1795話
「へぇ……じゃあ、エレーナ様はギルムでもかなり活躍してたのね」
「ああ。ギルムが増築工事をするということで、色々と厄介な事件も起きたけど、エレーナがいるおかげで解決した件も多い」
レイの言葉に、テレスは感心したように頷く。
テレスにしてみれば、エレーナが活躍したというのはそれ程珍しい話ではない。
それこそ、戦場で何度となく大きな活躍をしたから姫将軍という異名を得るにいたったのだから。
それでもこうしてレイの言葉に感心した様子を見せているというのは、レイに対するおべっか……というのもあるだろうが、それ以外にも貴族派以外の場所でエレーナが活躍していることに驚いているというのも大きい。
テレスにしてみれば……いや、他の貴族派の貴族にしても、エレーナといえばやはり貴族派の象徴たる姫将軍という立場なのだ。
そうである以上、その活躍が珍しいというのもある。
……もっとも、話の種にされている本人は若干照れ臭そうだったが。
エレーナも、自分が色々と話の種にされているというのは知っているし、実際に目の前でそのような話をされることも珍しくはない。
だが、それがレイの前でやられるとなると、かなりの恥ずかしさを伴ってしまうのも事実だった。
そうして、エレーナが何かを言おうとした時、それを遮るような形で部屋の扉がノックされる。
エレーナが許可をして扉が開くと、そこにはメイドの姿。
「失礼します。お嬢様、ラニグス・ミューゼイ様とガイスカ・セイソール様がいらっしゃいましたが、どうなさいましょう」
「あら、ラニグスとガイスカが一緒に? 随分と奇妙な取り合わせね」
メイドの言葉に若干ながらも驚いた様子を見せたのは、テレス。
アネシスに住んでいるテレスにとって、ラニグスやガイスカとは顔馴染みだった。
もっとも、本来であれば同じ貴族派のガイスカの名前が先に出るのが普通なのだが、ラニグスの方が先に来ているのは、どちらに好意を抱いているのかということの証でもあるのだろう。
実際、メイドが口にしたのもその順番だった以上、ガイスカがどのように思われているのかを表している。
「ふむ……そうだな。どうするべきか」
少し迷った様子を見せるエレーナ。
もしこれがラニグスだけであれば、エレーナも特に気にした様子を見せずにこの場に通させただろう。
ラニグスは国王派の貴族ではあるが、常識……貴族としての常識ではなく、普通に人と接する上での常識を持っている人物だと、知っているからだ。
だが、ラニグスと一緒に来たガイスカは、侯爵という高い爵位の家の出身だけあって、プライドが高い。
それも本人の実力ではなく、無条件で自分が優先されなければおかしいと思っているような、そんなプライドだ。
そのような人物がレイと遭遇すればどうなるのか。
それはレイの性格を知っているエレーナであれば、当然のように理解出来た。
ガイスカは貴族派の貴族の中でも、それなりに影響力を持つセイソール侯爵家の人物でもあり、そのような人物がレイと揉めるのは、エレーナの立場としては見たくはない。
「その……出来ればレイ様に挨拶をしたいとのことなので、こちらに通して欲しいと」
「……何? それは誰が言った?」
「ラニグス様ですが」
メイドの言葉に、エレーナは若干眉を顰める。
色々とチグハグな部分がある、と。そう考え……すぐにラニグスが何を考えているのかを予想する。
(国王派としては、レイと……いや、中立派と貴族派がこれ以上接近するのは避けたいといったところか。そして貴族派の中にはガイスカのような者もいる。つまり……)
ここでレイとガイスカをぶつけて、レイに貴族派に対する嫌悪感……とまではいかないが、あまり仲良くしたい相手ではないと認識させたいのだろうと。
そう予想しながらも、エレーナはそこから更に数秒考え、頷きを返す。
「分かった。では二人をここに案内してくれ」
「エレーナ様!?」
アーラも、エレーナが考えたところまでは理解出来ていた。
だからこそ、今回は会わないか、会うにしてもレイのいない場所で改めてと、そのような話の流れになると思っていたのだ。
だが、エレーナが口にしたのは、ここに呼ぶということ。
