1757話
スーラ達がギルムにやって来たのは、当然のようにその日のうちにギルム中に広まった。
大通りをパレードでもするかのように移動したのだから、それで噂にならないという方が無理だろう。
そんな中、レイはいつものようにマリーナの家の庭で夕食を楽しんでいた。
「グルルルルルルゥ!」
マジックアイテムの窯を使って焼いたガメリオンの肉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
今年のガメリオンである為、一応初物と言ってもいいだろう。
もっとも、レイとセトは屋台の焼きうどんで食べたので、本当の意味で初物という訳ではないのだが。
「うーん、やっぱりガメリオンの肉は美味しいわ。今年は平年並みには獲れてるってことだったけど、人が多いからどうしてもその分値段が高くなるのよね」
しみじみと呟くマリーナ。
実際、現在のギルムは例年になく人の数が多い。
そして、当然のように全員がどうせなら美味い料理を食べたいと思ってもおかしくはなく、そうなれば当然のようにガメリオンの肉の値段は上がる。
また、ガメリオンはギルム以外でも幾つか姿を現すことがあるが、倒すには相応の強さが必要となる。
そのような理由から、ガメリオンの肉はこの時季のギルムにとって大きな商品でもあり、それを買おうとする商人も多い。
もっとも、幾ら秋から冬に向かう時季であっても、肉は当然腐る。
勿論夏に比べれば腐るのは遅くなるが、それでもレイのミスティリングでもないのだから、永遠に新鮮なままということは出来ない。
そうならないように、ガメリオンの肉を買った商人は専門の職人に頼んで干し肉にするか、もしくはその技術を持っている者であれば自分で干し肉にして商品としての価値を上げる。
……ただし、本職のプロが作った干し肉ならともかく、その技術を持っているとはいっても結局のところは素人だ。
折角購入したガメリオンの肉も、それによって駄目にすることも多かった。
(まぁ、欲を掻きすぎたせいって言えば、それまでだけどな)
窯で焼いたガメリオンの肉を薄切りにし、酸味の強いレモンに似た果実で作ったソースを付けて口の中に運びながら、レイはそんなことを考える。
「そう言えば……」
と、食事の途中で不意にアーラが口を開く。
「エレーナ様も、そろそろ帰る支度をした方がいいかと。急に準備をとなると、手抜かりがありますので」
「む。やはり一度帰らなければ駄目か」
アーラのその言葉に、エレーナは微かに嫌そうに呟く。
エレーナにとって、ギルムでの生活は非常に快適だった。
愛する男が側にいるのも大きいが、周囲に貴族派の貴族がいないことで、気を張らなくてもいいというのが嬉しい。
勿論ケレベル公爵領にいる時でも、基本的にエレーナは軍人としての生活がメインで、貴族との付き合いはそれ程多くはない。
……貴族の中には、何とかエレーナとの接点を作ろうと自分の息子や親類をケレベル公爵軍に入隊させる者もいるが、ケレベル公爵軍は精強な軍として名高く、当然それだけに訓練も非常に厳しい。
結果として、その手の者達はすぐに逃げ帰ることになる。
そんな状況ではあったが、ケレベル公爵家の一人娘としては当然のように最低限はパーティを始めとした貴族の付き合いに参加する必要があった。
だが、ギルムにいれば、そのようなことをしなくてもいい。
ギルムにいる貴族派の貴族や、それ以外にもエレーナと面識を得たいと思っている貴族が結構な頻度で面会を求めてくるのだが、大抵はアーラによって拒否されている。
どうしても会わなければならない相手とだけ会っているのだが、それでも実家にいる時に比べれば圧倒的に楽だ。
だから、出来れば今年はギルムですごしたいと、そう思っていたのだが……
「新年のパーティに貴族派の象徴たるエレーナ様が出ないというのは、どう考えても無理です」
信頼する部下にして親友のアーラにそう言われてしまえば、エレーナもそれ以上無理は言えない。
実際、ケレベル公爵邸では毎年新年にはパーティが開かれる。
当然普通なら雪が降っている中を移動したりはしないのだが、そこは貴族派の貴族。
