組で、大豆を使って作っていたような……といった記憶だけだ。

 同じTV番組で覚えたにしては、醤油と魚醤ではかなりの差があるが……その辺は、純粋にレイがどちらを美味いと思っているかの差だろう。

 勿論普通の醤油が不味いと思っていた訳ではなく、純粋にしょっつるがそれだけレイの味覚にあったというのもある。


(もしかしたら……本当にもしかしたら、ゲオルギマはラーメンのスープは完成させたいのかもしれないな。……問題なのは、麺だけど)


 結局のところ、ラーメンの麺に必須のかん水が何なのか分からなければ、結局のところうどんのような麺しか出来ないのだが。

 こちらに関しては全く知識がない以上、ゲオルギマに任せるといったことしかレイには出来なかった。

 ただ、もしかしたら……本当にもしかしたら自分を呼んだ理由が、そのかん水の件が解決したからではないのか。

 そんな風に思いながら、レイは厨房の中に入っていく。


「馬鹿野郎! 火加減はもっと弱くしろ! 強ければ余計な熱が食材に入って、食べた時の口当たりが悪くなるだろうが!」

「はいいいいいいいぃ!」


 厨房の中に入った瞬間、突然聞こえてきた怒鳴り声にレイは少しだけ驚く。

 とはいえ、これは厨房ではそう珍しいことではなかった。

 ゲオルギマは優れた料理人だが、典型的な見て覚えろといったような、いわゆる昔気質の職人に近い。

 それだけに、部下……もしくは弟子達に対しても、いたらない場所があれば次々に怒鳴るというのは、ある意味で厨房の日常だった。

 だからこそ、他の料理人達も怒られている者を見ても、特に怯えたりはしていない。

 ゲオルギマが怒鳴るのは怖い。怖いが……それには間違いなく理由があるのだ。

 それを理解しているからこそ、ゲオルギマと一緒に仕事をしている者達は、自分の技量を少しでも高めようとして自分の仕事をしながら、ゲオルギマの叫んでいる内容に集中する。


「あー……」


 一応ゲオルギマに呼ばれて厨房に来た立場のレイとしては、この状況でどうすればいいのか迷う。

 ゲオルギマは怒鳴りつけた料理人に食材に火を通す時の注意点を口にしているし、他の料理人達もそんなゲオルギマの言葉に耳を傾けている。

 そんな状況の中で話し掛けるのは悪いと思い、かといってこのまま黙ってゲオルギマの話を聞いているだけでは意味がない。

 いや、意味がない訳ではないのだが。

 基本的には出来た料理をミスティリングの中に収納しているレイだったが、マリーナを含めて料理をするということは珍しくない。

 料理をするのは基本的にマリーナなのだが、レイも多少は手伝いが出来る。

 だからこそ、ゲオルギマが言っている内容はレイにとっても多少は興味深かった。

 ……もっとも、結局素人料理の、それも手伝いしか出来ないレイだ。

 凄腕の料理人たるゲオルギマから料理の技術やコツについて聞いたとしても、それを有効利用出来るかと言われれば、そうでもなかったのだが。

 そんなレイとは裏腹に、ミランダの方はそれなりにゲオルギマの言葉に思うところがあるのか、納得したように何度も頷いている。

 ミランダは一応貴族の出ではあるが、裕福な貴族という訳でもないし、家督を継ぐような立場にいる訳でもない。

 暮らしぶりに関しては、それこそ貴族ではない平民より若干裕福かどうか……といったところだろう。

 だからこそ自分で料理をすることもあり、そんなミランダにとってゲオルギマの説明はかなり勉強になる。

 また、ゲオルギマがミランダを始めとしたメイド達に嫌われていない理由として、料理の腕は男女関係ない。いや、料理の腕こそが全てであって、女が厨房に入ることを禁止するといった言動を一切とっていないというのが大きい。

