1819話
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ざわり、と。レイとセトの姿を見た者達は、ざわめく。
当然だろう。少し前まで舞台で大勢を相手に模擬戦を行っていたのだから。
その模擬戦を見て非常に興奮した者にしてみれば、まさかこのような場所でレイに会えるとは思ってもいなかったのだろう。
だが、そんな視線を向けられているレイとセトは、全く気にした様子もなく近くにあった屋台に向かう。
その屋台で売っているのは、串焼きという非常にシンプルでありふれた料理だ。
もっとも、ありふれている料理だからこそ、その調理手順や味付け、肉の下処理、切り方といった具合に様々な工夫がされる。
人気の高い料理だからこそ多く売れ、ありふれたと表現されることになるのだろう。
ともあれ、レイはセトの存在に興味津々な店主に金を支払い、焼きたての串焼きを貰う。
そうして、周囲からの視線を集めているというのを全く気にしない様子のまま、串焼きを口に運ぶ。
「グルゥ!」
レイばっかりずるい! と喉を鳴らすセトに、レイは笑みを浮かべながら握っていた串焼きをセトに差し出す。
セトはその串焼きに刺さっている肉を、クチバシで器用に取って食べる。
肉の焼き加減や味付けが、セトにとっても十分に満足出来るものだったのだろう。セトが嬉しそうに鳴く。
そんなセトの鳴き声に、屋台の店主は嬉しそうに笑みを浮かべていた。
セトの様子から見て、自分の調理した串焼きを美味いと言ってるのだと判断したのだろう。
そう理解出来るだけの嬉しさが、セトの鳴き声には込められていた。
屋台の店主は、そんなセトの鳴き声に思わず笑みを浮かべ……気が付けばレイとセトは既に屋台の前から消えており、そして周囲でレイとセトの様子を見ていた他の者達が、セトが嬉しそうに鳴き声を上げていた串焼きを自分も食べたいと並んだ大勢の客の対処に、大わらわとなるのだった。
一方、串焼き屋に客が殺到しているのを見たレイは、少しだけ肩すかしをくらう。
てっきりレオダニスが言っていたように、大勢が自分に話し掛けてくるのだと、そう思っていたからだ。
だが実際に話し掛けてきた相手は、今のところいない。
(あ)
そう思っていたレイだったが、明確に自分目掛けて近づいてくる男の姿を確認し、心の中で小さく呟く。
もっとも、その相手は見知った男だっただけに、レオダニスが心配したようなことにはなりそうもなかったが。
「よう、レイ。模擬戦、凄かったな」
嬉しそうな笑みを浮かべ、ブルーイットはそうレイに声を掛ける。
模擬戦を見ていた時は、場所を気にしてかきちんと貴族らしい服を着ていたのだが、今は以前レイと出会った時のような一般人のような服装だ。
そんなブルーイットがレイに声を掛けているのを、周囲にいる者達の多くが驚きの視線で見ている。
中には、何でお前が先に声を掛けているんだという嫉妬の視線を向けている者もいたが……レイとセト、ブルーイットの二人と一匹は全く気にした様子もない。
「そっちは、この短期間で随分と服装が変わったな。……そう言えば、俺が貴族席に呼ばれた時はいなかったけど」
「ああいう場所はあまり好きじゃないんでな」
「分かる」
しみじみとブルーイットの言葉に同意するレイだったが、ああいう場所を苦手としているのは同じであっても、その場できちんとしたやり取りが出来るのかという点では、レイとブルーイットでは大きく違う。
「お? やっぱりレイも分かるか。だよな、ああいう堅苦しいのの、どこが面白いんだっての。貴族同士がおべっか使ってお世辞やら腹に一物ある会話やら……料理でもあれば、そっちを目当てにもしたんだが、そういうのもなかったしな」
「ん? 一応サンドイッチとか、そういうのを食ってるのは何人かいたけど?」
「そういう軽食とかは、それなりに出てくるらしいけど、サンドイッチだけだと絶対的に物足りないだろ」
「……それは否定しない」
ブルーイットは巨漢と呼ぶに相応しい体型をしているし、レイは小柄な体格ではあるが大食いだ。セトにいたっては、それこそ考えるまでもない。
そんな二人と一匹の腹を十分に満たすサンドイッチのような軽食となれば、それこそ一体どれだけの量を持ってこなければならないことか。
それこそ、今回の模擬戦の為に用意した材料はすぐになくなってしまうだろう。
「ま、そんな訳で俺はとっととあの場から退散して、こうして色々と食ってた訳だ。……食うか?」
そう言いながらブルーイットがレイに渡してきたのは、拳大のパンを使ったサンドイッチ。
中には干し肉やチーズが入っており、見るからに食欲を刺激する。
(でも、これにハンバーグを入れればハンバーガーになりそうだな。タマネギとかトマト、レタスに近い野菜はあるし。……あ、ベーグルサンドってこんな感じだったっけ?)