人数や財力といったものに物を言わせ、ケレベル公爵邸に集まるのだ。
それこそ雪を溶かしたり、雪を強制的に移動させたりと、魔法使いの力量が発揮される時でもある。
ミレアーナ王国は、広い。
だからこそ、遠方の……それこそ国の端に領地を持つような貴族以外は集まるパーティに、貴族派の象徴とも言えるエレーナが参加しないというのは、間違いなくケレベル公爵の顔に泥を塗るようなものだった。
勿論、病気のような理由があれば、パーティに出なくても仕方がないだろう。
だが、エレーナは当然病気などではなく、非常に元気だ。
である以上、パーティに参加しないという選択肢は存在しない。
アーラの言う事は分かるエレーナだったが、それでも出来ればそれは止めたいと思ってしまうのは、レイと一緒にいることの心地よさからだろう。
そんなエレーナの思いは、当然アーラも理解している。
そしてエレーナの為であれば、それこそアーラはパーティに参加しなくてもいいと、そう言いたい。
しかし、ここで自分がそのように言ってしまえば、結果としてエレーナの立場を悪くしてしまうのだ。
そうである以上、アーラとしては心苦しいながらも、そう言うことしか出来ない。
エレーナも、それが分かっているからこそ、心の中では不満を抱きつつも頷いたのだ。
だが……そんなエレーナの言葉に、待ったを掛けた人物がいる。
「ねぇ、エレーナ。エレーナが向こうに戻りたくないのは……レイが……いえ、ギルムの居心地が良いからよね?」
レイがいるから戻りたくないんでしょう?
そう言おうとしたマリーナだったが、それを言えばエレーナが素直に認めるようなことはないだろうと判断し、言い方を変えた。
それは当然エレーナにも……そして他の面々にも理解出来ていたが、その辺りに突っ込む者はいない。
「そうだな。それは否定しない。何度も言ってるように、ギルムは私にとって非常に楽にすごせる場所だ」
「そう。……なら、こうしたらどう? エレーナが参加しなきゃならない新年のパーティに、レイも参加するのよ」
『は?』
マリーナの、あまりといえばあまりの提案に、それを聞いていたアーラ、エレーナ、レイ、ヴィヘラが揃って声を上げる。
ビューネは驚きの声を発するようなことはなかったが、それでも普段は無表情の顔で目を大きく見開いているのを見れば、ビューネがどれだけの衝撃を受けたのかを示していた。
当然だろう。レイと貴族というのは、相性が悪い。
それも少し相性が悪いといったものではなく、致命的なまでに相性が悪い。
貴族派の貴族は、自分が貴族であるということに誇りを持っている者が多い。
……問題なのは、その誇りというのが無意味なプライドに直結している貴族が多いということだ。
ケレベル公爵を始めとして、貴族派の上層部にいる貴族であれば、その辺りをしっかりと弁えている者も多い。……多いということは、上層部の中にも無意味にプライドの高い貴族がいるということではあるのだが、それでもしっかりと相手によって態度を変えることが出来る。
だが、それ以外……貴族派の貴族であるというだけで、自分達が貴族の中でも選ばれた存在であり、貴族以外の者は全て貴族の命令に従って当然。
そんな思いを抱いている貴族は、どうしても多くなってしまう。
全てがそうだとは限らないが、そのような貴族のいるパーティの中にレイがいればどうなるか。それは、考えるまでもなく明らかだった。
特にレイの立場から考えれば、エレーナに言い寄ろうする貴族にとっては、邪魔以外のなにものでもない。
レイがそのようなパーティに参加すれば、ほぼ間違いなく問題が起きるのは確実だった。
マリーナであれば、当然そのようなことを分かっている筈であり、何故そのようなことを言うのかと、その場にいた全員が視線を向ける。
……いや、セトとイエロはそれぞれガメリオンの肉を味わっているので、全員ではないのだろうが。
ともあれ、他の面々から視線を向けられたマリーナは、笑みを浮かべて口を開く。
「いい? エレーナもいずれはその辺をしっかりとしなければならないでしょ? それこそ、いつまでも今のままって訳にはいかないでしょうし」
「それは……」
マリーナの言葉に、エレーナは言葉に詰まる。
