1800話
騎士団から派遣されたのは、レオダニスだった。
レイと模擬戦をした経験もあるので、その辺りも選ばれた理由なのだろう。
そのレオダニスも、セトを間近で見た時には驚きの声を上げる。
「うおっ! これが……グリフォンか」
「ん? ベスティア帝国の戦争には参加しなかったのか? あの時は普通に俺もセトと一緒に参加してたけど」
頭を擦りつけてくるセトを撫でるレイが尋ねると、それを聞いたレオダニスはそっと視線を逸らしながら口を開く。
「俺が正式に騎士として騎士団に配属されたのは、あの戦争が終わった後なんだよ」
「あー……なるほど」
何だかんだと、あの戦争が終わってから既に数年が経っている。
そうである以上、その数年で騎士になった者がいてもおかしくはないだろう。
「セトは危害を加えるような真似をしなければ、特に何かをしたりはしない。……けど、レオダニスが俺と一緒に来るのは、セトを見てアネシスの人達が騒動を起こさないようにする為だろ? なのに、そんなにセトを怖がっていて大丈夫か?」
半ば挑発的に、レイが告げる。
そんなレイの言葉に、レオダニスは予想通りに怯えや驚きといった表情を消して口を開く。
「べ、別にそこまで怖がってる訳じゃない、こうして見れば可愛いものじゃないか」
レオダニスが強がっているというのは明らかだったが、本人は自分の様子に気が付いた様子もなくセトに手を伸ばす。
どうなる? と、ミランダはその様子を見守る。
とはいえ、緊張しているのはあくまでもミランダだけで、レイはそこまでセトの反応を気にしている様子はない。
もしレオダニスがセトに危害を加えるような真似でもすれば話は別だったが、レオダニスがやろうとしているのは、あくまでもセトを撫でようとしているだけだ。
いや、寧ろセトにとっては、今は恐る恐るであったが自分を撫でてくれる相手が増えるというのは、嬉しい。
敵意のようなものも感じないので、寧ろ自分から頭をレオダニスの方に向けて撫でやすくすらしている。
「……お?」
そんなセトの気遣いに気が付いた訳でもないだろうが、そっとセトの頭に乗った手は、レオダニスが思った以上に柔らかな感触を伝える。
そのことに少しだけ驚いたレオダニスだったが、撫でる感触が楽しく、何度となくセトの頭を撫でる。
レイとしては、もう暫くセトに慣れるレオダニスという光景を見ていてもよかったのだが、アネシスの中を色々と見て回りたいという思いもあるのでそうも言ってられない。
今の季節は冬ということもあり、日が沈むのは早いのだ。
もう午後になっている以上、出来るだけ早く屋敷を出たかった。
「レオダニスもセトに慣れたみたいだし、早速行くか。……いいよな?」
「あ? ああ。問題はない。セトを見て驚かないように、きちんと一緒に行動する」
そう告げるレオダニスは、先程までセトを撫でていた手を触りながら、恐る恐るといった様子でセトを見る。
そんなレオダニスに、セトはどうしたの? と円らな瞳を向ける。
セトは……グリフォンは恐ろしいモンスターだというのは、当然知っている。
それでもこうして円らな視線を向けられれば、本当にセトが警戒すべき相手なのか? と疑問に思ってしまう。
「グルゥ?」
「セトがどうかしたのか? って疑問に思ってるみたいだぞ」
セトの言葉を、レイが通訳する。
セトが何を言いたいのか、レイもそれを全て分かる訳ではないが、大体の意味は理解出来た。
「え? ああ、いや。何でもない。ただ、ちょっと……俺が聞いてた話だと、グリフォンはかなり凶暴だって話だったからな。それがこんなに人懐っこいというのは、かなり予想外だったんだ」
「あー、なるほど」
レオダニスの言葉に、レイは納得の表情を浮かべる。
それは、セトと触れあった者であれば大抵の者が浮かべる疑問だ。
それこそ、中にはセトがここまで愛らしいのなら、ランクAモンスターという評価はおかしいのではないか? と、そうレイに尋ねる者もいた。
「セトは基本的には大人しいし、人懐っこい。それこそ、モンスターとは思えないくらいに知能も高い。けど、それはあくまでもセトという個体だからこそだ。人間でもそうだろう? 善良な奴もいれば、悪党もいる。そういう意味で、セトはかなり善良な部類に入る」