すぐにベーグルサンドという言葉が思い浮かばなかったのは、そもそもベーグルサンドを食べたことがなかったからだ。
レイが通っていた学校に来るパン屋はベーグルサンドを売ってなかったし、スーパーやコンビニといった場所でも売っていない。
いや、正確には売っていたのかもしれないが、少なくてもレイは見たことがなかったし、買ったこともなかった。
だからこそ、レイが知っているのは漫画や小説のようなもので出て来たベーグルサンドだけだ。
それが丁度ブルーイットの持っているパンと同じような形だったのを思い出す。
「いいのか?」
「ああ。お前のお陰で、儲けさせて貰ったしな」
「……お前も賭けてたのか」
儲けたという言葉で、ブルーイットが何をしたのかを理解したレイは、若干呆れの混ざった視線を向ける。
もっとも、ブルーイットも自分の勝ちに白金貨を賭けるなどといった真似をしたレイにそのような視線を向けられたと知れば、不本意だと言っただろうが。
幸い、レイはその件については何も言わず、呆れの視線を向けたままだったが、サンドイッチを受け取り、半分をセトに与えてもう半分を自分で食べる。
そうして口に運べば、サクリとした食感に少し驚く。
どのようにしてこのパンを作ったのかは分からないが、どことなくクロワッサンに似ている食感がレイの口の中にあった為だ。
てっきりもっとしっかりとした、食べ応えのあるパンだとばかり思っていただけに、良い意味でレイの予想は外れた。
「へぇ、これは……ちょっと予想外だったな。しかも美味いし」
「だろ? 俺も最初一口食べた時は、ちょっと驚いたんだよ」
「どこの屋台だ?」
「ここからちょっと行った場所にある屋台だな。他にも色々とパンを売ってたから、気になったら買いに行ってみたらどうだ?」
そう言われたレイは、すぐにでもそのパン屋に向かおうとするも……
「グルゥ!」
ドラゴンローブの裾をクチバシで咥えたセトが、そう喉を鳴らす。
何をするんだ? と一瞬戸惑ったような視線をセトに向けるレイだったが、再びセトが喉を鳴らしつつ、別の屋台に視線を向ければ、セトが何を言いたいのかは大体理解した。
つまり、折角たくさんの屋台があるのだから、他の店にも寄っていこうと。そう言いたいのだろう。
「うーん、何を言いたいのかは分かる。分かるけど……これくらいに美味いパンだと、ゆっくりしていれば売り切れる可能性が高いぞ? それでもいいのか?」
「グルゥ? ……グルルゥ」
レイの言葉に、セトは少し考えながら通りにある屋台を見る。
スープ、串焼き、煮物、炒め物……それ以外にも木の実を炒った料理や、まだ調理されていない肉を売っている店すらある。
そういう店をスルーしてパンを売っている店に行くのかと言われれば……レイとしても、少し考えざるをえない。
パンを売っている店で買った後で、他の屋台で食べ物を買うという方法も、ない訳ではない。
だが、レイとセト……それにブルーイットという二人と一匹は、周囲の視線をこれでもかと集めている。
それこそ、レイ達が動けばその視線も後を追ってくるかのような……そんな感じで。
そんなレイ達がこの辺りを行ったり来たりすれば、普通の通行人達にも色々と迷惑になりかねない。
そう判断し、レイは結局セトからの忠告に従うことにする。
「意外と弱いな、お前」
セトのお願いにあっさりと屈したレイを見ながら、ブルーイットは若干意外そうに告げる。
そんなブルーイットに対し、レイはそうか? と首を傾げた。
実際、今のやり取りを思い出す限りでは、そのようなことになっているのか? と思わないでもなかったが……それでも、そこまでおかしな話ではなかったと、そう思った為だ。
「取りあえず、色々と買ってみたいとは思ったからな。それに……お前みたいに目立つ奴と一緒にいるってだけでも、色々と視線を集めることになるんだから、その辺もちょっとは気にしろよ」
「そうか? 俺は目立つからな。はっはっは」
わざとらしい笑い声を上げるブルーイットの様子を眺めつつ、レイは取りあえず近くにあったスープ屋に向かう。
