1806話
昨日の投稿で、間違って1805話に1806話を投稿しました。
まだ読んでない方は、前話をお読み下さい。
「え? それ本気で言ってるのか?」
ブルーイットと会った日の翌日。
ゲオルギマの部下――もしくは弟子――が作ったサンドイッチや肉と魚、野菜といった具がたっぷりと入ったスープで朝食を終えたレイは、ミランダに言われたことに対して思わずそう返す。
だが、レイのそんな言葉に、ミランダは当然だと言いたげに頷く。
「勿論です。今年も後十日程。そして新年になった翌日にはもうパーティーが開かれます。そうである以上、パーティーに着ていく服は今のうちにきちんと注文しなければなりません」
「いや、だって服ならエレーナの両親と最初に食事をした時の奴があるだろ? あれじゃ駄目なのか?」
「駄目ではありませんが、やはりしっかりと身体にあった服を用意した方がよいかと」
この世界において、基本的に服というのはオーダーメイドで作る物が殆どだ。
だからこそ古着屋の類もかなりの数があるし、場合によっては母親が子供の服を縫うことも珍しくはない。
それだけに、レイが食事会の時に着た服装はケレベル公爵の方で用意したもので、非常に高価な服装ではあったが、どうしてもオーダーメイドの服には劣る。
そしてパーティーに参加する貴族というのは、全員がオーダーメイドの服を着ており、それだけに他人が似合わない服装を着ていれば見抜く目もある。
特にレイは、色々な意味で貴族派の貴族の注目を浴びているのだから、その視線はより厳しいものになるだろう。
そうならない為には、やはりきちんとした服装を用意しておいた方がいいのは確実だった。
「それに、レイさんの能力を考えると、この手のパーティーに出る機会はこれから幾らでもあるかと。なら、この機会に作ってみてはどうでしょう? 旦那様から支払いはケレベル公爵家でと言われてますし」
その言葉に、レイは少し考える。
自分の名声――と呼ぶのかどうかは分からないが――を考えると、将来的にそのようなパーティーに参加させられるのは間違いない。
いや、今までその手のパーティーに呼ばれなかったことの方が、寧ろおかしかったのだ。
それは、レイが辺境のギルムを拠点にしていたというのもあるし、ダスカーがそれとなく庇っていたというのも大きい。
……何より、レイが貴族であっても一切の容赦をしない人物であるという噂があることが大きいだろう。
だが、ケレベル公爵邸で行われる新年のパーティーに参加する以上、これからはレイをパーティーに参加させようと考える者が出てくるのは、ほぼ間違いないだろう。
未知の存在は恐ろしいのだが、それでも一度目にしてしまえば、それは未知ではなくなるのだから。
その辺りの事情を考え、取りあえずこれから先も他のパーティーに参加するしないに関わらず、いざという時の為にパーティーで着るような服を一着は持っておいても損はないだろうと判断する。
(幸い、俺のこの身体はこれ以上大きくなったりする様子は、今のところないけどな。……いや、別にそれは幸いじゃないか?)
