1791話
セトとイエロと十分に遊んだレイは、メイドと共に部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。
「とはいえ、このまま部屋に戻っても特にやることもないんだよな」
レイにとってこの世界の大きなマイナス点は、娯楽の類が少ないことだった。
本の類はそれなりにミスティリングの中に入っているのだが、その殆どはモンスター図鑑のような実用書だ。
レイが日本にいた時に見ていた漫画や小説といったものはエルジィンには殆どない。
絵本の類はあるので、全くないという訳でもないのだが。
それ以外では、TVやDVD、BD、ゲームといった娯楽も当然のように存在しない。
演劇の類はあるのだが、そういうのはレイの趣味ではないこともあったし、正装をしたりしきたりの類があったりと、レイの好みではない。
「レイ様はかなり腕利きの冒険者だと聞いてますし、騎士団の訓練を覗いてみてはどうでしょう?」
セトやイエロとの付き合いを通じて、若干ではあるがメイドのレイに対する口調が柔らかくなっている。
そんなメイドの言葉に、レイはどうするべきか考える。
(騎士、か。エレーナが言うにはケレベル公爵領軍の軍隊はかなりの精鋭が揃っているらしい。特に騎士団長はかなりの強さを持ってるって話だったから、そいつと戦ってみるのもありか?)
そう思わないでもなかったが、騎士団長という地位にある者がレイから模擬戦をして欲しいと言われてすぐに受けるとも思えない。
(となると、普通に訓練に混ぜて貰うとか。……特に模擬戦とかだな)
特にやるべきことがある訳ではない以上、身体を動かしておくというのはレイにとってもそう悪い話ではなかった。
「分かった。じゃあ……あー……エレーナにその辺の事情を話した方がいいと思うか?」
「いえ、レイ様は自由に行動しても構わないと言われてますので、構わないかと」
「そうか? まぁ、そう言うなら訓練している場所に案内してくれ」
こうして、レイはメイドに案内されて、騎士団が訓練をしている場所に、向かうのだった。
「へぇ……随分と熱心にやってるんだな」
レイ達がやって来たのは、ケレベル公爵邸にある訓練場だった。
激しくはないが雪が降っており、当然のようにそのような環境で訓練をするのであれば、身体は冷える。
また、雪によって足が滑るといったこともあり、事実訓練場を走っている騎士と思しき者のうちの一人が、レイの視線の先で転んでいるのが見えた。
そんな騎士達を見ていたレイだったが、ふと騎士の先頭に立って走っている男の姿を見てその動きを止める。
明らかに、その男だけが特別だと理解出来たから。
いや、騎士と思われる男達は、全員が相応の技量を持っているのはレイの目でも確認出来た。
だが……先頭を走っている、三十代後半の男だけが、明らかに身体の動かし方が違う。
手の振り方、足の動かし方、重心の移動……どれもさりげない動きではあるが、他の者達よりも圧倒的に優れているのが、レイには理解出来る。
それは、レイだからこそ見抜くことが出来たようなものだろう。
とはいえ、その人物が一緒に走っている者達から尊敬され、強く信頼されているというのは、走っている者達の様子を見れば明らかだった。
そうしてメイドと一緒に走っている騎士達を見ていると、そんなレイとメイドの視線に気が付いたのか、もしくは単純に雪がちらついている中でメイド服を着ているメイドが外にいるのが目立ったのか、やがて騎士達は二人の存在に気がつき始める。
当然そんな状況であれば、騎士達の先頭を走っている人物もレイ達に気が付くのは当然であり……不意に、その男とレイの視線が交わった。
瞬間、レイの中に既視感のようなものが浮かぶ。
(どこかで会ったことが……ある、ような?)