 レイの視線の先で怒鳴っているように、昔気質の職人らしい乱暴な性格が苦手という者もいるにはいるが、少数派だった。

 何より、美味い料理を作る者を嫌うといった真似をする者は多くはない。

 誰しも、不味い料理よりは美味い料理を食べたいものなのだから。……何事にも、限度というのがあるのは間違いなかったが。

 ともあれ、レイの視線の先ではゲオルギマが一通り火の使い方を詳しく説明してやり、十分程が経つことでその講義も一段落する。

 それを見計らい、レイはゲオルギマに声を掛けた。


「ゲオルギマ、俺に用件があるって聞いてきたんだけど?」


 そんなレイの声でようやくゲオルギマは顔を上げ……少しだけ驚きの表情を浮かべる。

 まさか、レイがそこにいるとは思ってもいなかったのだろう。


「もう来たのか。早かったな。……もっと早く声を掛けてくれても良かったんだが?」

「いや、お前の本分を邪魔する訳にもいかないだろ。それより、さっきの料理人は初めて見る顔だったな」


 レイも頻繁に厨房に来ている訳ではないが、ラーメンについての説明やら何やらで、何だかんだと厨房に来る機会はそれなりにある。

 そんなレイの目から見ても、先程ゲオルギマに叱られていた料理人は初めて見る顔だった。


「ん? ああ、あいつか。あいつは昨日来たばかりだよ。これから、もっと料理人は増えていくぞ」


 そう言われたレイは、当然のようにその理由を想像出来る。


「新年のパーティーか」

「そうだ。何をするにしても、人手は多い方がいいからな」

「あー……なるほど。かなりの人数が集まるって話だったからな。手はあった方がいいか」

「そういうことだ。……もっとも、だからといって一定以上の腕がない奴を寄越されても困るんだがな」


 そう告げるゲオルギマの視線が向けられているのは、先程まで火加減について怒鳴られていた男。

 基本昔気質の、目で見て盗めといった教え方をするゲオルギマだったが、当然それだけではない。

 いや、本来ならそうした方が試行錯誤したことによって覚え、技能的な引き出しが増えるのだが……そのような教え方が向いていない者もいる。

 そういう相手には、ゲオルギマはある程度――当然全てではない――までは教えることにしていた。


「それだけ忙しいんだろ?」


 レイが視線を向けて尋ねたのは、ミランダ。

 ケレベル公爵家に仕えてそれなりに長いミランダは、そんなレイの言葉に素直に頷く。


「はい。貴族派を率いるケレベル公爵家のパーティーですから、かなり遠くからでも間に合わせてやってきます。最終的に参加者は……貴族家の当主やその家族といった方々を含めれば、数百人くらいにはなるでしょうか。もっとも、それで全てという訳ではありませんが」


 領地が遠くにあり、どうしてもケレベル公爵領までやってくることが出来ないという者も幾らかいる。

 勿論、そのような場合は何らかの手紙なり何なりを送るといった真似をしたりするのだが。


「数百人か。しかもその全てが貴族の関係者。……正直、あまり出たいとは思わないパーティーだな」


 貴族の中にも気の合う相手、尊敬出来る相手がいるというのは、レイもしっかりと理解している。

 だが、それらと同じように……いや、それよりも性格が合わない者が多いというのも理解していた。

 そんなレイが数百人の貴族が参加するパーティーに出れば、どうなるのか。

 それこそ、考えるまでもないだろう。


「客人扱いってのも大変だな。俺は料理をしていればいいだけ……と言いたいところなんだが、時々俺を呼ぶような奴がいるんだよな」


 はぁ、と面倒そうな様子を見せるゲオルギマ。

 そんなゲオルギマの様子を見ていたレイは、一瞬日本にいた時に漫画で見た『シェフを呼べ』というのを思い出す。

 レストランとかで美味い料理を食べた時によく見られる――あくまでも現実ではなくフィクションで、だが――光景ではあったが、実際にそれをやっているような相手はみたことがない。