レイは、この世界にやって来てから……正確には今の肉体に宿ってから、全く背が伸びてはいない。
体格が変わらないというのはいいのだが、出来ればもっと大きくなってからにして欲しかった、もしくはもっと大きな身体を作って欲しかったというのが、正直なところだ。
このエルジィンにおいて、二mを超える身長を持つ者はそこまで多い訳ではないが、それでも確実に日本よりは多い。
それだけに、レイはどうしても侮られることも多い。
……それでも、最近ではレイの深紅という異名も広がり、レイを見た目で侮るような者は少なくなってきた。
ともあれ、恐らくこの先もレイは身長が伸びない以上、もしパーティー用の服を一着作っても、将来的に体型が変わって入らなくなるということはない筈だった。……上ではなく、横に大きくなれば話は別だったが。
「分かった、服を作るよ。……けど、間に合うのか?」
このエルジィンに来てからも、そして日本にいた時も、レイがオーダーメイドで服を作ったことは一度もない。
だからこそか、レイはオーダーメイドをするとなれば、一ヶ月程度は間違いなく掛かるだろうという印象があった。
それは、実際に間違っている訳ではない。
だが……ここはアネシスで、レイが今いるのはケレベル公爵邸だ。
大抵の無理なら、公爵という爵位があっさりと通してしまう。
「大丈夫です。旦那様からもその辺は問題ないと言われてますから。……では、早速ですがこれからすぐにレイさんの寸法を測りたいと思いますが、よろしいですか?」
「は? ミランダが測るのか?」
疑問を抱きつつも、ケレベル公爵邸で働いているメイドであれば、そのようなことが出来てもおかしくはないという思いもある。
レイのそんな疑問を、ミランダは首を横に振って否定した。
「いえ、職人の方が既に来て待っています」
「……そうなのか……」
もし自分が服を作らないと言ったら、職人は呼ぶだけ無駄だったのではないか。
一瞬そう考えるも、恐らく元からレイが服を作るというのは予想されており、断ることはないと判断していたのだろう。
その判断をしたのが、ミランダか、エレーナか、もしくはケレベル公爵たるリベルテなのか。
それはレイにも分からなかったが、ともあれレイの行動を読んでいたのは事実だ。
「通してもよろしいですか?」
「ああ、好きにしてくれ。……ただし、その服の料金は俺が支払う」
「旦那様からは、ケレベル公爵家の方で支払うと言われてますけど……」
「厚意はありがたいと思う。けど、今回の服は俺が後々まで使うことになりそうだ。だからこそ、その服の代金は自分で支払いたい。幸い、金には困ってないしな」
レイがこれまで得てきた財産は、それこそ人が数回生まれ変わっても遊んで暮らせるだけの金額がある。
それこそオーダーメイドの服であっても、余裕で買えるだけの金額が。
レイの様子を見て、これ以上言っても無駄だと判断したのだろう。ミランダはやがて頷きを返す。
「分かりました。旦那様の方には私からその旨、知らせておきます。それでは、早速職人の方をお呼びしてもよろしいでしょうか?」
その言葉に、レイは頷きを返すのだった。
レイがケレベル公爵邸で身体の寸法を測っている頃……ガイスカはデオトレスからの報告を聞いていた。
だが、ガイスカの表情に浮かぶのは、不愉快さのみだ。
「何故、これ程に人数が集まらない!? 人を一人殺すだけの簡単な仕事だぞ!」
そう、ガイスカが苛立っているのは、それが最大の理由だった。
レイに深い恨みを抱いているガイスカが選んだその行動は、今が冬でなければ大いに効果を発揮した可能性もあるだろう。
襲うべき相手がレイだというのは隠しているので、デオトレスから依頼を持ち掛けられた相手が深紅の異名に怯えるという可能性はない。
それこそ、良い稼ぎだと判断して、喜んで依頼を受けていた可能性が高い。
実際デオトレスもそのようなことになると予想していたのだが……予想外なことに、声を掛けた腕利きの冒険者の多くは冬の間は仕事をしないと決めている者が多かった。
いや、残念なことにというか、これはある意味仕方がなかったのだろう。
腕利きの冒険者であれば、余程のことがない限りは雪が降るまでに冬越えの資金を貯めるのは難しい話ではなかっただろうし、そのような人物がわざわざギルドを通さないで怪しい依頼を受ける理由もない。
勿論、アネシスはミレアーナ王国第二の都市だけあって、集まっている冒険者の数もかなり多い。
そんな冒険者の中には、怪しげな依頼を受ける者がいてもおかしくはないが……今回は運悪く――もしくは運良くか――そのような冒険者はいなかった。
この場合、問題なのはただ人数を揃えればいいというだけではないことか。
レイと戦わせるということになるのだから、レイを消耗させる為にも人数以外に出来るだけ腕の立つ者が欲しい。
だが、そのような者達を集めることが出来なかったのだ。