それはつまり、明らかにここでレイとガイスカがぶつかる……いや、ガイスカがレイに難癖を付けるということを意味していた。
そのようなことになるのが分かっているのに、何故。
そんなアーラの視線を向けられたエレーナだったが、全て分かっているといったように頷きを返す。
(もしここで断るようなことをすれば、恐らくラニグスは私を経由してではなく、独自に接触しようとする筈だ。私の知らない場所で接触されるよりは、私がいる場所で話した方がいい。そして、ラニグスは私がそう考えると判断した上で、ガイスカと二人でやって来たのだろう)
つまり、ラニグスとガイスカの二人が揃ってやってきた時点で、エレーナにとって最善の選択は、ここに二人を呼ぶことだったのだ。
エレーナは自分が一歩遅れをとったことを理解しながらも、レイを前にラニグスがどのような行動を取るのだろうかと、少しだけ楽しみに思う。
「構わん。ラニグスとガイスカもわざわざこの場に来たいと言ったのだ。そうである以上、何らかの理由があるのは確実だ。であれば、何の理由もなくそれを断る訳にもいかんだろう」
「理由なら……」
レイ殿がいるじゃないですか。
そう言いたいアーラだったが、エレーナの様子を見た限り、ここで何を言っても恐らく無駄だと判断して黙り込む。
テレスはこれから何が始まるのかと期待に満ちた表情を浮かべていて、エレーナを止めるような様子は一切ない。
「では、ラニグス様、ガイスカ様をここにお招きしてよろしいですか?」
「うむ」
エレーナの言葉に、メイドは頭を下げて部屋を出ていく。
あー……と、そんなメイドが閉めたドアに向かい、アーラが微妙に何かを言いたそうに手を伸ばしていたが……結局、それが言葉に出ることはなかった。
その代わりといったように、アーラはエレーナに向けて確認するように尋ねる。
「本当にいいんですか? 間違いなく騒動になりますよ?」
アーラもエレーナの部下だけに、当然ラニグスやガイスカのことは知っている。
とはいえ、アーラはスカーレイ伯爵家の三女という立場である以上、侯爵家のガイスカにとっては格下という扱いになる。
……三女も四男も、どちらも家を継ぐのは不可能な可能性が高い以上、ガイスカが思っている程に立場の違いというのはないのだが。
いや、寧ろエレーナの部下として護衛騎士団の団長という地位にいる分、対外的にはアーラの方が立場が上と認識する者の方が多いだろう。
とはいえ、ガイスカにとってはやはり自分に流れている血筋の方が重要であり、全てなのだ。
そんな人物だけに、とてもではないがレイとの相性が良いとはいえない。
いや、寧ろ最悪と言ってもいいだろう。
(いざとなったら……私が止める必要があるわね)
戦闘力という点ではレイやエレーナに到底及ばないアーラだったが、それは比較対象が悪すぎるためだ。
特に鍛えていないガイスカが相手であれば、それこそ容易に押さえ込めるだけの剛力の持ち主だ。
エレーナのいる前で血を流させたくはない為に、アーラはそう決意を固める。
……その決意が、ガイスカに怪我をさせないようにという訳ではない辺り、アーラがガイスカをどう思っているのかを如実に示しているのだが。
「ふふっ、何だか面白そうなことになりそうね」
テレスが嬉しそうに呟き、それを聞いたアーラが何かを言おうとするよりも前に扉がノックされる音が部屋の中に響く。
そうしてエレーナが部屋に入ってもいいと許可を出すと、扉が開いて先程と同じメイドが姿を現す。
先程と違うのは、そのメイドが二人の男を案内してきたことか。
「やぁ、久しぶりだねエレーナ。相変わらず、いつ見ても美しい」
「ラニグスの言う通りだ。エレーナ、君はいつ見ても美しい。いや、暫く見ない間により美しくなったのではないか? ギルムなどという野蛮な地でも、君の美しさが色あせることはなかったらしいな」
その二人は十代後半から二十代前半といった年齢だった。
そして顔立ちも二人揃って整っているのだが、最初に喋った男――ラニグス――に比べて、後から喋った男――ガイスカ――はどこか性格の悪さが顔に出ている。
間違いなく美形と呼んでもおかしくはないだけに、そのことが余計に不思議だった。