 もっとも、レイが住んでいたのは東北の田舎だけに、都会の方では普通に見られる光景なのかもしれなかったが。


「でも、そういうのって美味い料理だったって感想を言うんだろ? なら……」


 レイに最後まで言わせず、ゲオルギマは違うと首を横に振る。


「大抵そういうのは、この家で働くのを辞めたら、自分の下で働かないかという誘いだよ。……ここよりも上の待遇なら考えてもいいんだが、そんな家は今のところないしな」

「そりゃあな」


 レイも、ゲオルギマがどのような待遇でリベルテに雇われているのかは知っている。

 好きなだけ食材を手に入れることが出来、それを好きなように調理することが出来るのだ。

 当然のように限度はあるが、ケレベル公爵の財力を考えると、それと張り合えることが出来る者はそう多くはない筈だった。


「で? 今日の本題に入るけど、俺を呼んだのも、その伝手で入手した調味料に関係しているのか? 昨日のスープに入ってた」

「……何だ、知ってたのか」


 レイの口から出た調味料という言葉に、ゲオルギマは少しだけ不満そうな表情を浮かべる。


「昨日の夕食のスープは色々と違ったからな。にしても、魚醤なんて珍しい調味料を手に入れたな」

「魚醤? いや、そう言えば、そういう名前だったな」

「おい、もしかして名前も分からない調味料を仕入れたのか?」


 そんな調味料を使ったのか? と呆れの視線を向けるレイだったが、ゲオルギマはそんなレイの言葉に笑みを浮かべてみせる。


「お前が何を心配しているのかは分かるけど、安心しろ。別に怪しい調味料って訳じゃない。きちんと味見もしたし、調べても貰ったからな。あの調味料は、地域によって色々と呼び方が変わるんだよ」

「は? そういうことって有り得るのか?」

「ああ。それこそ数件離れた家では別の名前で呼んでいたりもするんだが……けど、そうか。魚醤か。その名前もいいな。よし、ならこの調味料はこれから魚醤と呼ぶことにしよう」


 レイの口から出た魚醤という言葉のどこがそんなに気に入ったのか、ゲオルギマは満面の笑みを浮かべてそう告げる。

 そんなゲオルギマの様子を見て、レイは一瞬魚醤ではなく、しょっつると呼べば良かったと思うも、既に遅い。

 ゲオルギマの命令により、厨房ではこれから魚醤という名前が広まっていくのは間違いなかった。


「あー、もう。勝手にしてくれ。それで、その魚醤を俺に自慢したかったのか? もしくは、ラーメンのスープにいいと思ったのか? うどんとかにも合いそうな気がするけど」


 実際、レイは日本にいた時にしょっつる鍋で残った出し汁を使ってうどんを食べることがあった。

 ゲオルギマが作っているのはラーメンだったが、それが出来ない以上はうどんの出し汁として使えば、美味いうどんが出来るのは間違いない。

 だが、ゲオルギマはレイの言葉に対して即座に首を横に振る。


「魚醤はラーメンを作る為に取り寄せたものだ。そうである以上、ラーメン以外に使うつもりはねえ」

「……昨日のスープにも使ってみたみたいだけど?」


 ラーメン以外に使うつもりがないといいながら、しっかりとスープで使っていたのは、それこそ味わったレイが一番知っている。


「あれは、この魚醤がどんな調味料なのか、その癖を確かめる為に作ったスープだ。あのスープで大体の感覚は分かったから、これ以降は普通の料理に使うことは……ないとは言い切れないが、多分かなり少なくなる筈だ」


 普通なら、調味料の癖を確認する為に作ったスープを雇い主に出すのかといったことになるのだろうが、実際に昨夜飲んだスープは非常に美味く、リベルテ達も満足そうな様子だった。

 試しに作ってみたスープでも、十分美食に慣れた貴族の舌を唸らせることが出来る辺り、ゲオルギマの技術がどれほどのものなのかの証拠なのだろう。

 ともあれ、それからレイはゲオルギマとラーメンについて色々と話し合い、ミランダはそんな二人の為にお茶を用意するのだった。

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