「一応色々と当たってみたんですけどね。どうも、当てにしていた者達に軒並み断られてしまいまして」
「何故だ! ただの冒険者風情が、私からの命令……いや、依頼を断るというのか!」
命令と口に出してしまったところが、ガイスカにとっての偽りなき本音なのだろう。
とはいえ、冒険者を下に見ている者は別にガイスカだけという訳でもないので、これが異常という訳でもないのだが。
「なら、どうしろと? このまま、あのレイとかいう下賤の者を好き放題にさせておけというのか? エレーナを正気に戻す為には、俺が動く必要があるんだ!」
俺が動く。
そう言いながらも、ガイスカは本当の意味で自分で動くつもりはなかった。
自分が指示し、その指示に従って冒険者を雇い、レイを倒す……のは無理でも、自分に恥を掻かせたことを後悔させる。
そのつもりだったのだが、今回の一件では最初から躓いた様子だった。
自分の中にある苛立ちを抑えるように、グラスに注がれたワインを口に運ぶ。
まだ午前中にも関わらず、朝から酒を煽るのは色々と問題があると分かってはいたが、そうでもしなければまた苛立ちが頂点に達して使用人で憂さ晴らしをしてしまう。
あの日、レイによって恥を掻かされた日から、既に何人もの使用人達がガイスカの八つ当たりの対象となっている。
ガイスカもそれを自覚しているからこそ、多少は我慢をする気になり、自分の中にある苛立ちを治める為にこうしてワインを口に運んでいた。
それこそ、迂闊に刺激をすればガイスカが何をするのか分からない状況でありながらも、デオトレスは特に何かを感じた様子もなく、口を開く。
「やはり匿名の依頼というのが怪しまれている原因でしょうな」
「……セイソール侯爵家の名前を出せということか?」
「はい。そうなれば、セイソール侯爵家との繋がりが欲しい者達が接触してくるのは間違いないかと」
「だが……」
デオトレスの言葉に、ガイスカは握っていたワイングラスを眺めつつ、迷う。
現在はセイソール侯爵家の名前を出さずに冒険者を雇おうとしている。
それが怪しさを増し、多くの者に忌避された理由でもあるのだが……セイソール侯爵家の名前を出せば、当然のようにコネを欲しがっている者はそれを受けるだろう。
だが、セイソール侯爵家の名前を出すということは、当然のように自分が裏にいると知らせることになる。
そのような冒険者達がレイを襲えば、誰がそれをやったのかというのは明白になるだろう。
もっとも、現在このアネシスでレイに深い恨みを抱いているのはガイスカだけだ。
そんな状況で襲撃をするような真似をすれば、当然のように誰がそれをやったのかは明白になる。
ここがアネシスでなくセイソール侯爵家の領地であれば、セイソール侯爵家という名前でどのように対処することも難しくはないのだが。
「厄介な」
「そうですね。それで提案なんですが、いっそレイを殺すというのはなしにしてはどうでしょう?」
「……あれだけ俺に恥を掻かせた相手を許せ、と?」
「いやいや。そこまでは言いませんとも。ただ、現状を考えるとレイを殺す為の人材を集めるのは無理です。異名持ちもアネシスには何人かいるみたいですが、そのような者達も……いや、だからこそでしょうか。怪しい依頼を引き受けたりはしないでしょうが」
異名持ちというのは、それだけのビッグネームだ。
自分の裁量で大体はどうにか出来るのだから、わざわざ怪しい依頼を引き受ける必要はない。
勿論、世の中にはスリルや強敵との戦いを好むという者もいる。
そうである以上、絶対依頼を受けないという訳ではないのだが……それでも、可能性としてはかなり低い。
「では、どうすればいい? そう言ってくるのだから、何か腹案があるのだろう? もし何もないのにそのようなことを言ってるのであれば……」
「勿論ありますとも」
ただではすまさない。
そうガイスカが言おうとしたのを、デオトレスは遮るように言う。
ガイスカはそんなデオトレスの態度に若干不満そうな表情を浮かべたが、現在はそれよりもレイに報復することの方が重要だったこともあり、話の先を促す。
「それで、どうする?」
「まず、報復するのはいいとして、殺すということは忘れて下さい。少なくても、今回の一件ではそこまで出来ませんから」
「な……」
ガイスカはレイを絶対に殺すと。
そうして自分に……セイソール侯爵家の者に逆らった報復をしてやると決めていたのだ。
それが、何故急にそのようなことを言うのだと、苛立たしげな視線がデオトレスに向けられる。
だが、その視線を向けられた本人は気にした様子もなく、口を開く。
「模擬戦はレイを殺す為ではなく、レイの強さを知る為にやらせるのはどうです? それなら、レイの強さに興味を持った冒険者が多く集まる可能性が高いですし、こちらも名前を隠す必要はありませんから」
そう、笑みを浮かべながらデオトレスは告げるのだった。