そうなった理由は、レイも何となく理解出来る。
セトは純粋なグリフォンという訳ではなく、あくまでもレイが魔獣術によって生み出したグリフォンだ。
そのような生まれだからこそ、セトは幾らかレイのもつ人間性とでも呼ぶべきものを受け継ぎ、善良な性格になったのだろう。
(もっとも、これはあくまでも予想だし、軽々しく人に言える訳でもないからな。それに、俺の人間性を引き継いだにしては、妙に人懐っこすぎるような気もするし)
自分の性格を考えると、セトとそこまで似ているのか? という疑問は抱く。
だが、レイとセトにも似ている場所はあった。
食事を楽しむところや、一度敵と判断した相手には容赦しない……といったように。
そう考えれば、似ていないという訳でもないのだろう。
「取りあえず、セトが特別だと思っておけばいい。言っておくけど、もし野生のグリフォンに遭遇しても、決して近づいたりはしないようにしろよ。野生のグリフォンは、セトみたいにこっちの様子を見ていたり、ましてや甘えてきたりはしないからな」
セトの愛らしさを知った者であれば、それこそ野生のグリフォンを見た時にセトと同じように愛でることが出来ると思ってもおかしくはない。
だが、もし野生のグリフォンを相手にそのような真似をしようとすれば、それこそ命を奪われるのは確実だった。
……せめてもの救いは、グリフォンがランクAモンスターという存在であるということだろう。
普通に暮らしている者であれば、まず一生出会うことはないのだから。
「あ、ああ。分かった。……俺だって、セト以外のグリフォンにこんなことをしてもいいとは思っていない」
レイの言葉にこれ以上ない程に真剣な表情があったからか、レオダニスは少しだけ表情を真剣にして頷きを返す。
「分かったなら、それでいい。じゃあ……そろそろ街に出るか」
このアネシスは規模的に都市である以上、街に出るという表現はおかしいのかもしれない。
だが、表現的にはその方が似合うと判断し、結局レイはその言葉を直すようなことはしなかった。
そして、レオダニスやミランダもそんなレイの言葉に違和感はなかったのか、特に何も言わずにそのままケレベル公爵の屋敷を出るのだった。
「らっしゃい、らっしゃい。今なら干し肉が安いよ! これから本格的に雪が降り始めたら、外に出るのも面倒になる筈だ。だから、今のうちに日持ちする干し肉は買っておいた方がいいよ!」
「冬といえば、これ! うちには冬を乗り切る為の、暖かい服が幾つもあるよ。新品じゃなくて中古だから、手頃な値段で買えるよ!」
「冬に雪が降れば、家の前の雪をどうにかするだけで一仕事だ。そんな時、代わりに雪掻きをするよ! 一冬ごとの契約だから、今のうちに契約してしまえばこの冬は雪掻きに困るようなことはないよ!」
「寒い身体にはこれ! 肉がたっぷり入った特製スープはどうだい! 身体が暖まるよ!」
ケレベル公爵邸から出て、数十分。
レイ達は人がたくさん行き交っている通りにやってきていた。
都市という規模だけあって、そこにいる人数はかなり多い。
もっとも、それでも少し前までのギルムに比べれば、どうしても少ないように感じるが。
(色んな場所からギルムに集まってたんだから、それも当然なんだろうけど)
特にギルムでは一時期宿の数が足りなくなる程に人が増えるという事になり、臨時で宿……という程に上等なものではなく、素泊まりする為の場所を作ることにすらなってしまった。
それでも建物が足りずに路上で寝るような者がいたのだから、当時のギルムの人口密度がどれだけのものだったのかが明らかだろう。
「で、レイは何を見たいんだって? 武器とかなら俺……正確には騎士団の皆が行く店があるけど」
そう尋ねるレオダニスだったが、レイ達の周囲に人がいない状況はどこか異様と表現してもよかった。
やはり、セトの存在がこの状況に影響を与えているのだろう。
それでもレオダニスは、セトが決して人を襲うような存在ではないと知っている。