今日は雪が降っていないとはいえ、冬だけあって十分に冷える。
だからか、その屋台の前には五人程だが行列が出来ていた。
レイとセト、そしてやはりレイと一緒に行動することにしたらしいブルーイットは、大人しくその行列に並ぶ。
「え?」
まさかあれだけ目立っていた集団が自分の後ろに並ぶとは思っていなかったのか、列の最後尾にいた男は驚きの声を上げる。
そうして驚いた男は、もしかしてレイ達に列を譲った方がいいのでは? と思わないでもなかったが、この列は進むのが早い。
当然だろう。器にスープを入れて貰って、料金と交換するだけなのだから。
屋台の料理としては若干高い値段設定になっているが、それはあくまでも食器も込みの値段だ。
食べ終わった後に皿とスプーンを返せば、相応の料金は戻ってきて他の屋台と同じくらいの値段となる。
勿論、自分で何らかの食器を用意するという方法を使えば、それだけ安くはなるのだが……このお祭り騒ぎに、スープを飲む為の食器を持ってくるような者がそういる筈もない。
ただし、ミスティリングを持っているレイの場合は、その中に食器は普通に入っているのだが。
だからといって、レイもここでわざわざ別に食器を取り出すといった真似はしない。
何故なら、食器は使えば洗わなければならない。
つまり、ここで自分の食器を使った場合は、当然のように洗う必要があるのだ。
そのような面倒をするのであれば、普通に屋台で使われている食器を使った方が手っ取り早い。
そんな訳で列が進んで行き、やがてすぐにレイ達の番になる。
「スープ三つ」
「あいよ。今日の英雄にうちのスープを食べて貰えるってのは、嬉しいね」
食べる? と、店主の口から出た言葉に一瞬疑問を抱くが、実際に渡された器を見れば、その表現にも納得がいく。
具がたくさん入っているスープというのは、そこまで珍しいものではないのだが……渡されたスープは、明らかに普通のスープよりも具が多かった為だ。
ジャガイモや大根や人参に似た野菜に、豆、そして肉……そのスープを見てレイが感じた第一印象は、豚汁? というものだった。
具の多い味噌汁として、レイが一番印象強いのが、豚汁だったというのも影響しているだろう。
実際にスープの中に入っているのは猪の肉だったり、内臓だったりするし、味付けも当然のように味噌ではないのだから、豚汁と呼ぶには少し無理があるスープではあったが……それでも、渡されたスープが美味かったのは、間違いない。
「グルゥ!」
地面に置かれたスープを、セトが嬉しそうに飲み、食べる。
レイとブルーイットはその横で同じくスープを味わっているが、ブルーイットは不意にレイに視線を向け、口を開く。
「いいのか、俺に奢って。俺だって金に困ってる訳じゃないんだから、自分で払うぞ?」
「別にいいさ、このくらい。今日の模擬戦で儲けたし、さっきブルーイットからはサンドイッチを貰っただろ。あれのお返しだと思えばいい」
「そう言うのなら、こっちも遠慮なく貰うか」
レイの言葉にブルーイットもそれ以上は何も言わずにスープを味わう。
濃厚な猪の旨みがスープに溶け出しており、かなりの脂が浮かんでいるスープは、身体を暖める為に食べるのに相応しい。
そんな風にスープを味わっていると……不意に、レイがその動きを止める。
同時にセトもスープの皿から顔を上げ、周囲を見回す。
「おい、どうした? 何かあったのか?」
何故いきなりレイとセトがそのような行為をしたのかは、ブルーイットにも分からなかった。
だが、何の理由もなくそのような真似をする訳ではない以上、恐らく何かそうすべき理由があったのだろうと判断し、ブルーイットが尋ねる。
「……いや、何でもない。ちょっと俺を見てる奴がいたらしいんでな」
この場合の見ているというのは、それこそただ興味深くレイ達を見ている訳ではなく、別の意味を持っているのは明らかだ。
そんなレイの言葉に、ブルーイットも注意深く周囲を見回すのだった。