実際、エレーナの気持ちはもう決まっている。
それこそ、レイ以外を愛する自分というのは想像出来ないと思える程に。
だが、それはあくまでもエレーナがそう思っているだけであって、公にそう思われている訳ではない。
いや、レイの近くにいる者であれば、エレーナがそう思っているのは知っているだろうが……それこそ、エレーナの所属する貴族派では、エレーナとレイの関係を認めるような者は多くない筈だった。
自分は何でも出来る、何をしても許されると、そう思っている者にしてみれば、エレーナは自分の妻となるべき存在と認識してる者も多い。
そのような貴族にとって、レイという……例え異名持ちの高ランク冒険者であっても、貴族ではない存在とエレーナが決まった相手となるというのは、全く絶対に許されることではなかった。
だからこそマリーナは、そのパーティにレイを連れていき、自分が誰を愛しているのか……そして誰の下にいたいのかを、しっかりと示してこいと言ってるのだ。
騒動が起きても、それで諦めるようであれば、エレーナのレイに向ける愛情はその程度のものでしかないと、暗に告げて。
マリーナがエレーナに向ける視線は、冗談でも、からかうでもなく真剣なもの。
レイを愛するのであれば、態度をはっきりさせろと、そう告げている。
レイを愛する者は、現在マリーナが知っているだけでも何人もいる。
その殆どが、それこそレイの為であれば躊躇いなく現在の立場を捨てることが出来る者達だ。
……実際、マリーナはレイと共にいる為に、ギルムのギルドマスターという、ミレアーナ王国でも有数の地位をあっさりと捨てて、冒険者に戻った。
ヴィヘラの場合は、元ベスティア帝国皇女という立場ではあるが、迷宮都市エグジルでレイと出会った時には、既にその地位を放り捨てた後だったので、特に問題はない。
もっとも、迷宮都市というヴィヘラにとっては強い相手との戦いを楽しめる場所を捨て、レイの下にやって来たことが覚悟の証だったかもしれないが。
ただし、レイがいるのは辺境のギルムだ。
ダンジョンで出てくるモンスターより強力なモンスターが出てくるのも、珍しい話ではないのだが。
そんな二人には及ばないが、ギルドの受付嬢たるケニーもまた、レイに対して好意を隠さない。
(レイの性格を考えると、私も知らないところで色々とやらかしてそうだけどね)
エレーナと視線を交わらせながら、マリーナはそう考える。
実際、マリーナの想像は正しい。
例えば、エモシオンの漁師の娘ローシャ。
それ以外にも、レイは全く意識していないが、我知らずに多くの女達の心を奪っていた。
レイの性格は、決して優しいという訳ではなく、必ずしも好まれる訳ではないのだが……それでも規格外と呼ぶ程に強烈な性格をしているのは間違いない。
それだけに、一度レイという人物を知ってしまえば、それこそその辺りの普通の男を男として……異性として認識するのが難しくなるという者も多かった。
全員がそうだという訳ではないのだが。
「で、そんな訳だけど……レイはどうするの?」
と、マリーナが話の矛先をレイに向ける。
レイは、その言葉にどうするか迷う……こともなく、躊躇せずに頷く。
「俺は別にエレーナが構わないのなら、行ってもいいぞ。冬の間は特に何かやることもないし」
正確には、ギルムの増築工事で色々とやるべきことはあるだろう。
だが、冬の間は基本的にトレントの森での伐採も行わないので、ミスティリングを持つレイでなければ出来ないような仕事というのは、殆どない。
もっとも、資材置き場から別の資材置き場に木材を始めとした資材を運ぶという仕事はあるかもしれないが、それは仕事を求めている者に任せれば問題はなかった。
ギルムの外に行くような危険もないので、もしレイがやりたいといっても、余程忙しくない限りは、ギルドの方でも遠慮して欲しいと言う可能性が高い。
「……いいのか?」
まさか、レイがあっさりと自分と一緒にケレベル公爵領に来ると返事をするとは思わなかったのか、エレーナは恐る恐るといった様子でレイに尋ねる。
最後の確認といった様子のエレーナの言葉に、レイは特に緊張した様子もなく頷くのだった。