特にガイスカの言葉は、ギルムを拠点としているレイだけではなく、ここ暫くはギルムで生活をしていたエレーナやアーラにとっても、不愉快な思いを抱くに十分な言葉だ。
ガイスカがそれを狙ってやっているのか、もしくはそれが素なのか。
それはレイには分からなかったが、少なくても好意を抱けというのはまず無理なことだった。
何故か……いや、レイがここにいるからだろう。嬉々としてギルムを貶し続けるガイスカに、レイは何かを言おうとするも……それより先に動く者がいた。
「ガイスカ殿、貴方の言動は不躾ではありませんか? ギルムの出身者がいる場で、そのように言うなど。それに、私もエレーナ様とギルムにはいましたが、あそこは活気があって良い場所でしたよ」
レイやエレーナが口を開くよりも前に、アーラがそう告げた。
だが、アーラの言葉を聞いたガイスカは、自分が嬉々としてギルムを貶していたという行為を邪魔されたことにより、不愉快そうな視線を向ける。
「スカーレイ伯爵家の三女如きが、俺に意見をするとは……エレーナの前だから見逃すが、図に乗るのも……」
「落ち着け、ガイスカ。エレーナの前で無用の騒ぎを起こすつもりか? それに、ギルムはつい先日までエレーナが滞在していた街だ。それを悪く言われれば、当然エレーナだって気分が良い訳ないだろう?」
ラニグスがガイスカの言葉を途中で止める。
ガイスカの言動は、ラニグスの予想通りの代物だった。
……いや、予想していたよりもかなり過激だった、と言うべきか。
特に誤算だったのが、アーラに対する口調だ。
アーラはエレーナの腹心兼親友として知られている。
当然そんなアーラを非難するということは、エレーナにとって良い気分を抱かせるようなことはない。
もしくは、アーラが間違っているというのが明らかな状態で非難するのであれば問題はないのだが、今回は明らかに言い掛かりでしかなかった。
客観的にこの状況を見た場合、非難されるのはガイスカの方だろう。
ラニグスはレイの自分に対する心証を良くする為に、こうしてガイスカと一緒に来たのだが……誤算があったとすれば、ラニグスがガイスカのレイに向けられる敵対心を過小評価していたことか。
ガイスカはこの部屋に入ってきてから、エレーナ、アーラ、テレスといった面々には視線を向けたものの、レイに対しては一切の視線を向けていない。
それこそ、そこに存在しているのを認識していないとでも言いたげな態度。
勿論本当にレイの存在を認識していない訳ではなく、レイは自分と話をするような存在ではないと、そう考えての行動だろう。
本来なら、レイもそのような態度を取られれば面白い訳がなかったのだが……見るからにレイが連想する、悪い意味で貴族らしい貴族だけに、ここでレイが何かを言えばエレーナに迷惑が掛かるのではないか……そう思っていたので無視していたのだが……
「ガイスカ、それはアーラに対する侮辱と考えてもいいのか?」
エレーナにとって、アーラは小さい頃からの親友だ。
そして同時に、もっとも信頼出来る部下でもある。
そのアーラを貶されて、それでエレーナが黙っていられる訳がない。
怒りを込めた視線を向けられたガイスカは、慌てて首を横に振る。
「いえいえ、まさかそんな。私は、ただ自分の立場を弁えて……」
一人称が俺から私に変わっているのは、自分とエレーナの立場の違いからのものだろう。
「なら、侯爵家の四男如きが公爵家の長女の気分を不愉快にさせるのは、どうなのかしら」
不意に飛び込んできたその声に、ガイスカの動きがピタリと止まる。
それは、ガイスカが言っていたことがそのまま自分に返ってきた形だったからだ。
爵位の高さで相手を黙らせようとしたガイスカだったが、立場という点では実際にエレーナの方が圧倒的に上だ。
そのエレーナを不愉快にする言動をしているお前は一体何なのかと。
一刺しであっさりとガイスカに致命的な一撃を繰り出したのは、テレス。
そんなテレスに、伯爵家如きが黙ってろ! そう叫びそうになったガイスカだったが、それよりも前に口を開く者がいた。
「さて、自分の能力ではなく血筋なんて下らないものしか自慢が出来ない者の、見苦しい茶番はこれで終わりか?」
今までガイスカのことを無視していたレイが、そう呟いたのだった。