レイがそう思ったのは、以前アゾット商会と揉めた時にその人物と戦ったことがあったからこそなのだが、レイがそのことに気が付いた様子はない。
ケレベル公爵領軍の人物だったし、ベスティア帝国との戦争の時にあったのか? という予想をすることしか出来なかった。
……もっとも、その人物がわざわざアゾット商会に手を貸すような真似をして、エレーナから話を聞いたレイという人物を確かめる為に動いたなどとは、想像が出来なくてもおかしくはない。
いや、寧ろそのようなことを想像出来た方がおかしいだろう。
「あの、先頭を走ってるのって?」
恐らく騎士団長か何かだろうと予想しながらも、確信を持てなかったレイはメイドに尋ねる。
そのメイドも、すぐにレイが誰のことを言っているのか理解したのだろう。
自慢げに笑みを浮かべて口を開く。
「あの方は、ケレベル公爵騎士団の騎士団長フィルマ・デジール様です。エレーナ様と並んで、ケレベル公爵軍の要の人物だと言われていますね」
そう告げるメイドの言葉に、レイは強い信頼を感じる。
フィルマと呼ばれた人物は、それだけケレベル公爵領において信頼されている人物ということなのだろう。
(あれがフィルマか。ああ、そう言えばベスティア帝国との戦争で会ったな。……エレーナから以前ちょっと聞いたことがあったけど……なるほど、噂通りの人物だな)
レイはここ最近ずっと一緒に行動していたエレーナから、その人物についての話を何度か聞いたことがあった。
メイドはエレーナと並ぶと表現していたが、エレーナからは自分よりも格上の存在であると、そう聞かされている。
もっとも、それはあくまでも指揮官としての話であって、純粋に個人として戦うのであれば自分の方が上だと断言もしていたが。
だが、ケレベル公爵騎士団の騎士団長のフィルマと、エレーナ護衛騎士団を実質的に率いるエレーナ。
双方共に騎士団長である以上、個人の強さと同等……場合によってはそれ以上に指揮力というのは重要になってくる。
そちらの指揮という点では、天才肌のエレーナであってもフィルマに必ず勝てるという自信はないと言い切られた。
……勿論、必ず勝てないからといって必ず負けるということを意味している訳ではないのだが。
エレーナの言葉を思い出しているうちに、やがてフィルマ率いる騎士は走るのを止める。
こうして走っていたのは、まだ軽い準備運動といったところなのだろう。騎士達の中には息を荒くしている者すらいない。
「では、これから素振りを行う! ……と、言いたいところなのだが……」
普段であれば、このまま素振りを行うのだろう。
だが、フィルマの口から出たのは、いつもと違う言葉。
そのことに騎士達は驚きの視線を向けるが、フィルマはそんな騎士達の様子に気が付くこともなく、じっとその視線をレイに向ける。
「今、この場には深紅の異名を持つレイ殿が来ている。せっかくなので、彼にも訓練に参加して貰いたいと思うのだが……構わないな? ああ、私はケレベル公爵騎士団団長、フィルマ・デジール。深紅の異名を持つレイ殿に再び会えて光栄だ」
内容としては、レイを訓練に参加させても構わないだろうという提案ではあったが、実質的にそれは命令に等しい。
普通であれば、これだけの騎士……百人近い騎士達がいるのだから、そんなフィルマの言葉に不満を持つ者が何人かは出て来てもおかしくない。
だが、それはあくまでも普通の騎士団であればの話であって、ここにいるのはミレアーナ王国でも屈指の戦力を持つケレベル公爵騎士団だ。
騎士団長のフィルマに絶対的な信頼をおく者達が集まっており、そのフィルマが言うのであれば否という者はいない。
……もっとも、中には尊敬するフィルマがレイを買っているような発言をしている影響か、レイに対して不満を抱いた視線を向けてくる者もいる。
お前は自分達の団長がそこまで言う価値のある男なのか、と。
それは、半ば嫉妬に近い感情からきた視線だろう。
それでもフィルマが決めた以上は、実際にその不満を口に出すような者は存在しなかったが。
「さて、模擬戦についてだが……それはあくまでも深紅のレイ殿が望むならだ。さて、どうだ? これから模擬戦を行うが、参加するつもりはあるか?」
挑戦的で、獰猛で、思慮深い。
そんな奇妙な色を宿した視線を向けてくるフィルマの言葉に、当然レイは最初から断るつもりはなかった。