勿論セトと会ってからは、まだ一時間経ったかどうかといった程度の時間しかすぎていないのだが、セトの大人しさ、愛らしさ、人懐っこさは、レオダニスにとってそう判断するには十分だった。
……この辺り、レイの案内兼監視としてレオダニスを選んだ者の慧眼と言えるだろう。
もし騎士団から派遣されてきた騎士がレオダニスよりも年上だった場合、下手にレイとセトがベスティア帝国との戦争でどれだけ活躍したのかを自分の目で見ている為に、こうまで素早く馴染むことは出来なかった筈だ。
レオダニスも当然のように、ベスティア帝国での件は知っている。
だが、それはあくまでも知っているだけ……人伝の情報にすぎない。
直接自分の目でその戦いを見た者と、あくまでも人伝に聞かされた者。
同じ情報を持っていても、その違いは限りなく大きい。
実感、という言葉で表現してもおかしくはないだろう。
レイはそれを理解出来るからこそ、フィルマやケレベル公爵にレオダニスを派遣してくれたことを感謝する。
「武器屋か。興味がない訳じゃないけど、武器には困ってないんだよな」
「……まぁ、あの大鎌や槍を見れば、レイの言いたいことも分からない訳じゃないけどな」
レオダニスやその知り合いにとって、レイを案内しようとした武器屋は行きつけの店と言ってもいい。
勿論それはケレベル公爵騎士団の行きつけという訳ではなく、あくまでもレオダニスの行きつけでしかない。
結果として、その店にある武器はそこまで立派な代物ではなかった。
安くてそこそこの品質という種類の武器。
勿論レオダニス達が普段使っている武器の類は、騎士団で用意した代物も多い。
だが、騎士団で用意した品はあくまでもそこそこの品質の代物で、それ以外の武器を使いたい……それこそ、自分の手にしっかりと馴染む武器を使いたいのであれば、自分で用意する必要があった。
その為に、行きつけの武器屋という店が存在している。
もっとも、それ以外にもメインで使う武器以外の補助として使う武器を用意したりする為にも、その店はよく使われていたが。
そのような説明をレオダニスから聞かされ、レイは少しだけその店に興味を持つ。
メインとして使う武器ではなく、補助として使うような武器というのが気になったからだ。
とはいえ、それはあくまでも少し興味を持っただけで、何か武器を買おうとは思わない。
補助の武器といえば、レイにはネブラの瞳がある。
魔力によって鏃を生み出すというそのマジックアイテムは、指で弾いたり投げたりして相手に攻撃するという補助の武装だが、時間が経てば鏃が消えるということもあり、使い捨ての武器としては非常に便利だった。
難点としては、矢を魔力によって生み出すという元々のマジックアイテムから現在の形にした影響として、ネブラの瞳を使うには大量の魔力が必要とされる。
実際、以前にレイよりはネブラの瞳を使いこなせるだろうとビューネに使わせようとしたのだが、魔力量の問題で鏃を生み出すことは出来なかった。
「そう言えば、メイドの間で人気の焼き菓子のお店がありますけど、そちらに行ってみますか?」
レイが武器屋に対してあまり興味を抱いていないと判断したのだろう。ミランダは行く場所についてそう提案してくる。
「焼き菓子? それって、どういうのだ?」
「あ、はい。パン生地のようなものを使ってるんですけど、それに蜂蜜を付けて焼くんです。サクッとした食感がたまりません。それに木の実や干した果実の類も入ってるので、味も一口ごとに変わっていきますし」
食べた時の味を思い出しているのだろう。幸せそうに呟くその様子を見たレイは、その焼き菓子を自分も食べたくなる。
(あれ? でもパン生地ってことは正確には焼き菓子じゃなくて菓子パンって表現すべきなのか? それに、似たようなパンを以前食べたこともあったような気がするけど……ああ、エグジルにあるパン屋か)
エレーナと共に行った迷宮都市エグジルのパン屋で、今ミランダが説明してくれたようなパンを食べた記憶がある。
それが全く同じとは限らないが、だからこそ違う味を楽しみたいと思った。
それはレイだけではなくセトも同様で、ミランダの言ってる店に行こうと喉を慣らし……レイは武器屋のことはすっかりと忘れ、焼き菓子を買いに行くのだった。