そもそも、暇潰しの為にわざわざ騎士団が訓練をやっている場所まで来たのだから、そこで行われている訓練に誘われ、断るという選択をする筈がない。
「ベスティア帝国との戦争の時にちょっと話した筈だから、自己紹介は別に必要ないようだな。丁度俺もやることがなかったし、精鋭揃いと噂されるケレベル公爵騎士団の訓練に混ぜて貰えるなら大歓迎だよ」
レイは昨日参加した夕食会とは違い、服装もいつものドラゴンローブだ。
それ以外にもスレイプニルの靴を始めとしていつもの服装……そう、いつ戦いが起きてもすぐに対応出来る姿だ。
そうである以上、模擬戦をする上で装備が足りないということはなかった。
レイのやる気に満ちた言葉に、フィルマだけではなく騎士団の面々もレイに様々な視線を向ける。
そこにあるのは、好戦的、好意的、嫉妬、嘲笑と、様々な感情が込められた視線。
ミレアーナ王国でも最精鋭の一つとされるケレベル公爵騎士団だけに、当然そこに所属している騎士達はその辺の冒険者や傭兵と比べても力量で勝る。
ましてや、普段からその者達を鍛えているのはフィルマなのだから、実力は推して知るべしというものだろう。
(それに、ギルムだと雪が降ってきたらもう冬に入ったってことで、訓練とかもおざなりになる奴がいるのを考えると、この騎士団はそれ以上に鍛えていることになるし)
ギルムの冒険者全員が冬に全く訓練をしない訳ではない。
いや、寧ろ全く訓練をしないというのは少数派だろう。
それでも春から秋に比べると、どうしても訓練の質や時間は落ちてしまう傾向にあった。
冬越えの金を貯めることが出来なかった冒険者は、それこそ雪が降っていても討伐依頼の類を引き受けたりするので、そのような者達は自然と実戦を続けることになり、腕が鈍るといったことはないのだが。
「では……レイ殿、すぐにでも模擬戦は可能か?」
「ああ、俺は問題ない。ただ……武器はどうするんだ? 俺の異名を知ってるということは、当然俺の武器も知ってるんだろ?」
レイの武器はデスサイズに黄昏の槍という、長物が二つ。
それをそれぞれ片手で持って戦う二槍流だ。
だが、頻繁に使われる槍ならまだしも、使う者が少ない大鎌は模擬戦用の武器が存在しない。
そうなると、槍だけで戦った方がいいのか? そう思っていたレイだったが……
「いや、私達の模擬戦では常に自分の武器を使っている」
「へぇ……また、随分と本格的なんだな」
「当然だろう。それくらい本気で訓練をしなければ、実戦で致命的な失敗をすることになりかねん」
フィルマが何を言いたいのかは、レイにも分かる。
分かるが……訓練とはいえ、刃のついた本来の自分の武器を使うということは、ちょっとしたミスで相手を実際に傷付けてしまうということを意味している。
それはかすり傷のようなものではなく、場合によっては致命傷となってもおかしくないような傷だろう。
言ってみれば、たかが訓練でそこまでするというのは、レイにとって驚きだった。
(いや、俺が言うべきことじゃないんだろうけど)
エレーナやヴィヘラと戦闘訓練を行う場合、レイ達も自分の武器を使って行っているのだから、そんなレイの思いも当然だろう。
自らの手足を武器としているヴィヘラはまだしも、大鎌や連接剣のような特殊な武器を使用しているのを考えると、模擬戦用の武器を用意するのは難しかった。
特にレイの持つデスサイズは、マジックアイテムとして様々な効果があり、下手に模擬戦用の武器を用意しても使い勝手は大きく違う。
ともあれ、と。
レイはフィルマがそう言うのであればということで、ミスティリングの中からデスサイズと黄昏の槍を取り出す。
それを目にした瞬間、フィルマ以外の者は全員が一斉に息を呑んだ。
デスサイズと黄昏の槍。そのどちらか一方でも一流……いや、それ以上の価値を持つマジックアイテムなのだ。
そのような代物がいきなり目の前に二つ姿を現したのだから、それで驚くなという方が無理だろう。
「一応寸止めはするつもりだけど、それでも絶対とは言えない。それでも、本当に構わないんだな?」
「ああ」
他の騎士達が驚いているというのに、フィルマだけは特に動揺する様子もなくレイにそう返事をしてくる。
それこそ、まるでレイが手に持つ武器を知っているかのように。
(黄昏の槍を見るのは初めてだと思うんだけどな、まぁ、いいか)
そんな疑問を抱きつつも、レイはフィルマが頷くのならと、武器を手に騎士団達の方に向かって歩き出すのだった。